救出
「わたしは攫われるかも知れない」
突然、こんな事を言われた。
なんのこっちゃか分からない、頭がおかしくなったのか?
フランカがオイラに相談があるってんで、何事かと思ったら、突拍子もない話だ。
「はぁ? なんでそうなるんだ?」
「ダンの言っていた、カルク商会。
人を攫って、奴隷として売るって」
「そいつは噂だぞ、オイラは絶対やってるって睨んでるけどな」
オイラはその手の噂が好きだ。
それも大嫌いなカルク商会の悪い噂なら、きっと正しいに違いない。
「初めて孤児院に来た時、借金取りの男の人達と、門ですれ違ったの。
その時に、まるで品定めをする様な目で見られたから」
ははーん、そいつはたしかに怪しい。 噂通りだ。
「そいじゃオイラは、フランカのボディガードをやればいいんだな!」
「それはしなくていい」
??
なんだそりゃ、ならどうしろってんだ?
「明日から、わたしは街の食堂で働くから。
その行きと帰りを、ダンに監視して欲しい」
ぜんぜん意味が分からねぇ、どういうことだ。
「・・・もし、わたしが攫われたら、それを街の衛兵と、ジェラルドに伝えて。
もしかしたら、孤児院を救えるかも知れない」
ガッテンだ! つまり、囮捜査って事だな!
すげー面白そうな話だ!
「よし! 任された!」
ーーー
「・・・って話があったんだ」
夜はどれだけ更けた事だろうか。
明かりの消えた夜の街は、随分と静かだ。
美女と宿の一室で、一晩の関係を楽しむ。
そんな可能性も、あったかも知れない。
それをぶち壊してくれたのは、隣にいる生意気なガキ。
その実態は軽犯罪者だ。
子供の捜査ごっこに巻き込まれた俺は、今は路地裏の陰から、とある屋敷を監視している。
「フランカを攫った奴を追いかけたら、ここに入って行ったんだ・・・!
カルク商会の本拠地だぜ、やっぱり噂通りだ!」
「・・・静かにしろ」
ダンは何やら興奮気味で邪魔だ。
視線の先には屋敷の裏門があり、両脇にはゴロツキが立っている。
暗がりの中に隠れてはいるものの、話し声で気付かれたら厄介だ。
俺の手には蒸留酒の瓶がある。
先の酒場で買って来たものだ、余計な出費に腹が立つ。
蓋を開いて、それを頭から被る。
・・・一張羅の革服がビショビショだ。
通り過ぎる風は、湿った服から温度を奪って行く。
寒い、そして酒臭い。
「・・・何やってんだ、おっさん」
ダンに憐れみの視線を向けられる屈辱を含めた、三重苦だ。
俺は何をやっているんだろう。
ぶつけようの無い怒りを堪えながら、空の瓶を左手に、千鳥足で屋敷の裏口に向かう。
「うッ・・・うぅ・・・」
さて、俺の三文芝居に騙されてくれるだろうか。
とは言え、芝居とも言い切れない。 俺は確かに酔っている。
「おい、オッさん。 ここは酔っ払いの来る所じゃないぜ。 怪我する前に帰りな」
指を鳴らしながら、こちらに近付いてくる。
その顔はニヤついていた。
帰れと言いながら、俺を甚振りたいのだろう。 好戦的な奴だ。
間合いが二歩の間隔になった所で、俺は芝居を止めた。
地面を蹴って、間合いを一瞬で詰める。
その速さを体重に乗せて、体重は右の拳に乗せる。
脇は締めたまま、擦れ違い様に拳を腹にめり込ませると、男の身体はくの字に曲がった。
「カッ・・・ハッ・・・」
息が絞り出される。
意識を保つ事は出来ないだろう。
もう一人の男は、それを見て呆けている。
何が起きたのか、まだ理解出来ていない。
状況を理解する前に、こちらが行動を起こす。
それは難しくない。
大きく踏み込んで、左手の瓶を渾身の力で男の頭に振り下ろすだけ。
断末魔は無い。 瓶の割れる音と、最初の男が倒れる音が重なった。
これで終わりだ。
初めから自分の動く手順を決めていた俺と、嗜虐心から舌舐めずりしていた相手では、話にならない。
勝負の結果は、始まる前から決まっていた。
「お・・・おいおいおい、おっさん! めっちゃ強いじゃないか!」
興奮気味に近付いてくるダンを無視して、男の懐を漁る。
鍵がある筈だ、それを探す。
「なんだ、おっさん。 鍵か?」
「ああ・・・こいつじゃないな」
全身を検査するが、それらしい物はない。
どうやら、こいつは持ってないらしい。
もう一人に近付いて屈む。
そして手を伸ばそうとした時、後ろから軽い音が聞こえた。
鍵の開く音だ。
振り返ると、ダンが門の鍵穴に、細身の器具を差し入れていた。
「開いたぜ」
・・・ 犯罪技能の多彩な奴だ。
