第一章 4/8
「おい待て、話が違う」
宿が特別に用意した一等客室。確かに豪華な部屋だったが、俺とティルミアが一緒の部屋になっていた。
「何が?」
「別室にするって言ってたじゃないか」
ティルミアはきょとんとしている。
「部屋数、五部屋もあるんだよ? 何が問題なの?」
「一つの客室の中が五部屋に分かれてるだけじゃないか。別室ってそういう意味じゃない。内ドアに鍵がかからないじゃないか」
まじめだねえ、とティルミアは笑った。
「鍵って……。私は気にしないよ? そこまでタケマサくんのこと警戒してたら一緒に行こうなんて言わないって」
俺が警戒してるんだよ。
もっとも彼女のあの攻撃力からすると、もはや鍵のかかった木の扉程度では意味がない可能性がある。が、用心に越したことはない。
寝ぼけて彼女が俺のベッドに潜り込んで……といった例のラブコメ的な展開があったりすると、俺が朝には冷たくなってしまう可能性が高い。
「……と、とりあえず、内ドアにつけられる錠前とか何か借りられないか、フロントに聞いてくる。着替えとかする時とか、あったほうがいいだろ?」
「そんな。大げさだって。……もう、あんまりそんな風に意識されるとこっちも恥ずかしいってば……」
ぶつくさ言っているが、俺は無視して部屋を出た。フロントに借りると言ったが、今後のことを考えて、一個買っておいたほうがいいかもしれない。
ホテルのフロントで、近くに錠前を売っている店がないかと聞いてみた。受付スタッフは少し考えた後、近くの裏通りにある雑貨屋に売っているかもしれないと言った。
そりゃそうか。つい100円ショップみたいなところで買えばいいとなんとなく思っていたが、そんなものがこの世界にあるわけがなかった。
*
「錠前は売ってないな」
そして雑貨屋でも、あては外れてしまった。
「そうなのか……どこなら売ってるか知ってるか?」
頭のはげ上がった店主は首を横に振る。
「売ってねえなぁ、たぶんどこでも。最近は錠前なんて魔法で簡単に開けられるからな。意味ねえのよ」
衝撃だった。
鍵を開ける魔法。そんな魔法まであるのか。
「じゃあ鎖とか……何でもいい、扉を外から開けられないようにする道具はないか?」
「物理的な手段だと大差ねえんだよ。それよりも業者に頼んで封印魔法をかけてもらうのが楽だぞ。特定の人間だけ入れるようにもしてもらえる」
「いや……毎回呼ぶんじゃ大変だから」
今後のことを考えて、宿が変わっても使える手段を用意しておきたい。
「一回かけりゃ半永久的に効果が続くって。今じゃみんなやってるぞ」
「いやその、それができないんだ。ホテル住まいなんで」
なぁんだ、と店主は笑った。
「どんな安宿泊まってるか知らんけど、扉の封印魔法くらいどこでも標準装備だよ。客と宿の人間以外の人間は出入りできないようにされてる筈さ」
「……いや違うんだ。客室と廊下の間のドアじゃなくて、内ドアなんだよ。五部屋もあるやたら広い部屋に泊まってるんだが、その各部屋と部屋の行き来のドアに鍵をかけたいんだ」
「……そりゃまたどうして」
「いやその……」
だめだ。説明できない。殺人鬼から身を守るためと言ったらどうしてその殺人鬼と一緒に泊まるんだと聞かれるだけだ。
「まあ言いたくねえなら理由は聞かねえけどよ、そういう用途だとするなら「封印札」がいいんじゃねえかな。扉に貼って封印をかける魔法札だ。使用者のみ剥がせて、また貼れば何度でも使える。ただ、ここじゃ売ってねえ。ここで売ってる魔法具はそこに並べてある腕輪くらいのもんだ」
「そうか……」
「時間があるなら、ちょっと歩くが西の外れの商店通りに行ってみな。魔法具扱ってる店も結構あるから、探せば目当てのものも見つかるかもしれねえ」
「ありがとう。明日にでも行ってみる。……魔法具店か。それは魔術師のライセンスみたいなのは無くても使えるのか?」
「精霊力を消費しないようなものは使えるよ。たとえばそこの腕輪だって精霊力を逆に増やしてくれるもんだがライセンスは要らない。ただ兄ちゃん、魔法具は結構値がはるもんが多いぞ」
店主の言うとおりその腕輪にも桁がやたら多い値札がついていた。通貨単位がわからないが、きっと結構高いのだろう。
「いい腕輪だろ? 高いから全然売れねえんだけどな」
店主はがははと笑った。値下げする気はないようだ。
俺は礼を言って店を出た。魔法具店へは明日行くとして今夜はどうやって身を守るか。考えながら歩く。
ホテルへの道を戻る。たいした距離じゃないが、もう日も暮れかけていて、裏通りだけに真っ暗だ。舗装されている訳じゃなく石が敷き詰められた道を躓かないように下を向いて歩く。
「おっと」
誰かが前から歩いて来ていたのに気づかなかった。
俺は顔を上げる。
「しまった……」
思わずそうつぶやいた。
冷や汗が背を伝う。
目の前に立ちはだかった男は無言だった。
喋らないのではない、喋れないのだろう。
なぜならティルミアが喉に大きなダメージを与えてしまったからだ。
ガルフだった。
俺の顔を見て、にやぁと笑った。
*
気味の悪いことにガルフは俺に道を譲るように横にのいて道を開けた。だが俺が横を通り過ぎると、無言で後ろをついてきた。
やってしまった、と思った。
俺の一メートルほど後ろで足音がする。振り向きはしなかったがガルフがニタニタ笑っている表情がわかるようだった。
「……っ」
いきなりダッシュをかけた。通りを駆け抜けて、ホテルの入り口にたどり着く。とにかく人のいるところまで逃げなくては……。
だが、そこで肩を掴まれた。
いつの間にか俺の背後にガルフは迫っている。
「離せ」
俺の言葉にガルフはにやと笑って、言うとおりに手を離した。
背中の冷や汗が凄い量になっていた。
何か俺にしてくる気なのか。さっきの仕返しか。
そういえばいったいどうして、この男は縛っていた縄を解いたんだ? どうやって逃げ出したんだ?
