第四話 柏恵美は変わらず 黛瑠璃子は変われず
――――うん、あれ絶対買う必要なかったと思う。
そろそろ空きっ腹が気になりだす昼下がり、市内のファミリーレストランの中で少女は一人悶絶していた。
昨日のショッピングモールでの買い物についてなのだが、別に最初は良かったのだ。学生でも気軽に買える小さめのお手頃ツリーやそれっぽいリースなんかを買ったりして、それらしくクリスマスパーティーの準備というやつが出来た。
しかし、それからがまずい。
変にテンションが上がっていたせいか、樫添さんに乗せられて余計なものを結構買ってしまった。
ペンで角を象ったトナカイ型のペン立てとか最高に意味が分からないし、何より一番酷いのが二人分のサンタコスだ。
――――いや、誰が着るの?
そりゃメンツ的には黛とエミの二人なのだろうが、何だが着てる光景が思い浮かべられない。
エミは私が言えば着るかもしれないが……それで何? というのが本音である。いや、確かに少し見てみたい気はするが。ほんのちょっとだけ。ちなみに、黛的には絶対に着たくない。
他にもトナカイの角がついたカチューシャに、ヤケに大きい白の布袋、そしてこれまた馬鹿でかい靴下なんかが脳裏をよぎったが、思い出しても憂鬱な気分になるだけなので今は忘れておこう。
頭を切り替えて今日ここに来た目的を頭で反芻する。
エミの趣向の調査。
それが本日黛に課せられた任務であった。
飾り付けはこちらの都合だけで用意することが出来るが食べ物は別だ。
いざクリスマス会となって出した料理がエミの苦手なもの、下手をしたらアレルギーに引っかかっるものだったりしたら会が台無しになってしまう。
どうせお祝い事をするのだから、エミには好きなものを食べて楽しんでもらいたい。そう思ってこのファミレスにエミを呼び出したのだ。食事をとりながらならば、食べものの話にも持っていきやすいだろう。
そんなことを考えてるいるうちにいよいよターゲットのお出ましである。視界の端にキョロキョロと周囲を見渡す一人の少女の姿が写る。
「やぁルリ。君が昼食に誘うなんて珍しいね」
「確かにね。ちょろっと前まではしょっちゅうだったのに」
柏恵美。
殺されたがりの変わり者にして、黛瑠璃子の数少ない大切な友人。
芝居がかった独特の口調に底知れない不気味な微笑み、相変わらずの変人っぷりに思わず笑みが零れる。
だが、今日はこの変人をうまく手玉に取らなくてはならない。
この女これで中々勘は鋭いのである。
普段と変わったところがあればすぐに気付く。用心しなくてはならない。
「さぁて何を頼むとするか、ルリはどうする?」
幸運なことに好調なスタートが切られた。そちらから振ってくれるとはありがたい。クリスマスと言えばケーキである。まずはここから当たっていくのが王道というやつであろう。
「そうね、まずはパフェかしら」
「どういうことかね?」
――――……何言ってんだ私。
初っ端から思わぬ墓穴を掘る。前菜からデザートなんて食べるわけがないだろう。
しかし、ケーキに頭が行きすぎてそこまで考えが回らなかった。確かに演技が得意だとは思っていないが、自分は慣れないこととなると、この程度のことしか出来ない人間なのだろうか。
エミが「何言ってんだこいつ*って顔でこちらを伺っている。
昨日も思ったが結構傷つくので出来ればやめて欲しい。
だが、項垂れるな。諦めるな黛瑠璃子。
この程度のミス、軌道修正は容易い。
「食前デザートダイエットって知ってる?」
「いや初耳だね」
「食前デザートダイエット。食事の初めにまず甘いものを摂取、すると血糖値が上昇した状態で食べ始めるから、早いうちに満腹中枢が働いて、食べすぎなくて済む……っていうダイエットよ」
あぁ我ながら何と凄まじきコピペ感。だが及第点は取れたはず、さてエミはどうでるか?
