1章-8 起点
「う、わあああああああ!!」
レインは思わず両腕を顔の前で交差させて、防御姿勢をとった。無論気休めにもならないただの本能的な防衛行動だったのだが。
「――う?」
恐る恐る目を開くと、視界に映ったのは真っ白な光。それが三十センチほど先で霧散している。視線をずらすと、わずかにオレンジがかった光が球状に広がり、機体を覆っているのが見て取れた。
少しずつ頭が冷静になり、状況が飲み込めたレインは、慌てて操縦桿を握り直す。手の中のそれは、加速度的に小さくなっていっていた。
「このままじゃまずい……。コーディさん!追いつかれてます。やっぱり自動操縦の……もしもし、コーディさん?」
レインは指で通信機を叩いた。しかし、そこからは何の反応も返ってこない。頭からザッと血が引いていく。
「嘘でしょ……」
意識とも無意識とも思えぬ言葉を呟いた直後、大きく機体が揺れ、視界が真っ暗になる。慌てて状況を確認したレインは、手の中の温もりが完全に消失したことに気がついた。
「いけない!」
レインはすぐさま旧式の操縦桿を上へ引き上げると、右手側にせり出したレバーを強く引く。
すると、COMPASSの背面、リアパーツに装着されたシャッターが開き、掃除機のように大気を取り込み始めた。
レインは次に左手でシステムコンソールを引き寄せる。
「シールド制御はまだ予備電源で生きてる。けどほとんど全部ダウンしたのか……!」
逸る気持ちを抑えつつ、レインは通信機のチャンネルを非常回線に合わせる。
「もしもし!もしもし!聞こえますか!?」
しかし、返ってきたのはノイズのみだった。レインは舌打ちすると、再びコンソールに目を落とす。試験中のシステムセットアップのため、ほとんどの機能に制限がかかっている。
唯一例外と言えるのが、腰部に取り付けられた追加のバーニアだ。飛んでからしばらくして、コーディに試験運用を頼まれたことを伝えたそれならば、あるいは。
そう思って伸ばした指が力なく落ちる。赤文字のエラー表示が出たのだ。
打つ手がない。
しかしレインは歯を食いしばり顔を上げる。緊急回線で連絡を図りつつ、システムコンソールから救援要請メッセージの発信を指示する。
次にエネルギー残量の確認。今、大気からマナスを取り込み続けているとはいえ、もう一度あの攻撃を受けるかと考えると心許ない。加えてシールド制御、自動操縦が解除できないことを考えると、現状の生存は絶望的である。
無駄だとわかっていても、自動操縦を切ろうとしたり、緊急回線からの救援要請をしようとしたが、当然のように手応えはなかった。
「ちくしょう!」
レインは自分の足を自らの拳で打ち据える。
自分の裡に、どろりとしたものが生まれているのを感じていた。死に対しての何かではない。自分を見送った整備士たちや、コーディや、養父に対しての、腐りきった膿のような何か。
レインは頭を振ってその考えをふるい落す。余計なことをしている暇はない。
いつのまにか回復したメインカメラは、機械の化け物が、同じように力を溜めている様子を映し出していた。
(回復したマナスリソースのうちほとんどをシールドに回した。でも一撃でシステムダウンを起こすレベルの攻撃力……。例えシールドに供給を続けても、このままじゃじわじわ削られて墜とされるのは免れないか)
レインは祈るような気持ちでありとあらゆる通信設備を使う。反応は変わりなし。しかし諦めずに、何度も、何度も打電する。その様を嘲笑うかのように続々と現れる、鳥型の外敵。
もはや自棄になりつつあった時、突然耳障りなノイズが止んだ。
「今なら……!」
「―――む」
「……え?」
「ひ――――たの――――レイ―――」
刹那、聞こえたその声は。クリアになった回線に、不釣り合いなほど聞き取れなくて。
でも確かに、“僕”に何かを託していた。
次の瞬間には、通信機の向こう側から喧騒が聞こえていた。レインは大声を上げる。
「もしもし!誰か!!!誰か聞こえますか!!!!」
鳥型の外敵が大きく口を開く。煌々と光る砲塔から、凄まじい熱量が今にも迸り出そうだった。
「こちらレイン・スパインターク!!!外敵と接触した!!緊急時対応要項第七項にのっとり、自動操縦の解除を…うわあっ!!」
機体が大きく揺れ、再び暗闇が訪れる。2度目のシステムダウンだ。マナス供給はほとんどシールドに回しているが、三度目を再び防ぎきれるかどうかは絶望的と言えた。
レインは下唇を噛む。あまりにも強く噛みすぎて、振り払ったはずの膿が、口から迸ったことにも気づかなかった。
「クッソが……。こんなところで死んでたまるか!全部、全部全部全部!ブッ壊してやる!」
背筋に電流が走った様に感じた。
目から、口から、鼻から、髪から、爪から、肌から、身体に何かが流れ込んでくる。それはとてつもない快感を伴い、また、筆舌に尽くしがたいほどに不快だった。
それが終わると、レインは自身の中心に、芯が生まれたことに気がついた。それは暖かく、レインが初めて触った操縦桿の感覚に似ていた。
「レインくん!?レイン・スパインターク!」
レインが返答をよこすと、機械越しの女性は明らかに安心したようだった。レインは眼前の敵を睨んだまま告げる。
「早く自動操縦を解除してほしい。これじゃ飛ぶ棺桶だ」
少し驚いたような声が届く。しかしレインが疑問をぶつける前に、了解の意と共に自動操縦が解除される。
「今、救出部隊がそちらに向かっているわ。全力でサポートするから、何としても持ちこたえて!いいわね?」
「了解!」
レインは操縦桿を握りなおした。