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結・結果論争





 ランベールは、牧歌的でありながら旅人たちの休息場所ともなっている。

 村か街かと問われれば一応街に近い規模の集落であった。

 地理的な理由から、田舎だと、誰かが言っていた気がする。

 田舎とは、のんびりとした、静かな場所の代名詞であるはず。

 だからではないか、と彼女は思った。

 自分がどうしてここまで面食らい、さっさと離脱するという選択をしなかったのか。


「レイルズ様! 無事だったのですね、私は、メリルは、もう心配で……!」

「エド! ああ、エド、しっかりして!」


 レイルズが、未だ気絶しているエドを地面へ降ろした瞬間。

 腕に包帯を巻いているベラは一目散に駆け寄っている。誰が彼女を解放したのかすら、どうでもいい。

 そしてレイルズはというと、メリルを初めとする彼の親衛隊に囲まれてすぐに姿が見えなくなった。

黄色い声が木霊するその姦しさから、元凶たる二人に抱いていた怒りさえも一気に萎えていく。

 どうしたものか。黄色い声の超音波に毒されていたアーシュは、ふと自分に向けられた視線に気づいた。

 見やれば、危なっかしくエドの長剣を握ったベラがアーシュめがけて突進してくる。


「うわあ!」


 慌てて逃げようとして、足が止まった。

 逃げて、ベラが足を止めなければ彼女は間違いなくレイルズ親衛隊に突っ込むだろう。

 死人は個人の運によるだろうが、怪我人が出るのは間違いない。

 迫るベラを迎え撃たんと、アーシュは血桜を引き抜いた。次の瞬間。


「きゃーっ!」


 わざとらしく悲鳴を上げたベラが、長剣を放り出してぺたんと腰を抜かした。

 甲高い女の悲鳴に、何事かと、親衛隊の少女たちが、のみならずランベールの住民達の視線が集中する。

 その視界には、真っ赤な刀を携え、ベラの一人芝居に呆れているアーシュの姿があった。

 観衆に、その光景はどのように映っているのか、推測するだけ馬鹿らしい。

 交渉の席で語られた、エドの話が蘇る。

 なるほど、どうあっても彼女はアーシュを陥れたいわけか。

 理性が許すまで付き合おう。ここで安易に彼女らを斬れば、結果は目に見えている。


「は、灰色狼が私を……!」

「ねえ、その長剣はどうしてそこに転がってるの?」


 所在なさげに転がっているエドの長剣を、抜き身の血桜で指し示しつつ、尋ねる。

 ぐ、と一瞬詰まったベラであったが、すぐにその口は動き始めた。


「今、エドが灰色狼に一矢報いてやるって、どうにか抜いたのよ! でもすぐに気絶しちゃって……!」

「じゃあ、危機感を感じた私がこれを抜いてもおかしくないよね」


 刃傷沙汰を起こす気はないとばかり、血桜を鞘へ収める。

 これ以上誤解を広めるのは不利だ。


「な、何よ、エドが悪いって言うの!?」

「わかってるじゃん」


 罠にはめるはずがあっさりかわされ、腰を抜かしていたはずのベラはむくりと立ち上がった。

 その感情のまま、アーシュへ詰め寄る。


「エドはあんたにやられたからリベンジをしようとして……!」

「人質とって誘き出した挙句返り討ちにされたのに、復讐? どこまで往生際が悪ければ気が済むの?」

「そもそも、あんたが私達の部屋から小瓶を盗んだのが……!」

「間違って手放してしまったものを取り返して何が悪いの?」

「悪いに決まってるでしょう! あれはもう私達のものなのよ。大体、不要物収集所に無造作に置いてったくせに、何が間違って、よ!」

「ねえ、なんでそれを知ってるの?」


 無邪気ささえ含まれたその言葉に、ベラはまたもや口を詰まらせた。

 不要物収集所とは、一般の住民には要らなくても浮浪者たちなら使うかもしれないという勝手な想像のもと、所謂ゴミを一箇所に投棄しておく場所のことだ。

 捨てるも拾うも個人次第であり、誰が何を捨てようが拾おうが誰も好き好んで関与はしない。

 ――その捨てる瞬間を、目撃しない限り。

 得体の知れない中身入りの小瓶など、安易に拾って大切に持ち運ぶ人間が果たしているだろうか。

 ランベールにも勿論それはあり、街を歩いた際にアーシュはレイルズから丁寧にそれを教わっている。証言者の多い今、ベラからその言葉を引き出したかったのだ。

 誤解を解くために、アーシュが潔白であることを――レイルズ達は犯罪者に協力したわけではないと、証明するために。


「どうして?」

「……そ、そんなのどうだっていいでしょ!それよりもこれ、どうしてくれるのよ!」


 おもむろに、ベラは自分の腕に巻かれていた包帯を剥がし始めた。

 真っ白だった包帯が、患部へ近づくにつれ徐々に赤く染まっていく。

 やがて、赤い脱脂綿が剥がされると同時に痛々しい患部があらわとなった。

 滲んだ血でよく見えないが、刃物で刺された痕のように見える。


「いたそう」

「しらばっくれるんじゃないわ! 私が泥棒って叫んだら、あんたが刺してきたんじゃない!」


 ――今。なんて? この女は、何を言った? アーシュがこの女を、刺した?