それも今だけは役に立っている、事の善悪は目先の印象だけでは決まらないらしい。
何事も表裏と言う事か。
都合の良い事はそのまま受け入れる。
門が開いたなら、何も問題は無い。
「なぁ」
門を通り抜ける俺に声が掛かる。
「こんなクズ、殺しちゃった方が良いんじゃないか?」
物騒な事を言い出す。
軽犯罪者から重犯罪者になりたい様だ。
大人として、それを見過ごす事は出来ない。
「殺して良いのは、殺しに来た相手だけだ」
ーーー
足音が聞こえて来た。
今は屋敷の中。
ゴロツキ二人を成敗したのはついさっきの事だ。
門には鍵が掛かっていながら、屋敷の扉には掛かっていなかったのは幸いか。
いや、どちらにしてもダンが開けていただろう。
扉の先は、左右の二股に分かれた廊下だっ
た。 足音は右側から聞こえてくる。
俺は角に張り付いて、獲物を待ち受けた。
角の死角から、近付く誰かの手が一瞬見えたその時、左手を伸ばして胸倉を掴む。
そのまま強引に引き込むと、相手は俺を中心に半回転して壁に激突した。
背後にいたダンは、俺と足音の主に挟まれてビクつく。
激突の衝撃に咳き込んでいる相手の正体は、歳若い使用人の女だ。
素早く前に回り込んで、右腕を首に掛けた。
左手はベルトからナイフを抜く。
「攫った女はどこだ」
詰問する俺を見る女の目には、確かな恐怖があった。
「な、何の事か・・・」
素早くナイフを眼球に突き付け、そしてゆっくり距離を縮める。 瞬きは許さない。
「本当の事を言え」
「ち、ちか!! 地下です!
私は何もしてません! 本当に! や、やめて! やめてください!! う”っ・・・」
右腕で首を絞め落とす、女はすぐに意識を失った。
「おっさん、女にも容赦無いんだな・・・」
ダンの声は、若干引き気味だ。
女を締め上げて尋問するなど、俺も気分は悪い。
偶々、捕まえた相手が女だっただけだ。
「それで、地下ってどうやって行くんだ?」
ーーー
右に曲がる通路に目を向ける。
そこには気絶した使用人の女がいた。
「なぁ、大丈夫か・・・? ここに戻って来るの、3回目だぞ」
屋敷の探索を始めて、半刻程経った気がする。
不思議と屋敷の人間と出会う事は無かった。
会ったのは、この気絶している女だけだ。
床には赤い絨毯が張り巡らされ、クリーム色の壁には断続的に扉がある。
屋敷の構造は思ったより複雑だ。
その中はひたすらに同じ風景が続く。
同じ場所が無限に続く異次元の中に迷い込んだ、そんな錯覚を覚える。
無作為に扉の中を確認しているが、そこには誰もいない客室があるだけだった。
いつまでも時間を掛けるわけには行かない。
未だに騒ぎになってないのは、運が良いからか。
気絶させたゴロツキと使用人が覚醒したら、それ以上の探索は出来ない。
下手をすれば、空き巣として犯罪者の仲間入りになる。
それだけは避けたかった。
ダンと同列の人間として扱われるのは、耐えようの無い精神の陵辱だ。
「オイラに付いてこいよ」
これ以上、俺が先導して探索しても、堂々巡りになる予感がした。
気が進まないが、大人しくダンに従う。
ダンの足取りに迷いは無い。
まるで、屋敷の構造を理解している様だ。
歩く先からは、広い空間が見えてくる。
ダンはそこで立ち止まった。
周囲を確認すると、左手に二階に登る階段が見える。
始めて見る景色だ、ここには来ていなかった。
ダンは迷う事無く階段に向かった。
待て、用があるのは地下であって、二階では無い。
しかしながら、ダンが階段を登る事は無かった。
その足が向かうのは、階段の脇にある空間、階段の裏手だ。
その暗がりの中に扉がある。
「ここだ!」
勢い良く開いた扉の先、そこには下に続く階段があった。
「・・・どうして分かった」
その返事はとても短い。
「勘」
ーーー
「どうか、御息災で」
屈んで目線を合わせてくれる、騎士の格好をした美しい女性。
それは、わたしをこの村に連れて来た女性だ。
彼女はわたしの叔母。
状況を理解出来ていないわたしを見るその目には、憐れみと同情がある。
来た時と同じ馬車で去っていく彼女を、眺める事しか出来ない。
わたしを抱きしめてくれる人。 そこには母に似たぬくもりがあった。
彼女の名前はマルタ、わたしの養母。
彼女は夫を戦争で失った未亡人だった。 切り盛りしてる宿は、その形見だ。
「辛かったら、我慢しなくて良いんだよ・・・」
フルート村で暮らす内に、わたしは彼女を本当の母の様に感じた。
