コイントス
「天に在します私達の父よ、その御心が天に行われる通りに、地にも行われます様に。
私達の日ごとの糧をお与え下さり・・・」
シスター・バーバラは指を組んで、食前の祈りを捧げている。
子供達はそれに習い、目を瞑って同じポーズだ。
対面に座るフランカは、最初戸惑っていたものの、周りの雰囲気に従って真似ている。
隣に座るダンは、既にガツガツ食べていた。
この無礼なガキを見て、神は何を思っているのやら。 おまけにこいつはコソ泥。
かく言う俺も、殺人を生業とする傭兵だ。
盗みも殺しも裁かないなら、神は何を裁くのか。
その御心がこの地で為されるのなら、孤児院など必要ない。
こんな事を考える俺は、生まれて此の方、信仰心など芽生えた事は無い。
場違い感に居心地の悪さを感じていた。
祈りを締め括る、最後の言葉が唱えられる。
子供達の声が、それに続いた。
指を解くと、皆が思い思いに食事に手を付ける。
パンと野菜スープ、飲み物は水だ。
聖職者に相応しい質素な夜食だが、孤児院で出せるのはこんなものだろう。
ダンはもう食べ終わっている。
「悪かったな、おっさん」
食事中におしゃべりをするのは嫌いだ。 話し掛けてくるダンを無視する。
そんなこちらの意図を察する事は全く無く、俺と話をしている体で独り言は続いた。
「あいつらは、カルク商会に雇われたチンピラなんだ。 ひでー悪党だよ。
借りた金は少しなのに、利息とか言ってどんどん借金を増やしていくんだ。
こんなのおかしいだろ!」
小悪党が他人を悪党と呼んで責め立てる。
高利貸しは阿漕な商売だが、泥棒に説教されたくはないだろう。
「それだけじゃない!
噂じゃ人攫いをやって、奴隷として売り飛ばしてるって話だ!」
「ダン! やめなさい!
そんな根も葉もない噂で、恩人を罵るのですか!?」
「何が恩人なもんか!
今日だって攫われかけたじゃないか!」
「彼等にお金を借りたのは私達の方です!
その返済を待たせているのは、私達の責なんですよ!?」
・・・騒々しい事この上ない。
突然始まった言い争いに、雰囲気が悪くなる。 ぬいぐるみを抱いた少女は今にも泣きそうだ。
食事中くらいぬいぐるみは置け、行儀が悪い。
「チッ・・・こんなとこいられるか!」
立ち上がって向かう足取りは、夜の街だ。
「ダン! 何処に行くのですか!?」
「うるせぇ! ババーラ! どこに行こうとオイラの勝手だ!」
罵声を残して、ダンは夜の街に消えて行く。
騒々しかった食卓は、急に静かになった。
バーバラはダンの行方が気になる様だが、追い掛ける事はしない。
そのまま静かに席に戻る。
子供達は所在無さげに、食事を続けていいのか悩んでいた様だが、バーバラが食事を再開すると、それに続いた。
フランカも全く同じだった。
ダンが消えた事で理想的な食卓になる、ありがたい。
食事中は静かにしてくれ。
ーーー
吐き出した煙を夜風が攫う。
食後のタバコはどうしてこんなに美味いのか、不思議なものだ。
食事は質素でも構わない。 この一服の満足感だけで、俺は人生に価値を見出せる。
我ながら安い人生だ、その倹約さに自負を感じる。
高過ぎるプライドを守るため、躍起になって見栄を張るこの世の貴族達も、俺からすれば自由を束縛された哀れな存在に思えた。
俺には夢も希望もいらない。
タバコと酒があれば、それでいい。