 野次馬のどよめきが、やけに遠い。


「……何それ」


 彼女の正気を疑うより早く、耳を疑うよりも早く、気づけばアーシュは叫んでいた。


「アンタ頭おかしいんじゃないの!? 自分でやっといて、よくもそんなことが臆面もなく言えるね!」

「頭がおかしいのはあんたのほうよ! その証拠に、その変な形の剣は真っ赤だったじゃない!」

「これはもともとだよ! 大体、誰かを斬ったりなんかしたら手入れくらいするから、血液くらい払うから!」


 これまで冷静に相手を言い負かしてきたアーシュが、ひどく感情的になってベラとの口論をヒートアップさせている。

 その反応の大きさに、これは何かあったのではという空気が蔓延した。

 それを知り、ベラは余裕ぶって軽く腕を組んでみせる。

 痛むはずの腕を。


「見苦しいわよ、アシュリー。事実を認めなさい」

「やってもいないことなんか認められないね。私があなたを刺したっていう事実があるなら、その証拠を見せてよ」


 しかし、ベラ同様野次馬の間を蔓延した空気に気づいたアーシュは、すぐに冷静さを取り戻して確たる証拠の提示を求めた。

 そんなもの、あるわけがない。ベラの腹は殴っても、彼女の腕を刺した記憶など欠片もないのだから。

 しかし彼女は、不意に唇を歪めたかと思うと何かを取り出した。

 手のひらサイズの小刀である。

 交戦するにはまったくの役立たず、野外での調理、主にウサギやヘビを捌くのに役立ちそうな代物だ。


「それがどうかしたの」

「とぼけても無駄よ。これは、私の腕に刺さった小刀なの」

「なんだ。初めから血桜で刺したわけじゃないって、わかってるじゃん」


 何を言い出すのかと思えば、と反論しようとしたアーシュは、次の瞬間固まった。


「これには、あんたの名が刻んであるわ」

「……え?」


 勝ち誇ったように掲げて見せるベラから、小刀を取り上げてまじまじと見つめる。

 確かに、小刀の柄には小さな文字の羅列が彫られていた。しかし――


「こんなの持ってた覚えがないんだけど」

「嘘おっしゃい! 小瓶と一緒に収集所に……じゃない、彫られているその名が、あんたのものだっていう証よ!」


 何か気になるようなことが聞こえたような気がしたが、まぜっかえしはしない。

 そんなことをしなくとも、言い負かす自信はあった。


「これが証拠? 馬鹿言うのもそろそろ打ち止めにしてよ。こんなの、誰にだって彫れるじゃない。私の本名を知っていて、文字を知っていて、刃物を持ってさえいれば」

「言い逃れはそれでおしまい? この街の医者に聞けばわかるわ。その小刀が、私の傷に一致するものだってことは」


 話し合いが平行線を辿り過ぎている。

 勿論嘘をついているのはベラなのだが、誰一人としてアーシュの傍に張り付いていた人物はいないのだ。証明のしようがない。

 それはベラもわかっていることらしく、彼女は初めて野次馬の群れに振り向いた。


「ランベールの街の皆さん! 皆さんは、半妖精の言い分を信じて人間の言っていることは信じないのですか!」


 ――そう来たか。

 ざわめきは、明らかに大きさを増している。


「いい加減にして。レイルズをこんな目に遭わせて、エラまで巻き込んで。今度はこの街の人たちまで毒牙にかけるの?」

「こうなったらもう手段なんて選ばないわ。どれもこれも、あんたが素直に地図を渡さないからこうなるのよ!」


 あくまで理性的に話し合いを求めるアーシュに、ベラはせせら笑って取り合おうとしなかった。


『半妖精……?』

『そういやいつも、バンダナを頭に巻いていたな』

『今も帽子を被っているし……』

『言われてみれば人間離れしてるよなあ』


 直接言葉を交わした記憶はなくとも、野次馬、否住民達は数日前より見かけるアーシュを記憶していた。

 交わされる囁きはざわめきとなって、話題の中心者を取り巻いていく。


「アンタねえ……!」

「まだ否定するのかしら? 潔白を証明したいなら、その帽子を取ればいいわ」

「なんでよ! 私がハーフエルフだってこととそれと、一体何が関係してくるのさ!」


 ――その一言は、アーシュが自分をハーフエルフだと証明したに等しい一言だった。

 動揺は一瞬にして広がり、アーシュへ向けられる視線が一挙に冷えていく。

 蔑視。視線の数々に含まれる意味に名をつけるなら、それが適当であった。


「呆れた。これも忘れちゃったのね」


 あまりの空気の変わりように困惑を隠していないアーシュを、ベラは周囲と同様に蔑んだ。


「関係大ありよ。ハーフエルフが罪を犯した場合、それが万引きだって人殺しだって例外なく処せられるのは死罪なんだから。だからこれまでのあんたは不殺で有名だった。人の社会で生きる半妖精として、そのルールに従わなければ生きていけなかったから」

「な……」


 アーシュの咽喉から、呻きにも似た驚愕が零れる。

 無茶苦茶にしてとんでもないルールだった。

 つまり、アーシュはエドならびにベラを傷つけた傷害罪で死刑に処せられるというのか? どちらに非があるとしても、確実に?


「ねえそこのあなた。警邏隊に通報してこの女を捕まえてくれない? 大丈夫よ、今ならショックで固まってるから」


 は、と我に返ったとき、アーシュは自分に迫る青年から逃れて後退った。

 冗談ではない。捕まることも不服だというのに、このまま殺されるのはもっとごめんだ。

 異議申し立てを行う直前、アーシュより先にそれを口にした人物がいた。


「――ちょっと待ってください。どうしてアーシュだけが裁かれないといけないんですか?」


 彼の親衛隊が持ち寄ったのだろうか。まるで施療院内のような消毒液の匂いがする。

 おそらく、痣や打撲以上に擦過傷も見事な彼をよってたかって手当てした結果だろう。


「レイルズ様! 灰色狼に味方いたしますの?」

「俺はもともと余所者だからね。そういった差別に加担するつもりはないよ――あなた達が企んだこと、実際にしたことは他ならぬこの俺が知ってる。俺だけじゃない、ジェンドもキャロルも、だ。どうしてもアーシュに罪を着せるなら、俺達はあなたたちが目論んだことを公表する。いくらハーフエルフが罪を犯せば例外なく死刑だろうと、こんな不条理な話はない」


