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不完全ラズライト  作者: 深海船隻
27/28

聖夜の乙女のエピローグ 前編



 社会人が酒盛りをするように、我ら学生も時には宴会というモノをする。


 体育祭ののち打ち上げと称してどんちゃん騒ぎを繰り広げたり、週末になる度にともがらの自宅に意味もなく押しかけたりするのがそれだ。視点を女の子的にモノに転じてみるならば、パジャマパーティーというモノもある。

 このように宴会には数多の種類があるが、やることは基本的に変わらない。


 気の合う仲間達と冗談を飛ばし合いながらふざけ倒すのも良いし、夜な夜な恥ずかしげもなく互いの将来を語り合うのもまた良い。


 美味いものを飲み食いしながらその場その場の語らいに耽る。それが宴の醍醐味なのである。


 そしてこれは持論なのだが、数ある宴会の中でも特に青春的希少価値が高いと言えるのは、紛れもなくクリスマスパーティーだと思っている。

 確かに同性同士での集まりに青春も糞もあるかという意見も理解は出来る。だが私のような人間関係にうるさい女とっては、真の友人である彼女らと過ごす時間が他の何よりも楽しいのだ。


 遂に、遂にこの日がやって来た。

 今宵は聖夜。俗に言うクリスマスイブは今年も全国津々浦々で賑やかに話の花を咲かせる。

 私こと黛瑠璃子も本来の性格に似合わず、陽気に鼻歌なんかを奏でずにはいられなかった。


「ふんふんふ〜ん」


 青みがかった黒髪を愉快に揺らしながら、少女は蝶が舞うように作業を進めていた。

 赤だの金だのといった派手な色のテープを部屋中に張り巡らし、休む間も無く壁にテキパキとリースを飾り付けていく。

 続いて玄関から大きなダンボール箱を運んでくると、その中から数多の小さなベルとカラフルな金属玉を取り出した。

 その他にも果実を模した飾りや純白のリボンなんかをどこからともなく引っ張り出してくると、それらを次々と部屋の隅に聳え立つ一本のツリーへと飾り付けていく。


 作業を始めてからおよそ三十分。

 最後にモミの木の頂にそっと星型の金具を嵌めると、少女は嬉しそうにニヤリと口元から白い歯を覗かせた。


「よし、だいたいこんなもんね」


 ツリーOK、飾り付けOK、食べ物の配膳OK。

 きっちりと指差し確認まで済ませ、そこでようやく黛瑠璃子はほっと安堵の息をつく。


 本日は待ちに待ったエミ達とのクリスマスパーティー当日だ。

 会場となるのは勿論この我が家である。両親は『たまには二人でゆっくりして来なよ』と孝行娘を装い外に追いやったので、今日一日この家は私が好き勝手に使うことができるのだ。

 

 本来なら今頃外でイルミネーションを見ているはずであった。しかし私のせいでエミが怪我をしてしまったので、それはまた後日とすることにした。

 六時頃になれば樫添さんがエミをここまで連れて来てくれる手筈である。

 それまでの時間潰しも兼ね、今まで会の準備をしていたのだが、それもこれで粗方片付いてしまった。

 要するに手持ち無沙汰なのである。


 することもないのでふと窓の外を覗いて見ると、そこには見渡す限りの銀世界が広がっている。もし神様という奴が本当に存在するのならば、その演出力を褒め称えたいところであった。

 今宵は正しく正真正銘のホワイトクリスマス。あまりにも上手くいきすぎて、逆に心配になる程のクリスマス会日和である。


 己の幸運ぶりに思わず頬を緩めると、少女はそのままソファーへ倒れ込むように崩れ落ちた。


「んー、はぁ……」


 寝転びついでの伸びが非常に心地よい。

 こうして一人で落ち着くのは随分久方ぶりだ。ここ数日はあっちへ行ったり、こっちへ行ったりと……まぁとにかく忙しかったのである。

 本来の自分を取り戻し、エミと改めて絆を深め合った十二月二十二日の夜。あれから、本当に色々なことがあったのだ。



 –––––––––––しんみり気分も晴れないうちにエミを慌てて病院へ連れて行ったり、掌の傷についてあれこれと言い訳をすることになったり、取り敢えずは調理中に手を滑らせたということで納得していただき、そのまま彼女の入院手続きを手伝う事になったり。

