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欠片のそら  作者: さんくす
楽の国
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1章-1 楽の城下町

「おはようございますボゥさん!レインくんも!」


「おう!おはよう!」


「おはようございます」


「レイン!今日はいい魚が入ったんだ!夕飯にどうだい?」


「これから用事があるんで、帰りに寄りますね」


「おいおい、仕方ねえな。とっといてやるよ!」


「ありがとうおじさん」


 朝も遅めの時間だが、大通りから活気が消えることはない。レインとボゥはそれぞれ巡回の兵士や、商売上手な売り子に挨拶をしていく。そのせいで歩みは遅々として進まないが、そんなものだ。


 この国で時間を決めて何かを行うのは、街の巡回の警備従事の時間や、年に一度ずつ欠け、再び満ちるマナスを祝う様な祭事の時ぐらいであり、他の細かなことは大雑把に済ませてしまうのが常だ。

 大事な時に労力を割くことが出来なくなったら元も子もないとは養父(ちちおや)と親しい人物の言だが、書類を紛失するなどといった人間のミスがほとんど起きなかったり、街の管理が行き届いているところから見て、きっとその通りなのだろう、とレインは思っている。


「あ!レインにぃに!!」


 王城前の大通り、その坂を登り始めて六つ目の角にに差し掛かったところ、突然降りかかった大声によって、レインとボゥは足を止めた。

 とたたたた、と可愛らしい音を立てて接近してきた子供は、レインが振り向いたのと同時にジャンプした。


「おっと!」


 不意をつかれ、反応が遅れたレインを、慌ててボゥが支えた。レインはボゥに礼を言うと、まだ自分の腰に巻きついている柔らかいものに目を向ける。レインよりも一回りほど小さな女の子がこちらを見上げ、顔中で嬉しさを表現していた。


「ヨルーちゃん、いきなり走ってきて抱きつくのは危ないよ?」


 ヨルーは、えー、つまんない、と抗議するが、その顔は笑顔のままだ。それを見たレインが手でヨルーの両頬を挟んでもにもにし始めると、くすぐったそうに身を(よじ)り、キャッキャと笑い声をあげる。しばらくすると、女の子の名前を呼ぶ声が人々の間を縫って飛んできた。


「ヨルー!?どこなの!?ヨルー!?」

「こっちこっちー!」

「ヨルーちゃんならレインの坊主に捕まってるぞ!」

「あぁ、ありがとうございます!」


 無邪気に手を振っていた女の子は、こちらに必死の形相で駆けてくる母親の姿を見つけると、するりとレインの腕から逃れて走り出す。そしてそのまま、今度は安堵した顔の母親に飛びかかった。ドスッという衝撃を殺す音と、ヴッ、と歯の隙間から漏れた声が少し離れたところにいるレインとボゥのもとにも届く。


「急に走ったら危ないわよ」

「えへへ、ごめんなさーい」


 もう、と苦笑しながら娘に怪我がないかを確認している母親に、レインとボゥが近づいていく。ヨルーが母親の袖を引っ張ると、母親は慌てて顔を上げた。


「あ、ごめんなさい!レインくん、うちの娘を捕まえてくれてありがとう!……もしかして、飛びかかられたりしてない?」

「やられましたけど、僕は平気です。カルハさんこそ大丈夫でしたか?さっき思いっきり……」


 すると母親(カルハ)はその言葉を待ってましたと言わんばかりに胸を張った。


「私、最近腹筋を鍛えてるの!だからこれくらいへっちゃらよ!」

「へっちゃらよー!」

「そうなんですか」


 母の真似をしてご満悦のヨルーを見て、カルハも破顔する。ヨルーは一度、ぎゅっとカルハの腰に抱きついた後、もう一度レインの腕の中に入ろうとする。


 ちょっと意地悪しようと思い立ったレインは、腕を上げたり、くるくる回ったりして、なかなかヨルーに抱きつかせない。やー、などと抗議の声をまた上げるヨルーだが、それよりも楽しい気持ちが勝り、どんどん笑い声が大きくなっていく。

 ふとヨルーがピンときた表情をして、背中を見せたレインににじり寄っていく。そして、ぴょんと飛んで背中に飛びついた。ある程度準備が出来ていたレインはよろめくことなくそれを背中で受け止める。ヨルーがレインの背中をよじ登り肩から顔を出すと、カルハが頬を膨らませた顔が目の前にあった。

 びっくりしたヨルーが笑い声をあげながら転げ落ちそうになる。慌ててカルハとレインがヨルーを支えると、ヨルーはレインの肩に顔をつけて、クスクスと可笑しそうに笑った。


 と、そこで、今まで沈黙を保っていた大男が何かに気がつき、口を開く。


「あー、なんだ。その、カ、カルハどの……さん。うー、その、ヨルーちゃんを、えーその、あー……」


 尻切れ蜻蛉(とんぼ)のままおもむろにボゥは口を閉ざした。真一文字に結んだ口のまま、3人の視線から目をそらす。耳まで赤くしながら、エホンオホンと咳払いを繰り返すボゥを見て、何となくボゥの疑問を把握したレインが代わりに口を開く。


「でもやっぱり危ないですし、ヨルーちゃんの突進癖を抑えてあげたほうが良いんじゃないですか?」


 突然カルハの目が遠いところを見つめ始める。


「それもこの子の個性かなって思い始めて、ね…」


(なるほど、諦めたんだな)


