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不完全ラズライト  作者: 深海船隻
24/28

最終話 おかえり


 ––––––––––––––終点。


 エミの過去を巡る長い旅も遂に終わりを迎えた。

 

 柏と黛、共有されていた二人の精神が再び二つに引き剥がされていく。それは意識の解離であり、そして現実への回帰でもあった。


 怒りと憎しみに身を任せ、犯してしまった私の罪。黛瑠璃子から切り離されていたその記憶が、弱い自分を受け入れると同時に蘇っていく。


 瞬間、ツンッと針で突かれたような鋭い痛みが一気に脳裏を突き抜けた。

 怒れる少女、振り上げられる凶刃、そして迸る鮮血。

 その衝撃が、あまりにも残酷な現実が、少女の芯をみるみるうちに焼き切っていく。


「嘘っ、そんな……」


 そこに泰然はない。少女は唖然とし、呆然とする。

 罪の記憶が脳へと染み渡り、嫌な汗と共に全身がじわりと熱を帯びていく。

 急に記憶を取り戻したことによる副作用ではない。

 動揺だ。それはあまりにも軽率で浅はかな自分自身に対する困惑であった。


 黛瑠璃子は思い出す。

 嫉妬と虚勢に溺れた己が心の醜さを、そして自分が犯してしまった罪過のその大きさを。


 エミの命は私が護るだの、絶対にこの手は汚さないだのと偉そうなことを言っておきながら、結局私は人を殺そうとしてしまった。

 その言葉がどれだけの重みを持つのかも忘れて、()()とそう言ってしまったのだ。


 情けない。あまりにも自分が情けなかった。


 自分を欺いておきながら、結局はその自分に負けて、こいつは殺してもいい人間なんだと己を正当化し、他人を傷つけることすら平気な顔で許容して––––––––––––。


 支配者以前に人として最低だ。

 成香のせいだなんて甘い言い訳は通用しない。過程が何であれ、私の弱さが全てを招いたことに変わりはないのだから。


 ––––––––本当に、何やってるんだ私。


 圧倒的な罪悪感が、どうしようもない後悔の念が、乱暴に胸の中を掻き回し、手当たり次第に黛の心を抉り取っていく。

 例え罰を受けたとしても一度犯してしまった罪が消えることは決してない。

 私はきっとこの事を一生後悔し続けることであろう。だから–––––––––––––––––––だから、もう二度と後悔するような生き方はしない。


 エミは私を救い出す為に、今回の事件を仕組んだのだと言っていた。確かにこの過ちは決して忘れてはいけないけれど、足元を向いてくよくよしているよりも先にやらなくてはいけない事がある。

 私の事を最後まで見捨てず助けようとしてくれたエミのその温かい気持ちに応えたい。それが彼女達に対する一番の罪滅ぼしになるだろうから。


 全てはエミがここまで導いてくれた。ならば私がすることはたった一つだ。


 最後の仕上げを済ませに行こう。


 支配者でも【成香】でもない、本当の黛瑠璃子をもう一度この手に取り戻すのだ。


 

