ソフィー・リニエールのがんばる毎日Ⅲ
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淑女たるもの、どれほど急いでいても優雅さを忘れてはならない。
そう、クリスティーナの妹として、女王の薔薇の学生として。バタバタと足音を踏み鳴らして歩くなど言語道断だ。
(――――私は淑女だもの!)
前世の記憶を思い出したあの日から変わることのない目標を胸に掲げ、ソフィーは春のいたずらなそよ風のような足取りで、軽やかに廊下を進んだ。
ふと、すれ違った黒星の生徒から「あのドレスで、あの動きって……」と、なぜか化け物を見るような目で追われ、ぼそりと呟かれた。
距離的にソフィーには聞き取れない声量だと思って発しているのだろうが、ちゃんと聞こえている。
(まったく。エーヴェルトといい、黒星は女性に対する礼儀がまるでなってないわね)
これは由々しき問題だ。
黒星は、いずれ王族イコールクリスティーナに仕える立場――というだけではない。
彼らの家柄は全員子爵以上。年齢からいっても、女王の薔薇の女学生達の婚約者になる可能性が非常に高い。
尤も、その真偽については確かめていない。
もし、まかり間違って彼らの婚約者がソフィーの級友だった場合、我を忘れて暴言を吐いてしまう恐れがあるからだ。
淑女としても、それは避けたい。
避けたいが、もしそんな事態が現実のものとなれば――――。
(きっと、血の雨を降らせてしまうわ……)
流血回避のためにも、黒星達には、もう一度紳士の何たるかを講義しなければならない。彼らを紳士として鍛え上げれば、ショックも少しは和らぐはずだ……たぶん。
悶々と考えていると、少し離れたところから声がかかった。
「ちょっと、お嬢さん」
「あら、マルクス」
服装からしてちょうど山岳演習から帰ってきたところだろうか。足元の裾が少し泥で汚れている。
数日前にも別チームの引率を任されていたはずだが、マルクスの顔にはまったく疲労感がみられない。さすが銅星二百人を束ねている監督生は基礎体力が違う。
「お疲れさま~」
仁王立ちで手招きしてくるマルクスに、ソフィーは笑顔で手を振り、自然な動作でその場から立ち去ろうとした。
が、すぐさま「こら、逃げようとしない!」と制止が声が飛ぶ。
ああ。できれば、このまま静かに退場したかった。
しぶしぶマルクスの前まで行くと、「まったく……」とため息を吐かれた。
「再三言ってるよね、単独行動はやめてって。なのにまた護衛もつけずに一人でほっつき歩いて。今日は黒星たちが当番の日だっただろう。ジェラルドはどうした?」
「しっ!」
マルクスの唇に手を当て遮ると、ソフィーはキョロキョロと辺りを探るように目を凝らす。
「その名を出さないでちょうだい。いまやっとまいたところなのよ!」
名などよんで言霊の力でジェラルドが引き寄せられたら大変だ。
全身全霊で逃げを打っているソフィーに対し、マルクスは呆れた顔を隠しもしなかった。
「あのねお嬢さん、護衛はつけるものであってまくものじゃないわけ。逃げたら逃げただけ監視の目が厳しくなって、結果自分の首を絞めるだけなの。……ほんとに、そろそろ諦めようよ」
まるでこちらに非があるような言い草に、ソフィーは反論した。
「まってちょうだい。私だってジェラルドがあれほど教育ママばりの小言と過干渉を発動しなければ、ちゃんと護衛を受け入れているわ」
「いや、それ全部お嬢さんがしでかしてきた結果じゃん。ジェラルドだって、お嬢さんが大人しく護衛させてたら、あんなになってなかったと思うぜ。ってか、あいつをあんな風にしたこと、お嬢さんは一回反省した方がいいと思う」
「なぜ私が悪い流れになるの!?」
異議ありとばかりに更なる反論を繰り出そうとした時だ、廊下の曲がり角からルカが顔を出した。
「マルクスさん、先ほど……あ、ソフィー様っ」
ルカはソフィーの顔を見るなり、慌てたように駆け寄ってきた。
もうすぐ16歳になるルカは、少年期から青年期へと成長している過程だ。
身体も少しずつ筋肉質なものへと変化しているようだが、服の上からはまだ大きな差異は感じられず、顔立ちも初めて出会った時と変わらぬ愛らしさが残っている。
けれど手足の長さや、日々変わっていく顔つきから、この先幼さが削ぎ落とされ、精悍なものへと変わっていくのだろうことが予想できた。
