1章–3 起動
「さて、それじゃあ準備しようか。レイン君のためにチューンナップしたCOMPASSはここだよ」
オペレーターの青年が、格納庫の一つで立ち止まるとレインに告げた。
案内された人型のマシン“COMPASS”は、外で見た城壁の様な純白の装甲をしていた。頭部、腕部、脚部はもちろんとして、腰部や関節部分も滑らかな丸みを帯びたパーツに覆われている。
「それじゃ、ここからは整備士さんたちに引き継ぐね。僕は僕でオペレータールームに戻らないと。……大丈夫かい?」
「うん……。あ、了解しました」
レインの固い声を聞いて、オペレーターは少し微笑むと、レインの目の高さに合わせて屈んだ。
「ね、レイン君。深呼吸。……大丈夫。僕はオペレータールームから常に君を見守るし、うちの優秀なスタッフたちやコンパスが敵に見つかる前に敵性存在を教えてくれる。君を死なせやしないさ」
オペレーターが一つ息を入れる。釣られてレインも息を吸って、吐く。同時に、強張っていた肩の筋肉がほぐれ、背中に一本芯が通った様な感覚がした。
血行が戻ったレインの顔を見てにっこり笑うと、「それじゃ、よろしくお願いします」と整備士の一人に声をかけ、先ほどの扉へと向かって歩いて行った。レインは拳を強く握ると、視線を再びマシンへと戻す。
頭部は人間の頭とほぼ同じ様な形の、丸みを帯びたフォルムだ。額部にも装甲があり、六角形を薄く伸ばした形に見える。
六角形の最も高い位置にある頂点は、曲線を描きながら、後頭部より少し後ろまで伸びていて、また、最も低い頂点は、顔に少しかかる程度で足を止めている。頬部にはシンメトリーの流線型のパーツが施され、後頭部の装甲はそれらを繋ぐ様な役割を有しているようだった。
顔はバイザーに覆われており、内部のカメラを見ることは出来ない。そのバイザーの底辺に、頬部の装甲より奥に蹄鉄に似た形の顎部のパーツがあり、額部から伸びたバイザーを繋いでいた。
胴体のパーツは、胸部が前に突き出ており、腰に向けてくびれている、まさに騎士の鎧の様であった。
その胸部パーツの一部が外に向かって開き、奥にスペースが見える。どうやらあそこが操縦席らしい。今も整備士が一人そのスペースから顔を出し、外で何かの画面とにらめっこしている幾人かの整備士と話をしている様だった。
腕のパーツは、COMPASSの全体から見ると、少し細めの印象を受ける。肩も丸いパーツをあてがわれており、力強さというものは感じられない。
だが、まるで筋肉の様に互い違いに組まれた装甲が、人間の、鍛えられて引き締まった腕を彷彿とさせた。
手のパーツは人間の手の様に五本指であり、手のひらの中心に淡く輝くパーツが取り付けられている。
腰部のパーツは、胴体パーツでくびれた後、足との接続を保つ為か再び膨らんでいる。両側には何かのアクセサリーも取り付けられていた。
最後に脚部パーツだが――細い。腕部パーツの時にも細い印象を受けたが、それよりもさらに線が細く感じられた。
腕部パーツと同じ様な装甲の組み方がなされているが、二本の脚が同じ様に地面に向かって細く収束しているのが理由としてあるだろう。
足先には装甲のみが施されて接地しているのだろうか。胸部の位置にある足場から覗き込んでも、レインにはよく見えず、分からずじまいだった。
乗り出していた身体を戻すと、レインは少しだけため息をつく。父親のCOMPASSが飛び去っていく様は幾度となく見送ってきたが、こうして自分の搭乗機として見ると、感慨深いものがあった。
「遅くなってすまない!」
大きな声に振り向くと、先ほどオペレーターと話していた壮年の整備士が近づいてきていた。レインも周りの音にかき消されない様に大きな声を出す。
「今日はよろしくお願いします!」
「はは!気合い充分って感じだな!ただ、すまん。最終調整に時間がかかっててな、もう少しだけ待って欲しい!」
「最終調整?でもさっきオペレーターさんが終わったって……」
「いやあ、あの後で伝達部分のパーツが一部劣化してるのがわかってな。なに、取り替えの手間や時間自体は大したことないさ。もうすぐ終わる」
「そうですか」
