第二章 6/8
「タケマサくん……下がってて」
ティルミアが言う。
「お、おう……」
戦闘が始まる。
下がれと言ってもどこまで下がれば安全なのかわからなかったが、とりあえず俺はゆっくりと後退する。
後ずさりながらティルミアに声をかけた。
「ティルミア。言っとくが、死ぬなよ」
「え……」
おい何こっちを見てんだ。
「よそ見するなよそ見」
ティルミアが顔を赤くしていた。
「……あ……ありがと」
「あのな。まだ俺の蘇生術だとお前を幼児化させちまうだけになる可能性が高いのを忘れるなって言ってるんだ」
「あはっ。……そしたら、私を育ててくれる?」
「馬鹿。蘇生自体成功するかだってわからん。蘇生を前提にするなよ」
「大丈夫、してないよ。……ありがと。私、絶対に勝つから」
そして戦いは始まる。
先に動いたのはルードだった。
すっ。
カチンッ。
俺の目で追えた時には、ルードの繰り出した小さなナイフはティルミアがどこかから取り出したナイフで受け止められていた。そのまま二、三撃キン、キンと音を立てて攻防が続いたが、すぐに二人は距離を取った。
驚くほど軽い音しかしなかったので、それが「殺し合い」の始まりだと理解するのに時間がかかった俺はまだゆっくりと後ろに下がっている途中だったが、すぐにそんな場合ではないと我に返り後ろに駆け出した。この墓場エリアの入り口あたりまで下がり、二人の戦いを見守ることにする。
「やるじゃなぁい! ティルミアちゃぁん!」
ルードは嬉しそうに笑った。そして、踊った。
いや、踊っているのではない。攻撃しているのだった。
ぎぃんっ、ぎぃんっぎぎぃんっ、と音が響き、ティルミアが何かをはたき落としているのを見て、ルードが何かを投げたのだとようやく気がついた。
いや、正確には投げているのではなかった。
指から飛ばしているのは、昼にティルミアが狼を倒すのに使っていた、あの細く長く伸びるワイヤーのようなものだと俺は気づく。
「あらお見事。蛇黒針をそんなに簡単に見切れるなんて。未熟だなんてとんでもない。大したものだわ」
「……では、お返しです」
今度はティルミアがそう言って両手の指を全てルードに向けた。
「あら!」
ルードは嬉しそうな声を出した。
すばっ……という音を立て、今度はティルミアの両手の指から、同時に黒い線が伸びた。
「十本同時は凄いけど……隙ができるわよ! ティルミアちゃん」
あっさりと、ルードはそれを全て躱した。そしてそのまま伸びた黒線をたどるように走りティルミアに迫る。
だが。
とすっと音がして、ルードが停まった。
「たっ。……あらやだ。十本じゃなかったの。一本残してたのね」
「いいえ。二本残してます。最初に出したのは八本ですよ」
俺の目で判別がつくわけもないが、ティルミアは十本の指全てから蛇黒針とかいうあの技を出したわけではなく、うち二本の指からは伸ばさずにおいて追撃に使った、ということか。
……プロの殺人鬼同士の戦いってこんなハイレベルなのか……。俺、今かなり場違いなところにいるのかもしれない。
「へえ……」
ルードは自分の肩に空いた穴を抑える様子も無かった。血が流れるのも気にする様子はない。
「嬉しいわぁ。こんなにも教え子が育ってくれるなんてね……。戦い方なんて教えたこと無かったのに」
ルードは笑っているが、ティルミアは笑っていなかった。
「先生……先生はなんで私達を、殺したいんですか」
「あら? どうしたの?」
「……私、先生を殺したいと思ってないんです」
ルードは笑った。
「お喋りは駄目よ。殺人鬼なんだから、言葉ではなく、殺しで語り合いましょう?」
ティルミアが何か答えるよりも早く。ルードは一瞬しゃがむような姿勢を見せた。
……と俺が思った時には、姿が消えていた。
ティルミアの姿も、消えていた。
そこからは、もはや俺の動体視力の限界を越えていた。
二人が戦っているのだということは響く音や、時折空中に現れる炎、爆発、木々の枝が落ちる様子等でわかった程度だ。
「なんだこれ……何が起きてるのか全くわからん」
離れてろとティルミアは言ったが、このスピードで動かれると少々離れてても何も意味が無いな。
「それにしても、ルードって強い……んだな」
この世界に来てから、一方的ではない戦いを初めて見たかもしれない。ガルフにしろ盗賊団にしろ狼にしろ、ティルミアが強すぎたのか、まるで勝負になっていなかった。
だがルードは、そのふざけた見た目に反して、ティルミアと互角に戦っている。明らかに強い。いや明らかとは言ってももはや俺の目には何が起こっているのか全くわからないが。二人共、動きが速すぎる。ガルフを殺した時のティルミアの動きも相当に速かったが、今の二人は人間の域を越えている。
