ソフィー・リニエールのがんばる毎日
「ほんとにっ勘弁してください!」
長椅子に腰かけ書類を読んでいたソフィーに非難がましい声をあげたのは、黒星のエーヴェルトだった。その表情は苦々しく、これでもかと眉間にしわを寄せている。
年上の女性受けする甘い顔立ちもいまは怒りで歪んでいるが、それはそれで様になっているのが面白くなく、ソフィーは脊髄反射で『イケメンは皆滅べ』と呪った。
ソフィーにとって、エーヴェルトの顔がこの一年半でどれだけ見慣れたものになっていても、顔面偏差値の高い男は全員敵という感情はなかなか消えない。
しかし、そんな心中腸煮えくり返る思いでも表には一切出さず「あら、なぁに? 藪から棒に」と優雅な淑女を演じることはできる。
王の剣に来て以来、頻繁に顔を出すようになった祐の意識を押し止めるのももうお手のものだ。
もっともエーヴェルトの方もソフィーの白々しい笑顔には慣れ切っていた。苛立った声が張りを強める。
「なぁに、じゃないでしょう! 少しはご自身がやってきたことを顧みていただけますか!? 半月前に騒動を起こしたばかりなのに、今日は人質騒動って……いや、もう人質に取られるのはいいんです。ただ、人質らしく救出されるのを待ってくだされば!」
「ちゃんと待ったわよ。待っている間に自分で対処した方が早いと判断しただけよ」
「判断が早い!!」
敬語すら忘れて、エーヴェルトがつっこむ。
ゼーゼーと息を切らす姿に、ソフィーはふふっと微笑みを浮かべると、
「私の判断が早いのではなくて、貴方たちが遅いのよ」
さらりと毒を吐いた。エーヴェルトがガックリと肩を落とす。
こんなやり取りももう何十回目だろう。
意外と諦めの悪い男がこれ見よがしに言う。
「本当に貴女といると心臓がいくらあっても足りない……。俺、最近心労のせいか動悸と不整脈がひどいんですけど」
「やだ、若いのに不摂生ばかりしているからよ。ちゃんと夜は寝なさい。睡眠は大事よ」
厳格な黒星の宿舎を抜け出し、夜な夜な遊び歩いていることは知っているぞと匂わせ笑顔で諭すと、一瞬エーヴェルトが怯んだ。けれど復活も早い。
「ソフィー嬢が来られる前はそんな症状一切ありませんでしたから! 大体、この前のアレだって、どれだけ肝を冷やしたか……っ」
「この前の、アレ?」
はて、どれのことだろう。
思い当たる節が多すぎてどのことを指しているのか分からない。
考え込むソフィーに、エーヴェルトが机をバンッと叩く。
「スラム街での一件ですよ、もうお忘れですか?!」
「ああ~、あれね」
確かに少し前、ソフィーはスラム街を取り仕切る者達に会いに出向いた。
赴いた理由は主に二つ。
一つは地下水路増設に、どうしてもスラムの一角の土地が必要となり、そのための立ち退き要請。
移転にかかる費用負担と居住地の用意はあったが、スラム街の人間からすればほぼ追い出される形に近い。当然住民たちは反発した。
これが普通の行政官ならば、そもそもスラム一帯の地権は国にあり、不法占拠地の彼らが退くのは当たり前だと、最悪軍事力をもって力づくで排除することさえ厭わなかっただろう。
だがそれではただ対立を生むだけだ。水道インフラは、人々が安全に暮らすために行っている事業。民と争っては元も子もない。
ならば貴族目線の役人よりも、将来的に修道女予定の自分の方が近い目線で話しが出来るはずと、対話の機会を設けてもらった。
フェリオとロレンツオ、護衛のジェラルドからは猛反対されたが、そこは持ち前の口八丁で押し通した。
その代わりフェリオからは話し合い中、一度でもソフィーの身に危険が生じるようなことがあった場合即刻退避。なおかつそうなった場合、スラムの住人には死の厳罰を下すと脅された。
(あれって、スラム側への警告ではなくて、私に対する警告だったわよね)
スラムの人間に刑罰を下したくないなら、十分に考えて行動しろという。
フェリオは自分のことを信用して紫星を授けてくれたが、たぶん別の意味ではまったく信じていない気がする。
「まぁ、移転についても無事に話はついたし、成果は十分だったわね」
満足げに頷けば、エーヴェルトがうんざりとばかりの顔をした。
「それ、本気で言ってます?」
「逆に何がダメだというのよ」
ソフィーは心外だとばかりにぷぅと頬を膨らませた。
愛らしさを前面に出してみたのだが、逆にエーヴェルトの神経を逆撫でしたようで、声が苛立ちの混じった低いものへと変わる。
「あんなスラムのど真ん中で奴らに喧嘩売って、こっちがどれだけ震撼したか……ッ」
「人聞きの悪い。喧嘩なんて売ってないわよ。ちょっと個人的に商談しただけじゃない」
「商談!? スラムの奴ら相手に労力で投資しろって啖呵を切っておいて!?」
『私に投資なさい』
『貴方たちは、お金も権力も、家も仕事もない。ならばその身を対価に、私に賭けなさい』
『――――絶対に損はさせないわ』
スラムを取り仕切る男たち相手に一切の怯みなく言い切った言葉。
あれがなにか?