視線を先ほどから胴体の操縦席でやり取りしている整備士たちに向ける。説明をしてくれた壮年の整備士もレインに並んで機体に目を向けると、嘆息した。
「やはりヴァルキリーシリーズは良い。エンジェルシリーズも捨てたもんじゃないが……無駄が多い。今回の仕事は俺としても嬉しかったぜ」
「えっと、ヴァルキリー……?エン、ジェル……?」
レインの様子を見て、壮年の整備士は目を少し大きくする。
「おや?知らんのかい?COMPASSには装甲ごとに特色のあるシリーズが存在するんだが」
「この形を指して“COMPASS”と言っているものだと思ってました」
「そうか……いや、なるほど。そうだな。レイン、君はボゥが出撃するところしか見てないんだな?」
頷いたレインを見て、頷き返した壮年の整備士が言葉を続ける。
「そりゃそうだよな。アイツ赤ん坊の時から職場に連れてきてたからな君のこと。となると、ハンガーにくるのも初めてだったのか?」
「はい」
「そうかー……仮にもスクランブル隊第1部隊の隊長だもんなぁ……あそこは機動力重視だからヴァルキリーしか使わないはずだ」
「いつもは大通りを下っていっていたので王城の地下にこんな空間があることも知りませんでした」
「……ふむ。レイン。別に敬語じゃなくて構わないぞ?そちらの方が俺としても気楽なんだが」
「え?……あ、はい。じゃない、えっと、うん……あ、うーんと……」
何物にも動じないと言わんばかりの立ち姿だった男の子が、突然年相応に表情を変えながら狼狽える様を見て、壮年の整備士はけらけらと笑う。
「無理にせんでいいからな?自然体でいてくれ。その方が言いやすいことも増えるだろう」
「あ、ありがとうございます。……えっと……」
そこで壮年の整備士は、レインが何を求めているのかに気がつき、手を差し出した。
「ブラウだ。よろしくな」
「レイン・スパインタークです。よろしくお願いします」
二人はしっかりと握手を交わす。ブラウの手はとても大きくて、ゴツゴツしている。ボゥとはまた違った固さの、熱い手だった。
「さて、装甲のシリーズがあるって話をしてたんだよな」
そこで一度言葉を切ると、ブラウは横目で作業を窺う。レインもつられて見てみると、操縦席付近で作業していたうちの一人が、慌ただしくどこかへ向かおうとしている。
加えて、人数が増えている。相当作業が難航している様で、操縦席の中で作業していた人物が疲労困憊の面持ちで、外で待機していた別の整備士と入れ替わろうとしているところだった。
「あー、もしよかったらなんだが、もう少しCOMPASSの薀蓄を傾けても構わんかね?」
レインの大きな瞳がこちらを捉え、小さく上下したのを見て、ブラウは安堵と、少しの高揚を混ぜた笑みを浮かべた。
― ―
「さて、まずCOMPASSというのはあくまで俗称だ。正式名称じゃない。正しくは――」
「マナス駆動式搭乗者同調型強襲システム統御機構」
「その通り。アカデミーでのテストではこの辺は出るかな?……うむ。確かにその名称がCOMPASSを指すものなんだが、正確にはCOMPASSの装甲の内部フレームのことなんだ。装甲のさらに内側にあるそのフレームが、機体の神経系に当たるマナス路を保護している」
「マナス路……マナス回路、は、マナス炉心からのエネルギー伝達機関のことで、パイロットとも接続する……んでしたっけ」
言いながら首を傾げるレイン。ブラウは唇を湿らせると、再び口を開いた。
「今まさにそのパイロットとの接続部分が劣化してて交換中だ。ここの部分はまさしく命綱でな。定期的にメンテナンスしてやらんといかん」
「そんなに大事なんですか?」
レインの発言に、ブラウは大きく目を見開いた。
「大事も大事!命綱と言ったろ?パイロットからの指示伝達スピードの向上はもちろん、フィードバックの制限をかけているのもここだ。もしフィードバックのカットが無ければ、仮にコンパスの右腕を失った時、操縦者の右腕も使い物にならなくなる。形が残る残らない問わずにな」
今度はレインが大きく目を見開く番だった。
「そんなことが……」
「最悪も最悪の話さね。余り怯えられても困るんで、年端もいかぬ子どもとかの一定層には伏せられてる内容だ。そも、そんなことが起こり得ないように対策を施しているし、今その対策を整備しているところなんだからな。大船に乗った気持ちでいろよ?」
