第1話 とうとうこの日がやってきた。
久しぶりの新作です。
しばらくの間、お付き合い下さい。
これはまだ……。邪竜が守護竜であった頃のお話。
光が見えた。
数々の試練で疲れ切った私にとって、まさに希望の光明だ。
自然と駆け出す。
重い鉄靴に羽根が生えたかのように、身体が軽い。
重装備の鎧から聞こえる奇妙な軋みは、私にとって凱歌だった。
気がつけば、洞窟の外へと出ていた。
むさ苦しく、陰鬱な空気が一変し、いつまで吸っていたくなるような大気が、肺の奥深くまで満ちていく。
不意の微風を浴びたくて、試練の間ずっと外さなかったフルフェイスの兜を脱いだ。
自慢の金髪が振り乱し、やや肌寒い風が上気した頬を冷やす。
生憎と景色は荒涼として、お世辞にも絶景とはいかない。しかし、長く厳しい試練を達成し、私の心は景色を楽しむ余裕を許さなかった。
たどり着いたのは、タフターン山頂上だった。
剣呑な嶺にぽっかりと空いた円形の空間。
火山の火口にも見えるが、自然に出来たものらしい。
否――私はその可能性を否定する。
何故なら、その空間にちょうど収まるように、大きな生物が眠っていたからだ。
竜――。
あるいはドラゴン。
大きな翼を畳み、長い首と尻尾をとぐろを巻いた蛇のように丸めていた。
私は足を引きずりながら、恐る恐る竜に近づいていく。
シューと蒸気のように息を吐き出す。竜の瞼が開いている。
巨体と大気を揺るがしながら、その巨体を起き上がらせた。
黒い影がせり上がり、人間の中では決して小さくない私の身体をすっぽりと包んでしまった。
天を衝く竜の首から、またも蒸気のような息が吐き出される。
ポタポタと体液が落ちてきた。
だが、私の興味はすでに竜にはなかった。
竜よりも遙かに小さな一振りの剣。
年代を感じさせる白亜の台座に、光の柱のように突き刺さっていた。
――あれが、聖剣…………。
竜が守護し、試練のダンジョンを越えたものに与えられるギフト。
そして、唯一魔王を倒せるといわれる女神の祝福を受けた名剣。
とうとうこの日が来たのだと、私は実感した。
それは聖剣を守護し、試練を統括する守護竜ガーデリアルも同じ思いだったらしい。
「とうとうこの日が来た……」
ガーデリアル自身も待ちわびていたのだろう。
蛇にも似た赤い瞳は、若干潤んでいるようにも見える。
「聖剣を守護し、3000年。ようやく聖剣にふさわしきものが現れた」
「おお。ガーデリアルよ。私を聖剣の持ち主と認めてくれるのか」
「そなたは我が用意した試練に打ち勝ち、聖剣の元にたどり着いた。その心、技、鍛えた体に疑う余地はない」
「では、私に聖剣を!」
「さあ、手に取るが良い。今日からそなたは聖剣の主となるのだ」
身が震えた。
魂から多幸感が創出し、自然と涙が溢れていた。
濡れた視界の中、私は1歩、また1歩と聖剣に近づく。
「ガーデリアル、感謝する」
手を伸ばせば掴める距離まで来て、私は改めて竜に感謝をした。
しかし、言葉を返ってこない。
泣き顔でも見られたくないのか。
何故か、空をずっと臨んでいた。
私は柄を握る。
手になじむ。もう随分、昔から使っていたような気さえする。
――これは私のものだ。
私は強く理解した。
力が満ちるのを感じる。
抜ける!
確信する。
ゆっくりと力を込め、一気に引き抜こうとした。
瞬間だった。
「待たれよ、勇者……」
突然、ガーデリアルは声を上げた。
「聖剣を抜くのを思いとどまるつもりはないか?」
〇〇〇
3000年待った。
その間、様々なことが山の麓であった。
何万という強者が挑戦し、試練の中で散り、あるいは怪我によって涙を呑んだ。
それでも、我が守護する聖剣を抜く者は一向に現れない。
本当にそのような者がいるのか。
疑問に思ったこともあった。
だが、今日――。
とうとうその者が現れた。
我が仕掛けた心の試練、技の試練、体の試練をくぐり抜けた勇者が、聖剣を抜く日がやって来たのだ。
ようやくだ。
ようやく私は、聖剣を守護するという役目を終える。
感無量だった。
3000年――。
女神様から役目を授かったあの日からずっと、聖剣を見守り続けてきた。
月並みだが、雨の日も、風の日も。
星が降った日も、世界が滅びそうになった日も、
私はこのタフターン山で、勇者を待ち続けた。
その役目ももう終わる。
そういえば、役目が終えれば我はどうなるのだろうか?
