第三章 6/8
目を見開いていた。
凄い。
人間は表情だけでこんなに怒りを表現することができるのか。
「何してんの」
ティルミアが地獄の底から響くような声でそう言った。
「あら。起きてしまいました?」
ミレナが俺の頬に頬をよせるようにしながら笑った。くすぐるような息が近くで漏れる。
「……何、してんの」
「私、タケマサさんを貰うことにしたのです」
「なにそれ」
「ティルミ……」
俺は口を開こうとしたがミレナに手で塞がれた。
「色仕掛けをさせていただこうかと。タケマサさんを虜にしてしまおうという算段なのですが」
「タケマサくんを……!? そん……? あ、あれ、身体が……っ!?」
ティルミアが目線を自分の身体のほうに向けて叫んだ。
「ええ、ティルミアさんの寝相の悪さを防ぐための拘束魔法。全く身動きとれないでしょう?」
「そんな、どうして……? や、破れない……! どうして? こんな強力な魔法……!?」
ティルミアに焦りが見えた。
「そこでご覧になっていてくださいね? 私とタケマサさんが愛し合うのを」
「タ……タケマサくんは! そんな人じゃないもんっ」
ティルミアがそう叫んだ。
「あら。そんな人じゃない、とは?」
「タケマサくんは、目の前に据え膳があったからって手を出す人じゃないんだからね! 女の子に対しては慎重に慎重を重ねて、斜に構えて距離を置いて、結果何もしてこないヘタレタイプなんだから!」
……。
信頼されてるようだがあまり嬉しくなかった。
「タケマサさん、ずいぶんな言われようですけれど」
ミレナの手がどけられた。
「ぶはっ。口と鼻をふさぐな。息ができないだろうが。勝手なこと言いやがって……ティルミアあとで説教な」
「タケマサさんは私を好きにしていいと言っても手を出してくださらないのですか?」
「ふん。ティルミアに売られた喧嘩を買う意味で手を出してもいいんだがな……。あいにく、「その気の無い」相手に手を出す趣味は無いんでね」
俺がそう言うと、ミレナの目にかすかに戸惑いが見えた。……やはり……。
だが俺が次の言葉を続ける前に俺の口が再び塞がれた。
「タケマサさん……。「恋に落ちる魔法」というものがあるのを、ご存知ですか」
何?
ミレナは、薄く笑った。そしてティルミアの方をちらりと見る。
「この魔法をかければ、タケマサさんに「その気」を起こさせることも出来るんですよ?」
「そんなこと……!」
俺は、振りほどくように塞がれた口を開いた。
「落ち着けティルミア。ハッタリだ」
「え……?」
「どうしてです?」
「あんたは風刃魔法とか言う、風を操る魔法を使っていた。風系の魔術師だかのライセンスを持ってるんだろう? だがそういう人の精神状態を操るような魔法は、精神魔術師とか何とか言う専門のライセンスが要ると聞いたぞ。一人で複数のライセンスを持つことは出来ないはずだ」
確信があったわけじゃなかったが、俺の予想は当たったようだった。
「案外、ご存知なのですね。こちらの世界のこと」
「色々あったんでな」
ミレナは、しかし挑発的な笑みを消さなかった。
「でもタケマサさん、私が持っているのは本当は「心魔師」のライセンスなのです。精神魔術師の上位職」
なんだと。
「馬鹿な。じゃああの風の」
「私あのとき、風刃魔法なんて使ってませんよ。あの岩鬼に使ったのは、単なる催眠術です」
なんだと。岩鬼は……眠っただけで倒された訳じゃなかったということか。ティルミアが何もわからなかった訳だ。
「空間探索魔術というのも嘘です。岩鬼がいる洞窟には大抵何もいませんから探らなくてもわかります」
だから、いるはずのない巨闇狼に驚いたのか。……いや、本当に気づいていなかったのか? ……。
「敵に見つからないようにする魔法も、範囲攻撃型の暗示魔法ですね。見てはいても認識できないようにする。暗示にかかりやすい、弱い魔物にしか効果がありません」
「それじゃ……今俺達がかけられているのも」
「ええ。物理的に動きを縛る魔法と違い、催眠術で「動いてはいけない」と命令すれば、力は関係なく動けません。例えティルミアさんのように凄い力をお持ちであっても、です。それにこんな風に首から上だけ動かせるようにだって出来るんですよ」
心魔師。人の心を操る、エルフ。
俺達は完全にミレナに騙されていた。
「なるほど確かに珍しい……タレントだってことか」
ミレナがその手を俺の背に回し、身体を密着させてくる。
俺は叫んだ。
「お前なら首から上が動きゃ十分だろティルミア!」
「……! う、うん!」
バリン。
音がした。
床を破壊する音。
「うぅ……。た、タケマサくんを離して!!!!」
つんざくような。
ティルミアの叫び声。
ティルミアが、立ち上がっていた。
「驚きました。……。いったいどうやって……。解いたんですか?」
ミレナが、俺から離れる。
「うう……。うまく動けないや……」
ティルミアが、腕を振りかぶった。その腕は。どこか、不自然な動作。大振りで、不格好で。いつものティルミアの無駄のない動きじゃない。
振り下ろす。ミレナは楽々と躱し、床にティルミアの腕が叩きつけられる。
「つ……!」
顔をしかめる。痛かったのだろう。
あれは……。催眠術が解けた訳じゃない。首から下は動かないんだ。自分の意志じゃ。だのに、自分の首から下を、無理矢理外から動かしている。そんな風に見えた。
どういう魔法なのかはわからないが、それはかなり無理のある方法なのだろう。おそらく……。外部から無理矢理力を加えて人の肉体を動かすような。関節を無理矢理曲げ、ひねり、押しつけて。
「やめろ……。ティルミア」
