ソフィー・リニエールというご令嬢~地獄に落ちた少年の話Ⅱ~
「バート、口調が昔に戻っているわよ」
「……申し訳ございません」
青年が、表情と口調を戻す。
「さて。貴方は、なんというお名前なのかしら?」
「カミロ…」
「そう。ではカミロ。分かってはいるでしょうが、盗みはいけないわ。前科が付けば貴方は投獄されるのよ」
「貴族の説教なんてッ!」
「貴方が投獄されて、困る者はいないの?」
「……っ」
少年は目を伏せ、唇を震わせた。
「……ねぇ、カミロ。貴方、魔女にその魂を売る覚悟はある?」
「え?」
「魔女に魂を売るほどの覚悟があるなら、貴方にも、貴方を待つ人にも居場所をあげるわ。食べるものには困らず、着る服も暖かい物を、雨にも風にも怯えない寝床を。ねぇ、――――貴方に、魔女に魂を売る覚悟はあるかしら?」
白い指が、汚い頬に触れる。どうして、この目の前の少女は汚い自分に触れるのだろう。触れられるのだろう。分からない。少女とは思えぬ息を呑むほどに妖艶な雰囲気は、まるで魂まで抜かれそうだ。
「あ……」
自然、涙が零れた。恐怖ではなく、緊張の糸が切れたわけでも無く、ただ涙が溢れた。
「た…」
喉が張り付いたように動かない。握りしめていた拳は震えている。けれど、必死に少年は言葉を紡いだ。
「助けて…お願い…あいつを助けてッ。それなら、おれ、魂だって売るから!」
少女が、悪魔でも魔女でも縋りたかった。縋るなら彼女が良かった。
ボロボロと零れる涙で必死に叫んだ。助けてほしかった。親のいないストリートチルドレンなど、誰も助けてくれないと分かっていた。けれど、彼女に助けてほしかった。どんな代償を払ってでも。どうか妹を助けてほしいと。
「バート」
「案内しろ」
少女の言葉を受け、青年は短く命じた。少年は頷き、口を開いた。
狭い路地に、隠れるように妹は横たわっていた。
熱に浮かされ、息も絶え絶えの薄汚れた妹を見て、少女は呆れたような声を出した。
「バカね、この状態でパンなど食べられるわけがないでしょう。盗むべきは薬か、せめてスープだわ。まず盗むべきものを見誤っているわ」
「……ソフィー様」
「失礼、お口が過ぎたわ」
唇に手を当て、少女が笑う。
青年が、妹を抱き上げる。すると、少女が細い肩に羽織っていたモスグリーンのショールを取り、そっと妹にかけてくれた。美しい光沢をもつショールを、泥と垢で汚れた妹になんの躊躇も無くかける行為に、少年はギョッとした。
「ドクターの所へ連れていきます。ソフィー様はサニーたちの馬車へお乗りください。これより先は、私が対処いたします」
「クレトには、また約束を破ってごめんなさいね、と伝えておいて」
「口だけの謝罪ですね」
「まぁ、手厳しいこと」
意に介さず答える少女は、少年を見て赤い唇で囁くと、颯爽ともう一台の馬車に乗った。馬車は軽やかに走り去る。
――――貴方は、私に魂を売ったのよ。これから、リニエール商会の社員として精進なさい。
確かに、可憐な少女はそう言った。
「しゃいん?」
意味が分からず、少年は言葉を反芻する。
「地獄へようこそ、カミロ。あの魔女に魅入られたら、そうそう幸せにはなれないぞ。普通の女じゃ物足りなくなるからな」
「え?」
少女がいなくなってからの青年の口調はもう完全にチンピラだった。
どういう意味なのか分からず困惑している少年を置いて、青年は妹を連れて馬車へと急ぐ。必死に追いかけながら、発言の意味を考えるが分からない。
しかし、少年がその発言の意味を理解するのに、そう時間はかからなかった。




