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35センチの女修羅  作者: 田門 亀之助
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第7話「再挑戦・一回戦」

 ついに出番がやってきた。大事な相棒の復帰戦ともなれば、自分が戦う訳でもないのに思わず緊張してしまう。その固くなった身体で駕籠ケースを試合会場へと運んでいった。

 試合場は古代の闘技場をイメージしてか、高さ70センチ程の壁で仕切られた半径1メートルの円形をしている。もちろん本物の闘技場とは違い選手が怪我をしないよう壁は柔らかいクッションで覆われていた。そして中に人は入れず、セコンドは壁の向こうにケースを置いてそこから選手を外に出す事になっている。

「さ、鏡甲。準備は良いかい?」

「はい……」

 ケースから返ってきた声は緊張の為か少し固かった。鏡甲にとっては前々から待ちに待った試合の筈なのに、今一つ元気と覇気が無い。思えば、家を出る時も憂いのある表情をしていた。やはり、仕上がりに不安があるのだろう。それに加えて、戦う相手の実力や戦法が全くの謎なのだから、彼女が思い悩むのは仕方のない事だと思う。

 ここは何でもいいから彼女を元気付けるような事を言うべきだと、あれこれと掛ける言葉を捜している内に、いつの間にか愛用の槍と共に駕籠から出ていた鏡甲の方から声を掛けられてしまう。

「あの、龍彦。もうケースを戻しても良いですよ」

「あ、ごめん」

 言われてはっとした私は慌てて駕籠を引き上げる。鏡甲は、いつもの鏡甲だった。

「あの、鏡甲。大丈夫?」

 また失敗。はげますつもりだったのに出てきた言葉は不安げな問い掛けだった。何だか自分が情けなくなってくる。

「はい……いえ、正直に言うとまだ思うように動けていません」

「やっぱり、そうなんだ。その、どうする?」

 この場合のどうするとは棄権するか、という意味も含まれていた。

「いえ。事、ここに至っては是非もありません。現状で何とかしてみます」

 そう言って鏡甲は毅然と胸を張る。声にも覚悟のようなものが滲んでいた。もうそこにはいつもの彼女は居らず、狂花と呼ばれていた頃の姿が戻っている風だった。

 私もつられて、よし、と気合いを入れると、彼女と二人闘技場の反対側に居る対戦相手に目を向ける。

 相手の方も粛々と準備を進めている様子だった。紫苑さんもセコンドも、こちらの方は一切見ずにドールのセルフチェックに集中している。お互いに情報を持っていないはずだから、試合前にやる事はそれ位しかないのだろう。

 今も鏡甲に熱視線を向けているギャラリー達とは違い、彼は轟天モデルにも一切興味を示していなかったから、PGドールの外見にはあまり興味が無いのかもしれない。外見にさえこだわらなければ、現状では新型との間に性能差のほとんど無いPG-4型でも十分という事になる。

 どうやら作戦会議も終わったようで、紫苑さんがキャリーケースに戻ってゆく。彼女はずっと手ぶらだったから、恐らく武器を取りに戻ったのだろう。そして、刻々と試合開始時刻が迫る中、先方がケースから得物を取り出した途端、その大きさに驚いてしまった。

「何だ、あれは」

 思わず声が漏れる。それだけ対戦相手の用意した武具は異様だった。ほぼ彼女の全身を覆い隠せる位に大きなタワーシールド。見た感じでは全長が32センチはある物凄く巨大な盾だった。しかも、全体が半透明の素材で出来ており、視界を遮らないように工夫してある上に、青紫に着色された剣のように長い半透明スパイクが無数に取り付けられていた。ルールでは刃の部分は軟質樹脂、武器の柄と盾は身体に当たってもいいようにゴムで作る事に決められているから、この巨大な盾は半透明の特殊合成ゴム製で、スパイク部分は半透明の軟質樹脂製という事になる。

 これは一体武器なのか防具なのか、いや、その両方を兼ねているのだろう。兎にも角にも、今までに見た事も聞いた事も無いような奇想天外な武装にすっかり度肝を抜かれてしまった。

 この時、ふと西山さんとの会話が思い出される。彼もこんな事態がコロセウムでも起こっていると言っていた。対戦相手の情報が無いと随分と対処が難しくなっているようだ。本当に、鏡甲にどんなアドバイスをしたら良いのか見当も付かない。これは実に困った事態だった。