それにしても、とブラウが体ごとレインに向き直り、腕を組んだ。その表情は随分と訝しげだった。
「知識の偏りがあるようだなあ。パイロットになるわけだし……まあ決まったわけじゃないが、パイロットになるかもしれんのだから、この程度は覚えていると思ったんだが」
「僕はアカデミーでは機関の名前とか、それのざっとした説明はやったんですけど、ほとんどシュミレーターによる実践授業でした」
「それでも装甲のシリーズくらいはやるだろう?」
レインは目を瞑って考え込むと、しばらく経ってから首を横に振った。
「いいえ。おそらく装甲、機関学のことだと思いますが、必修ではなかったので」
「……んん!?あぁ、そうか!指導要領が変わってるのか!!」
ブラウが自分の額を手のひらで叩く。分厚い皮膚がぶつかり合って、バチンと大きな音を立てた。
「いやあ……俺も歳を食ったもんだ」
しみじみと呟くブラウ。
「ものはついでだ。レイン、君はCOMPASSについてどこまで知っている?」
レインはきっぱりと首を横に振った。
「お恥ずかしながら、操縦学の座学と実践授業しか受けていませんので、ほとんど何も」
「何!?そうなのか?し、しかし……なぜ?」
「お養父さんがそういう小難しいのは上の連中の仕事だから取らなくて良いと……」
ブラウがよろめき、手摺りに思い切り腰を打ち付けた。呻きながら崩れ落ちるブラウ。歯の隙間から「あのバカはぁ〜……」と恨み言が漏れ出した。
「ご、ごめんなさい……?」
レインが困ったように声をかけると、ブラウは頭を振って立ち上がる。そしてなんとも言えぬ表情を浮かべ、腕を組んだ。
「血が繋がってないとはいえ、本当にヤツの息子とは思えんくらいだなぁ。君が勤勉で良かったのか、パイロット以外の道を潰したことを残念に思うべきなのか……。何から説明するべきかわからなくなっちまったよ」
「それなら……何で“COMPASS”と呼び変えているのか教えてください。“マナス駆動式搭乗者同調型強襲システム統御機構”を、何故?」
「……ふむ、それはちょうどいい――」
ブラウが口を開きかけた時、階段を登る音が近づいてきていることに二人は気がついた。
それは聞き違いではなく、やがて若い整備士が姿を現した。
「お待たせしました!」
「とりあえずここまでだな。続きは搭乗してからにしよう」
「わかりました」
― ―
しばらくして、背骨に沿って両側に三つずつ、黒い突起のある服を身に纏ったレインが戻って来た。その服の基本色は赤であり、ボディに稲妻のように黄色のラインが二本通っている。この国のパイロットスーツだ。
「おお、似合ってるじゃないか」
パイロットスーツ姿で現れたレインにかかった第一声はブラウのものだった。
「少し首が苦しいですけどね」
言いながら首元の布地を引っ張るレイン。だが伸縮性に優れたそれは、すぐに元に戻り、柔らかく喉にまとわりつくと軽く締めつけてくる。レインは少し嫌そうな表情を浮かべた。
「ははは。しかしそれが一番良いんだ。慣れるまで我慢しておくれ。さて、心の準備ができたら乗ってくれよ」
レインは渋々といった様子で頷くと、すぐに機体胸部に向かうタラップを上る。そして薄暗い操縦席へと身体を滑り込ませた。
一人で乗るには広い操縦席だ。レインが真ん中で寝そべってみせても、操縦席の側面に触れるのは難しいだろう。
レインは一直線にシートまで歩くと、ゆっくりとそれに腰掛けた。シートの腕かけの先端に、底は浅いが、ドリンクホルダーのような穴が開いている。シュミレーターには無かったものだ。
物珍しさからレインがそこに指を突っ込んでいると、先ほど準備が整ったことを知らせに来てくれた若い整備士が顔を覗かせる。
「レイン君。座席に背中を預けてくれるかい?まず君とCOMPASSを接続する。背中に軽くビリビリっとくると思うから気をつけてね。あ、でも、外で僕たちがバイタルを見てるから、万が一のことにはならないから安心して!」
レインが頷いたのを確認すると、若い整備士はにっこり笑い、頑張って!と声をかけると頭を引っ込めた。
「お願いします!」