その疑問は今更だったが、ホテルの扉を開けた時、耳に飛び込んできたスタッフの会話ですぐに謎は解けた。
「……支配人! あいつが逃げました! 縄が引きちぎられてる」
「バカな。あの縄を引きちぎった? 馬を押さえておくのに使うやつだぞ。何重にも巻いてた筈だ。人間に引きちぎれるわけが……」
「たぶん筋力増強系の魔術です。何か戦士系のライセンス持ちだったんですよアイツ。今まで魔法使うのなんて見たことなかったし、どうせ口がきけない状態だから呪文なんて唱えられないと思って油断した」
「くそっ。指で印を結んだか? 印術なら指先が動けば組めるものもあるとは言うが……」
「あるいは指で魔法陣を書いたのかも」
「原因究明は後だ! あいつ仕返しに来るぞ。客は部屋に避難するように言え。あと、例の一等客室のお客様をお呼びするんだ」
例の一等客室の……。
ティルミアだ。
彼女を呼んだのはまた退治を依頼するためだろうか。
俺は、その会話をホテルの入り口のドアを細く開けた状態で聞きながら、動けなかった。
「……っ」
唾を飲み込む。
首に金属の感触があった。……わずかな痛みとともに。
ガルフが背後から俺の首にナイフをつきつけていた。
ああ、たぶん皮膚が少し切れているのだろう。血が肌を伝っているのが自分でもわかり、絶望的な気分になる。
「人質のつもりか? ……無駄だうぐっ」
俺のセリフは途中で止められた。ガルフのもう一方の手が俺の首を絞めた。喋るなということか?
背後から押されてドアを押し開きホテルのロビーに入った。周りの客が俺とその後ろに立つガルフに気づきざわめき始める。悲鳴を上げたり逃げ出したりする人間もいる。だが誰も近づいても来ないし声をかけても来なかった。俺の首に突きつけられたナイフが見えるのだろう。
そのまま立ち続ける俺とガルフ。
ガルフが何をしたいのか悟る。
ティルミアを待っているのだ。俺を人質にして、彼女が手を出せないようにして復讐しようと考えているのか。
……「バカめ、今日彼女に会ったばかりの俺に人質の価値があるものか」、口がきけたらそう言いたいところだった。
いや、俺はわかっていた。それは嘘だ。残念ながら俺には多少の人質の価値はあるのだろう。
くそっ。なんてヘマだ。
*
「タケマサくん!」
そしてティルミアが現れる。
俺は何の策もとれないまま、彼女を出迎えてしまった。
「ティルミア、来る……」
すっ
「……!!」
小さな音が首もとから聞こえた。音は小さかったが、瞬間的に喉のあたりが熱線を浴びたように熱くなった。俺は痛みに耐えられずにのけぞり、少しの間意識が飛びかけ、そのまま床へ倒れた。
倒れた床は濡れていた。……と思ったのだが、濡れていたのではなく自分の血だった。
前からティルミアが走ってくるのが見えた。
俺をまたいでガルフが彼女に突進するのが見える。
ああ。
人質なんかじゃなかったんだ。俺はこいつを甘く見ていたのだと知る。ガルフは、何がティルミアへの復讐になるのか理解していた。俺を彼女の目の前で殺すことが目的だったのだ。
「タケマサくん!!!」
ティルミアの悲痛な声。彼女がガルフの初撃をかわすのが見えた。俺は返事をしようにも声が出なかった。
ただ、ガルフと向き合いながらティルミアの言った言葉だけがやけにはっきりと聞こえた。
「殺すね」