「お、おい。ちょっと……」

 またもや思わず声が漏れる。それは紫苑さんがまたキャリーケースに戻ったからだった。まだ何かあるのだろうか。もう勘弁して欲しい。

 しばらくして、彼女は何やら長い棒を持ってケースから出て来た。長槍かと最初は思ったが、よく見るとどうやら違うようで、それは真ん中で折れ曲がっており、しかも先端の樹脂部分には小さな鎌状の突起が無数に突き出ており、見るからに禍々しい形状をしていた。

「三節棍……いや、二節棍だ」

「二節棍ですか。あの盾といい、これは厄介そうな相手です」

 戦闘経験が豊富な鏡甲でも、さすがにこれでは対処が困難だと判断するしかないのだろう。でもやるしかない。そんな苦悩が彼女の表情にありありと浮かんでいた。私も何とかして彼女をサポートしてやりたいと感じて、色々と思考を巡らせてみる。

 不幸中の幸いといおうか、槍よりも長い二節棍と巨大なタワーシールドの組み合わせから、紫苑さんの取り得る戦法はある程度予測出来た。恐らく大きな盾で敵の攻撃を防ぎながら二節棍で盾越しに攻撃するつもりなのだろう。いかにも景品に興味の無さそうな彼等が試合の撮影を気にせず非公式大会に出場したのは、あらかじめ戦法が分かっていたとしても対処のしようが無いからか、あるいは今日は新戦法の効果をテストする為に来たのかもしれない。

 そうなると、まるでハリネズミのように盾から伸びたスパイクは相手に肉迫されるのを防ぐ為に取り付けてあると考えられる。はっきり言ってこのやり方は邪道だと思うが、リスクの少ない合理的な戦法でもある。ともあれ、彼等は安全地帯から鏡甲を徹底的にアウトレンジするつもりのようだ。

 私はセコンドの意見として、今までの考察を鏡甲に伝える。すると、報告を受けた彼女は何やら小難しい顔で宙を見上げた。コロセウムに於いてはセコンドが試合前や試合中に細かく指示を出すのが普通なのだが、私の場合は事前情報を伝えるだけで試合中の指示は極力しないようにしている。武道に関しては素人である私があれこれ指図するよりも、祥武月影流の技を熟知している鏡甲に任せる方が自然であり、実際に今までは凄まじいまでの戦果を挙げてきた。

「今の話はあくまで予想でしかないから、その、気を付けて」

「はい。でも、龍彦の見立ては私も正しいと思います。難しい相手ですが、後は実際に槍を交えながら対処法を探るしかなさそうです」

「うん。現状、それで行くしかないか」

 私は戦いの場で静かに闘志を燃やしている鏡甲を見て思う。これなら大丈夫だ、と。久々の試合でしかも相手は異様な武器の使い手。そんな状況にもかかわらず彼女は落ち着いており、気合も十分に入っているのが見ている私にも伝わってくる。

 やはり試合は良い。こんなにも凛々しい鏡甲が見られるのだから。

「さて、もうそろそろ紫苑さんの筋力データが表示される筈だ」

 試合開始の5分前になるとリングを見下ろす位置に設置された大型モニターの表示がトーナメント表から対戦者同士の身体データに切り替わる。腕時計で確認すると定時の10秒前だった。

 そして、時間きっかり10秒後に大画面の画像が切り替わり、即座に私は画面上の数値を注視する。この情報も使用武器や戦法と同じ位に重要なデータだった。

 ここで表示されるのは身長と骨格の材質、そしてP筋とS筋の筋肉量比率の三項目となっている。わざわざこのような身体データを試合前に晒す理由は公平さの確保にあった。前に西山さんが言っていたように、対戦相手の情報を事前に得ている方が有利で情報を持たない方が不利になってしまう。これ自体は各オーナー達が払った努力の問題でもありどうしうようもない事なのだが、その事への不公平感を出来るだけ少なくしようとコロセウム運営事務所が配慮をした結果出来上がった制度だった。そういう事情があっても彼女達の身体データを軽々しく扱う事は出来ない為、相手を知る上でとても重要になる設定を厳選して、結局この三つに絞り込まれたのだ。

