1章-2 COMPASS
楽の国、王城。現在は役所として機能しているこの城は、楽の国の中で最も巨大な建造物であり、なおかつ国民たちに最も親しまれている。
その白亜の壁は、どこか拒絶の色をたたえ、500年の年月を感じさせないほどに磨き上げられており、見るものをしてため息を漏らさずにいられない。
かつての戦争時にこの城は建てられたとされているが、付近には城を囲む様に立つ6本の石の塔以外、防衛機構が見当たらない。これの理由は研究者によって意見が異なり、曰く、この国全土を使っての防衛戦だった。曰く、最後に残ったのがこの城だけだった、など。
戦時に建てられた根拠として、文献が発掘されたことがあげられる。
しかし内容は歯抜けであり、加えて、天の上から何者かが舞い降りて戦場を蹂躙したとか、外から巨大な何者かが攻め入り、甚大な被害を出しながらもこれを撃退した、などと、にわかには信じ難い情報ばかりだった。
では何が最も凄惨な戦争があったと言わしめているのか。答えは一目瞭然だ。城に残る“爪痕”である。戦時に建てられた城であるため、傷が残るのは当然だが、この城は何度も修復をされている。
壁の一部が崩れたり、汚れたりして、幾度となく壁を作り直したのだそうだ。だが、それでも、何か強い力によって抉られた箇所は、いかに硬い石材を使おうとも、再びその姿を現した。
あまりの事態に異常性を感じた楽の人々は、大戦で散った者たちの無念だとか、巨大な存在の攻撃によるものだとか、各々の解釈をその傷跡に対して抱いているが、その原因は今日に至るまで解明されていない。
「レイン?どうした?」
そんな爪痕にレインはぼうっと見惚れていると、自分の隣が妙に寂しくなっていることに気がついた。見れば、すでにボゥは巨大な正門の脇、衛士の控える小さな出入り口の前で、こちらを振り返っていた。
「ごめん、すぐ行くよ」
縦に巨大な正門をくぐると、柔らかな光が二人を包み込んだ。オレンジ色の絨毯が目に飛び込む。視線をゆっくりと上に動かしていくと、外の白い城壁からは対極とも言えるほど暖かな色に溢れた空間が視界いっぱいに広がっていく。
城下町ほどではないが、人々の織りなす活気が城内のエントランスに満ち満ちている。慌ただしく動くもの、誰かと話し込むもの、椅子に座って書類に何やら記入しているもの。行く人々は常に笑顔で、レインとボゥに気がつくと、少しだけ足を止めて、にこりと微笑んでは去っていく。
「行くか」
ボゥが気合いを入れるようにレインの背中を押した。レインとボゥは並んで、エントランスの中央、T字の巨大な階段を上って行く。階段からそのまま接続した廊下を進んで行くと、次第にエントランスの喧騒が遠ざかっていき、やがて、心地よい静寂が二人を迎え入れた。
廊下の中程でボゥは足を止めると、赤い無機質なカードを取り出した。そしてそのカードを、白亜の壁にほんのわずかに開いた切れ目に差し込み、ゆっくりと引き戻した。
どこかで電子音が鳴る。ボゥはレインを一瞥し、少し下がるように指示を出した。レインが半歩下がるかどうかのところで、プシューッと気圧の変わる音が起き、目の前の壁が扉の形にくぼむと、真っ二つに割れた。
ボゥは扉が開ききると、迷わず足を踏み入れる。扉の奥は先ほどのエントランスや廊下とは打って変わり、金属の無機質なつくりになっていた。しかし、三歩も進まぬうちに、ボゥは立ち止まり、振り返った。
「おい、レイン?」
レインは未だ扉の前で佇んでいる。再び声をかけられてようやく我に返った様で、慌てて近寄ってきた。その間も、ちらちらと扉を振り返っては名残惜しそうに眺めている。
「あんな風になってたんだ……」
子どもらしい感想に、しかしボゥは疑問を抱いた。
「うん?別にあれを見るのは初めてじゃないだろう?」
「そうなんだけど、前に来た時は僕、最後尾だったから。まともに見られなかったんだ」
「なるほどな。じゃあ今日はラッキーだったな」
こくん、と珍しく勢いよく首を縦に振るレイン。それを見てにやりといたずらっぽく笑うと、今度はボゥがキョロキョロと周囲を眺めはじめた。
