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習慣を乱したツケは必ずどこかで払わされるものであって、机につっぷして夢を見ていた坂本はクラスメートの長井に頭を小突かれて目を覚ました。
窓から入る夕焼けが二の腕にかかっていた。坂本は夢から覚めてどこかホッとしていた。だけど、寂しかった。そういう夢だった。もう少しも覚えていないが夢の感覚だけが残っていた。
「サカポン、今日寝すぎだぜ」
でっぱった頬骨の上にのった細い目が坂本を見下ろしていた。長井は坂本と目が合ったのを確認すると黒板を指差した。
「今祭りの班決めだよ。サカポン組もうぜ」
黒板には確かに大きく紅泉祭の班決めと大きく書かれている。もう班が決まったところもあるらしく委員長のサチが何人かの名前を黒板に書き込んでいた。
「もうそんな時期かね」
坂本はまだ霞んでいる目をこすりながら欠伸をした。祖母と二人で暮らしている坂本は時折仕草がジジくさい。
癖毛の強い頭をかいて坂本は頬杖をつきながら黒板を見た。木下カヨコという名前はまだ見当たらなかった。
「おーいサカポン組もうって」
「えー、ヤダ」
「なんで?」
「俺ゲンキと組む約束している」
それを聞くと長井は腕を組んで唇をつんと突き出した。
「なぁサカポンいいのかよ。中学最後だぜ」
「何が?」
「楽しい思い出作っとかないと後悔するぞ」
頬を支えていた肘がふにゃりと折り曲がって、左頬が冷たい机につき
「んな、大げさな」
と坂本は長井の言葉を眠そうに鼻で笑った。
「大げさなことはない」
どすの聞いた声をさらに低くして、長井は角ばった大きな顔を坂本の耳元に近づける。
「いや、ここだけの話。ショーコがお前と組みたがっていてさ」
「え、ほんとう?」
「本当だよ。そしたらお前さん、もしかしたらこの夏君の童貞がささげられるかもしれんぞ」
「なんと」
坂本は口をあんぐり開け考え込むふりをする。しかし、その視線の先にはカヨコがいる。カヨコは右から二番目の列の一番前の席に座っている。黒板の前にたつ女子達の話を聞きながら微笑んでいた。
(まだ、班は決まってないみたいだけど俺はゲンキと一緒だし同じ班になることはないだろうな。いや、別にゲンキがいなくたって変わらないか。俺は彼女と話したこともない。また俺はゲンキのせいにしようとした)
「やっぱ止めとくわ。二十歳まで貞操は守りたい」
馬鹿らしい気分になったので馬鹿らしい返事が口から漏れた。
「お前の家そんな方針だったっけ?」
「違うけど。まぁしょうがないだろ。先に約束していたのだし」
「真面目だな」
坂本たちの話に聞き耳を立てていたのだろう。坂本がやんわり長井の誘いを断ると、ゲンキが席を立って近づいてきた。長井は避けるように「じゃあな」とショーコ達のところへ帰っていった。ショーコが目を細めて嫌そうにゲンキのことを睨んでいた。
「サカポン、班決まった?」
どこか申し訳なさそうにゲンキが聞いてくる。
「いや」
「じゃあ組むか」
「ういーす」
ゲンキはニカッと歯を見せて笑った。
「女子はどうしようか」
「さぁ、余った人たちでよいんじゃない?」
「関も誰とも組んでなさそうだな。俺誘ってくるわ」
「関?ああ」
ゲンキは関のところに行ってしまった。関はカヨコと同じく二ヶ月前に転入してきた。大人しい男でクラスの人間を話しているところをほとんど見ることはない。休み時間も何をするわけでもなくただ自分の机にぼぉっと座っていて何を考えているのかよく分からない人だった。
坂本は席を立ってゲンキと関がいるところに行った。そこは、ちょうどカヨコの斜め後ろの席で、カヨコの小さな笑い声がそっと耳にはいった。
「関、組んでくれるって」
「おぉ。関よろしく」
関は声を出さず、コクリと頷いて答えた。
「あとは女子か。ブスな奴らと組みたくないけどまぁいっか」
最初からいわゆる“余りもの”と組むことになっていることをゲンキも分かっているだろうに。ゲンキの空威張りの発言に坂本は苦い笑いを浮かべた。
(女子が誰だろうといい。いわゆる青春を謳歌できなくていい。周りの人たちは勘違いしているけど、俺はゲンキといるのが楽しいから一緒にいるんだ)
カヨコのことを頭のもう片方で思いながらも坂本は自分の頭にこう言い聞かせていた。そして、ゲンキの歪な突起物がいくつかある顔を眺めて、はなから青春からつまはじきにされるゲンキを不憫に思い、また不憫に思うことを申し訳ないと思った。
こうして苦笑いの表情が少しずつ変化していく間、ふと後ろから名前を呼ばれて坂本は振り返った。
「坂本」と珍しくあだ名ではなく本名で坂本のことを呼ぶのは学級委員のサチだった。
「班決まっているの?」
「あ、いや。ごめんまだ」
「男はそこの三人で組んでいるんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、私たちと組まない?」
「ん?あぁいいよ。いいよね?」
坂本は一応ゲンキと関に聞いてみた。聞いてみながら、ひどく驚いていた。サチは鉄平たちと組むものだとばかり思っていた。
関はうなずき、ゲンキは「しょうがないな」と答えた。ひねくれているがゲンキは嬉しそうに笑っていいる。
「じゃあ、よろしく」
サチはいつも通りそっけなく言ってちょうど空席になっている関の前の席に腰掛けた。
「あれ、もう一人は?」
坂本はサチと組んでいる女子について尋ねた。
「いるじゃない。ここ」
「え?」
サチが右手のひらで指した人は隣に座っているカヨコだった。カヨコはこちらに「あ、よろしく」と何故か少し驚いた感じで頭をさげた。
「どうしたの?」
サチが猫目を細めながら不振そうに坂本を見た。
「いや、別に」
言葉はどこか上の空だった。坂本は不思議な感覚に浸っていた。カヨコを見ながら頭の中がぼぉと透けていくような感じがした。
これが恋ならば、もっと普通は胸が熱くなったり、頭の血が意味不明な言葉でぐるぐる回ったりするものであろうが、実際そういう経験は今まで何度かあったわけだし、しかし、今坂本が覚えるのはただ不思議な感覚だ。
カヨコが普通にそこにいて、普通の挨拶をする。それもちょっと驚いたように頭をさげて照れ隠しするさまなどはひどく人間的でそれが坂本には不思議だった。しかし何故不思議に感じるのかは分からない。何故不思議に感じるのかも坂本には不思議だ。
「あ、よろしく」
思い出したように、坂本は挨拶を返した。カヨコは節目がちに頷いて微笑んだ。この動作もまた不思議だ。一挙手一即答がまったく不思議だ。
そこで校内放送がなって坂本は呼び出された。
「なんかしたの」
と不満そうなサチに謝って坂本は職員室に言った。後ろ髪をひかれる思いだった。カヨコをもっと見てみたかったし、話してみたかった。そうして、このもやもやとする不思議の理由を少しでも発見したかった。




