拝啓 天馬 私も、もう十三歳。立派な淑女になりましたⅥ
孤児院で育ったバートよりも過酷な幼少期を過ごした男に、バートは貯蔵庫から持ってきたワインを出し、グラスに注いでやる。
「これ、飲んでいいやつなのか?」
どっかりとソファーに凭れ、渡されたグラスとワイン瓶を見る。
「ああ。ソフィー様が飲んで感想を聞かせろと」
「ふーん」
クレトは慣れた仕草でグラスを傾け、香りを嗅ぐ。その時点で、すでにそれが他のワインとは一線を画すものだと気づいたようだ。一口飲み、目を見開いた。
「うわ…これ、すげーいいやつだろう。他国のか?」
「ダクシャ王国の希少な果物を使って作られたフルーツワインだそうだ」
「今日子爵様が飲んでいたモノより、ずっといいやつだぞ」
「王都では王族クラスしか飲めないそうだ」
「……なんでそんなモノを、俺たちが飲んでいるンだろうな?」
二人に沈黙が流れる。
答えは簡単で、男爵夫妻は酒をさほど好まず、ソフィーはまだ酒が飲める年ではないからだ。そのせいで、二人は酒の良し悪しをみる係に任命されていた。
男爵家の執事も管理はするが、ソフィーが買い求めたものや、彼女に贈答されたものは二人がみることとなっている。だが、王族クラスのワインを、元孤児が気楽に飲んでいる。我に返ればかなり奇妙だと、今さらながら感じてしまうのだ。
「本当に全部飲んでいいのか?」
「ソフィー様は質が確かなら、貿易商品の一つにしたいそうだ」
「買える貴族はかなり限られると思うぞ?」
これを買うとなると、かなりの金額だ。それこそ、かなりの高位貴族でないと簡単には買えまい。
「あちらは、対価は金ではなく、砂糖で欲しいそうだ」
「ダクシャ王国には砂糖の原料となる作物が採れるだろう? 砂糖も他国より多いはずだ」
「ああ。確かに砂糖はある。だが、ソフィー様が抽出した砂糖はより不純物が少なく上質だ」
価値が違うのだと説明するバートに、なるほどと納得する。
「あちらも上質なものを対価に選ぶ辺り、お嬢さんの機嫌は損ねたくないようだな」
「当然だ」
クレトを拾ったルーシャ王国の他にも、ソフィーは灼熱の国、ダクシャ王国にも足を運んでいた。その時知り合った商人は、まだ幼いソフィーの慧眼を見抜き、始終、下にも置かない対応だった。
「さすがお嬢さん」
見た目は可憐な妖精のような少女の顔を思い出し、感嘆の声を上げると、バートから睨まれた。
「お前はソフィー様に対する口調をそろそろ直せ」
「はいはい」
バートからは、もう何度もソフィーに対する話し方を改めろと言われている。
しかし、それを直さないのは勿論ワザとだ。
ソフィーは時と所と場合を考えさえすれば、砕けた口調を嫌がらない。逆に、昔からの対応で接することを嬉しがっている節もある。だからこそ、改めないのだ。
それくらいしなければ、敬愛する少女の一番近くにいる男、バートと差別化が図れないという思惑もあった。決してソフィーを軽んじているわけではない。
クレトが王都で支給されたスーツを着るのも全てソフィーのためだ。クレト自身は、もっとラフな格好で畑の土を触っていたいのだが、王都でそのような恰好をして、お嬢様に恥をかかせるわけにはいかなかった。一応外では、ソツのない好青年を演じている。
バートは、クレトの気持ちを全て分かっていて、小言を言ってくるのだ。
名を呼び捨てて、敬語も無かった時代を、バートは先に捨ててしまった。
友人という関係を捨て、仕える者として接する。少しだけ寂しそうだった少女の顔を見なかったことにして、膝をついた。それは正しい。彼女の傍にいつまでもいるためには、それが正解なのだ。大切な少女のために一線を引いた男は、あえて引かない男が羨ましく、妬ましかった。
また二人の間に流れた沈黙を、大きな音で破ったのは、二人が敬愛する少女だった。
「負けたわ! この私が、長年培ってきた話術を駆使しても勝てなかった! 全て、あのお母様のキラキラとした瞳には無力だったのよ! 自分の無力さを痛感したわ! ええ、自分でもガッカリよ!」
夜も更けたというのに元気が有り余っているのか、早歩きで二人の前に来ると、勢いよくソファーに沈んだ。
「ソフィー様…」
「お嬢さん、お行儀が…」
「いま注目すべきはそこではないのよ!」
いや、大事だろう、と二人は思った。
ここは使用人専用の部屋であり、ご令嬢が入るべき部屋ではない。この屋敷全ての持ち主である当主ですら、使用人の部屋には入らないというのに。
「サニー、悪いけどお茶を淹れてくれないかしら。エリークも呼んだからあの子と、貴女の分もよ。今から作戦会議をするから。貴方たちは…、あら、そのワイン美味しかった?」
テーブルに置かれたフルーツワインの瓶を見て、ソフィーが先ほどまでの沈んだ態度を一変させ、ワクワクと感想を聞いてくる。
「あのね、お嬢さん」
クレトがお説教だとばかりに口を開いたが、それより先にバートがサニーに二人分のお茶の追加を求めた。
こうなったらどうせ言っても無駄だと、どうやら付き合いの長いバートは早々に諦めてしまったようだ。クレトは、まだ開いたままの口を閉じ、一つため息を吐いた。
「貴方たちはワインでもいいのよ?」
「作戦会議をなさるのでしょう。飲んでいる場合ではありません」
「でも、そのワインの感想は聞きたいわ」
ソフィーの言動に、もう十分慣れたバートは余計なことは言わず、淡々と感想を口にした。
「大変美味しかったですよ。ライトな飲み口なので、これならご婦人にも大層受けるかと」
「クレトは?」
「……不純物も無く、色、香りともに申し分ないですね。使われている果物の栽培方法を知りたいくらいです」
二人の言葉に、ソフィーは頷く。先ほどまでは幼い子供の癇癪のような態度だったが、今は実業家の顔だ。その変り様には、慣れていても驚く。
「二人がそこまで言うなら、取引を始めてもよさそうね」
本当にこのお嬢様は、御年十三歳の少女なのかと疑ってしまう。
初めて出会った時から変わっていたお嬢様を目の前に、二人は黙ってグラスを片付けた。




