魔女祭り10 ハインリッヒ3世
「陛下の、おなりである」
侍従長の少々甲高い声に二人は片膝を立ててその場に跪き畏まる。謁見の大広間のドアが開けられと、ゆっくりではあるが力強い足音と上品な衣擦れの音が静かな室内に広がる。やがて二人の位置から前方の壇上でその音が止まった。
「二人とも、よくぞ参った」
「はっ、ジャン=バティスト・カミーユ・アリスティッド、陛下のお召しにより参上致しました」
「エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロイエル、アリスティッド卿の依頼により身分不相応ですが陛下の御前に」
「うむ、両名とも面を上げよ!」
二人が同時に視線を上げた先には、黒色で統一された豪奢な衣装を身に付けた男が目元に微笑を浮かべながらこちらを見ていた。
「ジャンよ、その流れ雲のような男をよく連れてまいった、褒めてとらす」
「はっ、お褒めのお言葉、恐悦至極でございます」
「さて、エルヴィン。久しいのう、捜しておったぞ」
「お久しぶりでございます、陛下。卑賤の身の我に直接お声をかけていただけたこと、感謝の言葉もございません」
エルヴィンは、そう答えながら壇上に立つ黒衣の人物を注視する。
(久しぶりにお会いしたが、ますます王としての威厳がその身体からにじみ出ている・・・)
エルヴィンが、そう感想を抱いた人物こそ現ドイツ諸侯の君主でローマ王と名乗っているハインリッヒ3世であった。その風貌はというと年の頃は20代後半というところか、鮮やかなオレンジ色の髪が王冠の下に映え、引き締まった身体を包む黒衣の王の装束のコントラストが否が応でも見る者の目を奪ってしまうほどである。また、この若者が好んで身につける黒衣の装束もあって黒王と称せられようにもなっていたこの時期のハインリッヒ3世は、国内の諸侯や諸外国に対してもその武威と自身が持つカリスマによってヨーロッパ最強の君主として君臨しており、若いながらも彼が及ぼす影響力が絶頂になりつつある頃であった。
(王と知り合いになってからもうどれくらい経つのだろうか・・・。確か最初の出会いは先の皇后様グンヒルダ様がバイエルン大公時のハインリッヒ様の元にお輿入れされる時だったなあ・・・)
エルヴィンは今から7.8年前の往時をふと思いだす。
当時エルヴィンはグンヒルダの兄であるデンマーク王のハーデクヌーズからの仕事の依頼を請け負っており、その依頼内容はグンヒルダの輿入れのためデンマークからゴスラーまでの道中警護であった。何故にデンマーク王家からの仕事をエルヴィンが率いる傭兵団ゴルトヴォルフが請け負うことができたのかというと、故デンマーク王であったその身一代でイングランド王、デンマーク王、ノルウェー王を兼ね北海王国を築いたクヌート1世とエルヴィンの間の個人的な知己のおかげがかなり影響を及ぼしていたのだが、その関係についてはまた別の稿で紹介できればと・・・。因みにハーデクヌーズ、グンヒルダ兄妹はクヌート1世の子供たちです。
(あれは、ゴスラー入りの前日立ち寄ったヴェルニゲローデの村だった・・・。お忍びで供もつけずハインリッヒ王は、いや、その当時はまだ皇太子殿下であったな。自分の未来の妃であるグンヒルダ様を一目でも見ようとして聖霊降臨祭を間近にして浮き立つ村に紛れ込んでいて、警邏中の団員に見つかり自分の元に引きたてられたんだったな・・・。あの時分は陛下はまだ二十歳にもなってなかったのではないか?。少年の面影を残しながらもその瞳は毅然としたものが感じられたのが思い出される・・・)
突然、エルヴィンは、プッっと吹き出し口元に笑みを浮かべると
(あの時の陛下の格好といったら、ひどい物だったよな。どこで取り寄せたか知らないが、村の住人でも着ないようなよれよれの粗末な服装で、身元がばれないよう一生懸命村人のようなしゃべり方をしてたものだが、それがなんともおかしげな口調で、クックック・・・ハハハ)
「エルヴィン、どうした?何を笑っておるのだ?」
少しうつむき加減な姿勢で肩を振るわせるエルヴィンをいぶかしむようにハインリッヒは聞きただす。
「いえ、陛下。これは、笑っているのではございません。久しぶりに見る陛下の至高なる御姿に感動し、更には陛下と最初にお目にかかった往事を思い出し感慨に耽って身を震わせてしまったのでございます」
「余と、そちが最初に会った時だと?」
「はっ、そうでございます」
ハインリッヒ王は、しばしの間思い出そうと考え込んでいたがやがて、
「エルヴィン、それはヴェルニゲローデの村での出来事か?」
「はい、そうでございます。あの時のお姿から今の陛下の崇高なお姿は想像もできませぬ故に」
「エルヴィン!、そちは何を今頃になってそんな事を思い出しておるのだ」