 メリルの制止も聞き入れず、レイルズはアーシュの傍に立って牽制した。


「レイルズ……」

「なんだい? アーシュ」


 無意識に彼を呼んでいたことに、アーシュは焦りつつも暗に自分につくのはやめるよう説得を試みた。


「そんなことしたら、本当にこの街にいられなくなる! 下手をしたら、それ以上のことにだって……!」

「平気さ」

「そんな爽やかに言い切られても! それに二人には……」

「君に協力すると決めた時点で、こうなるかもしれないっていう予想はついていた。覚悟はできてるさ。君を……失いたくないから」


 素面で言い切られたその言葉に、アーシュは何かを言いかけて……彼から視線を外している。

 きめ細やかな白、しかし陶磁器のように冷たい印象を抱かせるその頬は、熟れたりんごよりなお赤く色づいていた。


「あんたね! こんなお坊ちゃん相手に赤くなってんじゃないわよ、あたしより年上のくせに!」


 気のせい、だろうか。レイルズの爆弾発言によって発生した彼の親衛隊による悲鳴で、ベラの声がほとんど聞こえない。

 少なくとも、当のレイルズには届いていなかった。

 顔を真っ赤に染めて押し黙るアーシュの言葉を、辛抱強く待っている。


「………………あの。頭、殴られすぎた?」

「俺は極めて正常だよ」

「き、気持ちは凄く嬉しいんだけど、私あの薬飲んだら、あなたのこと……」

「あたしを無視しないで!」


 ベラの怒鳴り声により、アーシュははっ、と正気を取り戻した。


「そっちがその気なら、こっちはあんたたちも共犯だったことをバラすだけよ。お互い様だった、ってことが判明すればタダじゃすまないわ。それに、あたしたちと知り合って間もないあんたたちにその話が本当かどうか、証明なんかできるかしら? 実際にしたことって言ったけど、私達は話し合うために灰色狼を人気のない場所へ呼び出しただけ。少なくとも私はそう聞いているわ」


 聞いていて腹が立つが、嘘ではない。

 実際彼女はあの場におらず、レイルズの私刑にも加わっていなかった。

 過去のこと、エドのことを除けば確かに彼女がしたことなど、大したことではない。

 アーシュに刺された。その言葉が偽りだと証明できれば、話は別だが。


「さあどうするのかしら、アシュリー・プシュケ・アージェント! 今すぐあんたの持つ地図を差し出せば、すべてを水に流して見逃してあげてもいいわ。それとも警邏隊を――」

