ソフィー・リニエールというご令嬢~ロレンツオ・フォーセルの思惑~
「なるほど……」
ロレンツオは指の背で顎の輪郭をなぞると、しばしの沈黙の後、納得したように頷いた。
いかにも貴公子然とした仕草だが、目の前に座る彼、エリークは脅えることも怯むこともなく。ただ黙って次の口頭試問を待っていた。
ちらりと視線だけで時間を確認すれば、すでに半時が経過していた。並みの人間なら、ロレンツオ・フォーセルの試問にこれほど長い時間は耐えられない。
しかし彼にとっては難事ではないようで、これが半日続いても構わないとばかりの腹構えを感じる。
(ソフィー様の仰っていたことに、偽りも誇張も一切なかったということか……)
誇張どころか、謙遜を取っていたことがよくわかる。
とても平民とは思えない落ち着きと、並外れた知力。彼の大人しそうな容姿からは想像できない胆力は、どこか黒髪の少女を連想させた。
「私からは以上だ。――君たちはなにかあるか?」
形上、ロレンツオだけでなく、副所長であるネルト、そして上席研究員を数人立ち会わせていた。
ロレンツオに問われると、彼らは錆びた人形のような動きでぎこちなく頭を振る。
上席研究員の彼らは、いくら紫星のお墨付きとはいえ、平民という身分と十六歳という若さに少なからず疑念を持っていたが、それもこのわずかな時間で完全に払拭された。
なにせ副所長のネルトですら「知識の暴力」と吐き捨てるロレンツオの設問に戸惑うことなく回答し、彼を納得させたのだから。
「失礼いたします! 筆記試験の採点をお持ちいたしました」
口頭試問の終了を見計らったように、所員が入室する。速やかにロレンツオのもとへ運ばれたのは、筆記試験の答案用紙だった。
筆記試験は、口頭試問の前に行われていた。内容は、ロレンツオが手を加え、従来のものより遥かに難易度をあげていたが、回答欄はすべて正解で埋まっていた。その上、指定していた時間の半分もかけずに解き終わっていたと報告を受ける。
「――――申し分ない。君に公許書を発行し、研究所と学院内での自由な行き来を認めよう」
「ありがとうございます」
ロレンツオの承認に、エリークは静かに謝意を述べる。
喜怒哀楽を表情にのせることを不得手としている銀星ですら、ロレンツオに認められれば相好を崩すというのに、彼の表情筋は微々たる変化も見られなかった。
え、もう少し喜ばないの? と、上席研究員たちがぽかんとする中、言葉を発したのは副所長のネルトだった。
「この性根の悪さがにじみ出た問題を、全問正解する人間がこの世に存在するなんて……」
マジマジと答案用紙を見つめ、感嘆したように呟く。
声を落としているとはいえ、隣の席のロレンツオにも十分聞こえる声量だった。実際、聞かせるつもりでの発言だろう。
ロレンツオが気分を害していないか、ハラハラと顔色をうかがう上席研究員たちとは対照的に、ネルトはロレンツオのことなど一切気にせずエリークに話しかけた。
「ところで、エリーク君は医科学研究所の仕事自体には興味ない?」
ネルトが柔和な雰囲気そのままの声で問う。
「医科学研究所の仕事自体、ですか?」
「そう! もう“貴族でなければ星は持てず”に固執していては、この先の未来は開けないと思うんだよね。どうかな!? これを機に、銀星としてうちに入所しない?」
突然の勧誘に、上席研究員たちが驚愕の眼差しをネルトに向ける。
許可が与えられることと、銀星を与えることは別だ。
平民に星を与えるとなれば、銀星では史上初の試み。歴史の一ページに刻まれる珍事となる。
「ふ、副所長っ!?」
上席研究員の一人が慌てて口を挟もうとするが、ネルトはサラリと自論を口にした。
「うちは万年人手不足なんですから、未来への投資は積極的にすべきでしょう。ただでさえ、年々仕事だけは増加、人員は減少傾向。どれだけ細分化して業務の効率化を図っても、それ以上の難題をお構いなしに生み出すのがうちのトップですからね」
後半はただの恨み節に聞こえるが、確かにロレンツオが所長になってから業務が急激に増加したのは事実だった。
ただ判を押すだけの歴代の所長たちとは違い、ロレンツオの創出力から発案される数々は、これまでの定説とは一線を画すものばかり。生半可な知識とプライドでは、時代の転換期という歯車を回し続ける彼についてはいけない。
「どうせ無能なら高位貴族の子弟だろうとなんだろうと切り捨てるんですから。この際、出自なんて関係ないでしょう」
「それは、そう…ですが……」
ネルトの優し気な雰囲気と柔らかな対応はロレンツオとは正反対のタイプに見え、其の実根っこは同じ部類だと、上席研究員たちは確信していた。
第一としているのは、プライドでも利権でもなく、持続的発展。
それは研究者ならば至極当然の理に思えるだろうが、実際それを実行に移せる者は数少ない。研究員である前に、貴族であることを捨てきれない人間の方が圧倒的に多い。
――――ネルト様。貴方も、大概ロレンツオ様と同じく奇人ですからね?
上席研究員たちが本音を口にできず沈黙している間にも、ネルトの勧誘は本格的になっていた。
「確かにリニエール家の研究資金は並みの貴族では太刀打ちできない額だろうけど、王立の研究資金・規模・蔵書はその遥か上を行くよ。エリーク君にとっても、研究所に在籍することによってもたらされる恩恵は決して少なくないはずだ」
先物買いを逃したくないネルトが言葉巧みに詰め寄るが、エリークは顔色一つ変えず、
「過分なご評価をいただき恐縮ですがお断りいたします」
悩む時間すらなく答えた。
「僕が望む研究は、ソフィー様が欲するものだけですので。申し訳ありませんが、それ以外にはあまり興味が持てません」
「え? ……君、最低でも三ヶ国語は話せたよね。それだけの語学力と知識を持っておきながら興味ないの?」
「はい」
短い返答は、実に端的だった。
「勿体無くない? 本当に君自身が研究したい分野はないの?」
「ソフィー様が望むことでなければ特にないです」
ネルトが純粋な疑問とばかりに問うが、エリークの答えは一貫していた。
「君が望むなら、正式に銀星三つを与え、この研究所の上席を用意するといっても?」
それまで黙って会話を聞いていたロレンツオが口を開く。
これにはネルトすら驚いた。平民を相手に、破格すぎる待遇だ。
いや、貴族の子弟ですら、ここまでの厚遇は前例がない。
あけましておめでとうございます(*'▽')
今年も皆様にとってよりよい一年でありますように
更新も続けて頑張りたいと思います(;'∀')
とりあえず、次の更新は今週中にしたい……です!




