ソフィー・リニエールというご令嬢~ジェラルド・フォルシウスの違算Ⅲ~
黒星が協力的ではないという言葉に、ジェラルドの表情がしかめられる。
黒星の生徒たちによる警護は、『婚約者のいない方』という本人の意向によって外させたが、何かあればすぐに対処できるよう伝えてあった。
「黒星の者は、すでに聖騎士でいらっしゃるジェラルド様を、わざわざ“王の剣”へ戻してまで、……こう言ってはなんですが、身分だけで言えば、ただの男爵令嬢の護衛をさせていることに不満を持っている者が大半です。さすがに、ソフィー様ご本人に直接言う者はおりませんが」
まさか隠れて中傷した者がいるとは、露ほども気づいてないキースが、言い訳がましいことを口にするが、ジェラルドの視線は冷気を放つように冷たい。
「ならば、黒星は殿下のお決めになった紫星に異を唱えていると? エーヴェルト、お前も知っていたのか?」
表立っての統率者はキースだが、数少ない星持ちであるエーヴェルトもまた、キースと同じく黒星たちをまとめる役を担っていた。
しかし、普段から指導など柄ではないとキースに丸投げしているエーヴェルトは、少々気まずげに目線を逸らした。
「いや……まぁ、一応口では制しておいたけどさ。正直、難しいだろう。お前だけならまだなんとか自制させられるよ。けど、あの黒星五つを賜ったウォーレン様までもが、王族でもない、男爵令嬢レベルの、しかも十四歳のお嬢様の護衛だぜ。いくら紫星って言っても、なんで賜ったのか誰も分かってない。そりゃあ、どうしても反感もつだろう」
父親の名に、ジェラルドの眉間に皺が寄る。
「あの人はもう退役した身だ」
「退役されたら、その功績が消えるとでも?」
「ソフィー様は、あの人が星五つを賜った黒星だとは知らされていない」
「その配慮も、黒星からすれば気に入らない一因だな」
「…………」
紫星の価値に適合しないと思っている黒星からすれば、なぜ彼女をこんなにも贔屓するのかと、そんな風にしか思っていないのだ。
「大体、普通に考えて、あのウォーレン様が男爵令嬢の昼食を運んでるって、どう考えてもおかしいだろう。お前、身内だからって感覚が鈍ってるんじゃないのか?」
父親が、寄宿舎から昼食を届けていることは知っていた。だが、本人は若き日を過ごしたこの学院内を闊歩できることを喜んでいる節があり、ジェラルドも特段大きな問題には感じていなかった。
確かにそういう点では、エーヴェルトがいうように、身内故に感覚が鈍っていたのかもしれない。
(だが、あの人までも、黒星たちの視線に愚鈍だったとは考えられない)
「……そうか」
「?」
ふいに、理解したとばかりに呟くジェラルドに、エーヴェルトが不思議そうに友人の顔を窺うが、ジェラルドは昨日の父の言葉を思い出していた。
人の思考、動向に広く目を向けるべき――――。
父の苦言が何を指しているのか、その意味が。
ウォーレンは、ただ過去に思いを馳せて学院内を歩いていたわけではない。学院内を自由に歩きながら、この中に漂う、女性の紫星に対する生徒たちの目を、空気を感じ、その中から得る情報を嗅ぎ取っていたのだろう。
同じ場所にいながらも、得られる情報量の違い。それは、結局自分の未熟さを露呈していた。
「――っ」
「ジェラルド?」
エーヴェルトが声をかけるが、ジェラルドは黙ったまま踵を返した。
「おい、どこ行くんだよ?」
「ソフィー様の元へ行く」
「え? でも、“あの方”を探さなくていいのか?」
「こちらの方が先決だ!」
いままで見たことのないジェラルドの焦りの表情に、取り残されたエーヴェルトとキースは、しばしその場に立ち尽くしたが、すぐさまその後を追った。
その時、ソフィーは足を急がせていた。
数分前まで、ソフィーは銀星の教室でファースたちと話をしていたのだが、そこへ金星の生徒が数名現れ、ある報告を受けた。
金星たちからの報告を最後まで聞くや否やソフィーはすぐさま席を立ち、そのまま廊下を小走りで駆けだした。
サテンのドレスを着ているとは思えない俊敏な動きに、すれ違う生徒たちがギョッとした目を向けるが、ソフィーは気にすることなく足を進めた。
だが、どんなに足は急いていても心は落ち着いていた。
(大丈夫。あの二人なら、きっとうまくいくわ!)
それは確固たる確信だった。だから心配はしていない。
ただ、二人を想う心が、足を走らせるのだ。
「あの、ソフィー様っ。ラルス殿とアーロン殿は、どうされたのですか?」
突然走り出したソフィーに多少戸惑いながらも、後ろに続いていたルカが問う。
金星の報告は、ラルスとアーロンが学長室に呼ばれたというものだった。
しかし断片的な情報しか持ち合わせていないルカは、なぜ二人が学長室に呼ばれたのか理解できていなかった。
ソフィーは少しスピードを落とし、ルカに説明しようとした。その時、
「ソフィー様」
よく通る声に名を呼ばれ、ソフィーは完全に足を止めた。
「……あら。ジェラルド様」
そこには特段見たくもなかった、憎々しいほどに端整な顔があった。
相変わらず今日も見目麗しく、爆ぜればいいのにと呪ってしまいそうになる。
(って、いまはジェラジェラに構っている時間なんて、私にはないのよ!)