 余りにも雰囲気の違うカルハの姿を見て、男二人はただ黙って頷くしかなかった。レインは昔、養父(ちちおや)が「子育てはもっと手がかかると聞いてたんだがな」とぼやいていたのを思い出す。その時には何のことだかわからなかったが、この母親の様子を見ると、「手がかかる」と言った意味が少しわかるような気がした。


「お母さん、最近いそがしくて疲れちゃうから、寝る前に絵本を読んでくれないの。しつれいしちゃうわ!」


 覚えたてらしい言葉で不満を口にするヨルー。ぷくっと膨れた頰がレインの頰に当たって、柔らかく形を変える。実はその疲れの原因はヨルーなのではないのだろうか、とレインは考えるが確証がない。答えを求めてカルハに顔を向けると、彼女は苦笑いを浮かべ、それからがっくりと肩を落とした。


「そうなの。私にもっと体力があれば良かったんだけど……なかなか難しくて」


「しょんなことはっ!にゃい、と思う……ます……」


「……そんなことないと思いますよ」


 本当に今日はボゥの様子がおかしい。ゲッホゲッホゴホホッと喉を痛めそうな咳を聞いて我に返ったレインが、ボゥの言葉を引き継いだ。茹で蛸の様な赤さになってしまったボゥを見て、レインはこれ以上ボゥに喋らせない方がいいと判断する。そして、未だに目を白黒させているカルハに再び顔を向けた。


「何が一番大変なんですか?」


 ずり落ちてきたヨルーを背負い直しながら、レインは問いかける。レインの声に弾かれた様に振り向き、もう一度聞き直した後、「うーん、そうねぇ」と少し考えたカルハはにっこりと笑った。


「全部ね」


「全部……」


 レインは絶句する。カルハをもってしてここまで言わしめるのだ。一体自分はどれほどの労力を、養父(ちちおや)に割かせてしまったのだろうか。思案の渦に沈みそうになったレインを、肩から引っ張り上げられる感覚が襲う。

 いや、実際に背中が少し軽くなった。慌ててレインが体勢を変えて子どもを抱きかかえやすくすると、母親は優しく礼を言った。ヨルーはいつの間にか眠ってしまっていた様だった。


「それでもね、私にはこの子がいる。この子がいてくれるから、大変でも、決して辛いわけじゃないのよ?」


 頭の中を一陣の風が吹きぬける。それは、レインにとってとても気持ちのいい風だった。


「ありがとうございます」


 黒く淀んだ何かが自分の(うち)から払われていく様で、晴れやかになったレインは思わず礼を口にしていた。えー、なになにどうしたの、と不思議そうなカルハに対し、


「わからないならそれで構いません」


 と、ちょっとおどけてみせた。えぇー、と言いながらも楽しそうに笑う彼女を見て、レインは、きっと今自分も、あんな表情を浮かべているんだろうなと思った。そのくらい気持ちのいい笑顔だった。


「それじゃあ、僕たちはそろそろ」


 会話も途切れ、両者ともにこれ以上話題はないと判断したレインが会釈する。


「あ、そうね。ヨルーの相手をしてくれてありがとう。本当に助かったわ!さあ、起きて、ヨルー。悪いんだけど、もうちょっとだけ歩ける?」


 名を呼ばれ、体を揺すられた少女が、目をこすりながら伸びをする。ふわぁ、と欠伸をして、キョロキョロとレインとカルハの顔を見比べた。しばらくレインを見つめて――急にそっぽを向いた。そして突然、母親の腕から抜け出そうと暴れ出した。慌ててカルハがヨルーを降ろすと、ヨルーは母親の後ろに隠れ、服の裾を掴んだまま俯いている。


「ほら、もう帰るから、ばいばいしよう?」


 カルハがいくら促しても、ヨルーはぎゅっと口を結んだままだ。それを見たレインはヨルーに目の高さを合わせて声をかける。


「また今度いっぱい遊ぼう?ね?」


 ヨルーはしばらくレインを見つめてから、渋々、といった様子で頷いた。しかし、レインがヨルーの頭を撫でると、またすぐに笑顔が戻ってきた。

 安心した表情のカルハが、ちらりと目だけでボゥを見たが、ボゥは未だ自身を岩と暗示したかのように沈黙を守っている。何もないと判断したカルハが会釈すると、岩は少しだけ動いて会釈を返した。


「ばいばーい」


「ばいばい」


 元気な声が人の向こうまで吸い込まれていってから、レインはボゥの顔を横目で見た。

 非常にだらしなく緩んでいる。にやつかないよう必死に顎をさすっているが、焼け石に水だ。大きな顔の表情筋が、鍛えられた握力を上回っている。何がそんなに良かったのだろうか。レインは養父(ちちおや)に少し反省してもらおうと決意した。


「……次はもう少しうまく話せるといいね」


 レインが無表情のまま言うと、ボゥは弾かれたようにレインを見て、慌ててきりっとした表情をつくる。咳払いをして、「うむ、そうだな」とか「その通りだ」とかそのようなことをもごもごと呟いた。しばらく大通りを王城に向かって(のぼ)って行き、レインは再びちらっとボゥの表情を伺う。

 ダメだ。さっきせっかく固めた顔がもうふにゃふにゃになっている。


「お養父(とう)さーん」


 レインの平坦な声を聞いてボゥは肩をビクッと震わせた。周囲を見渡し、レインを見て、恥ずかしそうに頭を掻き、口を開いた。


「い、いや、それにしても、役人がしっかりしていて良かったな!書類にお前の年齢までばっちり記載されてて……せっかく計算したのになぁ」


 あからさまな話題の転換に、レインはちょっとだけ片眉を動かしてから、


「そうだね」


 とだけ答えたのだった。

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