魔女祭り8 ユイーザ
ゴスラーの中心部マルクト広場から南の方向へ王宮へと続く道は、王宮に勤める家臣団の屋敷や帝国内諸侯及び諸外国駐在外交官の屋敷が連なる地域を抜けると、景観が、がらりと変わる。
小高い丘の頂にある宮殿まで遮蔽物がないのである。視界に入るのは整備された道とその両側を彩る春の花と風にそよぐ若草だけだ。
その道を一人の少女がやや早足で歩いている姿が見える。両肩あたりまで伸ばした赤みのかかった金髪を春風になびかせながら歩いている。やがて、彼女は目的地に着いたのであろうか手に持った籠をそっと地面に置くと両手を結び大きく手を空に向かって伸ばす。
(ああ~、やっと着いた~)
伸びをして反らす胸元には神聖ローマ帝国のシンボルである金色の鷲がデザインされたバッジが誇らしく留めてある。彼女は伸びをしたために少しずれた首元に巻いてあった紫色のスカーフを整えると改めて王宮へと向かうこの道の景色を見直す。
(うん、やっぱりこの場所から眺める景色は、特別ね)
彼女の目の前には、赤い灯篭が道の両側に等間隔に建っており、そのまま王宮へ続いている。日が落ちるとこの灯篭から灯す蝋燭の灯かり揺れてが幻想的な情景を浮かばせるのだが、今はまだ見ることができない。
景色に見とれるこの彼女は、王宮付の侍女で同僚達からはユーイと呼ばれており、本名はユイーザという名であった。機敏に動く茶色の瞳が特徴で第一印象からこの少女が活発な性格をしていることがうかがい知れる。彼女はゴスラーの街から見るとブロッケン山を西に越えたヴェルニゲローデという小さな村の出身で実家は宿屋を営んでおり、昨年の秋から王宮へ行儀見習いのために侍女として勤めていたのであった。そしてこの日、ユイーザは当番のため灯篭に使う清められた蝋燭を聖マルクト教会から預かって戻って来たところだった。
(さてと、お仕事、お仕事)
彼女は、地面においた籠を取り上げ赤色の灯篭に近づくと、前夜使用した蝋燭の残りと新しい蝋燭を取り替える作業をし始めた。やがて何本目かの灯篭に蝋燭を差し替えようとした時にユイーザは突然、声を掛けられ、はっとして振り返る。
「侍女殿、少しお聞きしたい事があるのだが」
そこには、濃紺の外套を羽織った細身の男が微笑をたたえて立っていた。
(この方は、いつの間に・・・?)
不審そうな目でユイーザは答える。
「はい、どのような事をお聞きしたいのでしょうか?」
「突然に声を掛けられて驚かれるのも無理はない。私は今晩、王宮で開かれる使節団歓迎の晩餐会に呼ばれているのだが、一生懸命に蝋燭を取り替えているそなたの姿に興をそそられましてな」
(今晩の晩餐会に招待されている方・・・であればどこかの高貴な方かしら?)
ユイーザは、幾分か警戒心を和らげて、
「そうで、ございましたか」
「それで、聞きたい事というのは、いや、お願いしたいと言ったほうが良いかな。そなたが手にしている蝋燭を拝見したいのだが、どうであろうか?」
「蝋燭をですか?」
「うむ、触りはしない、ただ拝見させていただければそれで良いのだが」
(蝋燭をただ見せるだけなら、問題はないかしら・・・。それに、ご招待されている方であれば、ここでお断りを申し上げてご不快な思いをされるよりは・・・)
「お見せするだけであれば」
「ありがとう。では」
男は、ユイーザが手に持つ籠の中の蝋燭をしげしげと見ながら彼女に尋ねる。
「これは、聖なる力で清められているのでは?」
「ど、どうしてそれを?」
「それは、だね」
と、言うと、男はユイーザの瞳を覗きこむ。柔和な表情から一変して禍々しい凶悪な相貌になった男の瞳に怯え、ユイーザはその視線から逃れようとするが、どうしても逸らせない。
「あ、あなた様は、な、何を・・・」
と、言葉を途中で途絶えさせた彼女は、その場にうずくまり、倒れる。
「それは、だね、穢れなき乙女よ、私が聖なる力を憎悪する闇の魔術師だから感じるのだよ」
男は、意識を失って倒れているユイーザに向かってそう答えると周りを見渡し人目がないことを確認してその場にしゃがみこむ。そして、ユイーザが落としてしまった籠の中の蝋燭を拾い集めると懐から小さな袋を取り出しその中から白い小さな石のような物を手にする。すると男はその小石みたいな物を蝋燭に埋め込み始め、やがて何本かの蝋燭に同じようなことを済ませると籠の中に残った蝋燭と一緒に整理して入れ直しその籠を左手に持ち立ち上がる。
男は少しの間、気息を整えるよう目をつむっていたが、手にした籠の蝋燭の上に右手をかざすと絞り出すような声を発した。
「冥界の主との契約により、汝らに命を与える・・・。出でよ!冥府の門より蘇れ!!!冥界の使徒共よ!」
男は、しばらくそのままの姿勢で残心を保っていたが、やがて気を緩め、
(さて、仕上げにかかるか)
胸中そうつぶやくと、地面に横たわるユイーザに傍らにしゃがむと呪文を唱える
「穢れなき乙女よ、先程までの出来事を全て忘却いたせ、そなたは自分のやるべき事をやればよい・・・目覚めよ!」
男は、立ち上がるとユイーザが目覚めるのを待たず、ゆっくりとその場を去って行く・・・。そう、何もなかったかのように・・・。
「うん・・・、んん・・・」
男が去った後、幾ばくもなくユイーザは気が付いた。
(あれ? 私、どうしたんだろう・・・。)
ゆっくりと、両手で体を支えながら体を起こすと彼女は周りの様子をうかがう。
(なぜ、どうして、こんな所で寝てしまったんだろう・・・?)
(わからない・・・。何か怖い思いをしたような・・・。だめ・・・思い出せない・・・)
ユイーザは目を閉じ、額に右手を当てながら必死に思い出そうとしている。
(やっぱり思い出せない・・・本当に私どうしちゃったんだろう?)
しばしの間、途方に暮れるような表情のユイーザだったが、地面に置いてあった籠を見つけると気力を振り絞るように両手で頬をパンパンと叩いて声をだす。
「そう、そうだったよね、これじゃあ、何も始まらない。とにかくお仕事をしてからのことだわ!それが終わってから思い出すのよ、ユイーザ!!!」
彼女は、少し足元がおぼつかない様子であったが立ち上がると、赤い灯篭に向かって歩き始めた。
雨続きだった日から、晴天の日が続くようになりましたね。明日からは、三連休!!!皆様はいかがお過ごしの予定でしょうか?