 固い決意と共にすぅーと深く息を吸い、そして吐く。

 私はもう迷わない。胸は熱いままだというのに、頭は自分でも驚くほどに醒めていた。

 目を澄まし、耳を澄まし、そして心を澄ます。そうすれば今まで目を逸らしていたモノが、きっとこの目に見えてくるはずだ。



 やがて訪れる暗転。己が一つへと収束していく未知なる感覚。次に瞳を開いたその時、視界の先に広がっていたのは、紛れもなく、(病み)であった。



 上も下も右も左も真っ暗で、ただただ暗黒だけがどこまでも続いている。その黒はあまりにも暗く、どんな眩い光もあっという間に塗り潰されてしまいそうであった。

 辺りは全くの無音で、ひんやりとした冷たい空気のようなモノが妖しく肌を撫でる。息を吸って吐くたびに何かが喉の奥で引っかかるような息苦しさを感じた。


 この光景を見れば、誰もが不気味だと思うだろう。誰もが居心地が悪いと感じるだろう。しかし私はこの空間に不快感どころか、寧ろ温かみを見出していた。

 それはとても自然なこと。だってこの黒もまた黛瑠璃子を構成するモノの一つなのだから。


 暗くて小さくて、そしてとても歪。

 支配者というメッキを剥がしてしまえば、その下にいるのは完全無欠でも何でもないただの普通の女の子。普通に悩んで、普通に迷って、普通に揺らぐ普通の女の子なのだ。

 全てを受け入れた今の私なら、そのことを正しく理解することができる。


『……ッ……ッ』


 どこか闇の向こうで女の啜り泣く声が聞こえた。

 その声になんだか懐かしい気分になりながら、耳を頼りにゆっくりと近づいて行く。しばらく歩いて行くと、延々と続く漆黒の中に一つの点が、いや少女の姿がふわりと浮かび上がる。


 そこにいたのは黛瑠璃子であった。


 エミを理解出来ないことに苦しみ、依存と執着に溺れ、成香の狂気に心を奪われてしまったもう一人の私。

 青みがかった黒髪は乱れに乱れ、大きな瞳は真っ赤に充血している。彼女は右手に包丁を携えたまま、まるで恐怖と不安に押し潰されているかのように怯え、そして震えていた。


 その姿はまるで幼な子のようであった。一人では何も出来なくて、それなのに大切な人を失うのはもっと怖いから、全てを諦めて逃げ出すことも出来なくて。そんな、人よりも少し不器用な少女がそこにはいた。


 そのあまりの脆弱さに思わず目を覆いたい気分になる。だけど、それでは何も変わらない。ここから目を逸らしてはいけないのだ。

 きっと今の私ならば彼女のことを受け入れることができる–––––––––––––––––––––。



『何しに来たの』



 こちらの存在に気付いたのか『黛』がぶっきらぼうに問いかける。思わず言葉を探してしまうが、自分相手に建前は必要ない。私なりの正直な気持ちをぶつけるだけだ。


「貴方を、いや()を迎えに来たわ」


 そう言って右手を差し伸べるが、『黛』はそれを取ろうとはしなかった。

 彼女は力無く項垂れたまま、自らを嘲笑うかのようにそっと呟く。


『違う……私は黛瑠璃子じゃないわ。こんな弱い人間が黛瑠璃子な訳がないじゃない』


 どこか、嘘臭い。

 その言葉は会話ではなく、まるで自分自身に言い聞かせているかのようであった。

 なんとも息苦しい空気が両者の間に流れる。まさか自分という人間がここまで捻くれているとは思わなかった。



「本当に、そう思っているの?」



 その瞬間、『黛』の瞳に動揺が走る。大きな瞳を更に大きく見開き、露骨に瞬きの回数が増えていく。

 しかし直ぐに自虐的な態度に戻ると、彼女は諦念混じりにこう続けた。


『仕方ないでしょ。弱い自分を切り捨てなければ黛瑠璃子は支配者にはなれない。その高潔な強さを失って仕舞えば最後、エミは私達の前から消えてしまうかもしれないのよ』


 そう言うと『黛』はもう用は済んだとばかりに俯いてしまう。

 正直、同感した。私も彼女も同じ黛瑠璃子なのだから、当然その気持ちはよくわかる。

 エミの事が理解できないから、支配者というブランドで無理矢理に繋ぎ止める。

 実にシンプルで分かりやすいやり方だ。だが、それは消極的な逃げの一手でしかない。


 あれだけ対等な友達になりたいと言っておきながら、結局は支配者という肩書きに頼り、形だけでもと関係を保とうとする。今思えば実にくだらなかった。自分を偽って築いた関係など、所詮偽物にしかならないと言うのに。