「うーん。これは……」

 画面に映る紫苑さんの各数値を一瞥して独り言ちる。相手の身体データを分析するのはセコンドたる私の役割だった。

 鈴蘭さんの身長は37センチで鏡甲よりもかなり背が高い。普通の格闘技では背の高い方が有利とされるが、筋肉量に制限のあるPGドールだとそうとはかぎらない。背が高いと間合いが広くなるものの攻撃の当たる部分も広くなるし、骨や皮膚の量も多くなって出力重量比の数値が悪化してしまうからだ。そういう理由もあって特にこだわりが無ければ背丈を低く設定する人は多いらしい。だから、復帰初戦で対戦する相手が鏡甲よりも背が高いというのは驚きだった。

 一方で骨の材質についても扱う武器同様に異様だった。彼女のフレームは下半身がスチール製で上半身がABS樹脂製。一体全体、上半身と下半身とで素材を分ける理由が私には見当も付かない。特性からいえば鉄は固くて重く、プラスチックは強度で劣るが軽い、この組み合わせに何か意味があるのだろうか。

 最後に筋肉の比率。こちらはもう考える必要が無い位に明瞭といえる。筋肉比は驚愕のP筋85%にS筋15%。普通なら片方を80%以上の数値する人はまず居ない。この極端な比率は彼女が圧倒的な膂力で押し切るパワーファイターの典型という事実を示していた。幸いな事に鏡甲が最も得意とするタイプでもある。相手がここまで鈍重なら攻略法は直ぐに見つかるかもしれない。

「鏡甲。相手は動きの鈍いパワー重視タイプみたいだよ」

「えぇ。それならば、当初は動きながら相手の隙を突く事に専念してみます」

「うん、そうだね。でも、まだ相手がどんな戦い方をしれくるか分からないから、くれぐれも慎重にね。こういう遅い相手なら大技に行くよりも小さなポイントを積み重ねた方が効果的だからね」

「はい。心得ています、龍彦」

 これは釈迦に説法だったか。私の言った通り、動きの遅い相手は大技で迎え撃つよりも距離を置いて速くて浅い攻撃で少しづつポイントを稼ぐ方が安全かつ有効だった。試合には制限時間があり、鈍い相手はポイント差が付けば付くほどにあせって動きがより大味になる。そうなればもう勝ったも同然だった。ただ、やはり脅威なのはあの異様な武器防具の組み合わせだろう。私たちの思惑通りに事が運べば良いのだが。

【試合開始一分前です。選手はリング中央へ。セコンドは着席して下さい】

 ついに時間が来てしまった。私は携帯のカメラをビデオモードにして駕籠ケースの上に置き、セコンドのアドバイスが必要になった時に備えてイヤホン型の無線機を耳に掛ける。試合でPGドールとの連絡に使うこの無線機は大会の主催者側から借りる事も出来るのだが、頻繁に使うベテランのオーナーならば皆マイ無線機を所有していた。

 さて、これまでに全ての準備は終了している。後は鏡甲を信じて試合の経過を見守る事にしよう。

――――

【では、一回戦第七試合……始めっ!】

 戦闘開始を告げるアナウンスと共に両者武器を構える。もし相手が速度重視の設定だったら開始と同時に突っ込んで来るのだろう。しかし、S筋が少ない上に巨大な武具と重い骨格を持つ紫苑さんは独特のスパイクタワーシールドを揺らしてじわりと距離を詰めてくる。対する鏡甲も受けの姿勢で静かに敵の様子を見定めつつにじり寄っていた。

 そして、互いの距離が30センチ程に縮まった所で、待っていたかのように相手の動きが変わる。紫苑さんは盾に隠れたまま右手に持った二節棍を大きく降り始めたのだ。真ん中の節を境にヘリのローターさながらの動きでブンブンと振り回す。武器の柄はゴムで作るよう定められているから、回転する度にしなっていった。こうする事で遠心力が加わり、棍を振り下ろす際のスピードが格段に上昇する。恐らく、これは動きの遅さをカバーする為の工夫であろう。しかも、普通なら胴全体が隙だらけになる筈なのに、無数の棘が生えた大盾のおかげでまるで隙が無い。全く以って敵ながら天晴れの戦法だった。