「その必要はありませんよ。わざわざ警邏隊に通報しなくても、アーシュさんが無実だということは証明できますから」


 ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。

 エド以上にめんどくさい女を前に、どうしたものかと悩むアーシュだったが、聞き覚えのある男の声に発生源を見た。


「アドルエ先生!」


 一足早く彼の正体を知ったレイルズが声を上げるが、更に彼の眼はいくつかの人影を見つけている。


「ようレイルズ。無事みたいで何よりだ」

「よかった、レイルズ……アーシュも無事で、本当に……」


 安堵するキャロル、彼女の肩を支えるジェンド。

 無事な二人を前に、レイルズはさりげなく――本当にさりげなくアーシュの肩に腕を回して二人に駆け寄った。


「わわっ」

「ありがとう、キャロル。ジェンド、エラは?」

「さっきまでいたんだけどな……家に戻ったみたいだぜ。お前の熱烈な告白を耳にして」


 聞いていた、否、聞かれていたのか。

 確かに、彼に恋する乙女としてあの台詞は酷だろう。

 冷静に受け取るならばどこまでも真摯な彼の本音として受け流すことができるが、彼にその感情がないアーシュとて、それができたのはついさっきだ。

 本当に可哀想なことをしてしまった。最もそれは、レイルズの親衛隊にも当てはまることだけれども。

 彼女らの様子を確認したかった。が、レイルズの腕が肩に回っているこの状況で彼女らの眼を見る勇気はない。


「そうか……どうしたんだろうな」


 例によって、彼はまったくわかっていなかった。

 この鈍感男に泣かされた女達の涙で河ひとつ作れそうだ。

しかし、今はそれを憂えている場合ではない。


「ちょっとごめんね」


 レイルズの手を乱暴にならない程度に剥がし、対峙する二人に向き直る。

 片や街医者、片やトレジャーハンター。

 まさかとは思うが、乱闘にもつれ込んだ際、地に伏すのは前者だ。

 しかしこの後、アーシュの予想とは大幅に違う争いが繰り広げられることになる。

 口火を切ったのはベラだった。


「あら、あなたさっきの……」

「ええ。トゥルー施療院のアドルエと申します。駄目ですよ、包帯を取ってしまっては」

「あ、あら、ごめんなさい。何せ犯人が自分じゃないと言い張って、認めてくれなくて」

「理由になっていませんが、それはこの際置いておきましょう。それで、アーシュさんに刺されたと?」

「そうよ! 流石灰色狼、ハーフエルフにしては珍しい凶暴なトレジャーハンターだわ!あたしが泥棒を追及したら、いきなり刺してきて……」


 彼を自らの味方とするべきか、それとも味方だと思ったのか。

 にこやかに尋ねるアドを前にして、ベラは滑舌よくこれまでの経緯を語ろうとした。

 これは、事によっては彼も敵となるかもしれない。

 彼に解毒薬を預けたアーシュはハラハラしながら二人のやりとりを見守っていたが、事態は思わぬ方向へ進もうとしていた。

 他ならぬ彼の質問が、ベラの口上を止めたのだ。


「それであなたはどうしたんです?」

「ど、どうしたって……」

「逃げなかったのですか? 受けて立とうとしましたか?」

「逃げたわよ! 決まってるじゃない、あたしは刃物持ってるハーフエルフと喧嘩なんかできないんだから……」


 思わぬ追求に驚いてか、ベラの動揺がよく伝わってくる、それを気づかぬ鈍感さは持ち合わせていないだろうに、アドはそ知らぬ顔で追求を続けた。


「そうですか。ところでアーシュさん、人間はどこを刺す、あるいは傷つけたら死ぬと思いますか?」

「……一撃で殺すなら、首とか、胸とか、脳天とか……」

