第八章 6/8
「マンドラゴラ。その美しい声には神経毒のような作用があり、一定の声量を越えると生き物の全身に神経伝達物質の阻害を引き起こす。悲鳴ともなればものの数秒で人間をも殺してしまう。効果は人間だけに及ばない。古くは、大量に彼らをかき集めて竜退治に使ったりもしたほどだ」
だが、とメイリは頭を左右に振った。
「それはもちろん諸刃の剣でな。うっかり彼らの声を耳に入れれば味方の兵士も容赦なく死んでしまうのでな。それで結局、有害植物だということになって過去、大規模な「除草作業」が行われたらしい。私も文献でしか知らないが数百年前だ。だが細々とは生き残っていたんだな」
思考をそらそうとするかのようだった。メイリとて解説が必要だとは思っていなかっただろう。
ごめんなさい。そう書かれた黒板の文字を見つめる。
「植物系だからと言って人と同じように意識を持つ彼らにはちゃんと制約魔法は効果を及ぼす。彼女だって人を殺そうなんてすることはできない」
「そう……だ。勝手に死んだのは周りの人間のほうだ。あの子が悪いわけじゃない……」
俺の呟きは重い色の木でできたテーブルに溶けて消えた。
「やめてよ、タケマサ。あの声は彼女の生まれつきの体質。確かに彼女のせいじゃない。でもそれに耐えられない周りの人間が悪いわけでもない。単に相性が悪いだけよ」
「じゃあアリサリネ、どうすれば良かった。どうして、彼女だけが街を追われなければならない」
「……彼女の代わりに街の人間全員が出て行けっての?」
「つまり彼女一人が出ていったほうが「手間が少ない」ってことか」
ガタンと音を立ててアリサリネは立ち上がった。
「……私に八つ当たりしないでよ。しょうがないでしょ。制約魔法は関係ない。マンドラゴラなんて元々、人間と共存できる生き物じゃない」
激しく扉を閉めてアリサリネは出て行った。
「蘇生……しなくちゃならんな」
この国には蘇生師が俺しかいないのだ。
まずはユリン兵士長から蘇生に取りかかる。今の俺には蘇生は一人ずつでないとできないのが辛いところだ。アリサリネにもライセンス調整し直して貰って協力して貰いたいところだ。
ユリンは蘇生すると、俺を見て尋ねた。
「夜這いか?」
「寝言は死んでから言え」
「今死んでいたところだろうが」
ユリンは身を起こした。
「私は殺されたのか。やはりあの少女にか? しかし、どうやって……」
「ああ。だがもう解決した。もう殺人は起きない」
俺が腰を上げたとき、ドタドタという足音が扉の外に迫ってきた。兵士だった。
「大変です! また! また殺人が!」
*
「今度はマンドラゴラでは……ないみたいだな」
男は、斧を振り回していた。
筋骨隆々といった体格はきっと戦士のものだろう。その振るう巨大な斧で力に物を言わせて魔物をぶちのめす。そうやって外の荒野をこの街まで旅をしてきた冒険者なのだと見える。頭に花は咲いていない。
ただ、今その斧は人に向けて振るわれている。
突然暴れ始め、通行人を無差別に切りつけ始めたらしい。十人以上がケガをし、二人ほど死人も出ている。
くそっ。どうしてだ。今度はどういう訳で制約魔法で防げてないんだ。
「……動きが素人だな」
「そうなのか?」
「ああ。素人どころじゃない。腕だけで振るから斧に振り回されている。……ところで、なんであいつは人を殺せるんだ? タケマサ」
「俺が聞きてえよ」
門番の兵に確認したが、今度の男も間違いなく今朝、城門から入り、ちゃんと制約魔法を受けたそうだ。
「とにかく、のんびり話している場合か。倒れてるうちの何人かは生きてるからサフィーのとこに連れていけ。奥の二人はもうダメだ。タケマサ、蘇生を頼むぞ」
ユリンが剣を握って斧男に向き合う。
「気をつけろユリン。蘇生したばっかりでまた死ぬなよ」
任せろ、と言ってユリン兵士長は斧男に向かっていった。大振りに振りかぶった斧を振りおろす男の一撃を軽く避けて後ろに回り込む。
「ちょっと眠ってろ」
ユリンは男の首筋に手刀を……打とうとした。
「……!?」
その手が止まる。
……あちゃー。
ユリンは驚愕の顔を浮かべたまま、斧男が変な体勢から振り回した斧の柄の部分がコメカミにヒットして昏倒した。
「そりゃそうだよ。延髄に強い打撃を加えたら、下手すりゃ死ぬこともあるんだから。安全に気絶させられる技だと思ってたのかな?」
ティルミアが解説した。なるほど、首をトンってやるのは漫画でよく見るが、あれ危ないのか。制約魔法に引っかかるくらいには。
「まあ、制約魔法できちんと制約されたということはユリン自身も理解しておったのじゃろう。今忘れてただけで……。しかし弱ったのう」
冷静に言ってる場合じゃない。斧男はキョロキョロとあたりを見回して次の獲物を探している。既にあたりの町民は逃げ出して人気はない。必然的に俺達に矛先が向かうことになる。
