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35センチの女修羅  作者: 田門 亀之助
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第5話「再開」

 帰宅後、鏡甲は袴に着替えると早速に日課の鍛錬を開始した。いつもは整然とした動作、しかし、今日は傍から見ても少し違和感がある様子だった。やはり、まだ新しい身体には全然馴染めていない。今までとは出力自体が段違いだし、まだP筋とS筋の比率も未調整なのだから致し方無い。

「鏡甲。新しい身体の具合はどうかな?」

「え? あ、その、あまり今まで通りに動けていません。どうやら力が強すぎて振り回されているのだと思います」

 さすがに、本人の感想は的確だ。それでも、PG-5型のパワーとスピードには早く慣れた方が良いと思う。

「試合では相手も最大限まで筋肉を入れてくるから、筋力自体には早く慣れないとね」

「はい。龍彦の言う事ももっともです。頑張ってみます」

 そう言って真面目な顔でうなずく。

「うん。それに、P筋とS筋の調整も早めにしないと」

「えっと、それは、ある程度筋力に慣れてからでないと、適正な割合は分からないと思います」

「なるほど。まぁ、調整なら何度でも出来るから、気の済むまでやろう。大会にさえ間に合えば良いんだしさ」

「いえ。お金の掛かる事ですから、調整値は厳選してからの方が」

「鏡甲。そういう事は気にしなくて良いんだよ」

 私は穏やかな声色でそう告げる。そして、彼女の気遣いが嬉しくなってつい人差し指の先で頭を撫でてしまう。指に触れる新しい毛髪はとてもなめらかで艶だけでなく触り心地も最高だった。

「あっ、あの、そう言ってもらえると嬉しいです。やっぱり龍彦は優しい……」

 今まで何度となく撫でている筈なのに、新感覚の威力か、鏡甲の反応は今までとは少し違っていた。

 鏡甲は頬をほんのりと桜色に染めて嬉しそうに微笑んでいた。顔色の変化も繊細な表情の変化も、旧型では到底出来ない芸当だった。新型に替わって本当に感情表現が豊かになったと思う。

「龍彦。撫でてもらって、その、嬉しいのに、何か変な気分です」

 調子に乗ってしばらく撫でていると、彼女は胸を揺らしていた時と同様に、顔全体を赤面させて目を潤ませてゆく。何か、こう、鏡甲にそんな顔をされると、こちらの方も妙な気分になってきてしまう。

「さて、今日は色々あって疲れたからもう寝るよ。鏡甲も鍛錬は早めに切り上げて早めに休むんだ方が良いよ」

「はい、そうします。お休みなさい龍彦」

「うん。お休み」

 私は気持ちを切り替えるべくわざと明るく言って寝室に向かう。後ろからは引き続きゴムの槍が連続で空を裂く音が聞こえていた。

 人間は六時間前後の睡眠時間が必要だが、彼女達PGドールには睡眠の必要は無い。その代わり、夜間には記憶の最適化と充電を行う。まだ準備は出来ていないが、今後はこれらに加えて脳内のバックアップも同時に取るようになる。

 記憶の整理中はシステムが休止状態になるから、この作業を彼女にとっての睡眠と言い替えても良いのかもしれない。


 翌朝、目覚まし時計に起こされて眠気を引きずりながら居間に出ると、稽古着姿の先客が日課の朝稽古を行っていた。昨日は何時までやっていたのか分からないが、動き自体は昨夜と変わらないように見える。

「鏡甲、おはよう」

「あ、おはようございます」

 鏡甲は挨拶を受けて動きを止めると、私に正対して槍を立ててからぺこりと頭を下げる。武道を習い始めてからの彼女はいつも礼儀正しく、挨拶で礼を失する事が無い。これも師匠の指導が良いからだろう。探すのに苦労もしたが、人格に優れた良師にめぐり合えたのは非常に幸運だったと思う。

 さて、朝の挨拶も済んだ事だし、次は新しい身体に保護剤を塗ってやろうかと準備を始める。新品の状態でも塗ってはあるのだろうが、保護剤のグレードも塗られた時期も分からない為、一応塗り直す必要があった。PG-5型の人工皮膚に対応した皮膚保護剤は高グレードの物をすでに買い求めてある。後は、いつものように直に塗るだけだ。

 保護剤の説明書には三日に一度位の頻度で塗るように推奨されていた。これは旧型の物と変わらない。恐らく一度塗れば一週間は持つのだろうが、確実に品質を保証出来る期間が三日なのだろう。だから私は指示通りに塗布する事を今までずっと続けてきた。