「なるほど。それは覚えているんですね」


 アーシュの言葉を受け、アドは納得したように頷いている。

 その態度が感に触ったのか、ベラはあっさり地を出して彼を問い詰めた。


「それがどうしたって言うのよ! 灰色狼があたしを刺したって事実に関係な」

「大有りですよ。アーシュさんはあなたの殺し方を知っていた。なのに、なぜあなたの腕を狙ったんですか?」

「そ、それは……」

「まだありますよ。あなたはアーシュさんに刺されて逃げたと言った。なのに、どうしてそのような深い傷になっているのですか? 刺されて逃げたのなら、刃はそこまで人体へ潜らない」

「に、逃げる暇なんかなかったのよ! 灰色狼はすばしっこいし、腕を狙ったのは私を怯ませて逃げるため……」

「本当にそうだとしたら、なぜ私が診た際刃は深く突き刺さったままだったのですか? 突発的な痛みであれば、驚いて逃げようとするのが人体の反射です。そしてなぜ、彼女はあなたを怯ませる必要があったのです? アーシュさんがあなたのおっしゃるように凶暴で、なおかつ人間の殺し方を知っているのであれば、あなたにそのような口を叩かれる前に殺しているのでは?」

「……」


 当事者でなければ口を挟む権利、すなわち助太刀どころか突っ込みすらできない弁論である。

 一気に畳みかけられ、ベラは反論の術を失った。唇を噛みしめ、うつむきがちに視線をさまよわせる。


「先生、なんで……」

「これでも医者の端くれですからね。患者をむざむざ死なせるようなことはしませんよ」


 たとえ自分の管轄外でもね、と付け足し、彼はにっこりと微笑んだ。

 第一印象からは想像しがたい、思いの他暖かな笑みである。

 ただし、ベラを追い詰めた弁論もさながら、その笑みにはどこか腹黒いものが見え隠れしていた。


「――私が本当に、あの人を刺してないっていう保証もないのに」

「灰色狼の名は、私も多少ですが聞き及んでいます。確かにその名は不殺で有名ですがね、それはあくまで表面上のものでしょう。いつどこで、どのような恨みつらみを買おうと不思議なことではありませんが、それらすべての処理に不殺を貫いて今日こんにちを生きることは不可能だと思っています」


 灰色狼の人柄にも寄るが、殺人を好む輩でない限り返り討ちではなく撃退を果たすはずだ。

 しかしその襲撃数が半端でなかったら、どんなに穏やかな気性でもわずらわしく思わぬはずがない。

 更に、勝負は時の運という言葉がある。どれだけ実力差が開いていようと、時に状況は強者を弱者へ、弱者を強者へと変えるもの。

 灰色狼を追って消息を絶った者たちは、確かに存在する。全員が全員殺されたわけでもないだろうが、人の命を奪わずして解決できることではなかっただろう、とアドルエは推測している。


「このようなところですから、街中で誰かが刺されればあっという間に噂は広がります。それがないということは早朝か、街の外での話か……いずれにしても人目はなかったでしょうね。それなのに、彼女は生きて刺した本人の前に現れ、堂々となじっている。自分を刺した輩相手にここまで強気に出れる方も珍しいですよ。芝居じゃあるまいし」


 最後の一言は、明らかにベラを言葉の刃でえぐっていた。


「あ、あなたにそれを……自分の弁護をさせるために、灰色狼がわざと私を殺さなかったかもしれないじゃない!」

「そのような受け取り方もできますが、それは私が彼女に買収されていたら、の話では? 自分の情報を収集する輩に嘘だけはつかないでほしい、と頼まれはしましたが、私は彼女から治療費しか受け取っていませんよ。私もまた余所者でしたので、この地域独特の差別意識もありませんし」