孤児院の中からは笑い声が聞こえて来る。
流石は子供か。 食事中は意気消沈していたものの、すぐに元気を取り戻した。
少女達は絵本を取り出してフランカの元に持って行き、今はその内容に一喜一憂している。
フランカはあれで意外と面倒見が良い。
子供達の笑顔が、悲劇の傷跡を拭い去ってくれるなら、それに越した事は無いだろう。
少年達は木剣を持って、剣を教えてくれと俺に言って来たが、丁重に無視した。
今は月明かりだけを頼りに、チャンバラごっこをしている。
よくやるものだと感心した。
背後から近付く気配がするが、それは確認しなくても誰か分かる。
「ダンの事、怒っていますか・・・?」
「怒っているさ、金を返してくれるまではな」
正直、あまり怒っていない。
どちらかと言えば、食事中に騒がれた事に対する怒りの方が、今だに燻っている。
「ダンの盗みは許される事ではありません。
衛兵に捕まって、この街の牢屋に入るのも、一度や二度では無いのです」
前科者か。
それでもコソ泥をやめられないとは、手首を切り落とした方が良い。
「それでも・・・」
それでも、何だと言うのか。
その含みから、意図を読み取ることは出来ない。
「あの子達が持っている、ぬいぐるみや絵本、剣のおもちゃは、私が買い与えたものでは無いのです。
子供達の誕生日に、いつの間にか枕元に置いてあって。 とても喜んでいたんですよ。
私は、天国のお父さんとお母さんからのプレゼントだと説明しているけれど、本当は・・・」
2本目に火を付けようとするも、夜風でマッチの火が踊る。
ここ数日は随分タバコの消費が早い。
20本で銀貨2枚は、あまり安くは無いだろう。
・・・本数を減らす事を考えるべきか。
そもそも今は無一文だった。
カルク商会は俺にも金を貸してくれるだろうか。
「どうして金を借りたんだ?」
思い付きの質問だが、バーバラは答え辛そうだ。
「この孤児院は街からの援助金で運営しているのですが、三年前に院で面倒を見る子供達が多くなり過ぎて、運営費がパンクしてしまったんです。
その時に、前院長の判断で借り入れをしました・・・今思えば、別の選択肢もあったかも知れません。
前院長は一昨年に亡くなって、今は私が代理を勤めています」
「大変だな」
としか言えない。
事情には同情するが、どこまでも他人事でしかない。
「10年前から貧民街の規模がどんどん大きくなっています。
帝国の重税に苦しむ人達が、このケルンに逃げて来て難民になっているんです」
世知辛い、通りで俺も失業して無一文になるわけだ。
「でも、難民の人達は満足に仕事に就けません・・・
そんな人達が、このケルンで犯罪に手を染めるんです。 そうして牢屋に入ったり、悪ければ死ぬ事もあります。
残されて孤児になる子供が沢山いるんです。
院で受け入れられない子は、命を繋ぐために非行に走る事になります・・・」
院に入りながら、非行に走る少年もいる様だが?
「大変だな」
もはや、俺が真面目に話を聞いてはいない事を察しているだろうか。
最近の俺は、只でさえ心労を抱えているのに、気の滅入る話で精神攻撃するのは、やめて貰いたい。
「愚痴っぽくなってしまいましたね、ごめんなさい」
バーバラは雰囲気を変えようと、おどけて見せる。
チャンバラをしていた少年達は、既に眠そうだ。
「さあ、みんな! もう寝る時間ですよ!
