ソフィー・リニエールというご令嬢~ジェラルド・フォルシウスの違算~
コツコツと足音が鳴る。
響く音に、ジェラルドは不快感に眉を曇らせた。
幼少の時より訓練されたジェラルドにとって、足音を完全に消して歩くことなどた易いことだ。
けれどこの場所だけは、どうしても地面と接触する音が響いてしまう。
一体なんの素材が使われているのか触って確認したこともあるが、色も形も他の石材と変わらぬように見え、それがより不気味で、一層この場所が厭わしく思えた。
この場所――“王の剣”内にある図書館は、王国の中でも異質な建物だった。その歴史は古く、王宮が建設されるよりも前から存在していたといわれている。
外装は、正方形、または長方形の建造物ばかりのオーランド王国では珍しい円形の造り。
三階まである吹き抜けが視覚を広くさせ、開放感のある館内だが、大きさの割に窓が少なく扉も一つしか存在しない、閉じられた建物。
ブラウンの絨毯が敷かれている箇所では足音が響くことはないが、敷かれていない場所ではどんなに気をつけていても音の鳴る石材。学生の身分には不必要なほど豪奢な調度品の数々。建物の大きさ、壁の厚み、本棚の位置。
それらがすべてどこか不自然に感じられるのだ。
いまよりももっと殺伐とした、血なまぐさい時代に建造された建築物だからだろうか。この建物内だけは、何か違う空気が流れているように感じる時があった。
(馬鹿馬鹿しい……)
そんな合理的でない考えに囚われる愚かさが、己の未熟さを浮き彫りにしているようで、ジェラルドは苦々しさを噛みしめた。
不可解な感覚と、愚考に支配されるのは学生時代からだ。それ故に、ジェラルドにとってこの図書館はあまり近づきたい場所ではなかった。
(聖騎士となったことで、もう訪れることもないだろうと思っていたというのに。まさか、こうも日参する日が来るとは)
だが自分と違い、探し人はこういった場所を好む。
多くの時間を過ごすならば、特に。
ジェラルドには、同時期に二つの命が下されていた。
一つは、第一王子からの命。
紫星の護衛責任者として、ソフィー・リニエール男爵令嬢を守ること。
そして、もう一つは――――
「なぁ。さすがにこれだけ探して見つからないってことは、今日はもうここにはいらっしゃらないんじゃないか?」
気だるそうな声が、後ろから飛ぶ。
「エーヴェルト。お前は別に来なくていいんだが」
後ろをふり返り、素っ気なく言う。
同世代の人間は、大抵このジェラルドの感情のない声に怯み、固まる。
けれど彼が怯むことはなく、逆にどこか楽しそうだ。
「あのジェラルド・フォルシウスが遂行できない任務だぜ。そりゃあ、近くで見たいに決まってるだろう」
ウェーブのかかった亜麻色の髪を揺らし愉快そうに笑う彼は、黒星では珍しい軽口の多い男だ。
名はエーヴェルト・オリオン。伯爵家の出であり、黒星一つを賜るほど剣の腕は一流だというのに性格は奔放で、婚約者がいながら平然と浮き名を流す。ジェラルドとは正反対の気が合わなさそうなタイプだが、意外にも二人は入学当時からの友人だった。
「もう館内は全部探したし、他に見るところなんてないぜ。いっそ、絨毯も剥いで探すか?」
完全に面白がっている声だった。
紺色の瞳を弓形に細め、笑うたびに、彼の目の下にある泣きぼくろが上下する。独特の色気と愛嬌を持つ男に、ジェラルドは非難の目を向けるが、当の本人はそ知らぬ顔だ。
ジェラルドは一つため息を吐くと、これ以上悪友に構っている時間などないとばかりに歩き出した。
内心、焦っていたのだ。
もう一つの命令が遂行できなければ、本来の役目もはたせない。
感情のふり幅が少ないジェラルドだが、さすがに今回は冷静ではいられなかった。
(近日中になんとかしなければ)
もうひとつの命令が時間を食い、紫星の護衛という任務に対応できていない自覚はあった。
だが、ここは王の剣。
早々問題は起こらないだろうという油断があったのも事実だ。
それを実の父に指摘され、自分の見通しの甘さを痛感した。
――――それはつまり、君がいなくとも支障はない。そうソフィー様はご判断されたということだよ。
言われた瞬間、見た目は大人しそうな、けれど中身は得体の知れない少女の顔が脳裏に浮かんだ。