 さらりと流され、ベラの顔がますます引きつる。

まるで味方を探すかのように彷徨った瞳が、とある人間を映し出した。


「……むぅっ……」


 これまで大の字になってのびていたエドが、むさ苦しい呻きを上げて眼を開けたのだ。

 ベラはそれに喜ぶどころか、ますます顔をしかめている。ベラは知らないが、灰色狼と交わしたであろう戦闘に関しておかしなことを口走られては困ると考えたのだろうか。

 意識を取り戻したエドは、ゆっくりとその巨体を起こして周囲を見回した。


「ここは……ランベール、か?」

「……エド、ちょっと黙っていて頂戴」


 言葉少なに彼へ口止めをした後、ベラはアーシュに、自分の手を差し出した。

 握手でなく、手のひらを天へ向けている。


「……返しなさいよ」

「?」

「それ、あんたのじゃないんでしょ。返しなさいよ」


 ベラの視線は、未だアーシュの携える小刀に向けられている。

 触れないよう、その手に置こうとして、ばしりと奪い取られた。


「運が良かったわね、半妖精。次はきっと、こうはいかないわ」


 低い声で囁き、アーシュを鋭く睨めつける。

 状況がわからず戸惑うエドを気遣うことなく、ベラは彼女に人差し指を突きつけた。


「覚えてらっしゃい、『灰色狼』アシュリー・プシュケ・アージェント! あんたの持つ地図は、絶対に諦めないわ! 覚悟しておくことね!」


 そう、言い捨てる。そして事情の飲み込めていないエドを引きずり、去っていった。

 残されたのは、困惑と遺恨のみ。


「……今のうちに施療院へどうぞ。解毒剤の鑑定は終わっています」


 囁かれた言葉に一も二もなく頷き、アーシュはレイルズらと共にアドの後に続いた。








 解放の扉が、目の前にある。

 渡された解毒薬を手に、アーシュは無心にアドルエの説明を聞いていた。


「……以上のことから、この薬剤はあなたに投与された毒薬の解毒作用があると見て間違いないと思います」



 アーシュの記憶が戻る。

 そのことに歓喜の雰囲気が現れようとした瞬間、アドルエは殊更平坦な声音で事実を告げた。


「ですが、この薬剤を飲んだ瞬間、記憶を失った当時と同じくして、これまであなたが得た記憶、知識等は失われるものと考えてください」



 誰かの、息が鋭く呑まれる。

 持っていた瓶をそのまま、アーシュは三人と向き直った。

 どの顔も、困惑を隠せていない。キャロルはもちろんのこと、驚いたことにジェンドも同様だった。

レイルズの顔は見ない。

 見れば、きっと説明を聞くうちに固めた決意が、粉々に破壊されてしまうだろうから。


「どうしますか?」

「……使い、ます。飲めば、いいんですよね?」


 途切れてはいるものの、それは遠まわしな別離の宣言だった。


「アー……」

「てめえ! やっぱりあれはその場しのぎの嘘だったのかよ!」


 キャロルが何かを言う前に。ジェンドがアーシュに詰め寄ったかと思うと、その手から瓶を取り上げようとした。

ジェンドの剣幕に、驚きながらもアーシュは薬を近くにあったテーブルへ避難させる。

壮絶に宙を切るかと思われたジェンドの右手は、アーシュの胸倉を掴んで締め上げていた。


「……嘘じゃないよ。あの時は、本当に……本気で、思った」

「あの時は? なら今はどうなんだよ、心変わりしたなら、嘘をついてるのと変わらねえよ!」


 胸倉を掴む手に、力がこもる。

 その手に、そっと自分の手を載せ、怒りか違う感情か、震えるその手を柔らかく包み込んだ。

 手の震えが、止まる。


「心変わりなんか、してない。皆と一緒に、冒険者でいれたら、どんなに、いいか……」


 ゆったりと閉じられた目蓋の中で、空想は走馬灯のように駆け巡った。

 もしも、彼らと共に冒険ができたら。待つのは楽しいことだけではない、苦しいこともきっとある。

 それでも、広場で味わったような孤独に苦しむことだけは、ない。それだけは、断言できる。

 ……でも。

 空想は、否理想は、いつでも現実と対立する。

 アーシュの目蓋が開き、手はゆっくりと外された。

 ジェンドの手から力が抜かれ、ついには掴んでいた胸倉から外れる。


「……私が、ただのハーフエルフなら、きっとそうしていた。皆に甘えることになっていても、依存するような形になってでも、過去を棄てて、今の私であり続けたと思う。だけど」


