1章-4 初出撃
数回、目を瞬く。眩しさに慣れると、操縦席全体がモニターとなっている光景が視界に飛び込んできた。
しばらく見渡すように首を巡らせていると、正面の連絡通路に立つ壮年の整備士が目に入った。
「リンクは良好。改めて聞くが、気分はどうだ?」
「最高です」
問いかけに答えたレインは、自分がいつになく昂ぶっていることに気がつく。調子に乗るのもまずいと思い、腕かけから手を離すと、自身の腕を揉んでリラックスを促す。
視界の中でブラウの口が動くと、再び声が聞こえた。
「それじゃあ動作確認をする。操縦桿に手を置いてくれ。あっと、旧式の備え付けじゃなくて、光って浮いている方だぞ」
質問しようとした答えが先に返ってきたレインは、はい、とだけ答えると、腕かけの先端部、ドリンクホルダーに似た形の穴から浮かび上がった2つの光球――操縦桿にそれぞれ手を置いた。
両手が、ぬるま湯につけた様な柔らかな温かさに包まれる。少しだけ不快だが、いずれ慣れるだろうと我慢し、声には出さなかった。
「オーケーです」
「よし、それじゃあ指示通りに動かしてくれ。まずは右腕から……あぁ、そんなに勢いよく動かす必要はない。そうだ。よろしい」
そんな調子で、右腕、左腕、右脚、左脚、両肩、頭部を動かしていく。シュミレーターとは違い、“今自分がどこを動かしているか”が脳にダイレクトに伝わる感触があり、レインにはとても容易な作業だった。
「良い具合だな。それでは、次は握り拳を作ってこっちに見せてみろ」
「に、握り拳ですか?」
「いきなりで厳しいだろうから、ゆっくりで構わんぞ」
まず、ゆっくりと右腕を持ち上げ、正面に向ける。しかし、手のひらの付近にいた整備士たちが、慌てて退避するのを見て、レインは謝罪した。
「ごめんなさい!見てませんでした」
「気にしないで良いよ!ゆっくりでいいからね」
若い整備士の声が機械越しに伝わると、レインはほっと胸を撫で下ろした。
それから、出された指示を遂行しようとする。だが――
「ふっ…………!!ん、ぐぐぐ……!?ぐぬぬぬ、ぬん……!!」
「やっぱりまだ厳しいか?」
いくら力を込めようと脱力しようと、コンパスの手の指の第一関節はピクピクと痙攣するばかりで、一向に丸まろうとはしなかった。
ストップストップ、と見かねたブラウが声をかける。
「いきなり高度な要求をして悪かった!楽にしてほしい。手の形に関しては武装によってあらかじめプリセットできるから、先に搭載装備に目を通しておいてくれ」
「ふぅーっ、はぁーっ……はい、わかりました」
呼吸を整えながら、レインは宙に浮かぶシステムコンソールに手を伸ばした。様々な情報が絶え間なく切り替わり表示されている中の、機体のシルエットが描かれたものを見つけると、すかさずそれをタップする。
機体のシルエットが拡大され、様々なウィンドウがそれを囲むように並んだ。
レインは今度は二本の指を開きながら機体のシルエットに置き、横に滑らせる。指に従うような形で、画面内のシルエットが動き、こちらに背面を向けた。
そして再びウィンドウがいくつか表示される。こちらは正面図に比べるとウィンドウの数が少ないようだ。
機体の腰にポインタが当てられたウィンドウに触れると、今度はウィンドウが拡大され、銃の立体映像が表示されると、画面が説明に切り替わった。レインは適当にスクロールしながらそれを読む。
名前は“Magus - FA 6型”、フルオートのアサルトライフルで、実弾に対応。モード切り替えによりグレネード弾の発射も可能。最大連射数は1マガジン36発。グレネードは1射ごとに最大3発。1マガジンは6発だが、3発撃つごとに弾倉の上下をひっくり返して入れ替える必要がある。
順調に読み進めていたレインは、おや、と手を止めた。
「なんで読めてるんだ……?」
さっきの言葉は何一つ分からなかったのに。この文章は自分の読める文字で書かれている。それとも、実は先ほどの文字も、本来読めて然るべきものだったのだろうか。そうなるとブラウの手間を増やしたことになるわけだから、非常に申し訳ない。
聞かぬは一生の恥。レインがブラウに視線を向けると、カメラ越しに気配を感じたのか、ブラウが不思議そうにこちらを見返してきた。
「何だ?」
「一つお聞きしたいことが。何でシステムコンソールの文字を読めるんでしょうか、僕……」
「ん?どういう意味だ?すまん、もう少し詳しく伝えてくれ」
レインは今度は、起動時からの話を些細にブラウに話した。聞き終えたブラウは、曖昧な表情を浮かべると、顎に手を添える。
しばらくそのままの姿勢を維持していたブラウだが、やがて重々しく口を開いた。
「まあ、話しても不利益にはならないか。簡潔に言って、システムコンソールや動作処理等に関しては翻訳が終わっているからだな」
「ほん、やく……?」
「文字通り翻訳だ。俺たちの言葉に置き換えた、とも言える。起動時に見たアレも、本来なら翻訳できるはずなんだがな」
「本当は読めるってことですか?」
「いや、違う。コンソールで見られる情報系統は読めないと困るが、起動時は翻訳していないから読めなくて当然だ」
レインは首を傾げる。
「良く、わからないです」