「さあて、どの扉だったか…こっちはほとんど来ないからなあ」
その言葉でピンときたレインは自身のポーチから、今日受け取ったばかりの書類を取り出す。二枚目に場所の指定がなされていたはずだ。上から文字を追っていると、後ろに回って覗き込んできたボゥが先に声を上げた。
「お、あぁ、オペレーションルームか」
「え……どこに書いてあったの?」
ボゥはほれここ、と書類の中部、一番目立つ文字を指さした。レインは一つ溜息をつく。確かにしっかりと記載されている。ボゥは豪快に笑うと、気落ちするレインの頭を乱暴に撫でた。
「こういうのは一番目立つように書かれてることが多い。今度こういう機会があったら見てみるといいさ」
「そうする」
目的地さえわかれば後は早い。ボゥの先導で無機質な廊下を突き進んでいく。同じような扉を4回見送って、その次で足を止めた。ノックはせず、ボゥは先ほどと同じようにカードキーを取り出した。扉の横に取り付けられた装置にそれをかざすと、モニターにボゥの顔と名前が表示された。
面白いなと観察していたのも束の間、突然モニターが赤一色になると、けたたましい音量でブザーが鳴りだした。あまりの音量にレインは耳を塞ぐ。次の瞬間、目の前の扉が開くと、一人の男が転がり出てきた。
「ななな何事だ!?侵入者!?」
「……誰が何だって?」
「へぇっ!?スパインターク!?おぉい!誤作動だ!早く止めろ!」
転がり出てきた男は、再び扉の向こうへ飛び込み大声をあげた。
「いったい何だってんだ……?」
― ―
「本当に申し訳ない!」
男は簡潔にいうと、禿げ上がった頭頂部を二人に見せる。どんちゃん騒ぎの後、レインとボゥはオペレーションルーム内の会議室に通されていた。レインはまだ耳鳴りのする耳を擦りながら、ボゥはまだ納得のいかないような表情でそれぞれ頷いた。
「それで?何がどうしたんだ?」
顔をあげた禿頭の男–––ライネス・ウィンはため息をつく。
「単純な見落としだ。KIA認定されたり、寿命で亡くなった後カードキー……“TAG”を回収できなかった連中のものを使えなくするためのシステムがあるんだが、IDを入力して振り分けるタイプのものでな。人間がやるものだからミスが出る。それを監視するために人員を割いてはいたが、今回はタイミングが悪かったとしか言えん。本当にすまない」
「……ミスが出るくらいなら、はじめから使わなければいいのに」
ライネスは少し驚いた表情を見せ、それからやるせなさそうに笑った。
「はは。手厳しいな。しかしな、レイン君。我々は以前に、このシステムがなかったことで非常にまずい失態をしたことがあるんだ。不満はあるが、とてもじゃないがこれを手放すのは難しいんだよ」
「……それなら、初めから全部システムに任せちゃうとか」
レインの提案に、ライネスはニヤリと笑ってみせ、腕を広げた。
「それが1番と思うだろう?だがな、ここが面白いんだが、どれだけ完璧に組んだと思っても必ず綻びが生じる。何かを便利にしたいと思って組んだものほど、とてつもないポカをするんだ!システムがだぞ?人間じゃないものがだぞ?どれだけ先を読んでクッションを用意しても、器用にその隙間から落ちやがる!」
途中から広げた腕で頭を抱えていたライネスだが、その目はキラキラと輝いている。
「システムというものはそれだけで完成される!プログラムされたことを忠実に実行するからな。だからポカなんか有り得るはずがないんだ!それこそ意思でも宿ってない限りな!事実、哀の国じゃ絶対に起こりえないんだぜ?俺はこれは――」
まだ口を開こうとするライネスを、引き気味のボゥが止めに入る。
「わ、わかった。わかったから少し落ち着け。今回の件が意図的なものじゃねえって確認がとれりゃこっちとしちゃ十分なんだよ。ったく、相変わらずだなアンタ」
「かはーっ!この間までCOMPASSの左右もわからなかった小僧が言うじゃねえか!ガハハ!」
「いつの話だそれ!?それこそまだアンタが整備班長だったころだろ?30年は昔だろ!忘れましたよそんなこと!」
