第三章 7/8
「ミレナさん」
闇からにじみ出たように、ティルミアがいつの間にか現れていた。俺には気づけなかったのだが、ミレナはわかっていたらしい。
「お待ちしてました」
「一つだけ、聞かせて」
「何でしょう」
「タケマサくんのことが好きなの?」
ミレナは少し予想外だったらしく、一瞬考えてから答えた。
「嫌いではないですが、格別好きというわけではないですね」
「え、そうなのっ!?」
今度はティルミアにその答えが予想外だったらしい。
「じゃあ、なんであんなことしたの!?」
「強いて言えば、性欲でしょうか」
「なっ……なっ……。何言って……」
「そうとしか説明のしようがないので。ただ、したくなってしまった、としか」
「それ……タケマサくんは受け入れてるの?」
「いいえ。安心してください。タケマサさんはあなたの思っている通りのヘタレのようですよ」
おい。
そこは一言言わせろ。言わせてほしいが口がきけない。
「ですから私、無理矢理しようと思います。タケマサさんと。愛の営みを」
「ど……どうして!?」
「どうして? どうしてと言われても。性欲に理由なんてないですよね。本能ですから」
「本能……」
「はい。食欲、睡眠欲とならぶ本能です。理由を探すなら、種の保存に必要だからそれを欲するように予め決められている、といったところですか」
この言葉で、ミレナがティルミアの「殺す理由」を見抜いているのだとわかった。
ティルミアが殺すのは、話し合いの余地が無い相手だけだ。説得しようの無い相手。
だから、ミレナは本能を持ち出した。本能だからだと言われれば、それ以上の理由が突き止められない。だから説得できない。したいから。なぜか? したいから。なぜか? したいから。堂々巡りだ。
それがティルミアにもわかってしまったのだろう。ティルミアは沈黙した。
「……」
俺は何度も、待て、と叫ぼうとした。だがさっきと違い、ミレナの拘束魔法は完全に俺の声の自由も奪っていた。身体も動かせない。
ティルミアが、身構えて言った。
「ごめんなさい、ミレナさん。殺すね」
「あら、なぜ謝るのですか?」
「……なんでだろ。ミレナさん殺されたくないかな、と思ったからかな」
「でも殺される原因は私にあるので、謝る必要は無いと思いますよ」
「そうだね。じゃ、いくね」
実に、淡々と。
戦闘が始まった。
*
ティルミアの最初の一撃。それは、俺の見たことのある技。
「蛇黒針!!」
例の、ワイヤー魔法。……そんなファンシーな名前じゃなかった気がするが、何度か見たあの攻撃魔法をティルミアが発動したのだということはわかった。
が、次に起こったことは理解できなかった。
ミレナが……掴んでいた。
「嘘っ」
高速で伸びてきた細い鉄線を。わずかな月明かりしか無い中で。片手で掴み取っていた。
「っ」
ミレナは手を軽く振っただけに見えたが、ティルミアが引っ張られるように前につんのめった。すぐにティルミアはワイヤー魔法を解いたらしくそれ以上引きずられることはなかったが、その一瞬で今度はミレナが距離を詰めていた。
「な……っ」
ティルミアが驚いた声を上げた。ミレナが引っかくように右腕を振りおろした。ティルミアはそれを左腕でガードした。
「……ぎゃっ!?」
ミレナは何も武器のようなものは持っていない。なのに……切られた、のだろうか。
ティルミアは痛そうに腕の部分を抑えていた。血が吹き出た様子はないので皮膚までは達していないか、達していても浅いか。
あのティルミアが、攻撃を食らった……? 岩鬼や巨闇狼との戦闘の時にはわからなかった、ミレナの近接戦闘能力。
ティルミアは距離を取った。ミレナは追撃しようとせず、手を下ろした。
「ミレナさん、強いんだね」
「ティルミアさんこそ、流石です。首から下が動かない筈なのに。肉体の「認識」を変えて動かすなんて荒業、思いつきもしませんでした」