漆黒の髪と、みずみずしい若葉の瞳。愛らしい丸みのある頬。総じてまだまだ幼さの残る、楚々とした外見を持つ少女。
けれどひとたび口を開けば、冴え冴えとした瞳で、こちらが想像だにしなかった言葉を吐く。
見た目と中身が一致しないにもほどがある。
(どうして今回の命は、こうも不得意な相手ばかりなんだ)
閉口する気持ちを押さえていると、固い声に名を呼ばれた。呼び止めたのは、黒星の生徒、キース・ダドリーだった。
「お忙しいところ申し訳ございません、ジェラルド様。少しお時間を頂戴したいのですが……」
ジェラルドの卒業後、実質的な黒星のまとめ役となったキースだが、統率者としては押しの弱いところがあるせいか、ジェラルドを呼ぶ際もいつもどこか弱腰だ。
しかしそれはキースだけではなく、大半の生徒はジェラルドを見ると畏縮し、声を強張らせる。
学院内でも、ジェラルドに対して臆さない人間は、横でのほほんと立っているエーヴェルトと数人くらいだ。
「なんだ?」
「は、はい。……その、ソフィー・リニエール様のことで、ご報告が」
その表情と声からあまり良い報告でないのが窺え、ジェラルドは眉根を寄せた。
「先立って、ラルス・リドホルムが騒ぎを起こしまして。その場に金星数名しかいなかったせいか、口が軽くなったのでしょう。ラルス・リドホルムが、食堂内でソフィー様に対し……」
ジェラルドを呼び止めた時から、キースは言おうか言うまいか迷っている風だったが、そこまで言うと口を閉ざし、うろうろと視線をさまよわせた。
ジェラルドが先を促すと、やっと覚悟を決めたかのように重い口を開いた。
「そ……ソフィー様に対して、『男爵家は十分な食事を与えられていないから、あのような貧相な胸になるのだ』と暴言ともとれる発言をっ」
一気にまくしたてるキースの報告に、ジェラルドの表情が固まる。
さすがに予想外だった。
サロンやカフェなど男の社交場では、女性を揶揄するざれ言が飛び交うことはよくあることだが、相手が紫星となると話は別だ。身体的特徴をあげ嘲るなど、冗談ではすまされない。
「すげーな。流石のオレも、そこまでは言えねーわ」
顔色を無くしたジェラルドとは対照的に、エーヴェルトが明るい声で口を挟む。
「笑いごとか!」
短く低い叱責に、ジェラルドの本気の怒りを察し、エーヴェルトはすぐさま軽い謝罪を口にした。が、すぐに茶化すように人差し指を唇にあてる。
「金星の奴らも、可愛いお嬢様にちょっと口が緩んだだけだろう。本人にバレなきゃ、別にいいじゃん」
「いえ。最悪なことに、ソフィー様がその場に居合わせました」
エーヴェルトの言葉に被さるように、キースが続ける。
「え、嘘だろう!?」
「ッ!」
まさか本人の耳に入ったわけではないだろうと思って気楽な発言をしたエーヴェルトが、ぽかんと口を開いて固まる横で、眩暈でもするのか、ジェラルドが片手で目を覆った。
「うわ、マジかよ。紫星に暴言か……最悪、死刑か?」
首を捻るエーヴェルトを無視し、ジェラルドはキースに詰め寄った。
「いつの話だッ。なぜそれを早く報告しなかった!?」
どうしても声が低くなる。
キースもそうだが、護衛としてソフィーと一緒にいたはずのルカ・フォーセルからも、なにも報告は受けていない。当然、ソフィー本人からも。
「申し訳ありません! ソフィー様から、紫星の名の下に、ラルス・リドホルムの発言も、自分の発言もすべて忘れろとご命令されましたので!…………報告したことがバレたら、僕の命はないように思います」
キースの顔色はやけに悪い。
まるで死を司る神の鎌を、その首にあてられているかのような顔だ。
「なんだ、よかったじゃん! 問題にしないってことだろう?」
「はい……。問題提起すれば、こちらのほうが咎を受ける勢いでした」
女性の紫星誕生早々に、王の剣から罪人を出さなくてよかったと放念するエーヴェルトとは裏腹に、キースの顔色は悪くなる一方だった。
「どうしたの、お前?」
どんどん血の気を無くしていくキースに、エーヴェルトが問うが、その瞳は完全に死んでいた。
まるで、自分の死期のカウントダウンを感じているかのように。