「バッチリ記憶掘り返しておいて何言ってんだかなぁ。今でも昨日のことのように思い出せるぜ。『右腕を上げてみろ』って言った時に『右って左ですか!?』とかぬかしやがって。右は右しかねえっての。ただあんまりにも声が切羽詰まっててな?俺ぁてっきりゲロんじゃねえかと思って、他の奴にバケツ用意させたらよぉ。きっちりコンパスの右腕でバケツ受け取りやがって……!思わず『わかってんじゃねえか!』って――」
じゃれあい始めた男二人の話に、レインは静かに耳を傾けていた。滅多に聞けないボゥの昔話だ。レインにとって養父との会話は洗濯物とか献立ばかりだから、こういった話はとても新鮮だった。
しかし、すぐに会話が途切れていることに気がつき、レインは視線を上げる。二つの顔がこちらを覗き込んでいた。疑問に思ったレインは「続けて」と手で先を促すが、返答は二つの笑い声だった。
ボゥの大きな手が頭に置かれ、ぐしゃぐしゃと力強く撫でられる。なすがままにされているレインを優しげに見つめ、ライネスが再び口を開く。
「いい子に育っちまってまぁ……。これがあのスパインタークが育てたって聞いたら何人かショック死するんじゃねえか?」
「……別にショック死するほどじゃねえだろうがよ……」
「誰が真面目な衝撃なんぞ受けるか。笑い死にだ」
思いっきり歯を剥いたボゥを一笑に伏し、ライネスは葉巻を取り出した。先ほどの話の続きはないと悟ったレインは、少し残念に思いながら、首を巡らせて部屋を眺めた。
派手な調度品は一つもない。ガラスの天板の机と、革張りのソファ。磨りガラスで囲まれたこの区画に、一つの煙が上がった頃、トントントンとノックが三つ届いた。
入れ、とそちらを見ずにライネスが言うと、一人の青年が現れた。青年はレインを認めると口を開き――揺蕩う煙に気がついてその表情のままライネスに向き直る。
「所長、ここ禁煙です」
威厳たっぷりに構えていたライネスが固まる。ボゥとレインが片眉を上げるのを見て、目が泳ぎだす。だが観念したのか、葉巻の火を手でもみ消した。
「あー、オホン。何の用かね?」
「レイン君用にCOMPASSのシステムのチューンナップをしていたんですが、それの終了報告です。いつでも可能とのことで」
「思ったより長かったな。何かあったのか?」
「それは……」
そこで一旦区切ると、青年はレインをちらりと見た。レインが首を傾げると、突然ボゥが口を開く。
「先にレインを案内してやってくれないか?チューンナップは終わったんだろう?」
ボゥの言葉に少し驚いた青年は今度はライネスを見やる。ライネスが頷いたのを見て、青年に笑顔が浮かんだ。
「わかりました。では後ほど担当が参りますので、ボゥさんはここでお待ちいただけますか?……ありがとうございます。じゃあレイン君。行こうか?付いてきてくれるかい?」
ボゥが優しくレインを見つめる。レインは頷くと立ち上がり、思い出した様に自分のポーチを肩から降ろした。
「お養父さん、これ預かっておいてもらえる?」
「おう」
青年に連れられ、レインは人と機械の合間を縫って部屋を出る。何度も、力み過ぎずにね、とか、頑張って、とすれ違うオペレーター達から小さく声援をもらった。
大丈夫。僕ならやれるさ。そんな言葉がふわりと頭に浮かんだ。
一人で何やら頷いているレインを不思議そうに眺めながら、青年は先導していく。やがて現れた扉。青年がボゥと同じ様なカードキー“TAG”を取り出し、扉横に取り付けられた装置を通す。
オペレーションルームに来るまでに通った扉の時の様に、プシューッと気圧の変わる音が立った。扉が開くまでに漏れ出てくる風に、強い熱がこもっている。
「うわぁ……!」
開ききった扉の奥は、それからは想像もできないほど巨大な空間が広がっていた。そして部屋の左右に、奥が見えなくなるほど並んだ人型の機械。その一つ一つが格納庫に収まっている。
「ようこそ、レイン君。ここが整備ハンガー。そしてこれがCOMPASS達だよ。と言っても、一応君は見慣れてるのかな?」
更新が遅くなり大変申し訳ありません。