 私の目的はエミの真の理解者になること。だからこそ、私はこの歪んだ考えを強い口調で否定した。


「そんなことはない」

『なんでそんな簡単に言い切れるのよッ!!』


 『黛』が声を張り上げて怒鳴りつける。

 彼女の言う事は御尤もだ。確かにエミを失うのは怖い。でも上辺だけ整えたぬるま湯の中でこのまま醜く腐っていくのも御免だ。彼女と共にこれからも同じ道を歩いていく為には、勇気を出して一歩踏み出さなくてはならない。踏み出さなくては、ならないのだ。


「だって私はエミを信じているから」

『は……?』


 呆気にとられる『黛』を尻目に、私は言葉を紡んでいく。


「私たちが望んでいたのは、エミの事を心の底から理解すること。彼女を支配したいんじゃない、友人としてその隣に立ちたいだけだったはずよ」

『……ッ』

「だけど私たちはその思いを歪めてしまった。エミに執着するあまり自分を見失って、手段と目的を履き違えてしまった」


『うるさいッ!!仕方ないでしょッ!!』


 絹を裂くような金切り声。『黛』は私に飛び掛ると胸倉を掴み、その胸の内の鬱屈を一気にぶち撒ける。


『エミを護るにはそうするしかないじゃない。黛瑠璃子は迷ってはいけないし、諦めてもいけないッ!!だってそれは弱さを見せることだから。支配者として認められなくなったら、エミはきっと私達の隣から離れて行ってしまう……』


 その声は徐々にか細くなっていき、最後の方にはほとんど立ち消えてしまう。


「そう……じゃあ逆に聞いてもいいかしら」


 だが嗚咽交じりに嘆く『黛』とは対照的に、私の心はどこまでも落ち着いていた。


「なんで彼女が離れていくと思うの?」


『えっ……』


「アンタも本当はわかってるんでしょ。エミは私達の事を心の底から大切に思ってくれているんだって。だって今までなんでもかんでも受け身だったアイツが、私の為に、黛瑠璃子の為にあれだけ必死になってくれたのよ。支配者じゃなくなった私でも構わずに手を差し伸べてくれた。それってとても素敵な事だとは思わない?」


『それでもっ、エミが殺されたがりだってことに変わりは……』


「分かってる。彼女の事を命懸けで護るってことには変わりはない。でもさ、少しはエミの事を信じてあげてもいいんじゃない。確かに人と人とは簡単には分かり合えないし、況してや信じ合うことなんてもっと難しい。碌に人と関わってこなかった私達みたいな人間にとっては特にね。でもだからこそ、エミとの関係は大切にしたい。それはあなたも同じでしょ?」


『……』


 黙って頷く『黛』の肩に両手を置き、その不安そうな瞳にそっと笑いかけた。


「だからさ、もう一度だけ頑張ってみよう。確かにその道のりはとても辛いだろうけれど、きっとそこからは今よりもっと綺麗な景色が見える」


 それと、一言前置きしてこう繋げた。


「今度は絶対貴方のことを置いていったりしないから」


 –––––––––––その瞬間、暗く淀んでいた負の空間が一挙に明るく照らされる。不安は吹き飛び、猜疑心はどこかへと消え去っていく。

 際限無く満ちる白い光の下、見ればもう一人の私は笑っていた。


『そう、ね……わかったわ』


 『黛』の悲痛に満ちた表情が徐々に優しく解れていく。それはまるで救われた、と言外に告げているかのようであった。


「じゃあ、帰ろっか」


 二人(一人)は互いに手を取り合い、再び白い光の中へと消えていく。


 その間際、脳裏をよぎったのはやはりあの少女の顔であった。早く彼女の下へ帰りたい、早く彼女と会いたい。


 今度は本当の私の、本当の気持ちで。




––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––



「うッ……」

 