思わず本心が口から漏れ出そうになったが、なんとか淑女の礼を取る。
ふと目線をジェラルドの後ろにやれば、見慣れない男がいた。
黒衣の出で立ちで、黒星の生徒だということはすぐに分かる。だが、黒星にしてはずいぶんと軽い雰囲気の、前世でいうなら色気系のチャラ男だった。しかも、腹が立つことに文句なしの美形。
ソフィーは思わず心の中で舌打ちをした。
(また美形か! 美形はもういいわよッ。連れてくるなら美女か美少女にして! いえ、女性であるなら、もうそれだけで女神よ。女神を連れてきて、女神をッ!)
王の剣に来てからというもの、侍女のサニーしか女性がいないという環境に、ソフィーは渇望を通り越し、憤りを通り越し、ただただ激怒していた。
これでサニーがいなかったら、王宮に出向き、フェリオの胸倉を掴んで「華がないのよ! 華がっ!」と叫んでいたかもしれない。
そんな大嵐のように荒れている心中を隠し、ソフィーは優雅に微笑む。
「どうかされましたでしょうか?」
「ラルス・リドホルムの件を、先ほど伺いました」
「……ラルスの?」
なんだ。なんの件だ?
この男が、さきほど学長室に呼び出されたラルスとアーロンのことを知っているとは思えない。ならば、なんの件だろうと頭を傾げていると、ジェラルドの後ろに隠れるようにいた、顔色の悪いキースと目が合った。
(――――ッ! まさか、食堂での会話を、ジェラジェラに全部話したんじゃないでしょうね!?)
喚くような感情は、表情には出ていなかったはずだが、キースには十分伝わったようで、必死に頭を振っている。
――――言ってません! ソフィー様のお言葉については報告しておりません!
声なき声が聞こえてくるようだった。
しかも、表情はちょっと半泣きだ。
いくら少し強めに箝口令を告げたとはいえ、そんな顔をするほど、なぜキースは自分に怯えているのだろう。あの一件から、自分に会えば怯えているそぶりを見せていたキースだが、こんな愛らしい淑女を前に、怯える意味が分からない。
(今度、人気のない所に呼び出して、問いただしてみようかしら?)
キースにとって、一番恐ろしいことが決定されそうになったが、その前に、ソフィーは目の前の男に思考を戻した。ここで、この男に、自分の時間を奪われている暇などないことを思い出したのだ。
「まぁ。なんの件でしょうか?」
相変わらず表情筋が仕事をしていない男を見つめ、ソフィーはまろやかな笑みで返す。
「ルカ・フォーセルから報告は受けておりませんでしたが、銅星の山岳演習に参加されたそうですね」
話が突然飛んだ。
隣にいたルカが、うっと詰まったような顔をするが、ソフィーは顔色一つ変えずに答えた。
「はい。見学に参加させていただきましたが、それが何か?」
内心では、そんなつまらないことをわざわざ聞くために、私の時間を奪っているのか、コイツは!――という、毒を放っていても、外面だけは完璧に演じてみせた。
ソフィーの絶えぬ笑みに、ジェラルドの蒼穹の瞳が、どことなく居心地が悪いように一瞬揺らぐ。
「いや、そんなことよりも……」
ソフィーに言っているというよりは、自分自身に言っているように、ジェラルドが小さく呟いた。
「ジェラルド様?」
さきほどの突然の話の変換といい、いつも冷徹冷静が足を生やして歩いているようなこの男にしては、考えがまとまっていない雰囲気があった。口調も、いつより粗雑に感じる。
気のせいだろうかと、ソフィーが首を捻っていると、突然思ってもいなかった質問が、ジェラルドの口から発せられた。
「黒星の生徒が、ソフィー様に対して、失礼な振る舞いを致しませんでしたか?」
疑問形で聞きながらも、それは問いではなかった。
まるでなにかをしたことを確信し、確認しているだけの口調に、驚いたのはソフィーだけではなく、ジェラルドの後ろにいた黒星の二人もだ。二人共、驚きの瞳をジェラルドに向けていた。
それもそのはずだ。どの星であっても、紫星への無礼は許されるものではないが、黒星は他の星よりもそれが強い。国と王族を守ることが使命である黒星が、王の代弁者といわれる紫星を害するなどあってはならぬ行いだ。
(ここで私が肯定したら、この男どうするつもりなのよ?)
もし、ここでソフィーが肯定すれば、黒星の生徒たちは、この場で全員星の除籍が決定することと同義。洒落にならない不祥事になる。それが分からない男ではないはずだ。