「おいおい、こっち来るぞ」
ラインゲールが前に出た。
「しかたない。風で拘束させてもらうよ。動きを止めるだけなら傷つけるわけでもなく息の根を止めるわけでもないから可能な筈だ」
言うが早いか、ラインゲールは素早く印を組み、短い呪文を唱える。しゅぶぶぶんと音がして、あたりの空気がラインゲールに操作され、集まってくる。斧を持った男の動きが止まった。俺がやられたみたいに空気の縄が縛ったのだろう。動けない様子だ。
しかし舌打ちをするラインゲール。
「タケマサくん……悪い知らせだ。そう長くもたない」
「え、なぜだ。俺を拘束した時はもっと長くもってただろ」
「この男、自分の骨が折れるような勢いで拘束の風に抵抗してくる。そうなるとこっちは強く押し返せない。骨を折ると場合によって命に関わるからね。風を弱めざるを得ない。一瞬弱めて、かけ直す……そうやって誤魔化しながらかけ続けているが……消耗が大きいんだ」
「……どのくらいもつ?」
「三十分かな」
「ミサコ! 城に戻るぞ。打開策を考える」
*
「また殺人!? どうなってるの……!?」
「知るかよ! 俺にだってわからん。制約魔法は確かにかけた奴なんだ」
アリサリネだって俺を責めているわけじゃないのだろうが、苛立ちから俺も口調がきつくなる。
「ともかく、対処だ。ラインゲールが抑えている間に対策を考えなきゃならん。どうやったらあいつを抑えられるか」
制約魔法で俺達も含めてこの街の全員を殺人罪で縛り、人を傷つけることを禁じた。そのことが逆に仇となっている。制約魔法が邪魔をして誰も、強硬手段であいつを止めることはできない。
「ラインゲールの話じゃあ、あいつを押さえつけるのは筋が悪そうなんだ。あいつ自身が骨折する勢いで抵抗してくる。例えば縄で縛ったとしても、あいつ自分で縄を引きちぎろうとして手足をボロボロにしちまいそうだ。制約魔法に引っかかる可能性がある」
「魔王を抑えたのと同じ要領で、非力な兵士で押さえつければ……?」
「ダメだアリサリネ。そりゃ相手にも制約魔法が効いてなきゃ使えない手だ。あいつは既に何人か殺せているんだ」
チグサがはいはーい、と手を挙げた。ずっと発言してなかったが、ようやく酒が抜けてきたらしい。
「落とし穴ってのはどう?」
だが横からミサコが、厳しいと思うぞと言った。
「落とし穴というのは結構危険な罠じゃ。案外浅くても不意を突かれて落ちると打ち所が悪くて死んだりする。それを理解していて深い穴を仕掛けるのは難しい。かといって浅すぎれば出てきてしまうし」
「じゃあ網をかぶせるとかは? さすがに死なないよ」
「網か。かぶせたあと、どうやって拘束するか、じゃな。眠らせるとかができれば良いのじゃが……」
「ミレナさんに眠らせて貰うとか……。あれ、そう言えばミレナさんは?」
「あれ? いないぞ?」
「……ティルミアもいないな」
「……」
沈黙を打ち破ったのは、扉が開いて飛び込んできた兵士の言葉だった。
「報告します! 暴れていた男は殺されました!」
「な……何? 誰にだ!?」
「ティルミアさんです!」
*
血のしたたる手。
胸を貫かれた斧男は動きを止めていた。
その前で。
ティルミアは近づいてくる俺を見て、苦笑した。
「壊しといたよ」
ティルミアの鼻から、つーっと垂れるものがあった。
「おい、ティルミア……。おまえ、鼻血が……」
ミレナが悲鳴をあげた。
「ティルミアさん、解きます!」
ミレナがティルミアに走りよると、その額に手を当てた。
「……ぷはっ……。あー、すんごい頭痛くなるねこれ……」
ティルミアは鼻血を拭った。
「うーん、せっかく無理にお願いしてやってもらったけど、ミレナさん。これ、結構負担がきっついや……」
「いいえ、私こそやめておくべきでした。催眠系魔法の重ねがけなんて、負担が大きすぎます」
ミレナはハンカチでティルミアの手についた血を拭きながら謝っている。
ミサコがミレナの言葉に反応した。
「重ねがけ……? まさか、制約魔法の上から、それとは逆の作用をする催眠魔法を上書きしたということか……?」
「どういうことだミサコ。逆の作用って……。「殺しても良い」と暗示をかけ直したということか?」
いいえ、と否定したのはミレナだった。
「矛盾する催眠系魔法はかかりません。……それができるなら私だって死ねるよう自分に暗示をかけなおしていますよ……。そうではなく、私がやったのは……」
ティルミアが頷いた。
「人を人とは思わないようになる暗示だよ、タケマサくん」
ティルミアは朗らかに言った。
「人を人と……?」
「人でも亜人でも魔人でもなく。生き物とすら思わないように。「モノ」だと感じるような暗示」
パンパン、と服をはたいてティルミアは微笑んだ。
「モノだと思うと壊せる。でも人間相手に戦うのとは勝手が違うね。結構傷ついちゃった」
な……んだと?