寝室に行ってください!」
大声を出すバーバラに、子供達は従う。
金が無いから、夜の街に繰り出す事も出来ない。
俺も大人しく寝るとしよう。
孤児院の中に目を向けると、少女はフランカの膝を枕にして寝入っている。
その腕には、大事そうに抱かれているぬいぐるみがあった。
ーーー
今日は孤児院に来てから4日目だ。
居候になりながら、良い歳した中年が食っちゃ寝するのは、子供の教育にも良くないと思った俺は、一昨日から街周辺の警邏に参加して日銭を稼いでいる。
ベルグ王国は今、帝国の軍事行動を非常に警戒している様で、ケルンを警邏する人手は足りていない。
犯罪が増加している街内の警備の人手も足りていない。
世が荒れる程に、武力は重用される。
これを喜ぶべきか、嘆くべきか。
無一文だった俺は、これを喜ぶしかない。
人手不足の仕事程、その賃金は上がるもので、街周辺を練り回っただけにしては、収入は悪くない。
ダンの奴が革財布ごと、チンピラにくれてやったので、新たに買う必要があった事だけが不愉快だ。
当然だが、この代金も請求しよう。
孤児院の食事は、代わり映えしない質素なものだが、そこに不満は無い。
むしろ、変わる事の無い日々に安堵を感じつつある。
果たして何のためにケルンに来たのか、その目的を忘れそうだ。
フランカが身を寄せる場所を探す事、それはこの孤児院でも良いのではないだろうか。
元々の俺の目的である、仕事を求めて戦争中のラフラに行く事は、ベルグとガルマリィの軍事的緊張に依って、ケルンで達成されそうだ。
不幸に思えた俺の状況が、徐々に上向いて来ているのを感じていた。
夕食を終えた今、フランカは子供達に読み書きを教えている。
農業だけを覚えて、村で一生を終える村民の識字率は低い。
フランカから、いつか感じた違和感を思い出した。
しかし、それどころでは無いらしい。
「先生! わたしお医者さんになりたーい!」
「私もー」「私も!」
「フランカ先生! お医者さんってどうしたらなれるの?」
学級崩壊していた。
何故、そんなに医者になりたがるのか。
「え・・・わたしも、分からないけど」
俺も分からない、どうして読み書きから医者を目指す進路の話になるのか。
そんな喜劇を横目にしながら、外に向かう。
今日は綺麗な満月が夜空に浮かんでいた。
夕食の後には、ここで一服するのが1日のリズムになっている。
俺専用の憩いの場、誰にも侵されたくはない。
そんな根拠の無い独占欲を感じながら、紫煙を吐き出していると、早速テリトリーを侵して来る輩が現れる。 ダンだ。
「おっさん、賭けをしようぜ」
「断る」
何も迷う事無く、即答出来る。 慈悲は無い。
「まぁまぁ、そんな事言うなよ。
ただのコイントスだからさ、銀貨5枚な」
勝手に話を進めるな。
俺は断った筈なのだが、ゲームも賭け金も決められてしまう。
賭ける金があるなら、まずは返済しろ。
「表が出たらオイラの勝ち、裏が出たらおっさんだ」
ついには賭けの選択肢まで決められてしまった。
このゲームのどこに俺の存在があるのだろう。
そんな俺の思いはどこまでも無視され、ダンは銅貨を弾く。 それは天高く飛び上がった。
夜空を背景に回転するコインは、月明かりに照らされて、第二の月の様にも見える。
それは月と同じで、表の顔しか見せてくれない。
しかし、夜空の星にはなり切れず、重力に負けて落ちて来る。
それは跳ねる事も無く地上の星になった。
恨めしそうに夜空を見上げるのは、コインの表だ。
「へへッ、オイラの勝ちだな」
「いや、俺の勝ちだ」
銅貨を拾い上げて、翻す。
それは両面とも表だった。
「イカサマはバレたら負けだ」
目を白黒させるダンを見ると、気分が良い。
とっとと銀貨を寄越せ。
「どうして分かったんだ!?」
「見ていれば分かる」
「おっさん・・・どんだけ目良いんだよ」
渋々の態度で、銀貨5枚を手渡してくれる。
賭けの勝敗に従うだけの、殊勝な心掛けはある様だ。
予想外の収入、タバコを買い足すとしよう。
ダンはイカサマコインを大事そうにしまう。
その姿は意外だった。
視界に広がる夜空。
タバコから立ち上がる煙は、そこに流れる天の川の様だ。
「オイラはさ、男はビッグにならなきゃいけないと思うんだよ」
・・・?