今、ふと気づいた。
今、聖剣を抜かれれ、私の役目はなくなることとなる。
では、その後はどうなるのか。
尋ねてみるか。
「女神アルティ。聞こえますか? 守護竜ガーデリアルです」
『はいはーい。おお、ガーちゃん。おひさー。げんきー?」
「…………」
んん?? おかしいぞ。
女神アルティはこんなしゃべり方だったのだろうか。
3000年前、もっとおしとやかで非常に古風な口調だったと記憶しているのだが。
『どしたの、ガーちゃん。急に黙り込んで。もしもーし』
「すいません。3000年前と少しイメージが違うっていうか」
『きゃははは。3000年前っていつの話よ、それ。そりゃ3000年も経てば、イメチェンぐらいするっしょ』
変わりすぎのような気もするのだが。
まあ、3000年だし、仕方あるまい。
ところで、さっきから言葉の端々に聞こえる「ガーちゃん」というのは、我のことだろうか。
『そんでどしたの?』
「はっ。実は、少し気になることがありまして」
『なになに? ちなみにアルティちゃんのスリーサイズはぁ……』
「そうではなくてですね」
『ええ――。女神のスリーサイズと気にならないの? もしかしてガーちゃん、草食系?』
「いや、我は雑食ですが」
『へえ。じゃあ、もっとガツガツいかないとダメだよ。婚期とか逃しちゃうし。ろーごとか、たいへんっていうかー』
もう十分、老後なんだが。
「そういうことを聞きたいのでありません。正直にお答えいただきたいのですが」
『任せて! 正直なところはアルティの唯一の取り柄だから』
正直以外、全部ダメなのか。
私は気を取り直す。
「聖剣が抜く者が現れました」
『やったじゃーん』
「あ、ありがとうございます。それで、聖剣亡き後、私はどのようにすればいいんでしょうか?」
『え? 聖剣なくなったら、ガーちゃんはお払い箱っしょ』
頭が悪そうな女神の口から急に不穏な言葉が出てきた。
我は固まる。
長い首を天へと向け、あんぐりと口を開いた。
下にいる勇者に改めて礼を述べられたような気がしたが、それどころではない。
今、やんわりと「死ぬ」と聞こえたような……。
いや待て。それはあり得ぬ。
我は功労者なんだぞ。
「お、お払い箱という意味を教えてください」
『あーりーえーなーい。今時の竜ってお払い箱っていう意味も知らないの? IQ低くない?』
今にも口から炎を吐き出したいところだが、抑えることにした。
我は長い首を垂れた。
「どうか……。我にご教授ください」
『えっと……。つまり……。なんていうか。ガーちゃんは、さよならバイバイってことね』
「それは聖剣の守護から解放され、あとは何をしてもいい――」
『そんな都合のいいわけないじゃーん。だ・か・ら、ガーちゃんは天寿を全うして、この世からさよならバイバイするってこと』
天寿を全う……。
この世からさよなら。
つまり、聖剣を守護する役目を終えたら、我はいらず。
この世からただ消え去るというのか。
3000年もただひたすら剣を守護してきた我を、神々は見放すと。
『ちょ、やだー。そんな暗くならないでよ。ガーちゃん、3000年も生きてきたんでしょ。もう十分っしょ』
「な、納得出来ません」
『あっちにいわれても、困るしー。そもそも上司的な人が決めたことだから。事件は会議室で起きてる的なー』
「しかし、私はただ役目を全うし――」
『あっちもガーちゃんのこと割と好きっていうか。マジ感謝してるしー。でも、アルティも悲しいリーマンだからー。命令には逆らえないっていうかー。あ。ちょっと待って。……カレシからラインだわ。こいつ、すぐ返信しないとすぐマジギレすんの。じゃあ、ガーちゃん。そういうことだから、切るね。大丈夫……。天寿全うしたら、超ヤバイらしいよ。じゃね』
一方的に切られた。
おいおい。どういうことだ。
雨の日も。風の日も。
世界が滅んだ時ですら、聖剣を守護してきた我に対する仕打ちが。
死ね、だと――――。
ふざけるな……。
こんなの納得出来るものか!!
「はっ!」
はたと気づく。
視線を下へと落とした。
今まさに、勇者が聖剣を抜こうとしていた。
いいところで終わって申し訳ないです。
第2話目はお昼の予定です。