パチパチパチパチ……。
拍手をしたのはラインゲールだった。
「お見事だよ、ティルミアさん。さすが殺人鬼だ。とても助かった。思いの外、抵抗が激しくて、僕一人じゃ抑えられなくて困っていたからね。危ないところだった。……タケマサくん、なんでそんな不満げな顔をしてるんだい? そこは、彼女に感謝すべきところじゃないのかな。君がああでもないこうでもないと対策を話し合っている間に、彼女が解決してくれたんだよ」
……。
「ほら、それを証拠に、周りを見てみたまえ。彼女を見る国民の目は、救世主を見る目だと思わないかい?」
その通りだった。改めて見てみるまでもない。斧男の死体のそばに立つティルミアを、遠巻きに見守る群衆から、時折声があがっていた。「ありがとう」とか「ティルミア様」とか。いつの間にか名前も知られている。
「ティルミア。大丈夫か」
「うん……ちょっとキツいかな。もっかいやるのは無理だと思う。それに、今一つ実感がともなわくって、殺人って感じがしないんだよね。人を殺してる筈なのに、物を壊してるだけにしか感じないから、なんか物足りないっていうか、変な罪悪感があるっていうか……」
「罪悪感? ……無いんじゃなくて、ある、のか? 物を壊してるほうが?」
そうそう、とティルミアは俺の疑問になど気づきもしないようだった。
「しかし催眠術を使えば殺人罪が簡単に破れるというのは……危険な話だな」
ミレナは首をぶんぶんと振った。
「簡単!? とんでもないです。さっきも言いましたが、二重にこの手の魔法をかけるのは精神的負担が大きすぎるんです。精神に障害を負う危険さえあります。それにこんな……物の認識を大きく変えるような催眠魔法は、かかる方も受け入れる気持ちが無いとかかりにくいです」
「私とミレナさんだからできた方法だね」
「わかった。ともかく、こういう事態を防げなかったのは俺の制約魔法が不完全だったからだ。……俺のせいだ」
「ううん、自分を責めないで、タケマサくん。どうしたって人を殺さなきゃ解決しないことはあるよ」
「それをなくすための制約魔法なんだよ」
*
「……それにしても、こいつは一体どうして……殺人が可能だったんだ」
「蘇生させて聞いてみる?」
「うーん、また暴れ出さないかな……。ぐるぐる巻きに縛っておけば平気か? 今なら縛れるだろうし」
縛った後、遺体修復を行って胸に空いた穴を塞ぐ。そして、蘇生魔法。
記憶を失わせないように慎重に術式を組む。ここで子供に帰られたら元も子もない。
しばしの時間を貰い、蘇生を終える。
「はっ……私は……何を」
そんなありきたりな台詞をはいて起きあがった男は、残念ながら何も覚えていなかった。
斧を持った戦士として冒険者をやっていたが、近くのダンジョンで仲間とはぐれてしまったため、一人で先に近くの街にやってきた。街の入り口まで来たのは覚えているが、そのあたりで記憶が無いと言う。
「俺が、人殺しを……? そんなバカな。俺がそんなことをする筈がない……!!」
ひどく狼狽するその様子を見る限り、嘘をついているとも思い難いが……。
「あんた、生き返ったばかりのところを質問責めにしてすまんが、何か特殊な体質だったりするか? 催眠魔法が効かないとか……」
だが男は何ら心当たりが無かった。どちらかといえば簡単に騙されるほうだと言った。
「でもパーティによく誘われるんだ。信頼されてるんだぜ。こないだ仲間とはぐれたダンジョンでも、凶悪な巨闇狼が出てきたから、仲間が俺に足止め役を任せてくれたんだ。後から増援を連れて必ず助けに来ると言ってたんだが、いくら待っても戻ってこなくて、そのうちまぐれ当たりで巨闇狼を倒せたから良かったものの……。あいつら、無事に逃げたのかな。あいつらに何かあったか心配だぜ」
なるほど。どうやら騙されやすいというのは本当らしい。
ミレナが俺に耳打ちした。
「騙されやすい人は大抵、催眠系の魔術も効きやすいです。まして無差別に街中をターゲットにできる制約魔法も効かないとは思えないですね……」
「するとどういうことだ?」
その時。三度、兵士が駆け込んできた。ガタタン、と扉が音を立てたときにはなんとなく兵士が何を報告するのか予想がついていた。