まだいたのか、もう行っていいぞ。
「オイラはいつかブリューグに行って、軍人になる。
そこでドデカイ活躍をして、沢山稼いで、将軍になって、綺麗な姉ちゃんと結婚して、この孤児院をお城にしてやるんだ」
大きな夢だな、コソ泥の所業からはまるで想像出来無い。
「なぁ、おっさん。 聞いてるのか?」
「タバコとマッチを買って来てくれ、釣りは小遣いにしていいぞ」
銀貨5枚を手渡す。
そろそろ残りが少ない、丁度良かった。
「オイラにもタバコくれよ」
「ガキにはまだ早い、早く行け」
ケッ、と言い残し、ダンは夜の街に消えて行く。
俺の縄張りは俺一人になった。
聞こえるのは院内の喧騒と、木剣を打ち合う音だけ。
そう思っていたら、邪魔者がもう一人来て、俺の隣に座る。 バーバラだ。
寂しがり屋の少女達は、新たな住人であるフランカに夢中だ。
バーバラは手持ち無沙汰なのだろう。
「私とダンは、幼馴染なんですよ」
今日は世間話では無く、自分語りの様だ。
「15年前に、ケルンで黒死病が流行ったんです。 知っていますか?」
15年前か・・・俺が流れの傭兵に成り立ての頃、その時はラフラに逃げていた筈だ。
黒死病の話は知らない。
「その時に私とダンの両親は亡くなりました。
ダンは生まれたばかりの赤ん坊で、親の顔も知らない筈です」
暗い話になって来たな・・・
「感染を隔離するために、集団避難もあって・・・その時に前院長のお世話になったんです。
黒死病が収まった後は、この孤児院に入りました。
私にとってもダンにとっても、ここは生まれ育った我が家みたいなものです」
それなら、ダンはバーバラにとって弟みたいなものか。
あんな生意気な悪ガキを弟に持つ姉は、さぞ苦労を感じている事だろう。
「・・・貴方は神を信じますか?」
それは質問であって、質問ではない。
俺に信仰心の欠片も無い事を知りながら、それを確認しているだけだ。
「神を信じるなら、孤児がいる事を不自然に思わないのか?」
素直な疑問をぶつけてみる。
この矛盾を、バーバラは如何に考えているのか。
「神の御心は、私には分かりません」
聖職者は大抵、こんな事を答える。
それは俺から見て、欺瞞にしか映らない。
「でも、親を失った子供達を見ると、とても哀れで、助けてあげたいと感じます。
例えそれが、私には何の徳も無いとしても」
それは、只の自己満足だ。
「この気持ちを自己満足と罵る人もいるでしょう。
なら、どうして哀れな人を助けると、私の心には満足があるのでしょう。
子供達の笑顔を見ると、私はとても満たされます。 それは一体、どこから来たのでしょう。
・・・この満足こそ、神が私に与えてくれた祝福です。
私は私の自己満足を持って、神を信じるのです」
「なるほど」
その皮肉にも思える答えからは、バーバラの確かな信念を感じた。
この考えこそが、バーバラの宗教なのだろう。
それを否定する気は無い。
夜が更けていく、秋の夜風は肌寒い。
しかしながら、今日は妙な満足感の中で眠れそうだ。
今までに触れた事のない哲学に触れた気がした。 知らない事を知るのは、好奇心を満たしてくれる。
この世の全てを知るには、俺の人生の全てを掛けても足りないだろう。
世知辛いと思えるこの世界は、それでも新たな発見で俺を楽しませてくれる。
例え、神が世界に興味を持たないとしても。
バーバラの掛け声で、今日の終わりを告げる。 俺も寝るとしよう。
吸い殻を踏み消す。
「ジェラルドさん」
・・・?
