第五話 黛瑠璃子は高らかに宣言する
携帯電話には他人の電話番号やメールアドレスを連絡先として登録できる機能が付いているのだが、昨今のSNSの急速な普及から哀れ夏炉冬扇と化してしまっている人も少なくはない。しかしここに時代の流れに逆らう女が一人。
日は地平線の彼方へと消えていき、冬の寒さは一層厳しさを増していく。
「念のために入れといた両親にエミに樫添さん。改めて見ると何とも物寂しいものね。まぁ別にどうでもいいんだけど」
電子画面に表示される人名の羅列を眺めながら、黛瑠璃子はそっと呟く。末尾に萱愛小霧という名前が目に入り、何となく消したくなったが暫くの間はそうするわけにもいくまい。彼奴はなんだかんだで役に立つのだ。
「そうですよねー。黛センパイは柏ちゃんがいればそれでいいんですもんねー」
いつか見たようなニヤけ顏を浮かべながら樫添さんは軽く私の体を肘で小突く。最近この子私のことをからかいすぎではないか。
「まぁ冗談はさておいて、こんなところに呼び出すなんてなにかあったんですか?」
こんなところ。まぁそう言われるのも無理はない。市の中心街から裏通りを抜けた先にある人目につかない廃工場。何に使うかもわからない鉄の塊が屹立し、毛細血管の如く鉄管が張り巡らされている。そこかしこに割れたガラスの欠片が散乱しており不穏なことこの上なし。
こんな悪童共の喧嘩か、粉の売買ぐらいにしか使い道がなさそうな場所に呼び出されればそりゃ困惑もするだろう。だがこれからの話はあまり人がいるところでは話したくないのだ。
「あいつが来たら話すわ。全くいつになったら来るのかしらあの男」
話す内容は勿論、神楽坂藍里のことである。彼女を【成香】かどうか確かめ、場合によってはエミを守るために何らかの行動を起こす必要がある。
自分一人でも出来なくはないだろうが彼女を守るためには全力を尽くしたい。その為に数少ない知り合いを呼び出させてもらったのだ。
だがそれにしても遅い。最近何かと人を待っていることが多い気がするがここまで長く感じたのは初めてだ。実際の時間は然程変わらないのだろうが、エミや樫添さんとあの男では気の持ちようというヤツが違う。横を見れば樫添さんは私をいじることにも飽きて欠伸してしまっている。
すると遠くの方からパタパタと慌ただしい足音が聞こえてきた。噂をすればやってきたようである。
「黛さんッ!!樫添先輩ッ!!遅れてすいませんッ!!」
聞き覚えのある声が飛んできた。勿論呼び出したのは萱愛小霧だ。走って疲れたのか体は前に傾き荒い息をそこらにぶちまけている。彼の真面目な性格からして恐らく文字通り全力疾走できたのだろう。なんだかちょっぴり申し訳なくなってきた。
「別にいいわよ。こんな平日の夕方に呼び出したのに来てくれただけでありがたいんだから」
本日は月曜日。休日でもないこんな日に呼びつけるのはいささか常識知らずではないかとは思ったが、事は一刻を争う案件であるので致し方なしとした。最悪二人とも来れないことも覚悟していたのでこうして集まってくれたのは非常にありがたい。
「言い訳にもならないんですが来る途中に……」
「萱愛、少しは人の話聞いて」
人の話を聞かない悪い癖の出かかる萱愛に樫添さんからのナイスツッコミが入る。流石樫添さん。樫添さん本当できる子、絶対敵にはしたくない、いや最初は敵だったけどね。
「あぁすいません。ところで黛さん話ってなんでしょう?」
「うん役者は揃ったわね」
その言葉に樫添さんも萱愛もピンと姿勢を正す。私の雰囲気からただならぬ用件だということを察しているのかその顔つきはいつになく真剣である。二人が覚悟を決めたのを見てとり、満を持して口を開く。
「【成香】が現れた。いや、正確にはそうだと疑わしい女がいたわ」
それを聞いた二人の反応は全くの真逆。樫添さんは溜息をつくとまたかといいたげに顔を伏せ、萱愛は目と口をこれでもかと見開いて只管驚いていた。
一瞬硬直した空気は男の慌ただしい声で再び流れ始める。
「【成香】……。棗の意志を継ぐもの。いやでも【成香】は柳端で最後だったはずじゃないですかッ!!」
「私も最初はそう思った。でもあの女は明らかに他と違う。臭うのよ、普通の人間じゃ気づかなくても私にはわかる危ない香りっていうやつが」
「そんな曖昧な……」