 入院というおどろおどろしいワードにあの時は随分と肝を冷やしたが、どうやら刃が巧く骨と肉を避けていたようで、今日の三時頃には無事退院できるらしい。


 その後は神楽坂さんの自宅に戻り次第、直ぐ様彼女と樫添さんに只管謝罪した。頭を下げる私に二人は謝る必要はないと言ってくれたが、私が彼女達にしてしまったことはそう簡単に許されることではないだろう。


 翌日は散らかしてしまった神楽坂さんの部屋を念入りに掃除し、その足で勝手に名前を騙ってしまった御園梓みそのあずささんにも謝りにも行った。

 こちらは怒鳴りつけられても仕方がないと思っていたのだが、幸いにも彼女は『えー?よくわかんないけど別にいいよそんぐらい。あれもしかして私って有名人だったりして。ねえ聞いてるの〜藍里(以下略)』とすぐに笑って許してくれた。

 流石あの神楽坂さんの友人だ。非常に心が広くていらっしゃる–––––––––––––と、こう言った感じでとにかくこの三日間は忙しかったのである。まあ元はと言えば全て自分の身から出た錆なのだから仕方のないことなのであるが。


「ん、そろそろかしら」


 室内が薄暗くなってきたことに気付き、寝返りついでに時計を見やる。

 針が指し示す時刻は午後六時。どうやら考え事の時間はもう終わりのようである。予定ではそろそろ樫添さんがエミを連れて––––––––––––––––––。


 ピンポーン。


 噂をすればなんとやら、玄関の方から軽快なチャイムの音が鳴り響いた。


「あっ、来た」


 少女は嬉しそうに飛び起きると、そのまま跳ねるような足取りで玄関へと向かう。バタバタと床板を踏み鳴らし、飛び掛かるような勢いで一気にドアを開け放った。

 途端に冬の肌を刺すような冷気が全身を包み込む。しかし決して寒くはない。彼女の顔を見れば、それだけで自然と嬉しさに体と心が火照ってくるのだから。


「やぁルリ」


 やはりそこにいたのは柏恵美であった。

 彼女は嬉しそうに私の名を呼ぶと、胸の前で右手を上げ–––––––下げて代わりに左手を振った。


「エミ……」


 彼女は気にしないでくれと言ってくれたが、やはりどうしてもその右手に視線がいってしまう。

 何重にも巻かれた包帯のその向こう側、そこには私が彼女につけてしまった傷がある。その傷は私にとって自分の弱さと罪の証でもあった。


 その痛ましい様子にさっきまでの勢いも忘れて、思わず後悔と申し訳なさに眉を顰めてしまう。


「エミ、その本当にごめ–––––––」


 罪悪感に耐え切れず、思わず謝罪の言葉が口をついた––––––その瞬間であった。


「もういいと、そう言っただろう。そろそろ自分を許してやってくれ。私も君が落ち込んでる顔はあまり見たくはないんだ」


 私の言葉に割り込む形、エミは親が子に言い聞かせるような柔らかい声でそう言った。


 私なんかがこんなに良い友人を持ってもいいのだろうか。そう思ってしまうほどに柏恵美は心篤き人間であった。

 彼女のその包み込むような優しさに、胸の奥から温かいモノが込み上がってくる。


「それにこの程度の苦痛、君から死ぬことを奪われた苦しみと比べたら何てことはないのだよ」

「ありがとう、エミ……」


 二日ぶりの再会のせいもあってか、つい彼女の左手を握りしめてしまう。瞳を固く閉じ両手を合わせるその姿は、まるで仏でも拝んでいるかのような勢いであった。


「ルリ、最近君は少し大袈裟な気がするよ」

「お楽しみのところ悪いんですが、取り敢えず中入りません?正直結構寒いんですけど……」


 苦笑するエミの後ろから、樫添さんが不満そうにひょこりと顔を出す。

 突然の後輩の登場にハッとエミルリワールドから我に返ると、私は慌ててエミからその手を離した。