 それにしても、武器自体は珍しいものの、こういう遠心力を利用した武器の使い手なら覚えがある。その使い手こそは西山さんのパートナーである飛毬ちゃんだった。彼女の得物は、柄の先に付いた鎖鉄球を振り回して攻撃するメイスという名の打撃武器に酷似しており、鎖が異様に長く柄の部分が槍のように長いという部分がメイスとは違っていた。西山さんの解説では西洋の武具であるメイスとフレイルの利点を組み合わせたオリジナル武器、その名も『飛毬ちゃんハンマー』との事だった。材質は軟質樹脂に置き換えられていても、球の付いた鎖というのは厄介なもので、その変幻自在な動きには随分と悩まされたものだ。

 さて、今対峙している紫苑さんの二節棍は、武器の可動部位が鎖ではなく柄になっているからフレイルに比べると随分と単調に思える。フレイル使いとの対戦経験がある分、これなら鏡甲にも対応は可能だろう、と、考えていたのだが、壁のような盾の奥で空を裂く二節棍には迫力と威圧感があり、容易に近付けるような雰囲気ではなかった。

 きっと鏡甲も困っている筈。何か良いアドバイスは無いのだろうか。

 相手の取り得る戦法は事前に伝えてはいた。しかし、実際には想像以上に厄介な代物だった。私は有効な対策が思い浮かばずに思わず歯噛みをしてしまう。そんな折、それは起こった。

 二節棍を竜巻のように勢い良く振り回していた紫苑さんが、突如、本当に突如として棘付き盾を前面に立てて突進してきたのだ。二節棍からの攻撃を警戒していたであろう鏡甲は慌てて真横に飛んで何とか回避をした。明らかに反応が遅れた事による緊急回避で、上手く受け身は取って膝立ちの姿勢になったものの、完全に姿勢を崩されてしまった。

 正に絶体絶命、かと思われたが、攻撃を外した方も勢いを殺して旋回した時には随分と距離が離れてしまっていた。これは、奇襲的な戦法なのだろう。相手が攻撃をかわす事は想定していないのか、それとも当たればラッキー程度の心持ちだったのか、どちらにせよ連続攻撃に繋げる気は全く無い様子だった。

 まさかあんな馬鹿でかい盾を攻撃に利用するとは。スパイクが付いているとはいえ、あまりにも大きくて重そうな盾だったから防御以外に使うなんて想像も出来なかった。鏡甲も完全に虚を衝かれた格好で、もしも、S筋の割合がもう少し高かったら避け切れなかったかもしれない。これからはこんな攻撃にも警戒しなければならないのだから、鏡甲の心労は察するに余りある、と、感じて目を遣ると、槍を杖にして立ち上がった彼女は恐ろしい程に落ち着いていた。恥ずかしながら忘れていた。戦いの渦中に在る時の彼女は、相手がどんなに強くても常に冷静で常に全力を尽くす戦い方をする武人だという事を。

 先程の奇襲により相手との位置が入れ替わってしまい、今は紫苑さんの背中が丸見えの状態になっている。正面から見るとまるで隙が見当たらないのに、こうして後ろから見ると隙だらけだ。幸いこの娘の動きは遅い。だから後ろにさえ回り込めば勝機はあるように思えた。直ぐに、いや、無理だろう、と考え直す。いくら動きが遅くとも、動く敵に盾を向ける事は簡単に出来る。紫苑さんはただ身を翻して盾の位置を変えるだけで良いのだ。

 そして、再び二節棍の回転が始まる。また同じ手で来るつもりだろうか、それとも……。棍か、盾か、息を呑む瞬間だった。

 意外にも、先に動いたの今まで慎重に距離を取っていた鏡甲の方だった。彼女は横一字に槍を大盾に打ち付ける。右に、左にと高速で切り返すも、受ける相手は微動だにしない。強打で敵をよろめかせる、今までならば有効な戦法だった。槍の速度からいって鏡甲は全力を出しているのは明らかだった。しかし、攻撃を全て受け止めている紫苑さんは足に根が生えているかのように姿勢を保っていた。

 対手がいくら攻撃を受けても不動の理由は一つしかない。その正体は、重さ、である。彼女のオーナーが下半身の骨格をわざわざ重い鉄製にしていたのには、こういう意図があったのだろう。徹底的にスピードを犠牲にして重戦車のようにパワーで押し切る。これはかなり割り切った選択なのだと思う。当然、利点も多いが同じ位に欠点も多い。これだけ重いと一度全力で動くと制動が利かなくなってしまう。その為に、先程は折角奇襲で相手の体制を崩したのに追い討ちを掛けられなかった。