「別にルリは太っていないと思うがね」
「女の子は少しでも綺麗になりたいものなの」
「……今日は少しおかしくないか?何か変なものでも食べたのかい?」
マズい、咄嗟に安牌を切り続けた結果むしろ袋小路に追い詰められている。
何故世の女の子なら誰もが思ってそうな一般論を口にしただけで、「おかしい」と言われなければならないのか。
もしかしたら昨日樫添さんにエミ同等の変人扱いされたのはあながち間違いではないのかもしれない……認めたくはないが。
「べっ、別にどうでもいいでしょ……」
動揺を悟られないよう露骨に興味無さげに言う。
そうだ。いつもの黛瑠璃子は何かほら、確かこんな感じだったはずだ。
「ほらエミはどうすんの?チョコレートパフェ?それとも苺生クリームパフェ?」
「何故二択なんだ、抹茶パフェもあるではないか?」
それはショートケーキにするかチョコケーキにするか好みを探っているからである。
無論抹茶ケーキなんてものは存在しないだろうから除外した。彼女は渋っているようだがここはゴリ押しで良いだろう。
「いいからどっちがいいの?」
「そうか君は私に抹茶は選ばせないというのか。ついに君は私の食べるものにすら干渉しようというのだね。ふふふ……悪くない、今はその事実をもって甘味となそう」
うん面倒臭い。普段なら別にいいが、こういうときにこういうことされると滅茶苦茶面倒臭い。まぁ訳のわからない方向に暴走しているようだが納得してくれたのなら良しとしよう。
「よし、チョコレートパフェにしよう」
フィンガースナップからの清々しいまでのキメ顔。うん、こっちが恥ずかしくなるからやめてほしい。
「はいダウト。大方本当は苺がいいけどチョコを頼まないといけない状況に自分を追い込んでその絶望を楽しもうってところかしら?」
黛の名推理にエミのキメ顔が力なく崩れる。考え込むように腕を組み、ぐぬぬと悔しそうな表情を浮かべる。
「流石はルリだな……」
「ふんっ、エミ検定一級でも貰いたいところね」
よし、エミの暴走のおかげで逆に普段通りの会話に修正できた。ついでに趣向の方もさりげなく聞き出せ万々歳である。
苺の方が好みならケーキはショートでいいだろう。ケーキ食べれるってことは卵や牛乳にアレルギーもなし。ならば、次は好きな肉の種類でも聴き出すとするか。
何はともあれ、これで第一の目的はクリア。
なんだ、あれだけ悩んでた割と楽勝ではないか。
自然な流れを第一に心がけ、この調子でやれば大丈夫。達成感から意気揚々とコードレスチャイムに人差し指を重ねると、ピンポーンと軽快な店員召喚音が店内に響く。
「注文は主菜を決めてからでもいいんじゃないか?」
「あぁなんか勢いで押しちゃった。まぁこの時間なら空いてるし迷惑にはならないと思う」
「ご注文承ります」
早くもウェイトレスがやってきた。消え入りそうだが高めでよく通る声だなぁとそんなどうでもいいこと事を思いつつ振り返る。
絶句。
もし今自分の顔を鏡で見ることが出来るならば、それはさぞ間抜けな面をしていたことであろう。
しっとりとした長い黒髪に、全体的に細いというか華奢な体つき。
その女は昨日見失った【成香】。まさにその人であった。
「なっ……!!」
なんでこんなところにいる、と喉まで出かかったところを慌てて飲み込む。
とりあえず冷静になれ。
【成香】はもういない。昨日たまたますれ違った女性が、たまたまこのファミレスに勤めていたというだけのことだ。慌てる必要はない。
「ほぅ……かかったか」
そんな淡い希望が音を立てて崩れていくのを感じた。ギョッとして振り返る。今の声は紛れもなくエミのものだ。
そこにはまるで面白いものを見つけたような高揚感があり、それどころか喜びに口元が薄く歪んでいた。