「あっ、ごめんごめんッ!!さぁ二人共上がって上がって」

「では失礼する」

「おっじゃましまーす」


 二人から脱いだコートを受け取り、一先ずは洗面所へと通す。

 この季節、手洗いとうがいを怠れば痛い目に会うのは必定。 

 私は細菌やウイルスからもエミを守らなくてはならないのである。


 柏樫添両名が『手うが』を終えると、そのまま廊下を通ってリビングへと向かう。

 その途中、珍しいものなんて何もないというのにエミと樫添さんはやたら辺りをキョロキョロと辺りを見渡していた。

 何か気になるのかと問おうとすると、先に樫添さんが「ほへぇ」と気が抜けるような声をあげた。


「黛センパイの家ってこんな感じなんですか。なんだか意外です」

「おぉ話が分かるな樫添君。私も来るまでは三角木馬とかアイアンメイデンとかあるのではないのかと期待していたのだよ」

「そうそう、エミに手を出した糞野郎はここで再教育してやる!みたいなそんな感じの家かと思ってたの」


 言い終えると二人は互いに目を見合わせ、カラカラと愉快な笑い声を響かせる。


 そんなことするかっ。


「アンタたちの私に対するイメージはなんなのよ……」


 三人で愉快(?)に話していると、リビングへと通ずるドアはもう目の前である。


「よしッ」


 私はバレイでも踊るかのように優雅に振り返ると、後ろに続く二人に向かってこう言った。


「エミはここで待ってて。さっ、樫添さん早く早く」

「えっ、なんなんですかいきなり!?」


 困惑する樫添さんの腕を引っ張り、二人だけでこそこそとリビングの中へと滑り込む。


「ちょっと引っ張らないでくださいよ……って」


 不満そうにブツブツと文句を言う樫添保奈美。しかし目の前の光景を見たその瞬間、彼女の不服気な瞳は瞬く間にキラキラと輝いていった。



「へぇ、いい感じじゃないですかっ」



 露骨にテンションが上がってる樫添さんの姿に、なんだかこちらまで楽しい気分になってくる。

 彼女に合わせて改めてぐるりと部屋を見渡す。うむ、自分で言うのもなんだが結構いい感じに仕上がったのではないだろうか。


 先程も言った通り、現在黛家のリビングは私の手によって立派なクリスマス会場へと変貌していた。


 壁や家具の上に飾られたリースやサンタの置物が聖夜独特の情緒を醸し出し、部屋中に散りばめられた白綿が降り積もる雪を演出している。

 テーブルの上に目をやれば、ホールケーキと巨大なチキンを筆頭に数多のご馳走が並べられており、立ち上る湯気と漂う香ばしい香りに今にもよだれが垂れそうであった。そして部屋の隅では数多の装飾で飾り付けられた鮮やかなクリスマスツリーが、これでもかと存在感を誇示している。


 これぞクリパ、これこそクリスマスパーティー。夢にまで見たあの空間が今目の前で現実のものとなっているのだ。

 ここまでやったのだから正直テンションくらい上げてもらわないと困る。ちなみに私は今非常にテンションが上がっている。


「でもねこれだけじゃないのよ」

「はい?」


 頭にハテナを浮かべる樫添さんを尻目にクリスマスツリーの根元へ駆け寄ると、そこから垂れ下がる一本のコードに取り付けられたスイッチを掴む。

 そして心底楽しそうな顔で黛瑠璃子はこう宣言した。


「実はこれ、光るのよ」


 エミ並のドヤ顔と共にスイッチを一押し。

 その瞬間、クリスマスツリーに巻き付けられたライトコードが一切に光り輝きだした。


 赤、青、黄、緑、白。百近い光の乱舞が独特の調和を生み出し、幻想的な情景がただのリビングをロマンチックに彩っていく。

 さて可愛い後輩の反応は如何に?


