ソフィー・リニエールのみる夢 ―思慕Ⅲ―
(いま、私は、なにを…………?)
冷笑で誤魔化すには強すぎる想念に、持っていた女王の駒が指からポロリと滑り落ちる。
『母親に愛されたいと願い、必死に敬愛を捧げる子供の顔だ』
『僕に刃を向けたときの君の顔は、母親を守ろうとする少年そのものだった』
素通りしたはずのレミエルの言葉が、ゆっくりと反芻される。
いま思い起こせば、返却するはずだったクリスティーナからの指輪を返したくないと、この人の傍にいたいと願った本当の気持ちはなんだっただろう。
陽だまりの中で、クリスティーナが向けてくれたあの優しい笑みに、自分はなにを考えた?
(私はあの時、クリスティーナお姉様のことを……)
聖母様のような方だと。
こんな人が母親だったら、きっと祐は捨てられたりしなかったんだろうな――――そう思ったのではないか?
(なんだよ、それ……ッ)
心の中で祐が呟くと、とたん心臓が痛いほどに不快なリズムを刻みだした。口の中が乾き、呼吸が乱れる。
愕然とした。
愚かにも、自分は未だに囚われているのだ。
生まれ変わり、大切に育てられてもなお、自分を捨てた前世の母親に――――。
「君はまるで空っぽの入れ物を満たさなければならないとばかりにあの女に執着しているが……ソフィー?」
硬直したまま動かないソフィーに気づき、レミエルが訝しげに言葉を止める。
「おい……、どうした?」
思わず手を伸ばすと、細い体は強く拒絶するように席を立ち、その拍子に座っていた椅子がバランスを崩した。ガシャンと、静かな館内に耳障りな音が響く。
「ソフィー?」
名を呼び、顔を見上げれば、その唇は見て取れるほどに色が抜け落ちていた。
伏せた顔は虚ろで、まるで生気のない人形。
あまりの表情の変わりようにレミエルが息を呑むと、ソフィーは無言で踵を返す。
まるで何かから逃げ出さんとばかりの少女の姿に、レミエルは呆然と目で追うことしかできなかった。
「ソフィー様のカリキュラムは、この先も続くのでしょうか……」
疲労困憊の顔で弱音を吐くキースに、図書館の入り口で待機していたジェラルドは呆れを含んだ声で返す。
「たった数日で、なにを言っているんだ」
「分かっております……分かってはいるのですが……!」
知識、体力、共にギチギチに組み込まれたカリキュラムは、隙のない紳士として、黒星としての基盤を固めるには素晴らしいものだといえるだろう。
だが、
「あのエーヴェルトが無駄に負けん気を出しているのが問題なんですッ」
ソフィーがこの程度自分なら文句なく完遂できると豪語したのがよほど癪に障ったのか、エーヴェルトは彼女が策定したカリキュラムに追加を言い出したのだ。
「エーヴェルトはもともと頭脳にしても体力にしても素養があります。ですが、他の者は現状ソフィー様のカリキュラムだけで精一杯。これ以上はとても……」
黒星たちのまとめ役でもあるキースとしては、ソフィーとエーヴェルトに挟まれているような心持ちなのだろう。たった数日でやけにゲッソリとしている。
「この状況でジェラルド様とマルクスの山岳演習となると、正直不安しかありません!」
以前のキースは、ジェラルドに対し報告一つにしてもどこか怖気が見られた。
そのキースが、わざわざ護衛中のジェラルドの元へ訪ね、完全なる泣き言をこれほど声高らかに告げるとは。
これは積み重なる疲労感ゆえなのか、それともソフィーとのやり取りで神経が図太くなったのか。
ジェラルドが腕を組み考えあぐねていると、目の端に黒髪の少女の姿がうつる。
思っていた以上に早い帰還に、嫌な予感がした。
少女のいつもよりも速い足取りがジェラルドの目の前でピタリと止まると、早口で告げた。
「宿舎に戻ります。護衛はいりません」
「そういうわけに…は…」
言葉は最後まで発せられなかった。
ソフィーの瞳は、今まで見てきた彼女の色ではなかった。いつも生き生きとした瞳が、空虚に色を失っていたのだ。
「……お願いだから、放っておいてちょうだい」
声に覇気はなく、かすれたような声。
それ以上の声掛けが得策ではないことは、誰の目にも明らかだった。
「い、いいのですか? お一人で行かせても?」
走り去るようにその場を後にするソフィーに、慌ててキースが問う。
いくらソフィーが今や黒星の生徒にすら脅えられている存在だとしても、護衛は必須。彼女がこの場にいることへの絶対条件であり王命だ。
ジェラルドは間髪入れずに指示を下した。
「宿舎にお戻りになるまででいい。距離を保って護衛しろ」
「はい!」
返事と共に、キースがすぐさまソフィーの後を追う。
本来ならば自分がその任を全うするべきだが、コチラを任すとなると、キースでは荷が重すぎる。
ジェラルドは睨むようなまなざしで館内を見つめると、足を払うように奥へと進んだ。
(たとえソフィー様がゲームに負けたとしても、あんな風に逃げ出すなど考えられない……)
