ソフィー・リニエールというご令嬢~ジェラルド・フォルシウスの違算Ⅱ~
「忘れろってご所望はあちらだろう。なんでお前がそんな顔するんだ? ソフィー嬢に、可愛らしくもせせこましい嫌味でも言われたのか?」
「……あれは、可愛らしくもせせこましい嫌味なのでしょうか?」
エーヴェルトの戯言に、キースが虚ろな瞳で返す。
「僕はどうも女性というものがいまいち分かりませんが」
男兄弟ばかりで育ったキースからすれば、紫星を賜った少女の言動はあまりに聞きなれないものばかりで判断がつかない。
キースにも婚約者はいるが、数えるほどしか会ったことがなく、その上彼女は大人しい性格で、苛烈な言葉など聞いたことがなかった。
「で、ソフィー嬢はなんていったわけ?」
「貴方は、僕に死ねというのですか?」
口にしたら本当に殺される。
キースの怯えに、ジェラルドは初日、明確な殺意を放った紫星の少女の強い瞳を思い出す。
本来ならばすぐさま確認を取り、ラルスには厳正な処罰を与えなければならない。だが、紫星自らが忘れろと命令したのならば、事を掘り返すのも無礼となる。
紫星の“願い”ではなく、“命令”として下されたものならば従うのが道理で、他者から苦言を呈する余地はないという切り捨て。
それが分かっているからこそ、紫星の少女は“命令”として放ったのだろう。
「……わかった。ラルス・リドホルムについては不問とする」
暫しの黙考の後、ジェラルドが口を開く。
キースは、目に見えてホッとした顔で息を吐いた。
「金星重鎮の一人、リドホルム子爵の息子が首をはねられなくてよかったよ」
うんうん、とどこまでも軽い調子のエーヴェルトが、思い出したとばかりに、指を鳴らした。
「そういや、ラルスがソフィー嬢と一緒にいるところを何度か見たな。なるほど。その一件から、ラルスはソフィー嬢の下僕になったわけね」
「その一件のせいかは定かではありませんが、金星は“ソフィー・リニエール様を女神として崇める会”を設立したようです」
ジェラルドがエーヴェルトの品のない言い様を咎めようと口を開いた矢先、キースから不可解な発言が飛んだ。
「女神として崇める会ぃ? なんだそれ?」
「僕にもよく分かりません」
「まさか、紫星相手にふざけているわけじゃないよな?」
「いえ。それはないと思います。ラルス・リドホルムは、現在非常にソフィー様に傾倒しているようで、銅星の見学にも一緒に参加したそうです」
意味がわからんと呟くエーヴェルトに、キースは余計に疑問を増幅させる情報を口にした。
「金星が、銅星の見学? なんのために? そもそも、なんで貧乳発言から傾倒なんだ? ラルス、本当は貧乳派だったのか?」
「――――エーヴェルト。それ以上口にしたら、貴方のご自慢の顔を潰しますよ」
ジェラルドの叱責より早く、キースの拳がエーヴェルトに向く。
紫星の少女とのやり取りが、キースにとってはかなりトラウマなのか、胸の話になると顔色が変わった。
「悪い、悪い。女に免疫がない奴ほど、女に傷つけられた傷跡は大きいもんな」
両手を上げ、降参のポーズを取りながらも、それでも一言付け加えることを忘れないエーヴェルトに、キースは諦めの溜息を吐き、報告を続けた。
「銅星の山岳演習にも参加されたそうです」
「……山岳演習?」
二人のやり取りを呆れて聞いていたジェラルドだったが、山岳演習という単語に声が尖る。
「そんな報告は聞いていないぞ」
報告がないことよりも、なぜそんなことを護衛役のルカが許したのか理解できなかった。
紫星の外出が禁止されているわけではないが、それは街などを想定している話で、山に行くなど想定外だ。
「銅星の山岳演習って、けっこう傾斜のキツイ山だろう。本当に行ったのか?」
エーヴェルトの再確認に、キースが「はい、間違いなく」と頷いた。
「あと、もう一つ」
「まだあるのかよ……」
疑問は何一つ解決していないのに、次から次へと出るキースからの報告に、エーヴェルトはうんざり顔だ。
「その時に、銅星もソフィー様に陥落したようです」
最初に口にしたくなかったことを話したせいか、後の報告については滑らかにキースの口から告げられる。が、どんなに滑らかに告げられても、それが理解の範疇内にあるかは別の話だった。
「あの銅星が? 銅星には、マルクスがいるだろう」
エーヴェルトの呟きは、ジェラルドの心中でもあった。
銅星の監督生マルクスは、飄々としているようで、一筋縄ではいかない男だ。そして、ジェラルドに臆さない数少ない一人でもある。
初日の挨拶に呼ばれたとはいえ、あの男が貴族の娘の意のままに動くとは思えず、ジェラルドは考え込むように口元に手を当てた。
「えー? マジで? 権力や金の力でどうこうなる男だとは思ってなかったけど。確か、数年前にもそれで金星と揉めたって聞いてるぜ」
入学当初から頭角を現していたマルクスには、番犬代わりにしようとする金星が数多くいた。