 目覚めたばかりの朧気な視界を頭上の蛍光灯が容赦なく照らす。その眩しすぎる光が、色彩の暴力が、黛の意識を一気に現実へと引きずり戻した。


 何だか頭がくらくらとする。

 思わず目を細めてしまったのは光が眩しかったからであろうか、それとも目元から溢れ落ちようとする何かを堪える為であろうか。

 唇を噛み締め、その痛みを以って実感する。私は帰ってきた。本来の黛瑠璃子に戻ることができたのだ。


 ゆっくりと体を起こすと、そこには気を失う前と何もかわらない景色が広がっていた。

 手狭なリビングに所狭しと並び立つ高そうな家具とインテリアの数々。部屋自体は何も変わっていない筈なのに、何故か少しだけ世界が明るく見える。



 何故だろう、世界が変わったのだろうか。


 –––––––いや違う。私が、変わったのだ。



 霞む瞳を擦ってみると、徐々に視界の中に三人の少女の姿が浮かび上がっていく。樫添保奈美に、神楽坂藍里。そして–––––––––柏恵美がそこにはいた。


 肩の辺りで切り揃えられた黒髪に、鼻筋の通った端正な顔立ち。彼女の顔を一目見ただけで、胸の内から言い表しようの無い感情が溢れてくる。


 すぐ目の前、私の手の届くところにエミがいる。それだけの事がただただ嬉しかった。


「ちょっ、柏ちゃん」

「構わない」


 樫添さんの制止する声を振り切り、エミは何の躊躇もなしに私の手を取る。彼女の血に溺れた生々しい傷口が目に入り、途端に黛の心は後悔と自己嫌悪に押し潰されていった。

 しかしエミはそんなことはどうでもいいとばかりに首を横に振る。いつもの飄々とした態度は微塵もなく、純粋な二つの瞳は真っ直ぐに私だけを見つめていた。

 長い睫毛がふわりと踊り、柏と黛の視線が交錯する。


 瞬間、胸の高鳴りは一挙に最高潮を迎えた。全身に熱情が滾り、激情が熱く迸る。


 今の私達に最早言葉は必要なかった。


 無言、そのまま二人は勢いよくお互いの体を抱き締め合う。

 優しく、そして柔らかい抱擁が全身を包み込む。肌越し伝わってくる彼女の鼓動に体が熱くなっていった。エミに触れていられる、エミのこんな近くに居られる。彼女を感じることが出来るその喜びに胸がはち切れそうであった。

 もう二度と離さない、そう言わんばかりに更に腕に力を込めていく。それはエミも同じであった。


 エミは私のことを見てくれている。たったそれだけのことなのに、思わず涙が溢れ出てきてしまいそうだった。

 私はまだ、エミの友達でいてもいいんだ–––––––––––––。


 護る護ると言いながら、結局助けられているのは私も同じ。黛瑠璃子は柏恵美を護り、柏恵美は黛瑠璃子を救う。

 お互いの足りない何かを二人は補いながら生きていく。どちらが欠けてもいけないのだ。私が私である限り、エミは決して離れてはいかない。


 彼女のその貧弱な肩が何故か今だけはとても頼もしく見えた。


「ははっ……」


 気が抜けたような力無い笑い。

 エミは絡めた腕を解き、私の肩にそっと両手を載せる。顔が近い、彼女の心地よい息遣いが耳元を優しく擽った。

 思わず息を呑んだその瞬間、世界の全てが幸福へと転じていく–––––––––––––。



「おかえり、ルリ」



 ズルい、本当にエミはズルい。そんな事を言われたら、私はっ、私はもう–––––––––。

 胸も頭も御構い無しだった。全身が沸騰するように熱く燃え上がっていき、嬉しいはずなのにぼろぼろと瞳から雫が溢れ出てくる。


 笑っているのかも泣いているのかも分からない酷い顔。でもそれは間違いなく、私の人生における最高の笑顔であった。



「ただいまっ、エミ」



 




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