ソフィー・リニエールというご令嬢~フェリオ・レクスの邂逅と絶望~
物心つく前には、もうすでにフェリオの母は亡くなっていた。
王妃の侍女でありながら王を誑かし、第一王子を産んだ女。自分は、その女が産んだ子。王宮に満ちる悪意は、幼いながらに感じていた。
それでも、フェリオが第一王子として大事に育てられたのは、王妃が自分の存在を認めてくれていたからだ。
王妃は、元は美しいと評判の公爵令嬢だった。
笑みも、怒りもその表情には表れないが、見ているだけで皆がうっとりとするような顔立ちをしていた。
正直、どうしてこの美しい王妃より先に、側室に子を生ませたのか理解できなかった。王は、特段愚王というわけではない。王が、父親が順番さえ守ってくれていれば、こんなことにはならなかった。そう幼心に思うことを止められない。
王妃と異母弟が一緒にいるところを見ると、いつも胸が痛んだ。母親のいる異母弟が羨ましく、妬ましかった。
けれど、本来なら第一王位継承権を持つはずだったであろう異母弟は、それを奪った自分を疎んじること無く、逆に慕うように自分の傍にいてくれた。
そんな一つ下の異母弟を、可愛く思う心もありながら、どうしても心底愛せない自分が、吐き気がするほど嫌いだった。
五つの時に、異母弟が持っている物が羨ましく、同じ物をねだった。しかし、異母弟と同じ物を欲しがると、いつも王妃から叱責が飛んだ。
「フェリオ、立場を考えなさい」
美しい顔が、表情を変えずに冷たく言う。それを聞くだけで心が冷えた。
王の子として認めていても、きっと王妃は自分の子を、王にしたいのだろうと思っていた。
その方が、自分も助かる。
自分の血は、王を奪った侍女のものだ。
王位につくべきは、この誰よりも気高い王妃の血が流れる異母弟が相応しい。そう思っていた。
それが間違いだと知ったのは、自分の婚約者が公爵令嬢クリスティーナ・ヴェリーンに決定したことを聞かされたときだった。
貴族の中でも一、二を争う名家であるヴェリーン家との婚約は、王位継承を確実とする布石。
その布石がなぜ自分なのかと、フェリオは父である王ではなく、王妃に問うた。
「なぜ私なのですか、お義母様は私に立場を考えろと、いつも言っていたではありませんか!」
「そうよ。貴方は第一王子。この国を継ぐ者です。王を継がぬ第二王子と、立場が同じはずがないでしょう」
「――ッ!」
今まで気づかなかった。異母弟が持っている物は、全て自分の物より一つ下のランクであることを。異母弟と同じ物を欲しがった時に、どうしていつも王妃が駄目だと口にしたのか。
王妃は、最初から自分を王にするつもりだったのだ。
自分を裏切った女の子供を。
正当な王位継承者は、王妃が生んだ異母弟だとずっと思っていた。それなのに、王位継承者は最初から自分だったのだ。理解できなかった。
(一年早く生まれただけなのに? それだけで国を継ぐのか? 自分が?)
目の前が真っ黒になった。
考えもしていなかった現実が、重くのしかかる。
王を継ぐ者としての教育は、日に日にその量を増し、厳しさが心と体をむしばんでいった。
重責と責務に、体調を崩すことも多くなった。とくに高熱を出すことが多くなり、日がな一日寝台で過ごすこともあった。
そんな時に新しい護衛がついた。
その男は、よく笑う男で、よく喋る男だった。
まだ若い彼は、大よそ護衛という職業に向いているとは思えなかったが、すぐにそれが無能なフリをしているだけだと気づいた。
護衛は、自分の可愛い弟の話をよくした。
熱が下がったばかりで、まだ朦朧としているフェリオの横で、果物を気持ち悪いほどにリアルなウサギに切りながら、護衛が話す。
その話を聞くと、護衛の弟が羨ましいと思った。兄に守られ、愛される。自分とは違う環境にある弟が羨ましかった。
皿に、普通に切り分けた果物と、リアルなウサギを置かれ、フェリオはリアルなウサギを口に入れた。
甘みが強く、果汁の多いそれは、熱のあった体にはあり難く、美味しかった。何度か咀嚼すると、護衛はニッコリと笑って言った。
「フェリオ様、毒味していないものを安易に口に入れてはいけません」
自分が用意して切ったものを、毒味無しで食うなと言う護衛にうんざりする。
「誰が準備したものであろうと、毒の可能性をお考えくださいね。たとえ、それが未来の王妃であってもです」
「――――お前はッ、オレの妻になる女さえ、疑えと言うのか!?」
「はい」
「ッ!」
サラリと返され、また熱が上がりそうになる。
正しい意見だ、正論だ。
しかし、今のフェリオにはその言葉自体が毒だった。
自分の妻さえ疑わなければならない。
なら、誰も信じる者などいないではないか。
信じる者もおらず、自分を真に守ってくれる者もいない。
そんな世界で、自分はどうやって一人で生きていけばよいのか分からなかった。
その晩はまた熱が上がり、もうこのまま死んでしまいたいと思った。けれど死ぬことは無く、熱も下がらない。そんな状態が数日過ぎると、突然王が寝室にやってきた。
王も王妃も、その職務を全うする人ではあるが、愛情深い性格ではない。
なぜ来たのだろうかと思っていると、王が感情の無い声で、自分にタリスの保養地に行くように命じた。なぜかと問えば、王妃から、空気と水が綺麗なタリスなら、フェリオの体調も良くなるだろうとタリスを薦められたのだそうだ。ご丁寧に、優秀な医師団をタリスの屋敷に待機させているという。
側室に先に王子を生ませた負い目なのか、王は王妃の言うことはすべて叶えようとする節があった。王妃が、王に自分の子を次期王へと一言言ってくれるだけで、自分は楽になれるのに。
もしや、これは王を奪った側室への恨みを、その息子で晴らそうとしているのではないだろうかと、疲れた心が疑う。これが厄介払いなら、どんなにあり難いだろうと思いながら、諾と返事をする。
その後、熱が完全に引いたころに、フェリオは保養地に向かった。
タリスの保養地は、確かに空気も水も美しかった。
空は青く、雲は白い。当たり前の光景が、いつもそこにあったのに、王宮にいた時は気づきもしなかった。
王妃が派遣した医師団は優秀で、少しずつ体が良くなっていく。しかし、王宮には帰りたくなくて、良くなる体とは裏腹に、心は暗かった。
保養地には、よく笑う護衛もついてきた。この護衛は、いつも小言がうるさかった。何をするにしても注意が飛ぶ。
うんざりして、王に護衛を代えてもらえないか手紙で頼んだが、返ってきたのは却下の一言だった。
しかも、王に護衛を代えてほしい旨頼んだことが、護衛にもバレてしまい、ウソ泣きで非道扱いされた。
このあたりから、フェリオは護衛に対して遠慮しなくなった。うるさいと思ったらそう言うし、お前は護衛としておかしいと指摘し、改善を命じた。
第一王子という身分であっても、誰かにこんなに強く命じたのは初めてだった。しかし、改善をどれだけ命じたところで、よく笑う護衛は相変わらず笑うだけで、フェリオの意見を完全無視した。
そんな時だった、フェリオが一人の少女と出会ったのは――――。