「殺人鬼にとって人を殺すための道具は手足と同じだから。うまく使えないと思って油断しないほうがいいよ」
「そちらこそ、くれぐれも油断なさらないでください。……私は命の危機を感じている時は、全く手加減ができないのです。そう設定されているので」
自殺を防ぐ、暗示。そのせいで全力で抗おうとする、という意味だろう。
「どういう意味?」
だがそれをティルミアが知る筈もない。
「さあ」
ミレナも説明する気はない。
「さあ、って……。ミレナさん、本当に風系の魔術師ライセンスしか持ってないの? ……身のこなしも素人じゃない」
「それも秘密です」
「……わかった。聞かない。でもね」
ティルミアが、消えた。
次の瞬間。
ミレナが地面に倒れていた。
そう思った時、そこには既にティルミアが現れていた。ミレナの上にまたがるようにマウントポジションを取り、首に手をつきつけていた。手刀か、ナイフでも持っているのか、ここからではわからない。
「殺人鬼の相手じゃないよ」
勝負はあっさりとついていた。
*
「驚きました。こんなに戦闘能力に差があるなんて」
「ミレナさん……」
「まるでかなわないですね」
「……」
俺は気がついた。
勝った筈の、ティルミアの様子がおかしい。
いつもならあっさりトドメを刺している筈だ。
だが今のティルミアにはどうしてか、迷うような様子があるように思えた。
それは誤解ではなかったらしい。ティルミアは、信じられないことを言ったのだ。
「殺したほうが……いいのかな」
……俺は耳を疑う?
あの。殺人鬼が? そう言ったのか?
「……いいんですよ。ティルミアさんは殺人鬼なんですから」
「でも私、ミレナさんを殺したくない気がする」
「……」
おお……。
あの殺人鬼が。
人を殺すことに躊躇いのなかったあの殺人鬼が。……改心?
「何を……言っているのですか?」
「私、ミレナさんのこと殺したいわけじゃないのかも」
「……」
「うーん。なんていうか……しっくりこないっていうか……。上手く言えない」
「……何を、言ってるんですか……? 私が、憎くないのですか?」
ミレナのその言葉は冷静のようで、焦りを含んでいるように思えた。
「憎い……のかな……?」
ティルミアが自分に問いかけるように呟く。
……。
「わかんないや。わかんなくなった」
……。
「ならしょうがないですね」
あ、と思った時には遅かった。ティルミアがびくん、と跳ねたように身体を震わせた。
「まさか、ティルミアさんがそんなにお優しいとは……。見込み違いでした」
何をしたんだ、と俺は叫ぼうとするがやはり、声は出ない。
「暗示をかけさせてもらいました。私を……強く、憎む、ように」
「……」
ティルミアが、頭を押さえる。
「寝相を直すと言ってかけた拘束魔法……あれを受け入れた時に、ティルミアさんの体は私の支配下に入ったんですよ。今なら意識のロックをこじあけて、憎しみを流し込むことも簡単です」
「う……う……ん……?」
ティルミアが、自分の頭をぺしぺしと叩いた。
「なんか、変。私、今冷静じゃない」
「ええ、そうです。怒りの感情を増幅させたので、私を殺したくなっている筈です」
「うん……むかつく。むかつく。なんか変なの。ミレナさん嫌い。凄く嫌い!」
ティルミアが、飛び退いた。
「あら、私から離れてしまっていいのですか?」
「ミレナさんなんか死んじゃえ!」
だが……。
……なんか。
なんか、おかしい。暗示のせいでティルミアはミレナを憎んでいるということなのか。それは、そうなのだろう。そう見える。
でも……。
俺の疑問と同じことを、ミレナも思ったようだ。
「……死んで欲しいなら、殺せばいいのでは?」
ミレナの口調も、どこか戸惑っているようだった。