「さ、鏡甲。保護剤を塗るからこっちにおいで」

「……は、はい」

 またいつもと違う反応。今まで鏡甲は何の躊躇もなく応じていたのに、今日はやけに戸惑っている感じがする。それでも、結局は意を決したようにして足元まで駆け寄ってきた。

「よし。上げるぞ」

 鏡甲の態度に若干の疑問を抱きつつも、私は彼女をテーブルに上げるべく手を伸ばす。この時も今まで通り両手を脇の下に差し入れて胴をつかんだのだが、丁度柔らかくて張りのある胸に指が掛かってしまい、その感触に驚いて咄嗟に手を離してしまう。

「ひゃうんっ!」

 と、同時に聞こえてきたのは鏡甲の素っ頓狂な声だった。

「あっ、ごめん鏡甲」

「い、いえ。私は大丈夫です。どうか続けて下さい」

「あ、うん。分かった」

 今度は慎重に胸を避けて胴体を掴む。鏡甲は健気にも両腕を水平に伸ばして固く目をつむっていた。よく見ると身体が小刻みに震えている。こういう姿を見てしまうと、どうにも気が引けてしまうのだが、ここで止めてしまう訳にもいかない。身体は全体的に前よりも随分と柔らかくなっていて掴みにくく、何とかバッテリーを保護する肋骨を頼りにして持ち上げる。それにしても不安定でおっかない。これは、持ち上げ専用のケースを用意する必要があるだろう。

 彼女を無事テーブルの上に乗せると、ほっと安堵の溜息が漏れる。それは相手も同じだったようで、台に足を着けて私の手から開放されると、強張っていた手足からふっと脱力して肩を落としていた。

 ここまで来るのに普段の倍以上に疲れてしまった。やはり彼女の様子はおかしい。明らかに身体を最新型に換えた影響なのだろうが、今さら旧型に戻す事も出来ないのでこれはもう慣れるしかない。

「さ、鏡甲。準備して」

「は、はい……」

 もちろん保護剤は服の上からは塗れない。だから作業をする時は衣服を全て脱いでもらわなければならないし、いつもそうしていた。普段の彼女なら直ぐに袴を脱いで堂々と仁王立ちをしていたのに、今日はやけに思い切りが悪い。それに、顔が真っ赤だ。ここに来て私は初めて彼女が羞恥に悶えているのではないかという事に気づいた。

 新しい頭脳ユニット。その高性能が鏡甲の感情をより豊かにしているのだろう。今までは容量に限りがあって切り捨てられていた経験や情緒を全て受容しているのだとすれば、彼女の急激な変化にも説明が付けられる。それに、もしかすると、他人に裸を見られるのは恥ずかしい、という常識的な感情がデフォルトで組み込まれているのかも知れない。

 それにしても参った。こうなるともう内面は年頃の少女と大差無いように思える。今まで心の底に根強くあった人形の延長という固定観念を完全に捨てなければならないようだ。これからはもっと相応の配慮をしなけらばならない、と、思うのだが、このままでは保護剤が塗れない。対策は今後練るとして、今日だけは何とか我慢してもらうしかないだろう。

 そんな事を考えながら待っていると、鏡甲も観念したように衣服を脱ぎ始めた。稽古着の袴が、するすると小さな衣擦れの音と共に足元に落ちてゆく。豊満で形の良い胸にくびれた腰、そこから流れるようなヒップライン。相変わらず美しい身体だ。最早、轟天氏のゴッドハンドが生み出した芸術と言っても良い。

 そして、昨日買ったブラとショーツの下着姿になった鏡甲は逃げるように液晶モニターの裏に回ってしまった。

「龍彦。準備、終わり、ました……」

「う、うん」

 言いながら鏡甲がモニターの陰からそろそろと姿を現す。準備完了という割には、かたくなに右腕で胸を、左手で股間を隠している。そして、うつむき加減の顔は哀れなほど真っ赤になっていた。私は彼女が覚悟を決めるのを待ちながら保護剤の用意を始める。容量50mlサイズの小瓶と職人の手による平筆、この二つを棚から出して準備は完了した。

 彼女次第でいつでも作業に移れるようにしてからじっと待つ。もうこうなったら鏡甲に自分で塗ってもらおう、との思いが頭をよぎるが、自分では手の届かない所があるし、部位によって厚く塗ったり薄く塗ったりとムラの出てしまう可能性があるので何とか避けたかった。でも、彼女がどうしても嫌だと云うのなら無理強いは出来ない。その時が来たら今日の所は自分で塗ってもらって明日対策を立てる事にしよう。生活支援ツールに都合の良い品が何かあるかのしれない。