村で過ごした思い出が、情景となって次々に巡る。
「逃げろ! 殺されるぞ!」
村の人達に斬り掛かる帝国兵に、わたしは唖然となる。
どうして・・・
悲しみの中で、燃え広がる炎があった。
それは帝国に対してか、或いは世界の理不尽か。
「おいで!!」
わたしの手を掴むマルタ、その必死な表情には覚悟が見える。
彼女はわたしを地下に閉じ込めた。
木板の隙間から差す光は微かで、その中は薄暗く、不安を煽る。
天井の扉を開こうとしても、それは全く動かない。 外鍵が閉められていた。
聞き慣れた声の悲鳴が聞こえる。
床の擦れる音が近付いて来て、それはわたしの真上で止まった。
扉一枚を挟んだ向こう側に、誰がいるのか。
わたしは理解を拒否する。
次の瞬間、天井を貫く血に塗れた剣の切っ先が、目の前を通り過ぎた。
ーーー
目が覚めた。
恐ろしい夢を見ていた気がする。 その内容は思い出せない。
ここはどこだろう。
見渡しても、石造りの壁があるだけだ。
その中に格子の付いた鉄の扉がある。
身を起こそうとしたけど、後ろ手に手首が縛られて上手く動けない。
そのせいで涙を拭う事さえ出来なかった。
ダンは上手くやってくれているだろうか。
お調子者の彼を信頼するには、正直心許ない。
身を捩ると、服の中からナイフが落ちる。
フルート村を出た時から、ずっと持ち歩いていた、護身用だ。
後ろ手に手首の縄を切るのは難しい・・・
時間は掛かったが、わたしの両手は自由になった。
わたし以外にこの部屋に居るのは、三人の女性。 その一人はシスター服を着ている。
・・・バーバラ?
どうしてこんなところに!?
「バーバラ、起きて・・・!!」
「ん・・・フランカ・・・?
どうして・・・ここは?」
覚醒したばかりのバーバラは、状況を理解出来ていない様だ。
その手首の縄を切り裂く。
「分からない・・・だけど、早くここを出ないと」
「はい。 でも、どうやって・・・?」
ダンとは打ち合わせをしているが、必ず上手く行くとは限らない。
話を聞いたジェラルドは、どんな顔をするだろう。
きっとうんざりした顔だ。
でも、何だかんだで彼は助けてくれる。 そんな気がしていた。
これは甘えだろうか。
見ず知らずの彼に縋り、今は私の身勝手に巻き込んでいる。
他者の優しさに付け込み、それを利用する罪悪感が芽生えた。
・・・今は、わたしの出来る事をしよう。
ナイフを片手に、鉄の扉に近付く。
格子の外を確認すると、男の背中が見えた。
良かった、見張りは一人。
一人なら、何とかなるかも知れない。
扉に張り付き、扉をノックする。
「ん? なんだ?」
男は格子を覗き込んできた。 その胸倉を掴む。
わたしの腕力だけでは到底足りない。
扉に足を着いて、全身の力で引き寄せた。
「うがぁ! なんだ!?」
男は扉の張り付けになる。 その首にナイフを掛けた。
「鍵を開けて・・・!」
刃を首に直接当てて脅す。 その効果はあった。
「わ、分かった! 開ける、開けるから!」
男は扉に張り付けられたまま、器用に鍵穴をいじる。
ガチャリ、と音が鳴った。
やった!
期待通りの展開に嬉しくなる。
それが油断だった。
勢い良く開く扉に、わたしの身体が床に投げ出される。
その扉の先で、怒りに満ちた男は剣を鞘から引き抜いた。
「おいたが過ぎたなぁ・・・嬢ちゃん」
上段に構えられた剣は、今度は振り下ろされる。
死を覚悟したわたしには、それが緩慢に見えた。
命を捨てて、わたしを救ってくれたマルタ。
そのために、生き続けようと思った。
でも、それはここまでの様だ。
出来る事なら、天国にいる彼女に謝りたい。
わたしは天国に行けるだろうか。
もう一人、謝らなければいけない人がいる。
わたしの身勝手に、付き合わせてしまった人。
その名前が、無意識に口から漏れる。
「ジェラルド・・・!」
剣を振り下ろす男に、影が襲い掛かった。
肘鉄が頰にめり込み、男はわたしの視界の外まで吹き飛ばされる。
現れた彼は、いつもの仏頂面だった。
「奇遇だな」
ーーー
少女は目を見開いている。
その表情が語るのは驚愕だ。
吹き飛ばした貧相な男は、牢の奥、その角で泡を吹いている。
不意打ちが完全な形で決まった。 そこには爽快感がある。
「フランカー? 大丈夫かー?」
俺の脇を通って、ダンが牢に入る。
「うげげ! なんでバーバラがいんだよ!!」
「それを言いたいのは私です!