「うーむ……先ほど、翻訳は俺たちの言葉に置き換えたと言ったろう?比喩ではなく、事実そうなんだ。だがどうにも僅かな齟齬があるようでな……OSから翻訳するときちんと動作しなくなっちまう。だからシステム言語をそのまま流用しているんだ」
「……数百年前の技術をですか!?」
「まあ、そうなるな。言語だけ、と言いたいところだがCOMPASSの現在のシステムは言語翻訳しただけのものに過ぎないと言えるだろう。もちろん、俺たちの言葉でのCOMPASSの開発も進んでるが、まだまだ実用段階とは言えない。旧世界の人々は、どんな技術力をしてたんだろうな……」
過去へと思いを馳せ始めたブラウに対し、レインは不安を拭えなかった。自分はそんな骨董品に乗せられているのか。死ぬことは怖くないが、役に立たないのは嫌だ。
しかし、すぐに自分の養父が空を翔ける姿を思い出し、その不安は消えていった。
白い光の尾を引き、軽やかに空を舞う姿は、物心ついた時から見上げてきたものだ。そのボゥと同じものに乗っていて、不安になる方がおかしいだろう。
気を取り直したレインは、今度は機体シルエットの腰部に触れた。外から見て、気になっていた部分――鳥の翼のような形をしたアクセサリー。あれは養父のCOMPASSには無かったものだった。
「追加バーニア?」
追加装備、とタイトルが表示された下に、その名称と説明が書かれている。
普段は使用されず、手のひらに埋め込まれた遠隔マナス伝達装置を用いることで使用することができるらしい。
「それはまだ試作品でな。今回はそれのテストも兼ねてもらう」
「えぇっ」
聞いていない。今回の試験は安全圏の、片道40キロの往復パトロールのみだったはずだ。
「そういうことは事前通告して欲しかったんですが……」
「や、悪い悪い。出来上がったのが昨日の今日だった上に、君がテストパイロットにされるとは露にも思ってなくてな」
「そうですよ。熟練の……それこそ僕のお養父さんがやるようなことじゃないんですか?これ」
「もう歴戦の人らには試運転してもらったんだ。こいつは追加テストさね。新人でも扱いやすいかってやつだ。難易度によっちゃ一般配備も夢じゃない。そうなれば生存率も上がる……と、そういう寸法さ。今後のためだ。悪いが諦めてくれ」
「むぅ……」
今後のため、と言われてしまうと弱ってしまう。これで自分が拒否すれば、次の機会がいつ訪れるのか。すぐかもしれないし、もっと先になるかもしれない。
それにもし、例えすぐに次の機会が出来たとしても、それまでに“侵攻”でも始まったら–––。
寒々とした気持ちになったレインは、不快感の塊を握りしめて返事をする。
「わかりました。テストの件、任せてください」
「そう言ってくれると助かる!君ならいい結果を出せるだろうしな」
ブラウや整備士たちの朗らかな笑い声が薄れると、ブラウが真剣な眼差しをこちらに向ける。
「そろそろ行けるか?試射していくかね?」
「いえ、試射は必要ないと思います。大丈夫です」
「よろしい。では……コーディ!聞こえるか?こちらは準備OKだ。これからカタパルトに連れていくぞ」
― ―
様々な人たちが慌ただしく動いている。大声で指示したり、インカムでやり取りをしている人が見える。
ゴゴン、と地に響くような音が聞こえると、目の前の壁が上下に開いていく。隙間から光が溢れ出し、風が我先にと潜り込んでくる。
光と風がひとしきり遊び、満足した後、レインの目の前に広がるのは緑の大地。ハッチの外に飛び出した飽き性な風たちが、地に根を張る草原を揺らす。レインはしっかりと操縦桿を握りなおした。
通信音と共に、レインの視界の右端に顔が現れる。目を向けると、見覚えのある顔だ。先ほど案内してくれたオペレーターだろう。
「改めまして、コーディ・ベインです。今回の試験のオペレーターを務めます。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
「うん、さすがブラウさんだ。緊張も良い感じにほぐれたみたいだね。……さて、そんな君にこういうことを言うのは酷なんだけど、ここから先は安全圏とはいえ市街の外だ。何かがあってもすぐに助けに行くのはかなり困難と考えて欲しい。だから、小さなことにも気を配って、こちらとコンタクトを取って欲しい」
「わかりました」
「良し!じゃあ出撃までもう少し――」
オペレーターが最後まで言い切らないうちに、再び通信音が鳴った。
「出撃準備が整いました。いつでもどうぞ!」
その言葉と同時に、レインの足元からペダルがせり上がってくる。レインはそれに両足を乗せた。
「了解。出撃タイミングの権限をレイン・スパインタークに譲渡します!……頑張って!」
すっ、と小さく息を吸い込む。
「了解!レイン・スパインターク、ヴァルキリー、出撃します!」
宣言と同時に、レインはペダルを足でしっかりと踏み込み、操縦桿を前へ押し込んだ。
ほんの一瞬、座席に押し付けられて潰されそうになる感覚を味わい、直後、身体が重力から解放される。
もちろん錯覚だ。自分はしっかりと座席に座っているし、汗が球状になって宙に浮いているわけでもない。
だが、眼下に広がる緑の大地が河のように流れていく様は、レインにそう思わせるに十分だった。
白い光を尾に引きながら空へ舞い上がる戦乙女の後ろ姿を、歓声をあげる整備士たちが見送っていた。