第三章 1/8
「人を幸せにする魔法ですか? ええ、ありますよ」
「そうだよな。そんな都合のいいものあるわけが……え、あるの?」
「ええ、あります。人を幸せにする魔法」
何度目かわからないが、ちょっとした会話のもつれからティルミアにナイフでグサグサ刺されたため回復屋サフィーを訪問するハメになった俺は、昼下がりの客が少ない時間帯であることにかこつけて雑談に興じていた。
もつれの発端はこうだ。いつものようにティルミアが「殺人で人を笑顔にする」だのとタワケたことを言うので「魔法で人を笑顔にする、とかならまだわかるけどな」と返したら、ティルミアは憮然として言った。
「安易に、人を幸せにする魔法に頼るなんて、良くないと思う」
安易に殺人に頼っているのが良いのかというあたりをツッコんだらこのナイフ三昧に発展してしまったわけなのでその時は聞きそびれたのだが、ティルミアの言い方が気になった。人を幸せにする魔法なんてあるのか、と。で、サフィーに聞いたらあると言うではないか。
「あるのか……」
「ええ、ありますよ。一応」
「なんか、えらく漠然とした魔法だな。人を幸せにする魔法……」
ファンタジーと言うより魔法少女っぽい。
サフィーは首を振る。
「いえ、漠然とではなく直接的に幸せにする魔法なんです。一種の、状態異常を引き起こす魔法です」
「状態異常? ……毒とか、眠りとか、そういう?」
案外穏やかでない言葉が出てきた。
「そうですね。たぶん、ご想像されているものであっています。間接的な攻撃魔法と言いますか、体の不調を引き起こすような魔法というのが様々にあって、その概要だけでも本が何冊も書かれるほどなのですが、その中には精神状態に影響を及ぼすようなものも含まれます。その一種ですね。幸せというのも一つの異常な精神状態ですから」
「精神状態に影響を及ぼす……恐ろしいな。精神攻撃か」
「はい。恐ろしいです。かなり高度な魔法なので修得が難しく、人によって効いたり効かなかったりがかなりブレるので、使い手が多いわけではありませんが……。効果は色々です。不安にさせたり、興奮状態にさせたり、怒りを増幅させたり」
「……催眠術みたいなものか」
「催眠術をご存知なのですか」
何気なく呟いた俺の言葉にサフィーが反応したので驚く。
「催眠術って概念もあるのか、この世界」
「……むしろタケマサさんのいらっしゃった世界にもあることが驚きですよ。催眠術と言えばこちらでは精霊力を必要とする魔法の一種です。精霊の助け無しに催眠術をかけることも原理的には可能と言われてはいますが成功例を聞いたことがありません」
「まあ確かに俺のいた世界じゃ催眠術師ってのは魔術師と同じで詐欺師扱いだったな。本当に成功している場合も中にはあるのかもしれないが、ヤラセが多すぎて区別がつかない」
「精霊力無しの催眠術なんて、機会があれば是非見てみたいです。こちらでは、精霊の力を借りて、相手の意識レベルを強制的に落として眠らせたり、その暗示にかかりやすい状態で、不安や猜疑心、敵意を植え付けたりするものです」
「……聞くだに非道だな」
「うう、すみません」
サフィーを責めたわけではないのだが、申し訳なさそうな顔をした。
「すると、催眠術師みたいなライセンスがあるのか?」
「催眠術そのものは様々な作用の下準備のようなもので、比較的様々なライセンスで使えます。が、具体的に何か異常を引き起こす、より高度な精神攻撃魔術となると、ライセンスとしては「精神魔術師」とか「心魔師」といったものが必要になります。肉体への攻撃との複合的な……例えば神経毒のような作用の魔法まで用いるそうです。私も詳しくはないのですが、人間の脳内には様々な神経物質というものがあり、それを過剰に分泌させたりすることで感情に影響を与えるのだとか。その……タケマサさんのほうがお詳しいと思うのですが」
「……い……いやいやいや、俺は脳医学者じゃないしそんなの詳しくはないぞ。神経物質とか言われても」
「そちらの世界では医学が発達しているのでは?」
「医学は発達してるかもしれんが俺がその医学の専門家なわけじゃない。むしろあんたのほうが詳しいくらいじゃないか」
「そんなことは……。私も以前こちらにいらしていた方に少しだけ教えていただいたくらいですから」
「そうなのか」
「こちらで魔法を発達させてきた私たちには、そうした脳医学の知識もありません。経験則で相手の脳へ働きかけるような術式を組み立てはしますが、そちらの世界の医学と通じれば、もっと色々なことを明らかにしていけるんじゃないかと思います」
「……すごいな。研究熱心だな」
「まあ、外へ出かけるよりも机に向かっているのが性にあっているから街の回復屋をやっているんです」
サフィーは照れたように笑った。
「しかし、そうすると、魔法で人を幸せにするってのは」