「うおぉぉ綺麗ですね!いつの間に用意したんですか!?」

「今日の昼に思いついて、そのまま走って買いに行ったわ。最高のクリスマス会にしたかったからね。自分の理想に妥協はしたくなかったの」

「ふおぉ……これが生まれて初めて友達とクリスマス会やる女の本気……いやぁ恐れ入りました」

「……言っておくけど、ちょっと馬鹿にしてるの分かるからね?」


 腹黒な後輩に軽く目で抗議をしつつ、続いてポケットから二本のクラッカーを取り出す。そのうちの一本を手渡すと、茶髪の少女は何だこれとばかりに眉を潜めた。


「ん?クラッカー……ですかこれ」

「そう。エミが入ってきたら一斉にパァッーンってやるから。わかった?」

「あぁなるほど。まぁわかりましたけど……なんでそんなに楽しそうなんですか?」

「何度も言わせないで、私こういうことするの初めてなの。そりゃ多少は興奮くらいするわよ」


 なんだか変なテンションになっていることは自覚している。それでも本当に楽しいんだから仕方がないだろう。

 これまでずっと一人で生きてきた私に、今はこんなにも大切に思える友人が二人もいる。これほどまでに素晴らしきことが、このクソッタレな世の中に他にあるだろうか。


 己の幸福を改めて噛み締めながら、二人でドアの方へ向けてクラッカーを構える。そして私は居酒屋で店員を呼ぶようなテンションで大きな掛け声をあげた。


「エミー!入って来ていいよ!」

「了解した」


 短い返事と共にガチャリとドアノブが回る。そしてドアの隙間からエミの姿が覗いたその瞬間–––––––––––––––。



「メリークリスマースッ!!」

「めりーくりすまーす」



 パンッ、といっそ銃声にも似た軽快な音がリビングの中に鳴り響いた。

 気合の入った黛の声とやる気のない樫添の声と共にラッピングが打ち出され、エミの頭へ雨霰と降り注いでいく。


「おっ」


 突然の事に流石の彼女は少し驚いたようであった。しかし直ぐにいつも通りのしたり顔を浮かべると、拍手をしながら偉そうにうんうんと頷いた。


「ほお……なかなかいい感じじゃないか」

「なんか、反応薄くない?」

「まぁ、知ってたからな」

「え!?なんで!?」



 まさかの問題発言に思わず声を張り上げてしまう。

 知っていた、そう確かに柏恵美は言った。

 何故だ。いつ、どこで感付かれたのだ。エミを驚かせたいが為にこの一ヶ月こっそりと頑張ってきたというのに、これではサプライズにならないではないか。


 エミの目をキッと睨むが、彼女はははっと力無く笑うとそれきり目を逸らしてしまう。すると樫添さんが眉を八の字にしながら、そっと私の耳元で真実を語ってくれた。


「ほら……黛センパイの行動は逐一私が柏ちゃんに報告してたので」

「あぁ……そういうこと」


 途端に肩からどっと力が抜け、そのままその場にへなへなと崩れ落ちてしまう。

 何だ、またもや結局は私のせいではないか。勝手に一人で「サプライズだ!」「エミを驚かすぞ!」盛り上がってたのが何だか恥ずかしくなってくる–––––––––––––しかし、黛瑠璃子はこの程度の事で挫けるような女ではない。


「って、これくらいで落ち込んでどうするの黛瑠璃子。まだまだクリスマス会は始まったばかり。この程度の失敗、いくらでも挽回できるわ!」

「もう一度言いますけど、センパイ本当に楽しそうですね」

「取り敢えず大人しく座らないか?食べ物があるところで騒ぐのはあまり良くないと思うのだよ」

「そっ、そうね……」


 出会ってから初めてのエミの正論に軽く驚きつつも、三人はそのまま彼女の言う通りそれぞれ席に着く。 

 四人掛けテーブルだったので、私とエミは隣同士、そして樫添さんはエミと向かい合う形で座った。


「皆何飲む?基本なんでもあるわよ」


 席に着き次第、テーブルの隅に寄せられている膨大な量をペットポトルを指差しながら言う。緑茶、カルピス、オレンジ、リンゴ、ソーダetc……パーティーっぽさがする飲み物は全てここに揃えてある。