ガサッ。ガサッ。
例えば今俺の視界の右端と左端でほとんど同時に木々が揺れた。目算、この二地点の距離は二十メートルはあるだろうが、その間をほぼ同時。仮に一秒で移動したとしても秒速二十メートル。つまり時速72キロメートル。ありえない速さだ。オリンピックの短距離走の選手のトップスピードでも、時速40キロメートルを越えるくらいだった筈だ。二人は今その倍のスピードで動いていることになる。
「……魔法がある世界って、こういうことか」
彼女の細い身体は確かに体重が軽く移動に有利だろうが、そんな爆発的な瞬発力が得られるほどの筋肉があるとは見えない。逆にルードは筋力があっても体格が大きく体重も相当なものだろう。その二人がどちらもそんな人間離れしたスピードで動いている。
筋力増強魔法というやつなのだろう。
「魔法ってやつはあれだな、まるで魔法だな」
馬鹿みたいな呟きをする俺。
二人とも空を飛べる訳ではないと思うが、木々の枝の揺れ方を見ていると二人の戦場が地上だけではなく枝から枝へ飛び移る空中戦にもなっているのがわかる。
ガキンッ。
「……って……うわぁああ」
思わず上ずった声が出た。
俺の数メートル前の地面に、くるくる回転しながら落ちてきた三日月刀が刺さったからだ。
「やるじゃない。ティルミアちゃん、炎術の扱い方は相当なものよ」
「先生こそ。どこに三日月刀なんて隠し持ってたんですか」
二人はいつの間にか地上で向かい合っていた。
「ふふっ。格闘術に剣術、黒刃魔法に炎殺術……。驚いたわね。あのティルミアちゃんがこんなにも殺し甲斐のある殺人鬼に成長してるなんて……。ライセンス取ったばかりとは思えないわ」
ルードの言葉にティルミアはしかし笑わない。
「先生。……私達を殺す理由は、私が殺人鬼……人を平気で殺す人間だから、ですか」
「あら、どうしたの。またお喋りかしら?」
ルードもティルミアも呼吸を乱していない。いや……わずかに、ルードのほうは肩が上下しているか。
俺の目から見ると二人はどちらも人間の域を遙かに超えた化け物に見えるが……もしかしたらティルミアのほうが少し優勢なのかもしれない。もっとも、それはティルミアにとって嬉しいことかどうかはわからなかったが。
「先生……私は、殺人鬼です。でも、タケマサくんは違います。タケマサくんは人を殺したりしません」
ティルミアがそう言った。
「あら、それはどういう意味かしら」
「タケマサくんは先生にとって「殺していい人間」じゃないってことです」
「……ふふっ。ティルミアちゃん、本当にタケマサくんに惚れているのね」
「なっ……」
ティルミアは顔を真赤にしたが、否定はしなかった。
「そ……そうです。私タケマサくんのことが好きです」
俺の方は見なかった。俺も何も答えなかった。
「そうぉ……」
ルードの顔に浮かんでいるのは、本当に教え子を慈しむ表情だけだった。いったいなぜ……こんな顔で人を殺せるのだ。
「じゃあ、彼に聞いてみようかしら」
ルードが、俺のほうを向いて、問う。
「あなた蘇生師なのよね。ティルミアちゃんが死んだら、貴方、蘇生させるのかしら?」
「せ、先生……! どういう意味ですか」
「いいから、答えてちょうだい、タケマサくん」
「……」
問の真意はわからない。でも。
「生き返らせるだろうな」
俺はそう答える。
「どうしてかしら」
「どうやら俺は、ティルミアに……まだ死んで欲しくないと思っているらしいからな」
「ふぅん……やったじゃない。ティルミアちゃん」
「え……え……」
ティルミアが真っ赤な顔をしている。
「でもタケマサくん、ティルミアちゃんは……殺人鬼なのよ? それでもいいの?」
「良くは……ないさ」
「良くはないわよね。そうよねえ。だったら、生き返らせちゃぁダメなんじゃない? だってティルミアちゃん、生き返ったらまた人を殺し続けるのよ?」
そう……なのだろう。
「生き返らせるってことは、ティルミアちゃんがこの先するであろう殺人の片棒を担ぐってことじゃないかしら」
「先生! どういう……意味ですか!」
ティルミアは叫んだが、俺は悩むまでもない。そんなことは、わかっている。
「そうだよ。俺は殺人の片棒を担いでることになるんだろうな」
「じゃあ、タケマサくんも、人を殺す人間ということよね」
「先生! 待ってください! それは違います!」
いや……違わない……のかもしれない。ルードの言うことは、間違っているわけじゃない。
「間接的にはそういうことになるのかもしれないな」