「『貴方方の労力をお貸しいただければ、その分の対価はきっちりお支払いします』だもの。れっきとした商談でしょう?」
「いや、どう聞いても喧嘩売ってるだけにしか聞こえませんでしたけどね!」
「明瞭でいいでしょう。上辺だけの綺麗ごとを並べ立てたところで、なんの説得力もないもの」
「そもそも、スラムの人間を雇うとか、正気とは思えない……」
「彼らの労力は魅力的じゃない」
土地収用の話し合いという名目でスラム街に入ったが、ソフィーの個人的な意見としては、別に地下水路の増設地はスラム街でなくてもよかったのだ。
しかしフェリオから、何十年とかかる建設を鑑みれば貴族街に少しでも近い場所だと反発が強くなり、下手をすれば中断に発展しかねないと言われ、その意向に沿っただけ。
ソフィーがスラム街に赴いた一番の目的は彼らの労力だ。
機械などほとんどないこの世界では、何をするにも人力だ。
上下水道事業は、ただ施設を一つ造れば終わるというものではない。
貯水池、水路の整備。
効率的な貯水と給水のシステム構築。
基礎を作り上げ、順次運営していくためにも土台はきちんとつくりたい。
それゆえに必要なものは人材だ。
人、人、人。人力はいくらあっても足りない。
「とにかくっ、あんなスラム街のど真ん中で暴動でも起こったら、さすがに守り切れませんからね!!」
念を押すように釘を刺してくるが、ソフィーは軽やかに笑う。
「彼らはそんな短慮ではないわよ」
スラム街という劣悪な環境下でも、彼らが自暴自棄に陥っているわけではないことはその瞳からも見て取れた。
だからこそ、あの言葉を選んだのだ。
「あの人たちの瞳は濁っていなかったもの。まっとうに生きることを諦めていない色だった」
スラムのトップたちは裏道で獲物を待ち、暴力と搾取がすべてという男たちではなかった。
学びが与えられず、仕事はない。それでも精神までは腐っていない。
スラムではかなり珍しいことだが、その最大の要因には彼らの英雄の存在があった。
“平民の英雄”。
スラム出身。十三歳で剛腕を武器に当時のスラムを取り仕切り、その後“王の剣“に進むと、瞬く間に銅星三つを獲得。卒院後は騎士団に入隊し、異例の速さで銅星五つを賜るという快挙を成し遂げた男。
そんな堂々たる経歴を持ちながらも、彼は過去を切り捨てることなく、スラムの者たちに手を差し伸べる豪胆な持ち主でもあった。
彼の存在があったからこそ、いまのスラムのトップたちは理性的な者が多い。
(でも、まさかそんな平民の英雄と称されている方が、口添えしてくれるなんて思いもよらなかったけれど……)
スラムの者たちが、『第一王子の側室候補ゆえの形だけの紫星』と揶揄される男爵令嬢に力を貸すという背景に至ったのも、彼がソフィーの存在を認めてくれたからに他ならない。
彼との面識は一切ない。
しかし平民の英雄は、ロレンツオと同じ時期に王の剣に在籍していた銅星だった。
彼らの付き合いは卒院後も続いていた様で、ロレンツオを経由し、ソフィーの存在を知った彼が助言してくれたことで、今回の円満な合意に至ったのだ。
これはかなり助かった。
それゆえに、ソフィーはぜひ礼を伝えたいと、ロレンツオに対顔の機会を設けてもらえないか頼んでみたのだが――。
『あのような腕力があればすべてのことは解決できると勘違いしているような男にですか? あの無頼者に礼など不要です。ソフィー様の貴重なお時間を無駄にするだけです。どうせ面白がっているだけでしょう。あの男には私から一言いっておきますので、どうかお気になさらず』
ロレンツオは、平民の英雄と呼ばれる男にも辛辣だった。
前から黒星や金星に対しても塩対応だったが、彼らの友人関係はいったいどんな風に構築されているのだろう。
すでに2月になりましたが、どうぞ今年もよろしくお願いします。
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森下はいまごろになってコロナに感染しました。味覚が家出中です。味覚を探す旅に出たいです。