 紫苑さん達もその弱点は熟知しているのだろう。今度は頭上で大回転させていた二節棍による攻撃を始めた。

 使用武具が判明した当初からの予想通り、彼等が得物に二節棍を選んだ理由は大盾に隠れながらの打撃が可能だからだった。紫苑さんは盾を内側から思い切り叩くようにして二節棍を振る。すると、棍が盾に当たり節の部分からくの字に折れ曲がって先端が鏡甲へと襲い掛かった。二節棍の先端部分からは無数の小鎌が生えており、そこに当たってしまうとポイントを取られてしまう。

 対する鏡甲は慌てる事無く、槍で受けて横にいなす。その際、若干足がぐらついたが、直ぐに姿勢を立て直してバックステップで距離を取る。一連の動きは鍛錬の時と同様の冷静な立ち回りに思えた。しかし、身体のバランスがおかしいのか、安定性に欠ける感じがする。やはり、彼女の言うように本調子では無いのだろう。この大会が終わったら徹底的に原因を究明しなければ。

 鏡甲は相手の動きに合わせるのが非常に上手い。そして、一度技を見切ってしまうともう同じ攻撃は通用しなくなる。その証拠に二撃目以降は槍で受ける事すらせずに、ひらひらと体の動きだけで二節棍をかわし切っていた。紫苑さんの攻撃は大味で予備動作も大きい。しかし、遠心力で加速した棍による一撃はかなりの高速になっている。それを鏡甲は苦も無く対処し続けていた。動き自体もバランスの悪さを考慮に入れて微調整をしているのだろう。まるで落ち葉の舞うような軽やかな動きで敵の打撃を次々と紙一重でかわしていく。この鮮やかな身のこなしこそが、もしかすると古武術である祥武月影流の極意なのかもしれない。

 縦、横、斜め、と敵も右手の回る範囲であらゆる角度から打って来る。しかし、鏡甲が見切ってしまった以上、最早二節棍による攻撃は当たらない。ただ、こちらも攻め手を欠いているのは確かだった。何とかあの大盾の向こうに居る相手を攻撃しないとこの膠着状態は続くばかりだ。

 そんな折、いつものようにするりと棍を避けていた鏡甲がようやく攻撃に移る。彼女が狙ったのは紫苑さんの足元。丁度、横薙ぎの一撃を身を屈めてかわすのと同時に、2センチ程の床と盾の隙間目掛けて槍を振るった。しかし、相手は直ぐに大盾を地面に落としてこれを防ぐ。的確で素早い反応。少し焦りが見え始めていた紫苑さんだが、場数を踏んでいるのか意外に冷静だった。

 鏡甲も何とか突破口を、と探りながら戦っているのだろう。これ以降は攻撃をかわしつつ槍を繰り出す戦法に変わっていた。しかし、大盾は一向に揺るがない。私は彼女の立ち回り見ていて不安を掻き立てられてしまう。槍が届く、という事は目と鼻の先に盾から剣山のように伸びたスパイクがある、という事なのだから。

 これはさすがに近付きすぎる。注意喚起をするかどうか、私がハラハラしながら迷っていると、警戒していた相手もさすがに好機と判断したようで、スパイクシールドを前面にした突進を繰り出して来た。

 危ないっ、と思わず叫びそうになる。しかし、鏡甲は慌てる様子も無く、対手の右前方に躍り出るようにして避けていた。盾のスパイクとは正に紙一重の距離で、回避がコンマ数秒遅れていたら敵にポイントが付いていただろう。何とも心臓に悪い避け方だ。と思っていたらしっかりとポイントが付いていた、何故か鏡甲の方に。目を瞬かせてもう一度ポイントの表示されている中央の大モニターを見ても、こちらに付いたポイント数は変わらい。

 私はどういう事かと慌てて動画を追っかけ再生する。そして、原因が分かった時、私は何とも言えないような溜め息を漏らしていた。

 鏡甲はスパイクを避けるのと同時に、凄まじい速さで相手の横っ腹に一撃を加えていたのだ。どうりで、最初の突撃は真横に飛んでかわしたのに、次の二撃目では間一髪のタイミングで敵の斜め前方に飛び込んで避けていた訳だ。これは最初から回避と同時に攻撃する事を意図していたに違いない。

