第二話 樫添保奈美のごゆるり喫茶劇場 前篇
紆余曲折あったが、ようやく本日の本題に入る。
エミとのクリスマス会を企画しようと思ったはいいものの、これまでそんなことをした経験はないし、インターネットからの助言もろくなものがなかった。
そこで黛瑠璃子はパーティーに必要なものの買い出しも兼ね、色々相談させてもらおうと盟友樫添保奈美をこの街へと呼び出したのであった。
今は話し合いをするため、喫茶店にでも入ろうかとブラブラしている最中である。
「本当に助かるわ。ありがとう樫添さん。私今までこういうことしたことなかったから」
「いえいえ」
思えば樫添さんにはずっと助けられっぱなしな気がする。いつかお礼をしなければ……と以前思ったのは去年のこと。……いや本当早くお礼しないと。
「それにしても早すぎません?」
「え?何が?」
「いやクリスマスの準備ですよ」
「でももう十二月だし」
「まだ三日ですよー。普通早くても精々十日前とかじゃないですか」
「だからやったことも企画したこともないんだって……」
「あぁ、なんかすいません……あっ、あそこなんて良さげじゃないですかッ!!」
何だか気まずくなった雰囲気を誤魔化すかのような物言いであった。
それはともかく、彼女が指差す先にあるあの店の名前は何と言っただろう。なんか見るからにお洒落感な人しか入っちゃいけない感があるあの店だった。
「スタアバックス……ね」
「黛センパイ入ったことありますよね!?」
目を輝かせながらぐいぐいと顔を近づけてくる彼女には悪いが、期待には答えられない。
「あるわけないでしょ、樫添さんは経験者なの?」
「おーそうですか何か似合いそうな雰囲気なんで常連だと思ってましたよ。勿論私もないです」
「他のところにしない?」
「えぇ折角ですし行きましょうよ」
樫添語を直訳すると興味はあるが一人で入るのはなんだか怖い、二人なら何とか大丈夫だろうから付いてきて、なんてところだろうか。
あまり気は進まないが、前述した通り今日は自分の用事に彼女を付き合わせてしまっているのでこれくらいのことはしてあげたい。
「そうねたまにはこういうのも悪くないわね」
声が震えていることには目を瞑っていただこう。
「おぉ、じゃぁ早速行きましょう」
意気揚々とする樫添さんに手を引かれ、態々煉瓦造りのような雰囲気を繕っている店舗の中に入る。
「ん……」
思わず息を飲む。
空気が、なんだかしっとりしている。
時間がゆっくり流れていくような落ち着いた空間に、お洒落にスーツを着こなしたサラリーマン、昨今のケバケバしいだけの連中とは一線を画するお洒落な女子高生、全身から上品さをばらまくお洒落な老紳士。……お洒落な人しかいなかった。
樫添さんから瞬きでモールス信号が送られる。そんなものの解読方法なんて知らないが大方こんなところだろう「ドウシヨウ」。いやそんなことを言われても困る。
「取り敢えず座りましょうか」
作ったような声でできるだけお上品に言うと、これまたできるだけお上品に席へと向かおうとする……しかし、背後から何か嫌なものを感じた。
見れば店内の客のほとんどがこちらを睨んでいるというほどではないが「こいつ分かってねぇな」的な目で見ているではないか。
思わず呆然としてると、樫添さんに引っ張られ、いつの間にか店外へと出ていた。
「なにがダメだったのよ……」
「こんな都市伝説を聞いたことがあります。スタバでは注文をとる前に席に座ってはいけない、と」
「なんなのそれ……」
「そういうことはそういうことなんです。である理論って奴ですよ。あぁ〜やっぱり無理でしたね。私達にはまだ早すぎたか……さあ、気を取り直して普通の喫茶店探しに行きましょう」
そう言うと樫添さんはスタコラと先に行ってしまう。今思えば仮に上手くいったとしても、あんな空間でクリスマス会の相談なんて出来たもんじゃないと思ったが、ここは口に出さないでおこう。
歩くのも疲れたので、今回はスマートフォンを駆使し予め目的地を決めた。先ほどの反動からか「喫茶店田村」とか言うお洒落の対極にいそうな店を無意識に選んでしまったのは内緒である。
「そういえば樫添さんはクリスマスどうするの?」
「今年は家族と過ごします」
「へぇ意外ね」
「正直柏ちゃんとか黛センパイみたいな変な人と関わった後だと普通の人とクリスマス会しても味気ないですし、なら家族でいいかなぁと」
……この子に別に悪意は無いのだろうが、ひっかかるところがあったので一応突っ込んでおく。
「聞き捨てならないわね、エミならともかく私は変な人ってことはないと思う」
「……」
この顔は絶対「何言ってんだこいつ」と思ってる顔だ。
別にサイコメトリーでもなんでもなく、それだけ露骨に顔に出ているのである。
「ちょっとなんなの」
「バケツ……」
あまり聞きたくない単語が突然彼女の口から飛び出す。いや焦るな黛瑠璃子。まだそうと決まったわけじゃない、勘違いかもしれないし別の話なのかもしれない。
「墨汁……」
疑惑は確信に変わった。
「ちょっと待ってなんでそのこと知ってるのッ!!」
「あんなことして噂にならないと思ったんですか……多分この先5、6年はM高で語り継がれると思いますよ……」
あんなこととは私がエミと出会う一年前にあった……まぁあんなことである。
樫添さんの呆れたような言い方に、何だか自分で自分が情けなくなってきた。だが樫添さんに知られてしまったことは別に構わない、いや嫌かどうかといえば間違いなく嫌なのだが、そんなことはチンケなものに思えてしまうほどもっと重大な問題が別にあるのだ。
「エミ……エミは知らないわよね」
「あの人他人の噂とかそういうのに関しては蚊帳の外だと思いますよ」
「そっ、それもそうね。安心したわ」
表面上は冷静を取り繕っているが実際は安堵すること山の如し。
まぁ言われてみれば態々エミと噂話を共有しようなんていう物好きはいないだろうし、偶々噂を耳にしたなんてこともないだろう。
どうせ暇なときは自分が殺される際の妄想で頭がいっぱいなのだろうから。そうだ、そうに違いない。エミに対して何か酷いことを言ってる気もするが、希望的観測でなんとか心を落ち着ける。
「まぁ私が言いましたが」
樫添保奈美はこれ以上はないというほどのいい笑顔であった。
「わあぁぁぁぁッ!!」
この女許せない、どうしてくれようか。
「冗談ですッ!!冗談ですから黛ナイフでチクチクするのやめてくださいッ!!」
「黛ナイフって何よッ!!」
ひとしきり騒ぎ終えた頃には「喫茶店田村」はすぐ目の前である。