「大丈夫。……だんだん慣れてきた」
傍目にもぎこちない動作で、ティルミアは印を組んだ。そして早口で短い呪文を口にした。
「ぐううう!」
再び苦痛に耐えるように目を閉じたティルミアは、すぐに目を見開いた。肩を下ろした。力が抜けたように見える。
「ふう。……よし。微調整完了。これでだいぶ動きやすくなった」
「いったい……どうやって……。凄い。殺人鬼の方は、本当に戦闘に関しては万能なのですね。あそこまでしっかりかかっていた催眠術を解くなんて」
ティルミアは首を振った。
「言ってる場合じゃないよ。ミレナさん。私今、暗示を解いたわけじゃない。動かない首から下を……手足を武器として「認識」させたの」
ティルミアは、よくわからないことを言った。
「殺人鬼にとって、武器を手足のように扱うことは本来訓練で培うべき感覚だけど。でも無理矢理、武器を自分の手足だと誤認識させる魔法もあるの。武器の扱いの精度を上げるためにね。……そして、その逆もある」
「逆? 自分の手足を、自分の肉体とは切り離した「武器」として認識させる、ということですか」
「うん。そう。本来は痛みの感覚を消すために使ったりするんだけど、私は普段は使わない。だって……」
ティルミアは、きちんと動くか確かめるように手をグーパーしたり、足を曲げたりした。
「加減が出来なくなるんだもん」
……。
次の瞬間。
俺は腹部に強烈な痛みを覚える。
ティルミアが誤爆したのかと一瞬錯覚したが、違った。
俺の身体を脇に抱えるような姿勢でミレナが外に飛び出したのだと理解できたのは後になってからだった。目の前を凄い勢いで流れていく地面とぶつかりそうな恐怖。
「待て!!!」
ティルミアの声。だが遠ざかっていく。ミレナは何か魔法を使っているのか、尋常じゃないスピードで進む。走っているのか飛んでいるのか。子供の頃に電車の窓から顔を出して迫ってくる木々を見ていたのを思い出す。
あの街中でティルミアに担がれた時と同じように、俺は気を失った。
*
目を覚ました瞬間、俺はがばっと身体を起こした。
「……そんなに警戒なさらなくても」
「するだろ」
声のしたほうを探す。暗い。真っ暗だ。だが少し目が慣れてきているのか、ミレナの姿が見えてきた。
少し距離を取り、岩の上に腰掛けている。俺は地べたに寝かされていたようだ。
「俺に何か……」
「してませんよ。安心してください。さっきからほとんど時間は経ってません。……。一つだけ、タケマサさんに言っておきたくて、ティルミアさんから距離を取りました」
俺は、言ってやる。
「あんたは……ティルミアに見せるためにあんなことをしたんだな?」
虚を突かれたように固まるミレナ。
「……お気づきだったのですね。……なぜそう思われたのですか?」
「ティルミアの首から上を動かせるようにしたからだ。ティルミアに邪魔されないようにするなら全身封じればいいし、なんなら眠らせればいい。あんたは最初からそんな気は無かったってのが俺の予想だ」
ミレナは頷いた。
「ええその通りです。ティルミアさんに見ていただくのが目的でした」
「何のためだ」
「……」
ミレナは目を閉じた。
「私について、ボスは何か言っていましたか」
「……なんだと?」
「ボスから何か聞いていませんか? 私の秘密とか」
「秘密か。そういや、何か言いかけてやめていたな。私が言うことじゃないとか言ってな」
「そうですか……」
「何かあるのか」
俺は、ボスから言われた言葉「ミレナの頼みを安易に引き受けるな」を思い出した。
「たぶんボスは、私の望みを薄々感づいてらっしゃるのだろうと思います」
「望み?」
「はい」
ミレナはすうと息をはくと、笑って言った。
「私、死にたいのです」
ミレナは笑った。
「本当は、気づいていました。さっきの洞窟の奥に強力な魔物がいることを。だから、一人で行こうとしたのです。私、実はちょっと期待してたんです。あの魔物なら私を殺せるかもしれないと」
だが、ティルミアも気づき、俺達が後から追いかけた。
「それなのにティルミアさんがあっさりあの魔物を倒してしまった。でもその時、思いました」
ミレナは俺の肩に手を触れた。
しまった、と思った時には遅かった。
「ティルミアさんなら、私にも勝てるだろうと」
「どういう……意味だ?」と、言おうとしたのだ。だが声が出ない。だが、ミレナは意を汲んだように続けた。
「私、死にたくても、死ねないんです。自殺が出来ないように暗示がかけられているんです」
そう、エルフの少女は、告白する。
「崖から飛び降りようとしたり、手首を切ろうとしたりしても体がそれを拒否します。だから……殺して貰うしかない。私の全力の抵抗をねじ伏せて、躊躇いなく私を殺せる、強く慈悲の無い人に」
それが、ミレナがティルミアの前であんなことをしてみせた理由。
ミレナは、ティルミアを挑発したかった。
ティルミアを怒らせ……ミレナを殺させようとしているのだ。
ミレナは指を空中に向けた。指先にライティングの魔法を使って明かりを灯した。
「そろそろ、ティルミアさんも追いつく頃でしょう。明かりで知らせます。こちらの場所を」
俺の、口が動かない。言葉を発することができない。身体も、動かない。ミレナにまたも拘束魔法をかけられている。
「ごめんなさいね、その魔法は私が死ねば解けますから」
ミレナは指を高く上げた。
「ティルミアさんなら、私を殺してくれる。だって殺人鬼なんですから」
やめろと言おうとするのに口が動かない。
「タケマサさん、そこで見ていてください。……私の望みをかなえてくださいね」