エミがただのファミレスの店員にこのような反応をするだろうか? ――――――否。エミに興味を持たれた時点で普通の人間ではないことは明らかである。
やはりこの女は異常なのかもしれない。
【成香】と決まったわけではないが、真意を確かめるため何かしらの手を打つ必要があるだろう。
だが、今は駄目だ。実際に行動を起こすときのことを考えれば、悪戯に敵対感を煽ることは避けたい。極めて冷静を装い、刺激を与えないよう努める。
「苺生クリームパフェ二つお願いします」
自然な動作で軽く微笑みかけ、横目で伝票に集中する相手の面を拝む。大きな瞳に透き通るような白い肌。それが黛の新しい敵になるかもしれない人間の顔であった。
「以上ですか?」
「以上です」
「それではしばしお待ちください」
店員はそう言うと何事もなかったように、業務へと戻る。同性の自分でも思わず可愛いと見惚れてしまうほどの素晴らしい笑顔であったが、見かけに騙されてはいけない。
どう対応するかは家に帰ってから考えるとして今はエミの反応を見るのが先決である。彼女の対応によっては、あの女が【成香】であるなによりの証拠になる。
「エミ今の人知り合い?」
世間話のような口調。マドラーで手元のコーヒーをいじりながらまずは軽い揺さぶりをかける。しかし、彼女の表情は変わらない。
「いいや。初対面だが」
「なんか変な反応してなかった?」
続いて率直に攻める。かき混ぜた手元のコーヒーはミルクと混ざり溶けていく。白か黒か、エミに対しては小細工など無意味。彼女の自死を止めたいのならば、此方も全力で挑む必要がある。
「別にしていないが」
だが暖簾に腕押しは変わらない。
とぼけて押し通すつもりなのか? そちらがそういう考えならば、こちらも強行手段に出よう。
「あの【成香】と何を企んでるの?」
手遊びも止め、彼女の瞳を正面から真っ直ぐに射抜く。これにはエミも思わず目を伏せ、心の惑いを見せる。しかしそれは図星を当てられた動揺というよりかは、純粋な困惑に見えた。
「いきなり何を言い出すんだルリ。香車くんの意志を継ぐものはもういないはずだろう。本当に今日はどうしたんだ?」
心の底から心配しているような目を向けられ、思わず顔をそらしてしまう。彼女もこんな顔をすることがあるのか、親友の思わぬ反応になんだか胸の奥が痛くなる。
「そうね。ごめん最近ちょっと寝つきが悪くて」
「それはよくないな体を壊してはいけない。タンパク質をしっかりとると寝やすくなると聞く、今日はステーキでも頼んだらどうだ?食べきれないようだったら私が手伝おう」
「はは……ありがと。でも大丈夫だから」
なんだか気まずい雰囲気になってしまった。
なんださっきの会話。エミが本気で心配してくれているというのに、黛瑠璃子は取り繕って隠すような言い方ばかり。
親友だとなんだと言いながら彼女を信じることが出来ない自分が後めたいのか。
確かに大切な人を疑うのはとても辛い。でもたとえ彼女を敵に回したとしても、その命だけは必ず自分が護ると決めたのだ。そのためならば、例え彼女が嫌がることだろうがやり切ってみせる。
「お待たせしました」
【成香】とは別の店員が二つの苺生クリームパフェを持ってくる。黛もエミもそれとなく食べ始めるが二人に会話はない。
エミはときおりこちらへ気遣うような視線を送っていたが、黛は最早彼女の趣向を聞き出すという当初の目的すら忘れて物思いに耽っていた。
エミへの罪悪感に自分への失望、新たな脅威、そしてなによりエミを失うかもしれないというとてつもなく大きな不安。
負の感情は渦を巻きどこまでも深く淀んでいく。
ネームプレートに刻まれた文字によると【成香】の名は[神楽坂藍里]という。