どういう事ですか!? 説明してください!」
「い、いやぁ、それはだなぁ・・・深い深いわけがあって」
「だから! それを説明してくださいと言っているのです!」
この二人はいつも通り。
牢の中にいたのは四人。 気を失っていた残りの二人も、ダンとバーバラの騒ぎに気付いた様だ。
フランカは俺の腹に腕を回して、胸に顔を押し付けて来る。
一刻も早く屋敷を脱出したいのだが、これでは動けない。
「・・・ジェラルド」
「どうした」
「・・・お酒臭い」
それはお前のせいだ、と言いたい。
ーーー
帰り道を迷う事は無かった。
攫われた娘の一人が、屋敷に来た事があるらしい。
二人の娘は、ケルンに店を構えている家の娘だった。 やはり、カルク商会からの借金を抱えている。
バーバラは門の戸締りを確認する際に、何者かに攫われたと言う話を聞いた。
今、孤児院に残されている子供達はどうしているのか。 それが気になる様だ。
程無くして、屋敷の玄関に出る。
扉を開くと、正門の前で揉め事が起きていた。
門の外には衛兵達が詰め掛けている。
その周りには、孤児院の子供達がいた。
対する門の内にいるのは、身なりの良い太った中年。
恐らくは、カルク商会の会長と言った所か。
その顔には焦りが見える。
屋敷の住人と思われる人間が、その周りを囲んでいた。
屋敷内に、妙に人が少なかったのは、この騒ぎのお陰だろうか。
「ママを・・・ママを返して! 」
「フランカ先生を、どこに連れて行ったの!?」
「攫われた人物が、この屋敷に連れ込まれたと、通報があったのです。
中の捜索を、許可して頂きたい」
「何故、その様な・・・
それは根も葉もない嘘の通報でしょう。
こんな夜中に、家宅捜索を許す道理はありませんぞ。
後日、こちらから連絡いたしましょう。 その時は、いくらでも屋敷内を捜索しても構いませんから」
「通報が真実だった場合、犯罪の隠蔽が行われる可能性があります。
身の潔白を証明したいのなら、捜索を許可して頂きたい。
食い下がると、我々の疑義はより深くなりますよ」
問い詰めるのは、俺をレルン橋で足止めした衛兵。 見た目の通りの実直な男だ。
その場しのぎの逃げ口上を宣うカルク商会長に、一歩も引きはしない。
門の内外で揉めている集団が、近付く俺達の気配に気付いた。
その表情に乗る感情は、それぞれで様子が違う。
黒幕の顔に浮かぶのは絶望だ。
「おぉ・・・神よ」
その呟きに皮肉な気持ちになる。
神がもしこの男を救うなら、俺はその存在を信じてもいい。
その時は、世界の理不尽が全て、邪神の仕業なのだと納得出来る。
しかし神は、男を救う事も裁く事しなかった。
ただ、衛兵が連行していくだけだ。
実直な衛兵の目に意味有りげな視線を感じたが、それは一瞬だった。
俺の思い違いかも知れない。
あの男との接点など、橋の前で足止めされた事だけだ。
フランカとバーバラは、その生還を子供達と喜んでいた。
その目に涙を流す子供もいる。
ぬいぐるみの少女は、泣きじゃくってフランカを困らせていた。
ダンはそれを見て得意気だ。
それも良いだろう、今日はこいつの活躍もある。
夜は深いが、眠気は飛んでしまった。
飲み直しても良いかも知れない。
大通りの酒場に戻れば、名も知らぬ娼婦はまだいるだろうか。
事件の前の昂りはもう無い。
ただ、酒の肴に話し相手が欲しいだけだ。
思い返すと、こんな事を思うのは初めてに思う。
ドンチャン騒ぎに巻き込まれるのは嫌いだったが、傭兵には付き物だった。
酒は一人で飲む方が落ち着く、そう思っていた。
再会を喜び、抱き合う彼女達を見て思う。
俺の中の、何かが変わったのかも知れないと。