第三話 樫添保奈美のごゆるり喫茶劇場 後篇
「喫茶店田村、最高です」
「そうね、良かったわ。ここはトールエスプレッソノンクリームアドキャラメルアバダケダブラとか詠唱しなくてもいいのだもの」
まったりした空間のなか、ゆっくり過ぎていく時間。うん、予想していたよりかなりいい店だ。
お洒落な雰囲気は出しつつ威圧感は感じさせない絶妙なインテリアに、聞いてるだけで心が安らぐ柔らかなBGM。
庶民がストレスなく楽しめるレベルのお洒落の最高峰と言ったところだろうか。
マスターも私達のお喋りに角を立てるどころか微笑ましいものを見るような優しい目をしていた。ゆっくりしていってねと言われてるようで何とも温かい気分になる。そうだ喫茶店とは本来こうあるべきものなのだ。
「本題に入りますけど、クリスマスだからどっか行くみたいなのはしなくてもいいと思うんですよね。遊びに行くなら別にいつでも出来ますし」
「同感ね。よくクリスマスだから遊園地行きたいとか彼氏に言ってる女見るけど、クリスマスと遊園地に何の因果関係があるのかしら」
頷きながらカップを傾ける。
うん、コーヒーも美味しい。
「まぁイルミネーションとかは今の時期だけですし、見に行くも悪くないとは思いますけど」
「じゃあ大学終わり次第イルミネーション見に行って、そのまま私の家でクリスマス会って感じかしらね」
頷きながら少し砂糖を入れる。
うん、流石にブラックはちょっと苦い。
「クリスマス会って具体的になにするの?」
生まれてから一度も友達とクリスマスパーティーをしたことがない黛にとっては率直な疑問であった。
「えー、ケーキ食べて、七面鳥食べて、シャンパン飲んで……」
「食べてばっかね」
「話の腰を折らないでください。あとはプレゼント交換?」
「サプライズにする以上交換は無理ね。ただの一方通行になる」
「別にそれでいいじゃないですか。おっ、それともやっぱり黛センパイも柏ちゃんから何か貰いたいんですかぁ? 」
なんでこの子はこうもニヤけてるのだろう。
なんか弄ばれてるようで微妙に腹が立つ。
「まぁ貰いたくないって言ったら嘘になるけど……ってやっぱり何か変なもの押し付けて来そうだから前言撤回」
「練炭とかくれそうですね」
「本当にやりそうだからやめて」
「じゃぁプレゼントは無しの方向で……あれ?他にすることないですね」
「樫添さんも本当はあんまり経験ないんじゃ……」
その瞬間彼女の瞳に一瞬、影が差したのを私は見逃さなかった。
「いえ、私も昔は有紗と、その友達とずっとしてました……」
それまでの樫添さんが嘘のような弱々しい声であった。しかし、すぐなんだか気不味い雰囲気に気付いたのか誤魔化すように咳を払う。
「……要するにですね、大切な人との時間は特に何かするって決めてなくても楽しいものなんですよ。その人と同じ時間を過ごせるってだけで充分なんです……あっ、なんかいい感じにまとまりましたね。そういう方向でいきましょう」
気にしてない風を取り繕いながらも、やはり樫添さんの顔には微かに影が落ちている。
萱愛が佐奈霧さんに襲われた一件の際、大雑把な話を聞いただけではあるが、彼女にとってその有紗という少女はそれだけ大切な人だったのだろう。
いくら立ち直ったと思っていても心の奥底深いところに悲しみは残り続ける。
傷は例え癒えることはあっても、決して消えてなくなりはしない。
黛瑠璃子もあの戦いで一歩間違えていれば柏恵美を失い同じ立場になっていたであろう。もしエミを失ったら――――そう考えるだけでも嫌になる。
「……黛センパイちゃんと聞いてますか?」
少し物思いに耽りすぎたようだ。
見れば彼女はもういつも通りの表情に戻り、覗き込むようにこちらを伺っていた。
「うん、聞いてる」
失ったことがないものに、失ったものの気持ちは理解出来ない。ならば、分かったような励ましは逆に腹が立つだけだろう。自分ならば軽々しくは触れて欲しくない。ならば黛瑠璃子に出来ることはただ一つである。
「じゃあ、かなりザックリしてるけど、イルミネーションを見たあと私の家でパーティーってことで。食べ物はしばらくはいいとしても、ツリーやら飾りやらは今のうちに買っておいても良さそうね」
「ですねー。ハイッ、んじゃそういうことでそろそろ行きますよ。近くのショッピングモールで大抵のものは揃いますッ!!」
そう言うと樫添さんは軽快に席から立ち、黛から小銭を受け取ると跳ねるようにレジへと向かう。会計を済ませ、外に出ると日差しが眩しい。
同じく日に目をやられている樫添さんの横顔をそっと眺める。日よけにかざした右手の隙間から、悲しみと悔しさを必死にこらえるような辛い表情が垣間見える。
「樫添さん、私の前でまで我慢しなくていいのよ」
優しいため息と共に、そっと彼女に囁きかける。
樫添さんはギョッと目を丸くし黙り込む。そんな彼女の手を握り、真っ直ぐに目を合わせる。
「なっ、いきなりなんのことですかッ、黛センパイ」
「ありがとう」
そう、これが黛に出来る唯一のことだ。
有紗さんの代わりにはなることはできなくとも、黛瑠璃子という一人の友人になることは出来る。それで彼女が心に少しでも温かいものを感じてくれたならば、そう黛は願う。
樫添さんはまだ動揺していた。
だがそれもほんの一瞬のこと、彼女の肌は瞬く間に朱に染まり、しかしてそれを隠すようにそっぽを向いてしまう。
「わ、私こそありがとうございます……」
ありがとうが具体的に何を指すかなんて野暮なことは言わない。黛瑠璃子と樫添保奈美にとってはその言葉だけで充分なのだ。
先程より少し心を近づけた二人は軽い足取りでショッピングモールへと歩き出す。今度は彼女も本当に楽しそうに。