萱愛の顔に疑惑の色がよぎる。まぁ言いたいことはわかるし、正直私も神経質になりすぎているだけではないのかとも思っている。だがエミが傷付く可能性は例え万に一つであっても必ず全力で叩き潰す。柏恵美に勝利したあの日に私はそう誓ったのだ。
「確信ならある。その女を見たときエミは笑っていたわ。確かにアイツはいつもヘラヘラ笑ってるように見えるけどあれは違う、言うならば恍惚していた。明らかに興味を持ってその女を見ていたの。考えても見てあんな変人に目をつけられるヤツが普通なワケある?」
萱愛の瞳が揺らぐ。
「そうですね……いや、でも本当に【成香】に生き残りがいるなら柏先輩の身がまた狙われるかもしれない。用心するに越したことはありませんね」
「そう、だからその女が本当に【成香】かどうか調べる必要がある。何もそうだと決めつけて排除しようってワケじゃない」
彼は腕を組み瞳を閉じてウンウンと唸っていたが、納得してくれたのか真っ直ぐとこちらに向き直った。
「わかりましたッ!!黛さん、俺にできることがあるならなんでも言ってくださいッ!!再び共に柏先輩を守りましょうッ!!」
顔近いし声デカいしで耳は劈く。だが不思議と不快ではなかった。鬱陶ことに変わりはないが萱愛も大分変わった。以前までの彼だったらこの辺りで、そんな根拠もないことで人を疑うなんて許されるべきではないだとか、こそこそせずキチンと向き合って話し合うべきだだとか面倒臭いご高説を垂れ始めてたところだ。間違いない、萱愛は変われている、確実に前に進んでいる。彼だけではない、そこにいる樫添さんも自分の夢に向かって一歩を踏み出したと聞く。
そこでふと己に問うてしまう。私は何か変わったのだろうか。萱愛のように醜い自分と向き合っただろうか、樫添さんのように新たな道を見出せただろうか。否、私は何も変わってはいない。以前とは違い色々なことに興味を持つようにはなったが、それはエミというフィルターを通しているから変わって見えているだけで私自身には何の変化もないのだ。当然変わらないことは決して悪いことではない。だが周りの人間の成長を目の当たりにし、自分の停滞具合に嫌気がささなかったと言ったら嘘になる。
「樫添先輩も一緒に頑張りましょうッ!!」
「はいはい、そうだね」
萱愛の無駄に大きな声で我に帰る。私が考えに浸っているうちに、幸いお二方とも納得していただけたようである。
––––––––おかしくないか。
ここでようやく違和感に気付いた。何故樫添さんも賛成しているのか?彼女は前回、神楽坂の事は気のせいだと私に言っていたはずだ。てっきり今回も気にしすぎだとか見間違いだとか言って私を諭してくるものかと思っていたが拍子抜けである。
「……樫添さんも信じてくれるの?」
思わずそんな言葉が口をついた。
「ん?」
彼女はきょとんとした顔でこちらへ振り向き、ゆっくりとその大きな瞳を伏せる。
「ハァ……何言ってるんですか、そりゃ信じますよ。こないだみたいな早とちりとは違うんですよね。それが黛センパイの出した答えなら私は信じます、信じてついていきます」
言葉を噛み締め、真っ直ぐとこちらを見据える。
「今までもずっとそうだったじゃないですか。もっと私を頼ってくださいよ、何って言ったって私は柏ちゃんに継ぐ黛センパイの友達なんですからね」
そしていたずら気に微笑みこう付け加えた。
「まぁ自称ですけど」
……不覚にも目頭が熱い。感動、自分にもまだこんな感情が残っていたのか。卑屈な悪意には幾らでも冷めたままで入られるが、暖かく真っ直ぐな想いには案外弱いのかもしれない。
「ありがとう樫添さん」
心情を悟られないようわざとらしく顔を逸らす。本来ならここで抱擁でもしたいところであるが萱愛の前では遠慮したい。
昂った想いが落ち着くとなんともひんやりとした夜風がなんとも心地よかった。頭は冴え、心は鎮まる。
「樫添さん、萱愛」
黛瑠璃子は高らかに宣言す。
「私はエミを護る」
信頼できる同志の元へ手を差しのべる。
「もう一度貴方達の力を貸して」
次の瞬間、夜遅い廃工場に鬨の声が響き渡った。
さぁ今度こそ役者は揃った。萱愛小霧に樫添保奈美、そして黛瑠璃子。神楽坂藍里よ、かつて柏恵美を【成香】の凶刃から護り切ったこの鉄壁の布陣、破れるものなら破ってみろ。