「では緑茶で頼む」

「本当どれだけ準備良いんですか。私はオレンジジュースでお願いします」


 いつも通りのエミと、軽くひき始めた樫添さんのコップにテキパキと飲み物を注ぐ。

 手渡そうとエミの方を振り向くと、彼女はカブトムシを前にした男の子みたいな瞳で目の前の料理を只管に凝視していた。


「どうしたのエミ?」

「ん、いや美味しそうだったんでついボーとしてしまってな」


 彼女はそう言いながら、何かを誤魔化すかのように大袈裟に手を振る。

 どうやらこの如何にもなご馳走の数々に、流石の柏恵美も感情を露わにしてしまったようである。

 量が量なので用意には随分と手間がかかったのだが、彼女のそんな嬉しそうな姿を見ると疲れなんて一瞬でどこかへと吹き飛んでいってしまう。


 この会を企画して良かった、そう改めて心の底から思った。エミにはこういう普通の幸せをもっとたくさん感じて欲しいのである。


 美味しい物を食べて、沢山楽しい経験をして、たっ、大切な人と出来るだけ多くの時間を過ごす。一つ一つはとても小さな事だが、そんな当たり前の幸せを少しずつ積み上げていけば、エミもいつかきっと––––––––––––。


「ちょっとセンパイどこ行ってるんですか」


 一人で感傷に浸っていると、どうやら隣の二人はもう準備が出来たようであった。各々グラスを持ち上げながら、早く早くと目で急かしてくる。

 

「あーごめんごめん。それじゃ乾杯しましょうか」

「んー、何に乾杯するんですか?」

「それでは、ルリの私に対する支配が永遠に続くように–––––––––––」

「はい乾杯ー」

「いえーい」


 一人で暴走してる変なのを無視して、樫添さんとグラスを打ちつけ合う。エミは何か言いたそうに口をごもごもとしていたが、すぐに観念して私達の乾杯にそっとグラスを当てた。


「乾杯」


 キンっと粋な音が鳴り響き、各々が飲み物と一緒にそれぞれの想いを喉へと流し込む。


 最初に動いたのはエミであった。


 彼女は真っ先に目の前の白い塊を指差すと、宣戦布告でもするかのように高らかに宣言した。


「さて、まずはケーキから食べようではないか」

「柏ちゃんさぁ、食べる順番くらいは普通になろうよ」

「ほぉ樫添君は知らないのか。実は食前デザートダイエットというモノがあってだな。食事の初めにまず甘いものを摂取、すると血糖値が上昇した状態で食べ始め–––––––––––」

「あれはもう忘れていいからッ!!」


 なんだか叫びすぎて若干喉が痛くなってきた。

 席に着いてからもう大分経つというのに、全然物事が前に進まない。エミと一緒にいると食事を始めるだけでもこの有様である。まぁその事に楽しさを感じている事もまた事実なのであるが。


