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不完全ラズライト  作者: 深海船隻
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第十三話 罪科へ捧げや神楽舞




 腕時計を見やれば、時刻は丁度午後六時一五分を回ったところであった。

 母なる太陽は地平線の彼方へ消え、夜空には既に無数の星々が瞬き始めている。街中は街灯やら家屋から漏れる明かりなんかでまだまだ明るいんだろうが、碌な光源のないこの廃工場は既に不気味な黒暗の中に包まれていた。


 地元には違いないのだがこの辺りは学区が異なる上、住宅街ばかりでほとんど来たことは無い。

 この夜中やちゅうに見知らぬ地で女が独り。

 法律的には大人と言って遜色ない年齢になっても、人とは暗闇の向こうに枯れ尾花を見てしまうモノである。

 勿論この神楽坂藍里かぐらさかあいりもその例外ではなかった。


 複雑に張り巡らされたパイプ群はまるで血管のようで気味が悪いことこの上ない。辺りはどこもかしこも錆だらけで、鉄臭いのかも油臭いのかも分からない悪臭が只管鼻を突く。恐怖と不安と不快が折り重なってのしかかる。言うまでもなく気分は最悪の一言であった。


 一度歩を刻めばガラスが砕け散り、腐った油が足元を滑らせ、打ち捨てられた鋼材の山が行く手を阻む。このエリアは特に劣化が酷いのか前に進むのだけでも一苦労である。


「これもう邪魔ですね……」


 傍に抱えた洋弓銃クロスボウを尻目に本日何度目かの溜息をついた。

 天井は低く、通路も狭い。このような空間では射程兵器はあまり役には立たないだろう。


 そしてなにより黛さんへの【危機感の植え付け】は既に完了した。


 私が照準を定めた(正確には絶対に当たらないよう少しずらしいていたのだが)その瞬間、彼女は確かに自らの死、そしてなによりも恵美さんが殺されてしまうことに恐怖していた。


 唯一無二の親友を喪う可能性。

 黛さんもそのことは痛いほどわかっているはず。だが頭で理解しているのと現実として突きつけられるのとでは大違いだ。人は皆いつか死ぬと誰もが知っているはずなのに、その瞬間が来るまでは皆平気な顔で笑っていられるのと同じようなもの。

 現に彼女は"わかりやすい死への直行ルート"を見せつけられ悲劇を起こり得る現実として実感した。


 成果は上々。【危機感の植え付け】だけではない、黛さんの眼の前で【狩る側の存在】とやらを演じたのも全ては恵美さんの脚本通り。これで黛さんの崩壊は計画通りの方向へと加速するはずだ。


 役割がなくなった以上こんな物騒なモノをいつまでも持ち歩いている理由はない。思い立ったら即行動、傍らにあった貯蔵タンクの裏にそそくさと洋弓銃を押し込む。

 そこら辺に放っておいて万が一黛さんに使われるようなことがあっては本気で洒落にならない。


「黛さん……」


 黛瑠璃子まゆずみるりこ

 外見的にも体格的にもこれといって特徴のない文字通り普通の女の子。されどその正体はあの恵美さんを完璧に屈服させ従わせる支配者であるという。


 『ルリは私を護るためならなんでもする。なんでもと言うと嘘臭いと思うかもしれないが、彼女は本当に文字通りなんでもするのだよ。はっはっは、いやはや全く以って末恐ろしい』とはかつての柏恵美の談。

 正直なところいくらなんでも大袈裟だなあと思っていたのだが、残念ながらその言葉に一切の誇張はなかった。彼女本当に文字通りなんでもする。


 普通の女子大生はあんなに躊躇なく人に電撃銃スタンガンなんて使いません。


 我ながらかの猛攻をよく凌げたと思う。予想通り能力が使えたのは幸いであった。共有の補佐が無ければ今頃どうなっていたことやら。


「本当っ、恐ろしい人ですね」


 台詞に合わない弾んだ声で神楽坂は謳う。

 恐ろしい、そう思いつつも心のどこかでそのことを確かに喜んでいる自分がいた。


 口ではいくら好きだと愛してるだと言えても、他人の為にあそこまで必死になれる人はそうそういない。

 大切な人に尽くすことの美しさと素晴らしさ。そしてなりよりその危うさも神楽坂藍里は知っている。


 あのどこまでも真っ直ぐな瞳と剥き出しの心をぶつけられた今、改めて思う。


 心の底から彼女を救いたい、と。


 あんなに高潔で一生懸命な人を絶対に破滅なんてさせたくない。今ならまだ間に合うのだ。例え彼女にどれだけ拒絶されようとも、どれだけ否定されようとも救いの手を差し伸べよう。そう、かつての私がそうしてもらったように。