「知らない! やだ! ミレナさんなんか知らない!」
どうしたんだこれは……まるで子供のように、ただ感情をぶつけるだけ。それは殺意というより、子供が癇癪を起こしているような。
「いったい、どうしたんですか……ティルミアさん」
「なんでそんなに澄ましてるの? いつも余裕でさ。信じられない。五十代だか知らないけど中身は少女なんじゃなかったの? なんでいつもそんな大人ぶってるの? 私はどうせ子供ですよーだ。だからタケマサくんもミレナさんがいいんでしょ。どうせ私そんなに色気ないですよーだ」
ティルミアは、怒っていた。うん、間違いなく怒っているのだが。
「殺人鬼に比べれば魔術師のほうがいいよね。そんな美人なのに魔術師でしかも強いなんて、ずるい! どうせ私ミレナさんみたいに便利な魔法使えないもん! 一緒にいて楽しいのはミレナさんのほうだよね! どうせ私子供だもんね! ふん!」
怒りはいったいどこへ向けられているのか。いやミレナなんだろうけど。それはミレナの暗示の通りなんだろうけど。
「どうせ殺人しかできませんよーだ。でもタケマサくんのこといつも守ってるのは私じゃん! なんでミレナさんなの!? やだ! もうやだ!」
ミレナは、困惑した顔をしていた。俺だって動けたらきっと同じ表情をしていただろう。
「なら、私を殺せば……」
もはやティルミアは言葉が通じない。
「知らない! どっか行ってよ! 死にたいなら勝手に死ねば!?」
ミレナは、ショックを受けたようだった。
「……私だって、死ねるものなら死にたいのです。でもそれができないのです……」
「じゃあどっか行けばいいじゃん! 私の前からいなくなって!」
「……あ、は……。そんな……」
ミレナは……笑いだした。
「そ……そういうことですか……。予想外でした。なんて……なんて純粋な……」
ミレナは、パンと両手を叩いた。
「!」
……俺の身体の束縛が、解ける。
「……!」
ティルミアが、頭を押さえる。
「解いたのか。暗示魔法を」
「なんてこと……なんて私は無駄なことを……」
ミレナは、俺の問いが聞こえていないようだった。笑っている。あの上品な笑い方ではなく、自分をあざ笑うように、悲しそうに。
「……わ、私、今……」
一方ティルミアが、俺を見た。そして顔を手で覆った。
「私今、恥ずかしいこと言ってた! 聞いてた!?」
「ああ、心配するな。お前が恥ずかしいのはいつものことだ」
悲鳴のような声を出してティルミアが走っていった。
俺はやっと動くようになった肩を回しながら立ち上がり、崩れ落ちるように座り込んだミレナに声をかける。
「誤算だったみたいだな」
「ええ……。ティルミアさんは……」
「そうだ。憎しみを増幅させたのは逆効果だ。ティルミアは、憎くて人を殺してるわけじゃないらしいからな。あいつは、もっとたちが悪いんだ」
「ええ、なんて純粋な……殺人鬼さん」
ミレナは、一筋だけ、涙を流した。それがどういう意味の涙なのか、俺にはわからなかったが。
「純粋か。俺にはわからん。だがあいつはこれまで人を殺す時に「死ね」と言ったことがない。「殺す」とは言うが、「死ね」とは言わないんだ。ティルミアは、殺そうと思う相手にお願いはしないんだよ」
さっき、ティルミアはミレナに「死んじゃえ」と言った。
「私は……殺そうと思ってもらえなかったと、そういうことですか」
「そうなんだろうな」
「こんなに頑張りましたのに……」
ミレナは、自嘲するように俯いた。そして俺に言う。
「迷惑おかけしました」
「……女難ってこれのことだったのか」
「え?」
「いや、こっちの話だ」
*
「ティルミアさん……教えてください。どうして、私を殺したいと思わなかったのですか?」
「そうだ。お前、殺していいのかわからなくなった、とか言ってたよな。ついにお前も改心し始めたのか」