 そんなことを考えながら、取り敢えず空腹を満たそうと目の前の大きなチキンにナイフを突きつけた。


「あっ」


 その瞬間、隣でエミが素っ頓狂な声を上げた。またこの子は何か変なことでもしたのだろうかと、心の中でやれやれと呟きながら彼女の方へ振り向いた。


「えっ……」


 そんな浅い考えは直ぐ様に吹き飛んだ。

 その光景の衝撃に生唾が喉を鳴らし、自分憎さに思わず顔を顰めてしまう。


 フォークを取ろうと伸ばされたエミの手、それが空中で止まっていた。いや厳密に言うならば止まっているというよりも、震えているのだ。


 ––––––––––––エミは私のせいで右手に怪我をしてしまっている。


 何度フォークを掴もうとしても、まるで静電気に刺されかのようにすぐに手を引っ込めてしまう。どうやら掌を曲げるだけでも痛みが走るようであった。


「……大丈夫?」


 恐る恐る聞いてみる。しかしエミは眉を潜めると、口を真一文字に引き結んで難しい顔をした。


「うむ。利き腕だから少し難しいかもしれないな」


 一応ピザなどもあるので片手でも腹は満たせるだろうが、それでもやはり食べれる料理の種類は確実に減る。

 性格的にエミはそれでもいいと言いそうだが、私としては彼女にはこの会を最高の形で楽しんで欲しい。


 ケーキもチキンも食べれないクリスマスなんてクリスマスではない、とは樫添保奈美氏がかつて語った持論である。


 何か方法はないものか。

 うんうん唸りながら頭を捻っていると、エミの肩越しに樫添さんがニヤついているのが見えた。


「なによ」

「いやあ私に妙案がありまして」

「えっ本当?」

「勿論です」


 彼女は大袈裟に身をこちらへ乗り出すと、人差し指を立てながら心底楽しそうな顔でこう提案した。


()()()……したらどうです?」

「はァ?」


 一瞬何を言っているのかよくわからなかった。

 場の空気は一気に静まり返り、時計の針が時を刻む音だけがやけに大きく聞こえる。そしてたっぷりと時間をかけながら、漸く彼女の言った言葉の意味を理解したその瞬間–––––––––––––––––––。


 黛瑠璃子は完全に我を失った。


「むっ、無理よそんなのッ!!」


 沸騰したヤカンみたいに頭から湯気を出す私の慌てぶりに、樫添保奈美のニヤニヤ具合は更に意気揚々と加速していく。


「あぁやっぱり恥ずかしいですよね。仕方ない、じゃあ変わりに私がやり–––––––」

「ダメ、私がやる……」

「おぉそうですか。それではお願いします」


 そう言う彼女の表情は今まで見てきた中でもトップクラスに入る程の素敵な笑顔であった。


 ……確かに樫添さんにはたくさんの借りがある。だがこの瞬間、私はいつかコイツに仕返しをしようと固く心に誓った。


「ルリ、早くしてくれ給え。私は殺されるのは好きだが、生殺しは好きではないんだ」

「わかったから、ちょっ、ちょちょっと待ちなさいよ!」


 意味不明な抗議を上げる変人を黙らせ、口元を手で隠しながらこっそりと深呼吸をする。


 すー、はー。吸ってー、吐いてー。すー、はー。吸ってー、吐いてー。


「よし大丈夫、いけるわ。多分」


 一先ずは器用にナイフを使いチキンを一口サイズに切り分けていく。そしてそのうちの一つを箸でつかむと、赤子を扱うような丁寧さでゆっくりとエミの口元へ運んでいく。


 大丈夫だ。こんなの心を無にすれば何も怖いことはない。そもそもなんでエミにあーんするぐらいで、そんなに動揺しなくてはならないのだ。


 しかし威勢のいい頭の中と違い、体はとことん心に正直であった。

 顔は火が出るように熱く、指先は極度の緊張のせいか最早痙攣レベルでブルブル震えてしまっている。


 今すぐにも文字通り匙を投げ、布団に潜って只管悶絶したい気分だった。

 しかしこんなことになってしまったのは、元はと言えば私のせい。

 エミに楽しく美味しくクリパを過ごしてもらう為には、あーんをしなくてはならないのだ。


 温泉みたいにどぼどぼと溢れ出てくる恥ずかしさを押し殺しながら、黛瑠璃子は遂に覚悟を決める。


「はっ、はい。あーん」


 言った、言ってしまった。

 あーん。たかが三文字を言ったのが、何故だかもの凄く恥ずかしい。正しく穴があったら入りたいという気分であった。


 しかし羞恥に悶える私とは対照的に、エミはあーんに対してなんの感情も抱いていないようであった。

 純粋に腹が空いたからといった雰囲気で、そのまま普通にチキンに食いついた–––––––––。



 ……あっ、よく考えたらこれ私の箸だ。



「ふっふっふ、今の私は君がいないと満足に食事を摂ることもできないのか。実に気分がいい」

「ごめん。今ちょっと突っ込める状態じゃないわ……」


 るりこはぷすぷすした萌えかけの炭みたいな状態になってしまった!