しかし、貴族の用心棒になる気など欠片もなかったマルクスは、多額の金銭も、卒業後の条件の良い護衛の提示にも見向きもしなかった。
そんなマルクスの態度は、金銭をちらつかせれば、銅星などいくらでもいうことをきかせられると信じて疑っていなかった金星たちの無駄に高いプライドを煽ることとなった。
誰がマルクスを跪かせることができるかと躍起になり、その醜い応酬や態度はマルクスだけではなく、他の銅星の生徒までを辟易させた。
元々、星の中でも唯一平民、スラム街出身者の多い銅星は、親の権力で威張り散らす金星の生徒たちを嫌う傾向にあったが、一連の騒動でそれが激化し、マルクスを慕う周囲の銅星たちが金星に対抗したことで二つの星は荒れに荒れた。
当時の金星たちはすでに卒業しているが、その一件から銅星と金星の仲は格段に悪くなったのだ。
「あの銅星たちが、いまや金星たちに乗馬を教えているそうです」
「銅星が、金星に乗馬? 銅星が?」
当初、乗馬の指導者はルカとマルクスだけだったが、いまや日増しに増える志願者に、他の銅星たちも手伝っていた。しかし、ことの成り行きを知らぬエーヴェルトからすれば、なにがどうなったらそんなことになるのか理解できずに首を傾げる。
「ソフィー嬢って、金星の父親をもつ、リニエール家の令嬢だろう? ……あのマルクスが、金星の娘に陥落とはねぇ。さすがはリニエール家の財力ってことか? いったい、いくらつぎ込んだんだか」
嘲りの声が混じるエーヴェルトの発言に、キースは頭を振る。
「いえ、そうではないようです。どうやら、その山岳演習に同行された時になにかあったようですが、詳しくはあまり聞けませんでした。銅星は、僕たち黒星にもあまりいい感情をもっていないせいか、師と仰ぐソフィー様の事は話せないと、口が堅くて」
「師?」
「どうやら、銅星は“ソフィー・リニエール嬢を師として仰ぐ会”を結成したそうです」
「…………キース。お前、紫星相手にそんなふざけたこと言ってると、マジで首刎ねられるぞ」
「事実を報告しているだけで、僕の発案じゃありませんよ!」
「だって、なんだよ、師って?」
剣術と体力が勝負の銅星が、なぜ一介の少女を師と仰ぐのか分からない。一体なんの師なのか。
いや、分からないというのなら、全体的に意味が分からなかった。
エーヴェルトは、キースをからかっていた時の涼しい顔を完全に消し、分からん! と声を荒げた。
「ソフィー嬢は、一体なにをしたわけ? なんでこんな短期間で、そんなことになるんだよ?」
「僕にも分かりませんよ」
首を振りながら、キースはでも、と続けた。
「恐ろしい方だと思います。なにしろ、あのロレンツオ・フォーセル様が唯一認めた天才ですし」
オーランド王国の医科学研究所所長ロレンツオ・フォーセル。類まれなる才能と頭脳で、歴代最年少で銀星五つを賜り、現在医科学研究所だけではなく、王政までも大きな影響を与えることができる侯爵家の次男。
「ソフィー様になにかあれば、あの人を敵に回すことにもなります」
彼女が紫星を賜る発端となった計画書を読んだ第一王子は、ロレンツオに意見を求めた。
命令でやってきた従者からそれを渡されたロレンツオは、最初は不満顔だったらしいが、読みだすとページを捲る以外はピクリとも動かなかったらしい。数時間、読み終わるまでずっと。読み終わると同時にすぐさま席を立ち、そのまま王宮へと足を向けた。
そして、あの稀代の天才であるロレンツオ・フォーセルが、一人の少女の計画書を賞賛した。天才が認めた天才。それがソフィー・リニエールだ。
ジェラルドも学力、知識は培ってきた方だが、正直ソフィーの計画書については、一部説明を受けても、理解が難しかった。けれど、この世界に無かったものを作り出そうとしている、それだけは分かった。
彼女の才能を完全に理解できるのは、王国の中で稀代の天才と言われているロレンツオだけなのだろう。あのロレンツオが、異母弟のルカすら手駒として差し出すほどに、ソフィーに心酔していると聞く。
それゆえ、銀星の生徒たちがソフィー・リニエールの事を悪しざまに言うなどあり得ない。銀星にとっては、男爵家という家柄も、女性ということですらどうでもいいことなのだ。ロレンツオ・フォーセルに認められた少女、それだけが絶対的価値。
(まぁ、一人を除いては、だが)
銀星の生徒にも、唯一の例外がいた。
その気になれば、あのロレンツオをもしのぐのではと噂されても、本人には爪の先程もやる気がない人物が。
思い出すと、唇から疲れが零れそうになる。無意識に口元を手で押さえていると、キースが盛大に眉間に皺をよせた必死な表情で、ジェラルドを見据えてきた。
「ジェラルド様、このままではマズいかと思います」
「どういう意味だ?」
金星と銅星が紫星に協力的ならば、それに越したことはない。なぜそれがマズイということになるのか。
「今や、ソフィー様に協力的でないのは、黒星だけなのです!」