 胸を両の手で優しく包みこみ、ゆっくりと瞳を閉じる。ただそれだけで、あの人の温かい笑顔が瞼の裏に浮かぶ。


「大護さん見守っていてください」


 全ての迷いは消えた。同じ道へ堕ちようとする少女に救済を、これが私の選んだ贖罪だ。

 今ここに、神楽坂第三段階の答えを証明する。


「この能力、今度は人を幸せにするために使いますッ!!」



 ––––––––––––––瞬間轟音が迸った。

 前方約十メートル、雑多な衝撃が空間を走り抜ける。夜の闇に加え乱立する機材と捲き起こる土煙に視界を阻まれ、なにが起こっているかまでは伺えない。


「来ましたか」


 曙光しょこうは既に見出した。あとは己が信念を実行するのみ。汗で張り付いた前髪を邪魔だとばかりに搔き上げた。


「………ッ」


 己の息遣いすら耳障りだと息を殺し、全方向に警戒の意識を飛ばす。

 充分動き回れるだけの空間に、身を隠せそうな大型機器が多数。不覚にも奇襲にはうってつけの場所であった。思わず見事だと拍手でも送りたくなる。


 だが神楽坂藍里に搦手は通用しない。


 奇襲だろうが待ち伏せだろうがどんな攻め方で来ようと、半径四メートル以内に黛さんが踏み込めばその瞬間、共有の力が彼女の憤怒と敵意を察知する。

 

 余計なヘマさえしなければ決して負けることはない。

 神経を極限まで研ぎ澄ませ、全ての感覚を能力へと集中させる。張り詰めるような緊張の中、今か今かと体が疼いだ。


 されど五秒、十秒と経っても黛の意識は流れ込んでこない。更に緊迫の五秒を重ね、危急の三秒が積み上がる。


 どこにいるッ––––––––。


 仄かに焦りが滲みだす。ポツリと床に滴り落ちた汗は疲れによるものか、はたまた焦燥を伴う油汗であるか。

 たったの数秒が五分にも十分にも感じられる極限状態。しかしガラス張りの膠着状態はそう長くは続かなかった。


––––––––––––––崩壊音が響く。


「上かッ!!」


 ギョッと上を見上げたその刹那、視界を埋め尽くすは無辺際の鈍色。頭上から無数の鉄パイプが雨霰と降り注ぐ。

 考えている時間は無かった。咄嗟に跳びのき、身を捻る。


 重力と大地の激突。


 轟音は暴爆し、土煙は荒れ狂い、五感が飲まれるほどの凄まじい衝撃の嵐が吹き荒れた。なんとか直撃は避けたものの、幾つかの跳弾が左の肩を打つ。衝撃波の上から塗りつぶすように微かな痛みがじわりと広がっていく。


「ぐっ……」


 まさか初っ端からこんな派手な手で来るとは。奇襲なんて生易しいモノじゃない、一撃必殺の強襲である。


 ゆっくりと姿勢を戻し、膝を立てた頃にはようやく土煙も収まりだす。灰色のベールの向こう側、天にまします支配者の姿を両の瞳でキリリと睨みつけた。


「やって、くれますね……」


 黛瑠璃子。

 吹き抜け天井の途上に架けられた連絡用通路の上、柵に腰掛けながら彼女は優雅にこちらを見下ろしていた。

 表情は明るく、しかし暗い。喜んでいるようにも残念そうにも見えるなんとも言えない微妙な色が揺れる。


 支配者は言葉の代わりに笑みで答えた。

 品定めでもするかのように唇に指を置き、薄く引き裂かれた口角から白い歯が覗く。

 その不気味な仕草に思わず生唾を飲み込んだのも束の間、頭上からドスの効いた煽り口上が降りかかる。


「まァ、そりゃ躱すわよね。でも完全に心が読めるとかそんな便利なモノでもないようで–––––––––––ねぇ、超能力者さん?」

「……!!」


 喫驚仰天。驚きのあまり言葉も出なかった。


 彼女は一体何を言っている。

 まさか能力の存在に気付いているというのか?