何かあっただろうか。
「院の敷地に吸い殻を捨てるのは、やめてください」
その表情は笑顔だが、背後には怒気が陽炎の様に立ち上がる錯覚がある。
何故、女は怒る時に笑うのか。
男を震え上がらせる方法を、本能で知っているのかも知れない。
その後、ダンが帰ってくる事は無かった。
銀貨は持ち逃げされた様だ。
俺は床の中で神と世界を呪った。
ーーー
孤児院に来てから、10日が経つ。
今は大通りの酒場で、麦酒の前にしてカウンターに座っている。 時間は日没だ。
革財布の中も、それなりに温まって来た。
久し振りの酒を楽しんでも、バチは当たらない筈だ。
フランカは大衆食堂で働き始めた。
今頃は仕事に精を出している事だろう。
店の中は騒がしい。
仕事を終えた兵士達が、木製ジョッキを片手に談笑している。
その席にはドレスを来た女もいた。
客の接待を兼ねた娼婦達だ。
客寄せとして、店に雇われているのだろう。
腕を絡める娼婦を連れて、店を出て行く客が時々いる。 その鼻の下は伸びていた。
今夜は宿も繁盛してそうだ。
俺としては、誰もいない店で一人になりたい所だが、隠れた名店を探す土地勘は無い。
大通りから何気無く入った店が、偶々人気で、如何わしい商売を兼ねた店だっただけだ。
「素敵なお髭ね、傭兵さん」
隣に座る人の気配。
長い亜麻色の髪と、シックな紺のドレスを来た、中々の美女だ。
若い娘では無いが、俺よりは歳下に見える。
「文無しだ、他に行ってくれ」
女を買うのは安くない。
この女も商売だろう、持ち合わせの少ない客に付き合う事はない。
「まだ、何も言ってないわ。
お酌をしてあげる事さえ、許してくれないのかしら」
食い下がってくるとは意外だ。
買春する気は無いと言ったつもりだが、酒に付き合ってくれるだけなら、まぁいいだろう。
残った麦酒を飲み干す。
「葡萄酒を瓶でくれ、グラスは二つだ」
酌をしてくれると言うのだ、一人で飲んでも感じが悪い。
それが分かる程度には、経験がある。
酒を注ぐ女は手慣れた様子だ。
「何に乾杯したらいい?」
「俺の労苦を労ってくれ」
「そう、なら苦労人の貴方に」
ガラスの当たる甲高い音が響いた。
グラスを傾けると、酸味の中に葡萄の風味が鼻を抜ける。
葡萄酒はあまり好きではないが、この場には相応しい気がした。
「ケルンには、最近来たのかしら」
「ああ、そうだ。
着いたその日に財布をひったくられてな」
「それは災難だったわね。
この街は数年前から物騒よ、気を付けて」
タバコを咥えると、何も言わなくても火を付けてくれる。 良い女だ。
「これからは気をつけるさ。
油断したお陰で、今は孤児院暮らしだ」
女の顔に僅かな変化が見えた、その色は驚きだ。
「・・・それはもしかして、シスター・バーバラの」
「知り合いか?」
「・・・ええ、そうね。 ちょっとした友人、かしら」
聖職者と娼婦が友人とは、皮肉な話だ。
神と悪魔も見習ってくれ。
「私がこの仕事をしているのは、秘密にしているのよ。 だから・・・」
「誰にも言わんさ」
口の軽い奴は嫌いだ、俺は告げ口などしない。
その後は他愛の無い会話が続く。
女はどんな話にも付き合ってくれた。
歴史、戦史、文学、哲学。 娼婦とは思えない博識振りだ。
らしくもない、商売女に思わず惚れてしまいそうになる。
この店には、もう一度来ても良いかも知れない。
過ぎて行く時間は、あまりにも短く感じた。
気付くと、葡萄酒の瓶が三本空いている。
会話に夢中で、その味は覚えていない。
確認していないが、もう遅い時間の筈だ。
名残惜しいが、店主に硬貨を払う。
「もう、行ってしまうの?」
後ろ髪を引かれる。
この女は言葉は、どんな男の理性をも溶かしてしまいそうだ。
「まだ付き合ってくれるのか?」
「ええ、貴方さえ良ければ、朝まででも付き合うわ」
そう言って、女は上品に腕を絡めてきた。
色香に惑わされる、この魅力に抗える程の理性が足りない。
俺も所詮、その程度の男だったか。
年甲斐も無く、期待が膨らむ。
そして、それは突然破られた。
店のドアが荒々しく開いて音を立てる。
「おっさん! 大変だ!
フランカが攫われた!!」
驚いた女は、俺に囁く。
そこに、先程感じた妖艶さは何も残ってはいない。
「・・・甥っ子かしら?」