 それにしても速い攻撃だった。身体が新型に替わって筋力と処理速度が上がった故だろう、目視が困難な程に速い薙ぎ払いは旧型には出来ない芸当だった。

 これで、かなり有利になった。試合なのだから当然制限時間がある。そして、隠し玉が無ければ敵方に有効な攻撃手段はもう残っていまかった。紫苑さんの主な戦法は全て鏡甲が見切っている。後は時間が来るまで鈍重な相手から距離を取り続けていれば良い。

 いやいや。武道に通じた鏡甲がそんな勝ち方を選ぶだろうか。私の知っている彼女ならきっと……。

「あぁ、やっぱり」

 そんな言葉がつい口から漏れる。鏡甲は槍を構えて相手の間合いに踏み込んでいったからだ。紫苑さんにとっても意外だったらしく表情が苦渋から驚愕へと変わり、直ぐに好機とみて顔付きが引き締まった。オーナーの方もメガネをくいと持ち上げてほくそ笑み、何やら指示を出している。多分、相手方は止めを刺せると踏んだ鏡甲の判断を傲慢と取りながらも歓迎しているのだろう。もしかしたらバカだと思っているのかもしれない。単に彼女の矜持がそうさせているだけなのだが。

 紫苑さんにも今までの攻撃は通用しないと分かっているから、当然、また戦法を変えてきた。今度は小刻みな動きで積極的に盾のスパイクを牽制やフェイントに使いつつ棍による打撃を加えてゆく。さすがに、もう突進をする気は無いのだろうが、槍を盾で受けた直後に大きく一歩前に踏み出すだけで、スパイクが間近に迫って大きな脅威となる。今までこれをしなかったという事は咄嗟に思い付いた作戦なのだろう。しかし、当方にとってはまことに厄介な代物で、これこそがスパイクタワーシールド運用の完成形に思えた。

 もう相手には油断も隙も無い。さて、鏡甲はどうするのか。

 果たして、鏡甲の取った選択は足元に開いた隙間への攻撃だった。盾と床の間を槍で払う方法はもう完璧に防がれている。あえて今さら同じ事を繰り返すのは、あるいは足元に注意を向けさせる為のフェイントなのだろうか。

 対する紫苑さんも相手の狙いに意を払わずに前と全く同じ方法であっさりと防ぐ。その、大盾が地面に落ちた瞬間、鏡甲の身体が二節棍を掻い潜って敵の右前方に跳ねた。やはり彼女は冷静だ。普通なら相手の武器は右手持ちなのだから左から回り込めば比較的安全に思える。しかし盾は左持ちなのだから左方向への対応は素早く行えるし、右方向だと槍の二倍位に長い二節棍が邪魔になって対応がどうしても遅れてしまう。それを彼女はとっくに見抜いていたのだ。

 もう、勝敗は決していた。紫苑さんが落とした盾を引き上げて振り向いている間に、後方に回り込んだ鏡甲が首への致命打を叩き込んだのだ。急所への攻撃が一番ポイントが高く、たったの一撃で勝利ポイント数に達する。だから、どんなに手足を切ってポイントを稼いでも一発逆転が可能なシステムとなっていた。

 試合終了を知らせるブザーが鳴り、鏡甲は浮かれたりせずに槍の構えを解いて紫苑さんへと一礼をする。よほど意外だったのか相手も慌てたようにしてぺこりと返礼した。

 戦いを終えてこちらに向かってくる鏡甲の顔はとても涼しげで、かつ充足感に満ちていた。本当に久々の勝利の味。もっとあからさまに喜んでもいいとは思うのだが、これはこれで彼女の精神が表れていて良いとも思う。何はともあれ、やっぱり鏡甲は強い。そして、身体のバランスが悪いという改善すべき欠陥と今でも十分以上に業前が通用するという事実、この二つが確認出来たのは大きな収穫だった。

「お疲れ様。どうだった? 久々の試合は」

「えぇ、そうですね。勝てはしましたが、やっぱり調子が出ません」

 そう応えた鏡甲は、勝ったのに何だかもどかしそうだ。

「うーん。見た感じ、少し身体のバランスが悪いみたいだ。試合でも立ち回りでふらついていたしね」

「龍彦にもそう見えましたか。何だか一旦動くと姿勢の制御が思うようにいきません。本調子であれば、ここまで苦戦する相手では無かったのですが」

 かなり強気な発言なれど、彼我を冷静に見極める彼女が言うのならその通りなのだろう。

「いやいや。実際あの独特な棍と盾はかなり厄介だったんじゃないかな。今後運用法を研究して改良なんかされたら侮れない相手になると思うよ」

「そうだとしても、元の状態にさえ戻れば遅い相手には負けないと思います」

「元の状態か。そうだね。早くバランスを直さないと」

 鏡甲の言う、元の状態、という言葉が心に引っ掛かる。新しい身体に変わって筋肉の出力やパーツの重量なんかが色々と変わっているから、今度は出力と重量の比率を前の身体に近くなるように調整してみようか。