 今まで必死に演じていた氷の仮面は砕け散り、その下に現れるはまさしく鳩が豆鉄砲を食ったような顔。慌てて表情をひきしめなおすが、最早動揺の色は隠しきることは出来ない。


 –––––––––あんな十秒にも満たない一瞬のやり取りのうちに見破られた?いや、ありえない。そもそも超能力なんて本来はこの世に存在しないモノ。仮定としてだって考えつくわけがない–––––––––––。


 思考が暴れる。自分を納得させることに必死な神楽坂とは対照的に、支配者は優雅に悠然と言葉を繋げる。


「あれ、もしかして図星?正直半信半疑だったし軽いカマかけのつもりだったんだけどアンタ本当に超能力者なんだ」

「……超能力って、貴方それ、本気で言ってるんですか?」


 支配者にそんなモノは通用しないとわかっていてもとぼけずにはいられない。案の定、黛その言葉を待っていたとばかりに嬉々として笑い飛ばした。


「ははっ、確かにねテレパシーだなんて妄想も大概にしろと自分でも思ったわ。でもね、アンタと顔突きあわせてた時、確かに聞こえたのよ。人の頭の中でアンタの声が共有だの能力だのって訳わかんないことをペラペラペラペラ。私はそんなメルヘンチックな思考回路してないし、あれアンタの意識なんでしょ?」


 確かに共有には相手の心を覗いている際、同様にこちらの心も覗かれてしまうという弱点がある。

 しかしそれはあくまで相手が能力の存在を知っていることが前提、そうでなければ薄っすらと考えてることが伝わってしまう程度のものでしかない筈だ。

 しかし彼女は共有や能力といった細かい単語レベルでこちらの思念を抽出している。わからない、副作用を利用したにしても意識があまりにも細かく伝わりすぎているのだ。


「どうしたのまた黙り?反論があるから口に出さなきゃわからないわよ」


 悔しいがここまで来てはもう誤魔化しきれないだろう。まあ良い、気になることは多いが手の内が明かされようとこちらの能力による絶対的有利が崩れるわけではない。


「ふん、柏さんといい貴方といいよくこんなモノホイホイ信じられますね」

「素直に認めてくれてありがとう。まぁ確かに普通は信じないわ。でもこっちにも色々あってね、こう見えてオカルトには割と寛容な方なのよ」


 色々とは恵美さんの言っていた【成香】という存在のことであろう。

 概すると棗香車という少年の死を目撃した複数の人間に、彼の異常な殺人思想が乗り移ったのたのだという。仮にそれが本当ならば特殊な集団ヒステリーなんていう現実的な言葉で片付けられるようなモノではない。

 なるほど確かにそんなものを目の当たりにしたことがあるのならば、超次元の可能性を考慮する下地が出来ていてもおかしくはない。


 恐らく先のトラップも本気で嵌める気なんてさらさら無く、仮説を立証する為の実験でしかなかったのだろう。避けられる事前提、謀る為ではなく計る為の罠だ。


 やはりこの女かなり頭がキレる。

 しかしそんな神楽坂の賞賛を軽く飛び越え、黛の品評会は更に続いた。


「兎に角、これでアンタが不思議パワーの使い手だってことはもうわかったわ。あと気になるのは発動条件なんだけど……まあさっき全然反応出来てなかったところ見る限り、対象を視界に入れる必要がある、もしくは距離ってところが定石かしらね」

「くっ……」


 覚悟はしていたが、やはり見抜かれている。黛の立つ連絡用通路は目測高さ五メートル。射程四メートルの共有の力では確かに届かない。

 

 これが支配者。

 柏恵美を護る為に普通の少女である事を捨てた女帝の本気。

 彼女の全ての行動に無駄は無い。一手一手の小細工から最大限の情報を引き摺り出し圧倒的に不利な状況を覆していく。


 恐ろしい人、そう言いながらも先程まではまだ余裕があった。こちらには能力がある。相手の実力がどうであろうと動きが先読みできる以上必ず圧倒できる、そう油断していたのだ。だが今はもう違う。

 –––––––––この戦いは詰将棋ではない。少しでも隙を見せれば、こちらが玉将たまを取られる––––––––––そう思い知らされた。


「フッ、目付きが変わったわね。氷の女王はもう雪解けの季節かしら」


 こちらから冷静が消えると共に黛からも不安が消える。彼女はもう此方を恐れてはいない。慢心してるわけではないのだろうが、玩具のナイフを振り回していた頃のおっかなびっくりな態度は微塵も伺えない。