「ええ。その通りです。幸せを感じるように働く神経物質を相手の脳内に強制的に分泌させるのです。それに加えて暗示により幸福な記憶を錯覚させたりもしますが」
「……イメージしてたのと随分違ったな」
なんか、あれだな。
ダメ、絶対。
な感じがする。
「もちろん、それは間違いなく幸せを感じている状態なのですけれど」
「……。幸せとはそもそも錯覚なのかもしれないな」
サフィーは肯定も否定もしなかった。困ったように笑った。
*
「タケマサくん。ニュースニュース!」
ティルミアが、宿に戻ってきた俺に飛び跳ねながら迫ってきた。
「早かったな。紹介所、行ってきたのか」
あのルードの一件から数日。
俺たちの状況は何も改善していなかった。
旅の目的地も仲間もできていない。そしてお金だけが減っていく。このまま無職の日々が続くといずれ文無しになる。……いや、ライセンスを取っているわけだからその意味では「無職」ではないのだが、収入が無いという意味での「無職」だ。ややこしい。
あれから俺とティルミアは一日二回、紹介所の求人をチェックしに行く日々だった。午前中に俺が、午後にはティルミアが。
それ以外は……俺は専ら魔法の勉強をして過ごした。めぼしい出来事と言えば、暇つぶしに入った占い屋で「女難の相がでている」とか言われたことくらいだ。女難……まあ確かにティルミアも女には違いないが、これは女難じゃなくて、殺人鬼難とでも言うべきものだと思う。女らしいことで困らされたことは一回もない。
「今日は紹介所行く前にシズカさんのところに寄ってみたんだ。あの子たちのことも聞きたかったし」
「あの子たち……か。あいつら、無事か」
めでたく、あの盗賊団の愉快な仲間たちは変態殺人鬼ルードのところで面倒見てもらえることになった。
「うん、元気だって。元からいた子たちとも仲良くやってるって聞いた」
どういう光景かはうまく想像できないが、あとはルード先生に任せておけば大丈夫そうだ。あの先生なら図体が大人だろうと余裕で抑えられるという意味では心配がない。殺人鬼だが、子供は殺さないって言ってたし。子供……だよなあいつらも、今は。
「それよりほら、これ」
ティルミアが紙切れを差し出した。
「シズカさんとこで教えてもらったの。読んでみて?」
俺はその紙切れを手に取った。
「何々……? 冒険者二名求む。特に、非常に戦闘能力に長けた者、および強力な回復役募集……」
「そう! 私たちにピッタリだと思わない!?」
「いや……。それはどうかな」
確かにティルミアはとてつもなく戦闘能力に長けている。他のパラメタに割り振るべき能力値を対人戦闘能力に全て振ったようだ。「常識」とか「倫理観」とかのパラメタからも間違って割り振ってしまったとしか思えないが。
「なんで? タケマサくんなんて究極の回復役じゃん。蘇生だよ?」
そう、一方の俺は色々あって蘇生師という職を選択したわけだが……。蘇生。人が生き返るという文字通りの奇跡を起こせる魔法を、自分でも信じられないことに、使えるようになったのだ。悪い冗談のような話だが、この世界に来て平均すると2日に一人以上のペースで蘇生をしている。驚くべきことに既に片手に余るほどの人間を蘇生させたことになる。
「でもその募集は多分殺人鬼と蘇生師を期待してないと思うぞ」
殺人鬼といえば一緒にパーティを組みたくない職としていつも上位にランキングするそうだし、蘇生師はなんとも困ったことに蘇生以外の回復魔法が何も使えない。かすり傷一つ治せない人間に「回復役」を期待されても困る。
「冒険者って言ってるからパーティを組んで冒険に出かけるんだろ。冒険の仲間としちゃあ、殺人鬼と蘇生師なんてお呼びなわけがない。すぐお払い箱だろう」
「もう……毎日本ばっか読んでるからそんなネガティブになるんだよタケマサくん。ほら、その続きのところ読んでみて」
「……なんだよ……」
俺は目を疑った。
「特に殺人鬼と蘇生師の二人組は大歓迎……!?」
思わずティルミアを見る。
「ね? 凄いでしょ。私もビックリしちゃった。まるで私達二人のこと知ってて募集かけてるみたい」
「いや、これは実際に……そうなんじゃないか?」
シズカの話では、俺たちはこの街では既に有名らしい。殺人鬼と蘇生師という珍しい職のコンビとして。どちらもこの街では他にいないとも聞いた。俺たちを狙って募集をかけてるとしか思えない。でなければ……。
「もしくは……罠じゃないのか」
「もう、ネガティブすぎ。世の中には純粋に殺人鬼と蘇生師を必要としている人もいるんだよ、きっと」
「いるか。いてたまるか。なんで両方必要とするんだよ。死にたいのか生き返りたいのかどっちなんだ」
「死んでから生き返りたい、とか」
「なんなんだそいつは。試しに三途の川が見てみたいとかそういう人なのか」