「またです! また殺人が!」
*
今度は女の冒険者だった。小型のナイフを持っている。
見たところ戦闘タイプじゃない。冒険者みたいだがパーティの回復役か何か……後衛だろう。だが、いきなり通行人の老人を刺し殺した、らしい。
さっきの斧を振り回していた男と同じだ……。その表情には何も浮かんでいない。感情が無いかのようだ。
「小型のナイフか。オノ男と違って戦士でもないようだが……、とはいえどうしてまた殺人罪が効かないやつが出てくるんだ。……いや、というか……」
制約魔法が効かないことも不思議だが、それ以前に……人を殺すような人間、なのか? さっきの男も蘇生後の様子はそうは見えなかったし、この女のうつろな表情……。
「もしかして……操られている……?」
「ご名答。タケマサくん」
振り向くとそこにいたのは。
「レジン!! 貴様」
「これが殺人罪を避ける方法、その二だよ」
「人を操るといってもいろいろなやり方がある……。さっきティルミア君がやったように催眠魔法を重ねがけする方法も不可能ではないが、精神への負担が大きい。だから別の方法として、肉体を直接操作する方法がある。対象の精神を肉体の制御から切り離し、代わりに肉体の操縦者となって好きに操る。憑依と言ってもいい」
「……貴様が、やったのか?」
「ノーだ。僕にはそういうことはできない」
「人に肉体を操られているから、殺人罪に引っかからないってのか。……いや待て、それはおかしい。操られているほうは引っかからなくても、操っているほうは引っかかる筈だ。道具を使って人を殺すようなものだからな。たとえば銃で狙撃して人を殺そうとするのと同じだ。人を道具として使ったからって殺人罪は免れない」
レジンは笑った。
「その通り。操っているやつに殺人罪が及ぶならね」
「……! 街の外にいるのか!!」
やられた。遠隔で人を操っているのだ。操る人間は街に入らなければ、そいつは制約魔法の外だ。殺人罪は適用されない。
「街の外を洗え!」
ユリンが叫ぶ。
「おそらく街の外で、やってくる冒険者何人か罠にはめて操れるようにしたんだろう。……ずいぶん手の込んだ真似を……」
甘い甘い、とレジンは人さし指を振りながら馬鹿にしたように俺を笑う。
「手の込んだ? とんでもない。昔からよくある攻撃手段さ。自分は安全圏にいながら人を殺したいと考える人間は多い。直接手を下さずに他人を使って人を操って殺させるなんて当たり前の発想じゃないか。そうだな、殺人教唆という概念は君の世界にもあっただろう? それを縛れないのは、君の制約魔法の不備だ」
「……こやつの言うとおりでは、ある。殺人罪には元々限界がある。所詮、人の意志を縛る魔法でしかない。人の意志を越えたところにあるものは太刀打ちできん」
じゃがな、とミサコは不敵に笑う。
「こんなものは魔法を改良して効果範囲を広げれば良いだけじゃ。いずれ解決できる」
そうかい、と言ってレジンは指を鳴らした。
「……! 待て!」
「それまでに何人死ぬかな? 無秩序な殺人が横行する状況を変えたいのはわかるけど、自衛手段、抑止力としての殺人まで禁じてしまって良かったのかな? 必要なのは無秩序に殺人を禁じることじゃない。統制された殺人だよ。前に言っただろう?」
「……ナナも、この操られた殺人者も、お前が仕組んだんだな!? なぜそんなことをする?」
「安心したまえ。僕がこの街に呼んだのは、次ので最後だ。もう会うこともないだろう。幸運を祈るよ」
レジンはそれだけ言うと、その足下から立ち上った光に包まれて消えた。そうだった。あいつの仲間にも人を転送する魔法使いがいる。
兵士が街の外を捜索した結果、犯人の操り師は簡単に見つかった。城門の外は見通しが良く、隠れるのは難しい。俺が進入した下水の出口も既に塞いであった。
「ゆ……許してくれ! 俺は金を貰っただけだ! 何人か冒険者を操って街中で暴れさせろって。真っ白い服を着た兄ちゃんが」
暗殺稼業をやっていたが腕が悪くて行き詰まり、金に困っていたらしい。操られた冒険者もたまたま見かけただけの他人だと言う。レジンのことも名前さえ知らなかった。翌日の分で制約魔法をかけることになった。
「次で最後……? まだ来るのかよ」