彼女らしくない表情も行動も、原因は一つだ。
その原因の前で足を止めると、ジェラルドは静かに告げた。
「――――レミエル様。あれほど言動にはお気を付けくださいと申し伝えたはずです」
レミエル相手に苦言を呈したところで無駄だと分かっていたが、護衛責任者として無視はできない。
いや、職務としての責任感だけでなく、多少の個人的な憤りも含まれていたかもしれない。
普段よりも感情的になっていることに気づかず、ジェラルドは唇を引き結ぶ。
案の定、一人静かに対戦相手のいない盤の前に座るレミエルは、ジェラルドの声に振り向きもせず、転がっていた女王の駒に手を伸ばす。
拾い上げられた駒は、黒で染められた後手。盤の配置から見ても、ソフィーが使用していた駒だろう。
幼い時からレミエルの傍にいたジェラルドは、彼が何と無しに告げる言葉でショックを受ける人間を何度となく見てきた。
けれどなんど忠告しても、レミエルの無遠慮な物言いが止まることはなく。
顔色一つ変えず、意にも介さぬ態度は誰に対しても同じだった。
いままでずっと――――。
「あの女の話をしたら怒るだろうと予測していたが、あれほど憂悶な顔をするとは思わなかった……」
知的好奇心の塊で、相手のことなど一切鑑みない彼にしては珍しく、自分が発した言葉を後悔しているような言い方に、ジェラルドはひどく驚いた。
それと同時に、ソフィーに対して一体どんな言葉を放ったのかが気になる。
よほどのことがなければ、彼女があれほど生気のない表情を見せるとは思えない。
「なにを仰ったのですか?」
「…………」
問うてもレミエルは押し黙るだけ。いつもなら、なんの躊躇いもなく淡々と語る男が。
レミエルにとって、ジェラルドの小言など痛くも痒くもない些細なことだ。バツが悪いなどという感傷は持ち合わせていないはず。
それでもあえて口を閉ざすのは、ソフィーを慮っているのだろうか。
(あのレミエル様が?)
今日は落雷でも直撃するのではないかと思うほどの衝撃に、ジェラルドは無表情を装いながらも息を詰めた。
レミエルの方はと言えば、すでに別の思考に囚われているようで、口元に手を当てながら首を傾げる。
「そもそも、なぜソフィーは二つの仮面を被っているんだ?」
「二つの仮面と申されましても……。女性にはたくさんの顔があると聞きます。二つでは少ないほうでは?」
自分の凡人的発想をレミエルが求めているとは思えなかったが、ジェラルドは一般的な回答を口にした。安易な返答は歯牙にもかけられないだろうと思われたが、反してレミエルは思索するように眉を寄せた。
「そうなのか? でも、あれは……」
空算をするように、レミエルがブツブツと一人呟く。
彼の目には、ソフィー・リニエールという少女の一体なにが見えているのだろうか。
歴代の王族の中でも規格外の記憶力と理解力、洞察力を持つレミエルの見解は、ジェラルドにとっては未知としか言いようがない。
ジェラルドはいったんレミエルを捨て置くことにし、ソフィーが無事寄宿舎に戻ったか確認するためにその場を離れることにした。
「ソフィーは、なぜあれほど自分の事には愚鈍なんだ?」
「……まず言い方を改めませんと、またソフィー様の逆鱗に触れますよ」
去ろうとした足が、レミエルによって縫い留められる。
普段はジェラルドの意見など欲しもしないというのに。
どうでもいい人間の凡庸な意見でも問う辺り、レミエルもこの状況に戸惑っているのだろうか。
ジェラルドは辞去したい気持ちを押し止め、レミエルを見据えて告げた。
「人には触れてほしくない部分がございます。ですが、それが深ければ深いほど、具体的に何なのか、掘り下げて考えたりはしないものです」
「なぜだ? それでは回避するための良案すら浮かばない。愚行以外の何物でもないだろう」
「……詳しく知ることすら心が拒否する。そんなこともあるかと」
ジェラルドは流水のごとくサラサラと述べると、今度は呼び止められぬうちに退出を申し出る。
また一人残されたレミエルは、天井を仰ぎ見た。
「詳しく知ることすら心が拒否する――?」
あの無感動な男らしくない言葉だと思った。
それは一般的な見解で出たものなのだろうか。
(それとも自分のことを言っているのか?)
いつものレミエルならば、そう問いかけていただろう。
だが、今はジェラルドよりも、真っ白い顔でこの場を去っていった少女のことだけが気になった。
ご感想、ブックマーク、ご評価いただきありがとうございます(*'▽')
誤字脱字もお手数をお掛けしますが、大変助かります!!
コミカライズのご感想もありがとうございます('◇')ゞ
ガンガン読んでいただきたい!
https://www.comic-earthstar.jp/
あと三話くらい(?)当社比シリアスモードが続きますので、シリアス撲滅を掲げている方はまとめてお読みいただければ幸いです(;'∀')