 今回の騒動で発覚したこと。

 それは、アーシュが灰色狼と綽名される孤高のとレジャーハンターであることだ。

 それが示すのは――


「ああいう、灰色狼に恨みを持つ人間が、彼らだけとは限らない。今はどうにか切り抜けたけど、これから先は多分、そうもいかない。あの二人を含めて灰色狼が色んなところから恨みを買っているなら、本人に責任を果たしてもらわないと」


 灰色狼としての自分を取り戻したい、という意識は欠片もない。

 ただ、彼女が各地で買ったものについて、今の自分が引き受けるには足りないものが多すぎる。

 灰色狼としての記憶は、要る要らないの問題ではない。必然、なのだ。

 そして、それらに立ち向かうために、棄てなければならないのが……彼らの存在だ。


「今回は、たまたま皆命に別状はなかったけど、今度もそうだとは限らない。あの二人は退散してったけど、きっとまた来ると思う。そのとき皆に、何かあったら……耐えられない」


 三人が一様に、それぞれを護れる力があるなら、かまわないのだ。

 自分の面倒を自分で見切れる実力があるなら、自分のせいで狙われるという気後れはあれど、共にいることに問題はない。

 だが、そうではない。彼らはまだ年若い、チームワークを得意とする冒険者たちだ。

 冒険をしていて襲いくる危険は逃れられても、情け容赦ない荒くれの相手は、冷酷非常な暗殺者の相手は、できない。

 短い期間ながら、心を通わせた彼らが死に至ってしまったら。

 その責任はアーシュにあり、その苦しみに耐えることは、おそらくできない。


「……ごめん」


 約束を、キャロル、レイルズの面倒を共に見るという誓いを破ってしまったその謝罪に、ジェンドは言葉もなくぷい、と顔を背けた。

 不満だらけではあるが、アーシュの言葉に反論できない、といった風情だ。


「アーシュ、ゴメン! そもそも私がドジらなければ、あの人たちにばれてこんなことにはならなかったのに……!」

「たとえその時はしのげても、いつかはばれていたことだよ。気にしないで」


 すでに涙声になっているキャロルに、軽く抱擁した。


「思えば、キャロルが襲われてたから、私達出会えたんだよね。キャロルには災難だったろうけど、私は感謝してる。今までよくしてくれて、ありがとう」

「……お礼を言うのは、わたしの方よ……」


 腕を回され、ぎゅっと抱きしめられる。

 つられ涙をこらえ、ぼやけた視界を瞬きで正常に戻した。

 ぽんぽん、と背中を叩き、そっと身を離す。もう一度瞬いて、アーシュはレイルズに向き直った。

 悪いとは知りながら、思わず苦笑する。


「レイルズ……そんな顔しないで。日常に、戻るだけだよ」

「……」


 レイルズは、無言。

 苦笑に応じてくれる気配もなく、アーシュは気まずそうに笑顔をひっこめた。

 視線は、そらさない。この想いを、はっきりと伝えたかったから。


「あのさ、さっき……失いたくない、って言ってくれたよね?」

「……ああ」

「その……すごく、嬉しかった。ありがとう」


 手を出し、握手をしようと近寄る。

 応じる素振りを見せたレイルズだったが、差し出されたアーシュの手を掴むなり、有無を言わさず引き寄せ、抱きしめた。

 ひどく荒々しい抱擁に息がつまりそうになったが、それだけひしひしと、言葉にならない彼の心を感じる。

 腕に背中を回し、そっと胸に耳を寄せた。

 どくどくと、破裂しそうな鼓動の音が、早鐘のように鼓膜を揺らす。

 腕が緩むのを感じて、アーシュは緩やかに、しかし素早くレイルズと体を離した。

 名残惜しいこの刻に、いつまでも甘えているわけにはいかないから。


「……これから先、いつかどこかで……また、会いたいね」


 そのとき自分は、おそらく彼の知る自分でなくなっているだろう。それでも。

 今このとき、彼女はただのアーシュとして、本気でそれを願っていた。


「挨拶はすみましたか?」


 硬直しているキャロル、ジェンドを他所に、アドルエは何事も無かったように佇んでいる。

 頷いたアーシュは、瓶を手に取り、しばし眺めた後でアドルエを見た。