 さらにしばらく待っていると、彼女は申し訳なさそうな顔で胸を覆っている右腕を下げて股間に添える。まさか性器の部位まで忠実に再現されているとは思えないが、今一番見られたくないのはそこらしい。恐らくこれが鏡甲の精一杯なのだろう。その隠している秘部だけは自分で塗ってもらう事にして、私は筆が届く部分を全て塗る事にした。

「よし。もうそのままで良いよ。じゃあ、作業を始めるね」

「は、はい。ごめんなさい龍彦。自分でも何でこんな気持ちになるのか分かりません。不合理です」

 年頃の少女らしい心情を不合理とは、いかにも鏡甲らしい。でも、せっかくの情緒を嫌悪されるのは後々にとって良くない。ここは、解説が必要だろう。

「いや、それで良いんだ鏡甲。今の気持ちが多分、恥ずかしい、という感情なんだと思うよ」

「これが、そうなのですか? でも、身体は上手く動かないし保護剤は塗れないしで、全く良い事が無いのですが」

「それでも、人間にとっては当たり前で大切な感情なんだ。だから、今の鏡甲は以前よりも随分と人間らしくなっていると思うよ」

「そう、なのですか。そう言ってもらえると嬉しいです」

 今まで羞恥に戸惑ってきた鏡甲はやっと嬉しそうに微笑んでくれた。新型に換わってから見せるようになったこの笑顔は本当に素晴らしく、見ているとこっちまで嬉しくなってしまう。

「さ、じゃあやるよ」

「はい……」

 私の宣言に彼女は生真面目な面持ちで応じる。先程は柔らかな笑みを見せていたが、緊張のせいか一転して今の表情は固い。この変化の素早さと多彩さは最新型の真骨頂といえる。

 さてと意を決し、平筆を薬液に浸けて額の方に伸ばす。塗りは刷毛斑が出ないように上から下へと塗ってゆく事にしていた。そして、冷たい毛先が額に触れた途端。

「ひゃん!」

 やはりと言うか何と言うか、鏡甲は未知の感覚に驚いたような声を上げる。筆で肌を撫でられるのがどんな感じなのかは彼女の反応から想像するしかない。ともあれ、この作業が終わる頃にはきっと慣れてくれている、と祈るように信じるしかなかった。先は長い。今は、無我の境地で進めよう。

 固く目を閉じて、プルプルと小刻みに震えながら、かつてない異常感覚に耐えている鏡甲の柔肌に黙々と保護剤を塗り続ける。助かる事に、彼女がじっとしているおかげで作業の方はスムーズに進行していった。

 そして、顔が終わり、肩が終わり、片方の腕を交互に上げてもらいながら両腕を終わらせた。次は遂にそびえ立つ巨乳に取り掛かる。彼女が見るからに緊張している一方で、私の方も妙に緊張してしまい固い唾を飲み込んでしまう。いかん、無我の境地、無我の境地だ。

 見事な双丘へと伸びる筆も私の心情を写してか微妙に震えている。そして、筆の先が鎖骨の辺りに着地、そこから坂をなだらかに下ってゆく。行き着く先の頂上を過ぎれば、後はアンダーバストまで一気に。そう思って筆を進めていた。

 だがしかし、頂点にそびえる桃色の突起は胸肉よりも若干固いらしく、進行途中で筆に引っ掛かってしまい、結果、巨乳が盛大に揺れてしまった。

「あひゃうんっ!!」

 瞬間、彼女の上げた声は叫びに近かった。私の方も自らの失態に慌てて筆を引く。

 鏡甲は顔を赤熱させて両腕で胸を抱え込んでしまった。思わず出た咄嗟の行為なのだろう、そのせいで今度はかたくなに隠してきた股間があらわになっていたのだ。これは、何という事だろうか。まさか、ここまで忠実に再現するとは。一体PGドール社の情熱には果てが無いのだろうか。

 彼女もその事に気付いたようで、素早く右手を股間に戻し、真っ赤になりながらも探るような目を私に向けてくる。

「あの……見ましたか?」

「ん? 何を?」

「あ、いえ、それならいいです」

 私は瓶に筆を入れながら内心の動揺を隠して聞き返す。この反応に鏡甲は安堵したような表情になって姿勢を正した。私も上手く疑念を逸らす事が出来て胸を撫で下ろす。演技はあまり得意ではないが彼女に悟られずに済んで良かった。時にはこういう気遣いに基づいた嘘も必要だろう。正直に言って変に居直られても困るし、第一、私は彼女が少女のように恥じらう姿も大切なのだと思い直していた。

「じゃあ、続けるよ」

「あ、はい」

 私は何事も無かったかのように作業を再開する。そして、これからも鏡甲の乙女心を大切にしてやろうと心に誓うのだった。

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