拝啓 天馬 私も、もう十三歳。立派な淑女になりましたⅣ
訪れたハールス子爵家では、夫婦で出迎えてくれた。もともと仲が良かったハールス子爵夫人と母は、すぐになごやかに談笑が始まる。
バートとクレトは護衛と違って同じ部屋までは入れないが、別部屋に案内されている。耕地を借りていることもあり、その話になった場合を考え二人にも来てもらったが、話は始終内輪の世間話だった。
だが、時間も過ぎたころ、ハールス子爵が真っ直ぐにソフィーを見て口を開いた。
隣に座っていた夫人がとても嬉しそうに笑っているのが、なんとも言えず不思議な気持ちになる。夫人の笑顔が、姉を喜ばせようと花を後ろに隠して近づいてくる弟の顔に、なぜか被るのだ。
「ソフィー嬢、貴女は“薔薇の選定”をご存知ですか?」
「はい」
王都での生活は短いが“薔薇の選定”については聞いたことがあった。オーランド王国には、ご令嬢のみが入学できる女学院、通称“女王の薔薇”と呼ばれる場所がある。“薔薇の選定”とは、そこに入学を許される者を一人、推薦できる権利だ。
“女王の薔薇”は、貴族なら誰でも入学が許されているわけではない。地位、品位、品格、知性、全てに優れたものだけが、選定者によって推薦され、初めて入学が許されるのだ。
「では、私が“薔薇の選定”を許された貴族であることは?」
「いえ、申し訳ございません。それは存じ上げませんでした」
“薔薇の選定”を許される貴族は、それだけ他の貴族より優れていることと同義。同じ子爵の地位を持っていても、格が違うという証でもあった。
「“薔薇の選定”を許された貴族は、一人のご令嬢を推薦することが義務付けられているのですが、私は貴女以外にふさわしい方はいないと思っています」
「……わたくしが、ですか?」
夫人の笑顔の理由がやっと分かった。そして、この急な食事会の理由も。
(いやいやいやいや、普通のご令嬢なら歓喜するところなのでしょうけど、私にはそんな学院にいっている暇なんてないんです!)
ソフィーには、まだまだやりたいことも、やらなければならないこともたくさんあった。
王都での民の生活が、どんなものなのか何が足りないのか、買い物と称して現地調査している途中だが、その中でも、王都の貴族街といわれる場所以外の地区の不衛生さは見逃せない。
汚物を川に流しているため、水の汚染は酷く、いつか病気が蔓延するのは目に見えている。郊外にある農地地区もその水を使って作られている。正直、恐ろしさしか感じられなかった。
それは他国でも同じで、水を浄化する機能が国民の数にまったく足りていないのだ。
貴族は飲料する水を買うことができ、貴族街は美しく保たれるよう設備があるが、平民にはそれが無い。上水道、下水道の整備はかなり早急に行わなければならない。
水に係わること、それはソフィーだけではなく、祐の描いた未来の一つでもあった。前世で勤めていた営業職を辞めたのも、水の研究をするため大学に行くことを決めたからだ。
祐は、六歳の時に実の母親に山に捨てられた。母親はきっと祐に死んでもらいたかったのだろう。けれど、自分の手を汚すことはできず、山に捨てたのだ。
誰もいない山の奥に捨てられ、六歳の子供はただうずくまって待った。動いては駄目と言われたから、動くこともできなかった。愚かにも、捨てた母親の言うことを必死にきこうとしていたのだ。そしたら、迎えに来てくれるのではないかと願って……。
結局、一日たっても母親は迎えに来てくれなかった。季節は夏だったため、寒さに凍えることは無かったが、ただ喉が渇き、お腹が空いた。
少しだけと思って、おぼつかない足取りで歩くと、山からしみ出る水を見つけた。チロチロと流れるそれを必死に手ですくい、飲んだ。一口飲み、祐は涙をこぼした。
水は生きる源だ。
源を体に取り込み、祐は生きたいと思った。
母親から捨てられた事実も、本当は死んでほしいと思われていることも分かっていた。祐は同年代の子供よりもずっと聡かった。そうでなければ生きていけない環境だったから、無垢では生きていけなかったから。だから知っていた、母親の願いを叶えるのなら生にすがってはいけないことを。
それでも、山水を何度も飲み干し、生きたいと願った。ボロボロと泣きながら、必死に水を飲む。お腹が水で膨れても、ひたすらに飲んだ。
――――生きたい。生きたい。死にたくない!
まるで神様が見ていたかのように、数時間後たまたま訪れた山の所有者に発見され、祐は命を繋いだ。もう何年も山に踏み込んでいなかった山の所有者は、近隣の土地所有者の立会いのもとで、境界線を確認するために訪れていたのだという。
人間は食べるものが無いと生きていけない。けれど、水が無ければもっと生きていけない。山水を飲み、生かされた命。水に生かされた命を、水に捧げたかった。
尊敬できる教授を見つけ、貯めたお金で大学に通い研究する。その願いは叶わなかったが……。
水に生かされた命は、結局、海難事故にあうという死に方で終わった。
あっけなく、水の力によって散らされた恐怖は、記憶が戻る前のソフィーを苦しめていたが、記憶が戻ってからはなぜか恐れは無くなった。
溺れ、水死した記憶がハッキリしている今の方が、水への恐怖が無いというのも不思議な話だった。
もう二度と溺れないと、貴族御用達の水場で一人泳ぐ練習を何度も行った成果もまた、恐怖心を減らす手伝いをしていた。
(私には、やりたいことがたくさんあるのに、貴族の女学院に行っている暇なんてないわ!)
“女王の薔薇”は十四歳から十七歳までの三年間と決まっている。しかも、貴族の子息が多く通う“王の剣”が王都にあるのとは違い、“女王の薔薇”は郊外の山の方に建てられていた。つまり、寮生活だ。“王の剣”も寮生活が強制されているが、王都にある学園と郊外の山にある学園とでは距離が違いすぎる。
(せっかく準備万端で王都に来たというのに、三年も離れるなんて…)
ここは、良かれと思って推薦してくれようとしているハールス子爵に、恥を掻かさぬようにお断りするしかない。
学生時代は人見知りが激しすぎて天馬以外に友人と言える人間はいなかった祐だが、就職してからは違う。給料の高さで選んだ職場で実績とボーナスを上げるためにも、事前に数十冊という自己啓発本や書籍を読み、天馬の姉、涼香の人タラシの技術を真似した結果、学生時代の祐を知っている人間からすれば『誰?』レベルに笑顔と話術を磨き上げたのだ。
天馬からも『気持ち悪っ…』と呟かれた営業トークを、いま存分に発揮する時だ。