「これは……ここを出てから、飲むことにします。記憶が途切れているなら、私が倒れていたところで飲んだほうが、違和感を覚えないでしょうから」

「それもよろしいのですが、何なら、今まで体験し起こったことを綴ってはいかがですか? 記憶を取り戻したあなたも、自分の字なら納得するでしょう」

「そうしたいのは、山々なんですけど……今、字がよくわからないんです。カマド亭のメニューすらわかりませんでした。教えてもらっても、へにょへにょの筆跡で信じるかどうかはわかりません。多分棄ててしまうと思います」

「そうですか。それは残念」


 アドルエは少し、肩をすくめたかと思うと、椅子のところに置いてあったアーシュの荷を差し出した。

 受け取り、とりあえず瓶を詰めておく。手に持っていて、落としたら大変だ。

 荷袋の口を縛り、背負う。


「……実は、私はハーフエルフの方と会ったのも、お話をするのも今回が初めてです」


 不意に、アドルエはそんなことを呟いて、アーシュに片手を差し出した。


「ハーフエルフは潜在的に凶暴だの、残虐性が強いだの聞いていましたが……やはり個人差というものがあるようですね。勉強になりました」


 合わせたアーシュの手を柔らかく握る。


「またいつか、今度は灰色狼であるあなたと出会えることを楽しみに待っています。……お元気で」


 唐突に離された手に残る暖かみを抱くように、アーシュは握手した手を軽く握った。


「……本当に、色々お世話になりました。先生も、お元気で」


 そろそろ行かなければいけない。

 アーシュをハーフエルフと知った住民たちが、彼らにまで迫害の眼を寄越さぬうちに。


「……それじゃあ」


 荷袋、腰の血桜を確認して、扉を開こうとする。


「アーシュ!」


 押し開けようとした手が、ピタリ、と停止した。出て行こうとした体もまた、止まる。


「……何? レイルズ」

「忘れないから」


 その一言にアーシュはパッ、とレイルズに振り返った。


「……私は、忘れてしまうのに?」

「君が忘れても、俺たちが覚えてる。アーシュの足手まといにならないような冒険者になって、今度は……俺が、君を護るから」

「……」


 ふと、アーシュの唇がほころんだ。微笑むその場から、大粒の涙がひとつ、零れていく。

 笑顔は無理でも、せめて涙は流さない、と思っていたのに。

 どうしてこの人は、こんなにも優しいのだろう。


「……期待、してる」


 それだけを言って、アーシュは扉を開いた。









 待ち受けていた、数え切れない冷たい視線に見送られ。

 アーシュは深森を分け入り、泉のほとりに立っていた。

 ネクタルの水鏡と呼ばれていた、小さな泉。

 今なら何となく思い出せる、目を覚ました直後の記憶。

 泉を覗き込んだ瞬間、アーシュという記憶喪失のハーフエルフは生まれた。

 そして今、彼女は消えようとしている。

 もしかしたら、アドルエの見識が間違っていて、飲み干した瞬間アーシュは死に至るかもしれない。

 飲んだ瞬間に不味くて吐き出すかもしれないし、飲み干したところで何も変わらないかもしれない。

 灰色狼の記憶を取り戻せたとしても、その間の記憶が残っているかもしれない。

 もしそうだったら、どうしようか。

 あの視線をかいくぐって、別離を告げた恥を忍んで、ランベールに戻ろうか?

 定かでない空想……ありえぬであろう事象に、アーシュはいつまでも浸っていた。

 やがてその空想も尽き、アーシュの手が荷袋に伸びる。

 口を開け、間違えることなく、瓶を取り出した。

 ちら、と見やった先には、水鏡の中で瓶に口付けているアーシュがいる。


「……さよなら、かな? また会うことが、できたらいいね」


 アーシュに、そう呟いて。

 彼女は一息に薬を飲み干した。





【END】

お疲れ様です。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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