「違うよ「殺したいのかわからなくなった」だよ。殺していいかどうかなんて気にしたことないよ」
いや、気にしろよ。
「……それは、どうしてですか? 私がタケマサさんにしようとしたことは……」
「うん……。なんていうか、それはそれで自由だよね、と思って」
「自由?」
「うん。ミレナさんがタケマサくんを殺そうとしたんなら止めようと思うけど、タケマサくんを誘惑しようとしたのは……それは二人の問題だもん。なんていうか、これでミレナさんのこと殺しちゃったら、……負けな気がするっていうか」
最後のほう、声が小さくなった。
「負け?」
「う……」
言ってて恥ずかしくなったのか、顔が真っ赤になった。
「ふ……深い意味はないけど! でも、女同士の戦いは殺しても勝ちにならないと思ったっていうか!」
また悲鳴のような声をあげてティルミアは走り去った。
「……あらまあ、タケマサさん、ずいぶん想われていますね」
俺は肩をすくめた。
「あいつの考えてることは俺にはわからん。まだな」
*
俺たちは穴だらけになってしまった簡易住居陣を廃棄して、もう一個新しいものを起動してそこに入った。
「ミレナ、あんたやることが極端なんだよ。ティルミアの殺意を引き出すのにあんなやり方しかなかったのか」
「あら。嬉しくなかったですか?」
「ティルミアのいないところでやってくれれば嬉しかったかもしれんがな」
「……あら」
「ターケーマーサーくーん」
「あ痛っ。い、いででででぇぇえ!!! なっ!? え、何、何だ!? ちょっと待ておまえ、いきなり背後から肩にナイフを刺すな!!」
「今聞こえたよ? 聞こえたよタケマサくん」
「だからって刃物はやめろ。いいか、ツッコミで使っていい武器はハリセンまでだ。刃物はだめだ!」
……刺さり方が浅かったのか少し血が出ただけで済んだ。……済んだ、とか言っている俺も俺だが。傷害罪だろ日本なら。
「ハリセンなんて知らないもん」
「よし今度作ってやるから。俺にはそれでだけ攻撃しろ」
もっともこいつならハリセンで人を殺すくらいなんてことはなさそうだが。
「お前のせいでせっかくの小粋なジョークがアハハで終わらなくなるだろうが……」
「ジョークなの!? ぜんぜん小粋じゃない!」
うふふふ、とミレナは笑っていた。
俺とティルミアの視線に気づくと、ペロリと舌を出した。
「ごめんなさい。笑って良い立場じゃないですよね」
「ああ。まあそうだな」
うん、そうだな。結構なことをしてくれた。
「わりと、あんたのことを問いつめたい気分だ。あんたは自殺ができないように暗示をかけられてるとか言ってたな」
「ええ」
「あんた……心魔師なんだろ? その、よくわからんが精神魔術というやつのエキスパートなんだろ? かけられた暗示を解けないのか」
「解けませんよ……それは、私よりずっと強力な心魔師が、自分の命を賭してかけた暗示魔法ですから」
ミレナは微笑んで、言った。
「かけたのは、私の夫です」
……何?
「あんた人妻だったのか」
「ええ、そうです。いえ、でした、と言うべきでしょうか」
……でした?
ミレナが、数秒目を閉じて、何かを決意するように間を取った。
きっとそれは、胸のうちにある箱を、開ける決意だったのだろう。
「私、皆には54歳と言っていますが、それは嘘なのです。本当の年齢は254歳です」
俺たちは、それを聞いていい立場になんかなかったんだろう。だが、聞いてしまう。
「え……二百?」
こくん、とエルフは頷いた。その顔は……さっきまでとは違う。無邪気な十代の笑顔でもなく、たおやかな五十代の微笑みでもなく。
そこには何の感情も浮かんでいない、石のような顔が。垣間見えた。
ミレナは、ゆっくりと、言った。
「私に自殺ができないよう魔法……いえ、この「呪い」をかけたのは、百年以上前に死別した、私の夫です」