 取り敢えず落ち着こうと飲み物を一気飲みしてみるが……効果は果てしなく薄い。




–––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––




 その後は割と滞りなく進んだ。食事を楽しみながら、エミと樫添さんと時には他愛もない話で、時には自分たちでも訳のわからない話で大いに盛り上がった。

 勿論途中何度もあーんの洗練を受けることになったが、やはり大抵の事は何度もやっていれば段々と慣れてくるものである。    

 今ではあーんというよりも最早餌付けのような感覚でエミの口の中にバンバン食べ物を放り込んでいる。


 こんな楽しい時間がいつまでも続けばいいな、と思わず遠足中の小学生みたいなことを考えてしまう。

 しかしこの場には稀代の変人柏恵美と、支配者黛瑠璃子、そして腹黒常識人樫添保奈美がいる。 

 何も起こらないことを願いつつも、私は心の何処かでこう考えてしまっていた。この三人がいて、このまま平和に終わるはずがない。

 そして事件は唐突に黛瑠璃子のメンタルを破壊しにやって来たのである。


「……ッ」


 樫添保奈美が例の如くまたニヤニヤしている。その顔を見た瞬間ゾワリと背中に悪寒が走った。おいコイツこれ以上私に何をしてくれようというのだ。

 本気で勘弁して欲しい、樫添さんがニヤニヤした後、私は大抵酷い目に合うのである。

 なんだかもう打率十割で嫌な予感しかしなかった。


「あれ柏ちゃんクリームついてるの」

「おや本当かい?」


 食事の手を止め徐に口を開く樫添保奈美。一体彼女は何をしようというのか。

 樫添さんはそうわざとらしく言うと、エミの頬にゆっくりと手を伸ばしていき––––––––––––––––––あっ、大体何をするかわかってしまった。

 

 幸か不幸か、後は黛の予想通りであった。彼女は指でエミのクリームを拭い取ると、それを自分の口の中に放り込みながらこう言った。



「んー!エミのほっぺについてたクリームおいしい」

「おやおや、中々小粋なことをしてくれるじゃないか」

「げほっげほっ!!」



 予め分かっていてもキツイものはキツイ。

 飲んでいた牛乳が勢いよく気管に流れ込み、盛大にむせ込んでしまった。今顔が真っ赤になっているのは、決してむせたのが苦しかったからだけではないだろう。

 やがて咳が収まると、私は人生の中で四番目くらいに大きな声を腹黒に向けて叩きつけた。


「ちょっと保奈美ッ!!アンタなんでそんなこと知ってんのよッ!!」

「ほら柏ちゃんって私といる時、黛センパイの話ばかりしてますから」

「ちょっと、エミ……」


 プライバシーゲロゲロ女をキリッと睨むが、柏恵美はどこまでいっても柏恵美であった。


「どうしたんだい、何故怒ってるんだ?」


 それは本気で困惑しているような表情であった。わざとやってる樫添さんと違い、これを本気で言っているのだから尚更タチが悪い。


 まさか今頃になって『エミのほっぺについてたクリームおいしい事件(以下エミペロ事件)』を引っ張り出されるとは思いもしなかった。

 段々と自分の顔が熱くなっていることに気付く。あの時は、その、エミと遊びに行けたのが嬉しくて、なんか、なんかその勢いでやってしまったのだ。

 それにしても何故エミはこう何でもかんでもペラペラと喋ってしまうのか。いや、エミはまだいい。変人だから、そういう存在なのだから仕方ないとまだ許容することが出来る。

 問題は腹黒だ。

 昔はいい子だったのに、なんだか最近悪い遊び(黛いじり)を覚えたように見える。ここはセンパイとして一つお仕置きでもしておいた方がいいだろう。


「ムカついた」

「はい!?」


 支配者モードから発せられるドスの効いた低い声に、腹黒の体が魚みたいにビクリと跳ねる。ようやくやりすぎたと気付いたようだが、もう遅い。


「こうなったら樫添さんにも恥かいてもらうわよ」


 そう吐き棄てると、リビングを飛び出し階段を駆け上がって自室の中へと滑り込む。確かここら辺にあったはずだと、タンスの中をガサゴソと漁り––––––––見つけた。例のブツを力任せに引っ張り出すと、そのままそれを抱き抱えダッシュでリビングへと戻る。


「樫添保奈美ッ!!」

「はいっ!?」


 黛の只ならぬ雰囲気に、さっきまでの勢いも忘れて後輩らしくビクつく腹黒。だが今更悔い改めても容赦はしない。私はまるでどこぞの女帝のように大きく腕を広げると、目の前の罪人に対して社会的処刑宣告を下した。