「それでも生き返らせるのよね。それならあなたも……」
「待ってください先生! タケマサくんは違います! タケマサくんを殺さないで!」
ルードは、ゆっくりと教え子を振り返って言った。
「ダメよ。ティルミアちゃん。自分は人を殺してまわっておいて、人には殺さないでって頼むなんて、虫が良すぎるわ。そうでしょ?」
ティルミアの表情が消えた。
「……そ、……そうです……」
ルードは微笑んだだけだった。
追い詰められているのはティルミアの方に見えた。
「で……でも、なら……タケマサくんが私を生き返らせないって約束してくれれば……。それならタケマサくんは人を殺す側の人間じゃないから……」
「ダメよティルミアちゃん。タケマサくんはそんな約束守らないでしょう」
「タケマサくん!」
「ティルミア。そりゃ守れんだろ。俺はたぶんお前を生き返らせるよ」
「なんで!? どうして!? いいんだよ、私は私の勝手で殺人鬼やってるし殺されることだって覚悟してるんだから! 私を生き返らせないで!」
「いや、悪いが生き返らせる」
「どうして!!!」
「俺は……たぶん」
俺は、ティルミアを。
「お前を……理解したいと思ってるからだ」
ティルミアが、あの時と同じような顔をした。泣きだす。やれやれ、泣き虫め。
「俺は、自由に人を殺せることが大事だとかそういうお前の価値観は、まだ理解できてない。共感もできない。共感は……一生できないかもしれないが、少なくとも理解はできるのかもしれない、したいと思っているんだろうな」
「理解なんて……してくれなくていいから」
「いやこれは俺がしたいと思ってるだけだから、お前にはどうこうできないだろ。理解できないと気持ち悪いんだよ」
「そんな……」
「心配するな。俺が勝手についてきてこうなったんだからな。ここで巻き込まれて死んでもお前を恨むことはないよ」
「……」
もう、ティルミアは何も言おうとしなかった。
俺は、ルードのほうを向いた。
「まあそういうわけだ。殺さないでくれと頼むことは無駄だからしないが……。殺すことになったら苦しまないように殺ってくれ。それだけ頼む」
「オッケイ。任せておいて」
ウインクされた。
「なあ……一つ聞いていいか。どうしてあんたは、そんな殺人鬼なのに、子供を育ててるんだ?」
「私はね、可能性を感じたいの」
……可能性?
「子供たちを育てるのは、人の可能性を感じるからよ。どんな大人になるのかしら、それを考えると胸が熱くなるわ。自分には一生子供は持てないだろうしね」
「だったら……なんで殺人鬼なんだあんたは。人を殺すなんて、その可能性を摘み取ることじゃないか」
俺の言葉に、ルードは頷いた。
「そうよ。でも可能性というものは、摘み取られるものだからこそ意味があるのよ。全ての可能性を残しておいたら、この世は酷くつまらないものになるわ」
「言ってることが矛盾してる気がしてならないが……」
ルードは、聞き返してきた。
「貴方は、なぜ人を蘇生するの?」
おまえらが殺すからじゃねえか、と言いそうになったが、言い換える。
「そりゃ……死んでるよりは生きてる方が良いに決まってる」
「……つまらない理由ねえ。いい? 人生のあらゆることは選択なのよ。片方の選択肢を捨て、もう一方を選ぶからこそ人生は進む。現実は変わる。世界は素晴らしいものになっていく。選択とは、捨てること。人間を殺すこともまた、一つの選択よ。人が人を殺すことは、この世界を前に進めるための貴重な一歩でもあるのよ。それなのに……。それを生き返らせて元に戻す? 生きているほうがいいに決まっているから?」
ルードは、ぶるぶると首を振った。
「……だめよ。そんな思考停止で、せっかく前に進んだ世界を後退させようだなんて。そんな生き方、先生は認めません」
「そ、蘇生師がいけないってのか」
「そうよ。そんな後ろ向きな職業。人の生き死にに関わりたいのなら、殺人鬼みたいな前向きな職業につきなさい」
お、おう。なかなか新鮮なアドバイスだ……。
「だが、生きていなきゃ出来ないことがたくさんある。殺すのが前向きってのは意味がわからん」
「タケマサくん、選択肢が多いほうが良いなんて価値観は、間違ってるわ。選択肢が少なければ少ないほど、それはたくさんの決断を経てきた、より前に進んだということなのよ。選択肢を多いままにしておこうなんて言ってたら、このまま人生何も決まらないまま終わってしまうわよ?」
……。少しだけ、就職浪人中の俺には刺さる言葉でもある。
「違います先生!」
ティルミアが止めに入った。