往事を思い出し、顔を羞恥にやや赤らめながら、ハインリッヒ王は叱責気味に声を荒げる。
「ご無礼の段、本当に申し訳ございません。卑賤な身の自分が言うのも畏れ多いのですが、ご無礼ついでに更に申し上げることをお許しくださるように、お願い奉ります」
エルヴィンは、そう言うと視線をハインリッヒ王に向けると、溶け込む様な笑顔で
「王よ、本当に真の王の中の王になられましたな・・・。エルヴィンはうれしく思います・・・」
ハインリッヒ王は、エルヴィンの真摯な言葉と表情にほんのつかの間、呆気に取られていたがすぐに我に返り
「おぬしが、本当にそう・・・そう思うのなら、それで良い。余の姿はそちから見て王の中の王に見えるのだな・・・」
二人の間だけにわかる時の空間が王宮の謁見の間に広がり、その場に居合わせた者すべてがしばしの間沈黙を守っていたが、王の傍らに控えめに立つ女性からの声がその沈黙を破る。
「陛下、お感慨に耽られているところ申し訳ありませんが、二人をいつまで跪かさせているのでしょうか?」
聞く者に、心地よい声色が謁見の間に行き届くと、
「うん?、ああ、そうか。后よ、よくぞ気づいてくれた。両名とも立ち上がってよいぞ、謁見の儀はこれで終わりだ」
二人が立ち上がるのを待って、ハインリッヒ王はエルヴィンに尋ねる
「二人とも、普段通りの口調でよいぞ。それにしてもエルヴィン、先ほどの自分への口上の仕方、どこで覚えたんだ?」
「こんな傭兵の身分ですが、高貴な方々と話をする機会もいささかありますので」
「ふーん・・・。どこの高貴な人やら・・・」
「陛下、私もお話しの間に入らさせていただいてもよろしゅうございますか?」
「ああ、構わぬ」
「エルヴィン、久しぶりですね。元気そうで何よりです」
「アグネス皇后様も、お変わりなく。以前、お見かけした時も美しかったのですが、また更にお美しくなられました」
「ふふふ、お上手なことエルヴィン」
エルヴィンの視線の先には濃紺の色が艶やかに色彩を放つ衣装を見つけた女性が口元に手を当てて朗らかに笑っている。彼女はハインリッヒ王の2番目の妃となったアグネス・フォン・ポワトゥーその人であった。彼女はその名の通りフランス人であり現代のブルゴーニュ地方出身で年の頃は、二十歳前後、身に着けている衣装と同じ色の濃紺の髪が見る者の目を奪うくらいに美しく、片笑窪を見せながらコロコロと笑うその顔立ちはかなり美形と言っていいであろう。この彼女がハインリッヒ王亡き後に摂政となり帝国内の政治の切り盛りをしていくことになるのだが、今のエルヴィンは想像もつかない・・・。
「いえ、お世辞ではありません。感じたことを、そのまま申し上げたままです」
エルヴィンの横ではアリスティッドが、またクララの時と同じような事を言ってると言わんばかりの目で呆れている。
「まあ、本当にお上手なこと、ふふふ」
彼女の横で、何かしゃべろうとする夫の気配を感じアグネス皇后は先にエルヴィンに尋ねる。
「エルヴィン、先程の陛下との最初の出会いのお話を今度ゆっくりと是非にも聞かせてくださいね。若かりし頃の陛下のお姿を想像してみたいですから」
「はい、陛下抜きで、お話ししたほうがよろしいでしょうか?」
「そうですね、すごく楽しみです。ふふふ」
「おいおい・・・」
苦虫を噛みしめたような表情のハインリッヒ王はつぶやいたが思い出したようにその表情を改めエルヴィンに
「ところでエルヴィン、今宵ローマから教皇陛下の使節団が来ることは聞いておろうな?」
エルヴィンはアリスティッド卿を一瞥し、
「はっ、うかがっておりますが」
「うむ、その件に関係があるやないかわからぬが、お主に会ってもらいたい人がいる」
「そのお方とは?」
「うむ、お主を捜していたと言うのはその人物から、ある重大な予言を聞かされたからなのだ」
「予言ですか?」
「まあ、詳しい事はその人物から聞くがよい。ゲッツェ、客人をこちらに」
「かしこまりました」
ゲッツェと呼ばれた侍従長は謁見の間の入り口に向かい、その扉を開けると見事なプラチナブロンドの髪を慎ましく結い上げ、ローマ聖教会の正装を身に包ませた女性が入室してきた。
「エルヴィン、彼女はセシリア司祭だ。お主も名は聞き及んだことはあろう。世間では聖女セシリアと尊称されている」
(聖女セシリア・・・)
エルヴィンは、胸中つぶやく。
今回のお話では、この作品を彩る重要なキーパーソンが登場してきました。ハインリッヒ王とアグネス皇后、この若い二人が今後どのようにエルヴィン達と関わっていくのでしょうか?作者も楽しみです。それと、話末に登場した、聖女セシリアさん。この女性・・・すごく気になります。
朝晩はとても冷え込む晩秋になりつつありますね、その夜長にこの作品を少しでも心待ちにして楽しんでいただければ幸いです。
読んで頂いた方、皆様に感謝の気持ちを。ありがとうございました。