「サンズの川?」
「……いや、そういう川があるんだよ、あっちの世界には……待て待て待て。話がズレてる。とにかく、罠じゃないのかこの募集の仕方」
「どうしてそうなるの?」
「このチラシ……上から下まで読んでも一体何をするために募集してるのか、さっぱりわからん」
前回の盗賊団が出していたふざけたチラシと同じ感じがする。いや、もっと酷い。今度のは情報量が少なすぎる。
「委細面談って書いてあるじゃん。詳しくは会って話しますって意味でしょ?」
委細面談。異世界で見ると違和感のある言葉だが、まあ確かに書いてある。時々やけに難しい日本語が伝わってるなこっちの世界。
「それも……俺たちをおびき出すための罠っぽい感じがするんだよ」
「とにかく行ってみよう?」
「おまえそれで前回どういう目にあったか覚えてないのか」
「無事だったじゃん」
「俺達はな」
挙げ句、五人の大人園児ができあがったんだぞ。
「今度の待ち合わせ場所は酒場だし、大丈夫だって」
*
まだ日が高いので酒場はガラガラだった。酒を飲む場所というのはどこでもそうなのか、店内は暗い。
「私がメイリだが」
今度は幸いにも盗賊団が待っていたということはなかった。
酒を飲むでもなくテーブルについていた依頼者のメイリという人物は、女性だった。
「募集を見て来たんだ。殺人鬼ティルミアと蘇生師タケマサだ」
我ながら冗談みたいな自己紹介だ。
ほう、とその長身の眼鏡の女性は言った。どこかで会ったことがある顔のような気もしたが、思い出せない。
「君らがそうか」
「……やっぱ、俺らを狙って募集したのか」
やはり、と言うかなんと言うか。
「まあな。直接声をかけたかったんだが、生憎と君らの顔も連絡先もわからなかったのでな……」
「いったい……俺らに何の用だ。このチラシ、もう少し情報を書いたほうがいいぞ。冒険者とだけ言われても、何をするのかさっぱりわからん」
「その紙は捨ててくれて構わない。名指しして呼び出しても良かったんだが、それではシズカにも迷惑がかかるし、君らにも怪しまれるからな。適当に冒険者募集と書いただけだ」
「適当すぎだろ。しっかり怪しんだぞ」
メイリは立ち上がった。立ち上がるとその背の高さがわかる。そして、全身真っ黒な服を着ていた。パンツスタイルで肌の露出も少ない。極めつけは腰まである長いマント。今のこの街は温暖で歩く皆も軽装だと言うのに。暑くないのだろうか。
「まんざら嘘というわけでもない。たぶんあちこち出かけてもらうこともあるだろうからな。ただ、どんな仕事かなんて、結局のところ話をしなければわからん。そんな紙に何を書いたって怪しさは生じる。君らが来てくれたのだから、怪しまれ方は期待通りだったのだ。そもそも、仕事として何をやらせたいかは、そいつに何ができるか、あるいは何をしたいかによるだろう。向いてないことやりたくないことを無理矢理やらせても無意味だ。つまり話してみないと仕事は決められない」
「なるほど。上司の鑑だな」
「何?」
「いや、なんでもない」
ティルミアがメイリに尋ねた。
「私達が殺人鬼と蘇生師だと知って募集したんですよね? てことは……あの世をちょっとだけ見てみたい、とかですか?」
「え? いや違うが」
違ったようだ。
「面白いことを考えるな君たちは。あの世への短期旅行か……。それ、商売になるかもしれんな」
メイリは考え込む。俺は慌てた。
「いやいや。勘弁してくれ。俺の蘇生はそんなに成功率の高いもんじゃないんだ。片道旅行になるぞ」
「冗談だ。……だがタケマサくん、君の蘇生術はこれまで100%成功していると聞いているがな」
「誰に聞いたんだ。確かに今まで9人に使って……皆生き返ったがな。だが、うち6人は記憶が子供時代までしか戻らなかったんだ。残り3人も完全に戻ったとは言い難い。肉体的には蘇生するものの記憶を元に戻せなきゃ成功したことにはならない」
「なるほど。記憶再現の失敗か……」
「ああ、もう一度蘇生をやり直して回復するものならそうするんだがな、一発勝負だ。失敗したらお当てあげだ」
メイリは頷いた。
「だろうな。私も知る限り、蘇生時に戻らなかった記憶を後から戻せたという話は聞かない」
「……あんた、蘇生に詳しいのか?」
「うん? 特に蘇生だけに詳しいわけではないぞ。私は大抵のことに詳しいんだ。シズカにはよく情報屋をやればいいのにと言われるくらいだ」
メイリは肩をすくめた。
「もっとも、知識が多いのと耳が早いのとは違うからな。ああいう商売は私には向かん」
なら、と俺は問う。
「どういう商売なんだ? あんたがやってるのは」
メイリは、少し俺を見て、考え込むように黙った。少しうつむく。そして顔を上げる。
「わかりやすく言うとだな、あれだ、君のいた世界で言うところの……タレント事務所、というやつだ」