「命令よ。このアンタにのせられて勢いで買っちゃったサンタコス……今すぐ着なさい」

「じょっ……冗談ですよね」

「へぇ、アンタ私に逆らう気?いい度胸してるわね。潰すわよ」

「こんな時だけジャックナイフにならないでくださいよ!」

「樫添君、あれだけルリで遊んだんだから君も少しは罰を受けた方がいいと思うのだよ」


 あーだこーだと喚いている腹黒の横から、エミの援護射撃が放たれる。


「柏ちゃんのくせにまともな事言わないでよッ!!」

「ねぇエミも見たいわよね。樫添さんのサンタコス」

「私はルリの方針に従うのみだ」

「ちょっと支配者モードからの権限濫用はずるいですって!別に私も普通のサンタコスならいいんですよ。でもそれ女の子用じゃないですか!明らかになんか可愛い感じ狙ってるやつじゃないですか!」


 確かにこれは某白髪のジジイが着ているようなぶかぶかの長袖長ズボンではなく、冬の服装としては狂気しか感じられない程のミニスカで腕も最早肩以外ほとんど丸出しといった趣きであった。

 しかしその事実を知って尚、女帝は不敵な笑みを浮かべながら助命嘆願を一刀の下に斬り伏せる


「だって、そうじゃないと罰ゲームにならないじゃない」


 そこに一切の慈悲は無し。

 もう四年近い付き合いとなるのだから、腹黒も私が容赦ない人間だということは分かっているのだろう。ようやく彼女も覚悟を決めたのか、幼い顔付きをこれでもかと凛と引き締める。

 その姿がなんだか切腹する前の武士のようで思わず笑いそうになってしまった。


「わかりました。こうなった以上はもう逃げも隠れもしないの」


 ピッチャー交代みたいなノリで私から潔くサンタコスを受け取ると、栗色少女はそそくさと奥の部屋へと消える。すれ違う瞬間、心底嫌そうなげんなり顔をしていたのが非常に面白い。


「ワクワクね、エミ」

「ワクワクだな、ルリ」


 先程はお仕置きと言ったが、正直に言うと『お仕置き』が2で『着せたかっただけ』が8くらいの比率である。

 期待に胸を膨らませながら、時が過ぎるのをただ待つ。


 数分程経つと、奥の部屋へと続く扉のドアノブがガチャリと回った。だが開かない。


「どうしたの?早く入ってきたらどう?」

「うぅ……」


 扉の向こうから深く長い溜息が聞こえる。ようやく腹黒も堪忍したのか扉は開かれ、その向こうから遂に彼女が姿を表した––––––––––––。


「え?」

「ほぉ……」


 思わず素っ頓狂な声が出てしまう。瞳はこれでもかと大きく見開れ、口も開いたまま暫くの間閉じることが出来なかった。


「あまり、ジロジロ見ないで欲しいの……」


 そこにいたのは樫添保奈美という名の天使であった。いや大天使ホナミエルと呼ばなければ天罰が降るかもしれない。


 短いスカートと、腕を露出させたスタイルが樫添さんの乙女チックなところと絶妙にマッチングしていた。服も帽子も少しサイズが大きいせいか、全体的にぶかぶかとしており彼女の子供っぽい愛くるしさを全面に引き出している。

 彼女の背の低さと幼い顔付きがロリ的な相乗効果を生み出し、その姿はまるでお人形さんのようであった。


 私とエミにジロジロ見られてるのが恥ずかしいのか、樫添さんは頬を赤らめ、いじけるように口を尖らせてしまっている。

 その様子がまた可愛らしい。


「樫添さん」

「なんですか……」


 態々着替えを命じたのだから何か言わなくてはいけないのだろうが、中々上手い言葉が見つからない。 

 仕方がないので率直に思った事を言わせてもらうことにした。


「凄く、可愛いわよ……」

「あぁ……私もそう思う」

「なっ、なっ……!」


 二人からのド直球ストレートに、樫添さんのただでさえ赤かった顔がさらに紅く染まっていく。

 ふらふらと目を回し耳まで真っ赤にしながら、彼女は涙目でこう叫んだ。


「せめていじってッ!マジ顔でそんなこと言われると本気で恥かしいのッ!」




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