 そこまで考えてふと前を見ると、試合場の反対側に居る紫苑さんとオーナーが反省会なのだろう真剣に打ち合わせをしている。鈴蘭さんの方は悔しそうにうつむき、オーナーの方は何だかさばさばとした、悔しくも悲しくもないといった風の表情をしていた。正に計画通りとでも言いたげな彼の様子を見るに、やはり、今日は新しい武器と戦法を実戦で試す為に来たのだと思う。次に会う時はきっと問題点を洗い出して解消しているに違いない。

「さ、次の試合が始まるからもう行こうか」

「はい」

 鏡甲は闘技場の中央に一礼してケースへと戻ってゆく。これも師匠の教えなのだろう。どこに行っても礼儀にこだわる様は彼女の生真面目さを表していた。

 トーナメント表によると、次の試合の勝者が二回戦の対戦相手となる。さて、一体どんな選手が出てくるのやら。幸い、二回戦以降は事前に相手の情報が取れるのだから、これから鏡甲としっかり試合を注視しようと思う。

 とりあえずの初戦突破にひとつ溜息をついてケースをそっと肩に掛けた所で、鏡甲の勝利を告げていた大モニターの表示が切り替わってトーナメントの表示に戻った。もちろん情報は最新の物に更新されていて、白かった紫苑さんの名前が灰色に変わり、鏡甲の名前から出ている赤い線が二回戦の所まで伸びていた。その横にある次の一回戦第八試合ブロックには対戦する両出場者の名前が表示されている。鏡甲の勝ち残りも決まった事だし、せっかくだから改めて次の対戦相手がどんな名前なのかを確認する事にした。

 鏡甲の直ぐ隣に書かれている名は『マリア』そしてもう片方の名は『雲雀ひばり』だった。

 マリア、か、と心の中で独り言ちる。去年にPGドール社が命名ランキングという物を公表した事がある。結果は第一位が『アリス』そして第二位がこのマリアという名前だった。一位が全体の8%を占め二位が4%。これには『魔理亜』等の当て字も含まれているものの、それにしても多い割合だ。

 アリスやマリアという名前に特別な思い入れがあるならまだしも、そうじゃないとすれば何とも安易なネーミングと云わざるを得ない。彼女達にとっては自己の存在を示す大切な物なのだから、もっと熟考を重ねても良いように思う。

 それに運用上の問題もある。例えばコロセウムで参加者に同名の者が多いと混乱を招く事がある。PG-2型の登場によって新規ユーザーが増えてからは、アリスVSアリス、マリアVSマリアといったカードを何度か見るようになり、それは法案通過後の所有者減少まで続いた。単なる思い付きかもしれないが、大会運営も兼ねるPGドール社が名前ランキング公表に踏み切ったのは、新規の再増加によって以前と全く同じ事態が起きているからなのかもしれない。

 斯く言う私には、鏡甲という名前にはかなりの思い入れがある。私は今も昔もSF小説が大好きで、少年時代に読んだ作品に対レーザー兵器用の鏡面処理を施した装甲を持つ航宙巡洋戦艦が登場していた。その小説の表紙絵に描かれた主人公が艦長を務める独立巡洋艦隊旗艦『ヘラクレス』の格好良さに若かりし頃の私はすっかり惚れ込んでしまい、いつか命名する時が来たらこの艦にちなんだ強そうな名前にしようと心に決めていたのだ。そして、私は、誕生した大切なパートナーに鏡甲という名前を贈った。

 もう片方の雲雀という名前は実在の鳥から取ったか、国民的歌姫から取ったと思われる。

 雲雀というのはとても臆病な鳥で、猛禽を避ける為に雲の中に入って鳴く事から雲雀という名が付けられたらしい。命名にはこうなって欲しいという願いが込められる事も多い。コロセウムで戦うのなら鳥と同じく臆病になってしまうと困るから、やはり歌姫から名前を頂戴したのだろう。


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