外に向かって放たれた声がレインの耳にも届いた時、駆動音が身体を震わせた。胸部の装甲が閉まっていき、視界が徐々に暗くなっていく。レインは深呼吸しながら、シートに深く身を落とした。
一瞬の静寂の後、カシュ、と空気の抜けるような音がして、レインの背中に何かひやっとしたものが当てられた。数にして6つ。何事かとレインが身を強張らせた時、背中をどうにも形容しがたいむず痒さが走り抜けた。
「む、ぐっ……」
背中を掻き毟りたくなる衝動を必死に堪えていると、先ほど指を突っ込んだ、腕かけの先端部にある穴から、ぼわりと光の球が浮かび上がった。それから、腕かけ自体がレインの腕の長さに合わせて縮んだ。
光球を手で握る時に一番腕が楽な距離だ。背中の違和感を意識の外に追いやり、レインは右腕で片方の光球を手に取る。
手がぬるま湯に付けたような温かさに包まれた。柔らかく光るそれは、水晶玉ほどの大きさをしていて、内側から光を放っているように見える。
「冷たいのが良かったな」
しかしその温かさはレインにとって少々不快なものだった。後で相談してみようか、と考えていた時、頭に響くような声を拾った。
「すまん、何と言ったか聞き取れなかった。大丈夫か?」
ブラウの声だ。レインは慌てて、耳の下の骨のあたりに貼り付けた装置を軽く引っ張り、棒のようなものを伸ばした。そしてそれに向かって声を発する。
「いえ、大丈夫です。問題ありません」
「おお、助かる。気分が悪かったりはしないか?」
「特には」
向こうからはっきりとした安堵が伝わってきて初めて、レインはしまったと思った。これではとてもこの光る球の温度が不快だなどと言い出せない。レインは再びシートに身体を預けると、仕方がないかと諦めて目を瞑った。
「……本当に大丈夫か?」
ブラウの緊迫した声で、レインは我に返る。無意識にため息でも漏れていたのだろうか。
「ほ、本当に何も問題ないです!絶好調ですよ!」
痛いほどの沈黙が襲った。何か自分に落ち度があったのだろうか。それともまた機体に問題でも起きたのか。ぐるぐると思考が回り出し、レインは耐えきれなくなって口を開こうとする。
「あの――」
「はっはっはっはっ!いや、すまんすまん。つい意地悪をしちまったよ」
「……………あ、はい?」
徐々に言われた事の意味が頭に染み込んできて――レインはがっくりと頭を落とし、今度こそ大きくため息をつく。それを聞いてか、笑い声が一層大きくなった。
「勘弁してください……」
小さく愚痴をこぼしながら顔を上げると、アクリル板のようなものが目の前に浮かんでいるのが目に入った。
システムコンソール。これは操縦学の授業でも扱ったものだ。しかし、授業で行ったようにそれを自分の近くに引き寄せようとしたレインは、その表面に見慣れない文字列が表示されていることに気がついた。
「何て読むんだろう……」
「さっきの話の続きだ。そこには“マナス駆動式搭乗者同調型強襲システム統御機構”という意味の言葉が記されている。システムの言葉を音読するなら、あー、“コントロール・オブジェクト・フォア・マナティック・パフォーマンス・アサルト・シンクロナイジング・システム”らしい。だがそれじゃ長すぎるからな。俺たちはその頭文字を取って“コンパス”と呼んでいるんだ。何だったかな……1つずつ読むと、シー、オー、エム、ピー、エー、エス、エス……だったか?そのままだとわからんから、システム言語のルールに則って発音して、COMPASS、となるんだ。わかったか?」
「何となくですが」
「そうか……」
少々がっかりした声が伝わってきて、レインは頭をかいた。わからないものはわからない。そう読むと言われたからにはきっとそうなのだろうとしか考えられなかった。
と、視界の端で僅かな変化が起こったのをレインは捕らえる。先ほど引き寄せたコンソールに目を戻すと、新たな一文が表示されていた。
Control
Object
for
Manatic
Performance
Assault
Synchronizing
System
–––––––START UP
最後の一文をレインが認識したのとほぼ同時に、レインの視界は光に包まれていった。