「お怪我はありませんでしたか?! 広場で暴漢を投げ飛ばしたと、いましがた報告を聞き心配いたしましたっ」
「安心してちょうだい、ルカ。私は擦り傷一つないわ」
成長期の真っ只中のルカだが、心配症なところはあまり変わっていない。
あわあわとソフィーの無事を確認してくるルカとは対照的に、マルクスは渋い顔をした。
「それ、大丈夫だったか問うべきは暴漢の方じゃねーの……」
そうぽつりと言った後、「はーい。じゃぁ、何でそんな騒動になったのか説明してくれる?」と、経緯の説明を促された。
マルクスの問いかけ方は、前世でよくある刑事ドラマの警察官が、犯人に罪を白状させるトーンに似ていた。
ソフィーはなにか釈然としない想いを抱えつつ、「とくに大した話じゃないわよ」と前置きしてから、広場での一連の騒動を伝えた。
話を最後まで聞いたマルクスは、どこか遠い目でソフィーを見下ろし。
「あのさ、せめてもうちょっと……あ、いや、いいや。どうせお嬢さんには何言っても無駄だし」
最後の言葉を飲み込み、苦笑を浮かべる。
マルクスはエーヴェルトと違って大変物分かりがいい。
しかし、言い様がひどいのは同じのような気がする。
「ひどいわ、マルクス。私は可愛い女の子なのよ。もうちょっと優しい言葉をちょうだい」
「お嬢さん、こういうやり取りもう何度もしてるけどさ。まず可愛い女の子は暴漢を投げ飛ばさねーのよ」
「暴漢を投げ飛ばしても、私の容姿は変わらず可愛いままよ!」
「顔の良さで全てが許されるなら、お嬢さんだってジェラルドの過保護を許せるはずだろう?」
「…………」
思わぬ反撃を喰らい、ソフィーは真顔で口を噤んだ。
なるほど。
確かに、この世には顔の良さだけではどうにもならないことがある。
「あ、あの、ソフィー様。それでその男はどうされたのですか? 報告では捕らわれていないとお聞きしましたが……」
「ええ。普通に帰したわよ」
あっさりと答えると、ルカではなくマルクスが声を荒げた。
「なんで帰すんだよ! 紫星にナイフを突きつけて無罪放免とか示しがつかないだろう!」
「大丈夫よ、彼とはちゃんと話し合ったわ。その結果、今後紳士的に生きると約束してくれたわ」
「いやいやいやいや、口約束なんてなんの効力もないでしょう!」
「あら、十分反省していたわよ。ええ、とても……」
ソフィーらしからぬ抽象的かつ含みのある語尾だった。
語気を荒げていたマルクスも、隣のルカも黙り込み、そっと視線を下に落とす。
――――何を話したのか、怖くて聞けない。
聞けば自分も池魚の殃になる予感がする。それは避けたい。
顔を強ばせる二人とは対照的に、ソフィーは満足げに微笑んだ。
「やはり人と人は話し合いを通じて理解し合うことができる生き物なのよ。たとえお互いの意見が対立していても、相手の立場や考えを尊重すれば、両者を隔てる壁だって乗り越えることができるの。――対話って大切よね」
いつものソフィー節を炸裂させていると、前から銀色の髪をなびかせ、悠々とした足取りでこちらに歩いてくる男が目に入った。
「げ、レミエル……」
ソフィーの口から、淑女にあるまじき声が漏れた。
窓から入る太陽の光が、銀髪に反射して輝くような煌めきを放つ。ただ歩いているだけのくせに、やたら絵になるのが腹立たしい。中身は第二王子という身分と共に、長かった髪を躊躇なく切り捨てた異端者だというのに。
レミエルは一つに結んでいる銀髪を邪魔そうに背に払うと、当然のようにソフィーの前に立った。
「ソフィー、ここにいたのか。茶話会の日時について、僕は聞かされていなかったぞ」
一度ばっさりと切った髪も、この一年半で胸下まで伸びていた。
長い銀の髪は、レミエルの浮世離れした雰囲気と相まって、独特の存在感を放っていた。これが無駄に高い血統の力かと、ソフィーは殺意を持って考察した。
「なぜ僕をおいていった」
「言ったはずよ。もう貴方とはお話ししないと」
ソフィーは唇を尖らせ、目も合わせたくないとばかりに、ふんっ、と首を横にやった。
「……お嬢さん。さっきの対話うんぬんの金言どこいったの?」
「レミエルは別よ! この男は人類のカテゴリーに属していないもの!」
次の更新は4月12日辺りを予定しております(*'▽')