「タケマサくんは確かに決断力に欠けるように見えますけど、いざとなれば決める人なんです。ちゃんと人だって殺せる人なんです」
「いや、殺せないからな。言っとくけど」
ティルミアからの意味不明なフォロー(?)にツッコミを入れておく。
「ティルミアちゃん。彼を直すにはショック療法も必要よ。いっぺん死んでみるとかね。文字通りの意味で」
「死んだら二度と直らないからやめてくれ」
「ティルミアちゃん、本当にタケマサくんでいいの? きっとこの先も、人一人殺せない甲斐性無しよ」
それ甲斐性じゃないと思う。
「今はそうでもいつか変わってくれます! 今は女の子の後ろでぶるぶる人殺しを見てるしかなくても、いつか自分の手を血に染めてくれると信じてます」
さっきティルミアお前、俺は人を殺さないって言ってなかったっけ。
「タケマサ君には無理よ。人を殺す勇気なんか無いわ」
なんだろう。なんか俺も少しは落ち込まなきゃいけないのだろうか。
「ふっ……恋は盲目というけれど、貴女も殺さないと目が覚めないのね」
「……そうですか。先生こそわかってくれないのなら、殺すしかないですね」
「お前らもうちょっと妥協点がいっぱいあることに気付け」
「私の辞書に妥協の文字は無いわ」
「私にだって無いです!」
「お前らのは辞書じゃなくて自由帳だ」
俺の必死の説得(?)もむなしく、二人は構えを取った。
*
「先生……私の奥の手をお見せします」
ティルミアが、両の手を合わせた。
「……印かしら?」
「……ええ。殺人鬼のライセンスは便利ですよね。殺人術に関してはバリエーションが豊富だから……こんなこともできます」
ティルミアが、少し長めの呪文を唱えた。ルードは油断しているのか、余裕の構えだった。
「……では行きます」
瞬間。ティルミアが消えた。
「ん……」
ルードの目つきが変わる。あたりを見回す。
俺の目にはティルミアがさっきと同じように消えただけにしか見えないが、ルードもまた見失ったらしい。
「ごっ」
ルードがいきなり後頭部を押さえてうずくまった。次の瞬間、今度は腹を曲げて浮き上がる。まるで下から殴られたように。
「……どこっ」
ルードがぶんぶんと腕で空を切るが、何かに当たった様子はない。
「がっ」
ルードは足をすくわれて転んだ。
「……」
ティルミアが現れた。倒れたルードの足元に。
「殺人鬼には、敵の反応速度を鈍らせる魔法があるの、ご存じですよね。私のはそれを逆用して自分の反応速度を上げ、高速移動術の上限を突破してるんです。先生でも、完全に姿を捕らえるのは難しいんじゃないですか?」
「お、驚いたわ……こんなに強くなってるなんて……」
再びティルミアの姿が消えた。
「……げほ、ごほっ……ぐはっ!」
何発も攻撃がヒットしたらしい。ティルミアはまるでその姿が見えないまま、ルードを翻弄している。
「先生、今までありがとうございました!」
ティルミアの最後の挨拶が聞こえた。
「……甘いわ!!」
だが、ルードが吠えた。
ルードの筋肉が一気に膨れ上がったのがわかる。その両手で大地を打つ。周囲、数メートルが一瞬にして、爆発した。飛び散る土と瓦礫の中、一瞬ティルミアの動きが止まったのがわかった。
だがルードの目論見はうまくいかなかった。
とらえたティルミアの姿に蹴りを叩き込もうとしたルードはなぜか踊るようにくるくると回って地面に倒れた。
そしてルードを組み伏せているのはティルミアだった。
その右手を手刀として構え、その手で心臓を抉ろうと……したように見えた。
だが。
「かかったわね」
ルードがそう笑って言った。
「気をつけろ! ティル……」
「蛇黒針!!!」
倒れているルードは腕を上げる。その両手から。無数の黒いワイヤー状の何かが立ち昇った。
ルードを跨ぐように上に立つティルミアには、避けることができない。
「ティルミアっ!」
……筈だった。
「ダメですよ先生」
しかし、避けていた。
立っている姿勢は変わっていないのに、いつの間にか左手で全てのワイヤーをのけるように払っていた。
「先生。言ったでしょう。反応速度を上げているって。正面からの攻撃くらい、どんなに至近距離でも避けられます」
ティルミアは再び手刀を構える。
「さよなら、先生」
ぐさり。
「っ……」
ルードの顔が血に染まった。
ティルミアがその胸から吹き出させた血で。
「甘いわね……。この魔法の本来のバージョンは、蛇みたいに自在に曲げられるのよ。だから蛇黒針って言うのよ」
ティルミアが払いのけた筈のワイヤー達は、いつの間にか上空で束になり、向きを変え戻ってきて……ティルミアの背からその心臓を貫いていた。
「ティルミアっっっ!!」