 流れは完全に支配者の掌の上。


 だが此方にもまだ策がある。


「そうですね。いつまでも安全地帯から喚いてるだけの貴方があまりにも惨めで可笑しくて、ついつい頬が緩んでしまったのかもしれません」

「何?今更そんな安い挑発にのるとでも思ってんの?」

「別に構いませんよ。困るのは私でも貴方でもなく、恵美さんですから」


 恵美さんの名前が出た瞬間、黛さんの顔は露骨に歪む。


 精神的にどれだけ優位に立たれようとも、接近戦になればこちらが有利なことに変わりはない。最初のトラップ以降、一向に仕掛けてこないのがなによりの証拠だ。

 黛さんは絶対に近づいてはこない。ならばここで打つべき手は一つ––––––––––––––––––柏恵美への強襲だ。


 動けない黛さんを無視して恵美さんを襲いに行く(あくまで()()であるが)、そうなれば支配者は地上に降りてこざるをえない。


「……わかったわ」


 あまりにも素直で素っ気ない返答。

 呆気にとられるこちらをよそに、一寸の迷いも無く支配者は手すりに手をかける。


 体が宙を舞った。


「正気ですか!?」


 しかし黛の体が地に叩きつけられる事はなかった。

 積み上げられた機材の上を器用に中継し、みるみるうちにこちらとの距離を詰めてくる。いつ間に手に取ったのか、右手の鉄パイプが夕焼けを浴びて鈍く光る。

 気付けば支配者の姿は二メートル直上、神楽坂の傍らの機材の上から怒濤の如く飛びかかった。


「ほら、来てあげたわよッ」


 本能が危機に叫んだ。

 反射的に散らばる鉄パイプの内の一本を拾い上げ頭上に構える。


 刹那、重力任せの一撃が炸裂した。


 甲高い金属音が耳元を劈く。あまりの衝撃に膝は地をつき、手元は痺れたように震える。擦れ合う双方の鉄パイプが力に軋み、気味の悪い悲鳴をあげる。

 だが、受け止めた。


 力は五分五分。互いが全力で一瞬たりとも気を緩めることはできない。

 それでも共有が掴んだ一つの違和感が頭から離れなかった。


 敵意があまりにも薄すぎる。


 このような兇悪な一撃を放っておいて、害意というものが全くと言っていいほど感じられない。先程といいまるで防がれることを確信した上で攻撃しているかのような–––––––––––––––––


「ちょっと……余所見してんじゃないわよッ!!」


 繰り出されるは唐突なる蹴撃。両腕は使えず、回避も不可能。

 咄嗟に右膝を振り上げなんとかこれを防ぐ。しかし片足だけでバランスを保つことは出来ない。押されるがままに後方に蹴り飛ばされた。

 ろくな受け身も取れず、コンクリートの上を乱雑に転げ回る。


「がッ!!」


 背中に走る微痛を噛み殺し即座に立ち上がる。うかうかしていては追撃の餌食になってしまうと、瞬時に敵の方へと向き直り–––––––––––––––––––––投擲。


「え?」


 顔のすぐ隣を風切り音が駆け抜け、暴鉄の端が微かに頬を引っかける。


 鉄パイプを投げつけられた。漸くそう気付いたのは、背後で衝撃を引き金に金属の歪な大合唱が始まった後。



 全く反応できなかった。


 残酷な現実は戦況を一挙にひっくり返す。

 射程に入ってからの息もつかせぬ連続攻撃、これを捌き切ることが出来ない。つまりは黛の搦手の速度がこちらの先読みの速さを超えたということだ。


 黛はしめたとばかりに巨大機材を隠れ蓑にすぐさま姿を眩ます。

 次に来るパターンは恐らく投擲を起点にした奇襲乱撃。人間以外には共有の能力が通用しない以上、飛来物にこちらは反応出来ない。

 投擲に意識を乱された状態で、再び先読みの処理速度を上回るスピードで攻撃されたら……。


 思わず敗北の二文字が脳裏をチラつく。今回はなんとかなつたものの、次も助かるという保証はないのだ。


 次、黛さんが仕掛けてくる前に対策を練れなければ必ず負ける。

 突破口を求めて記憶の引き出しを探し回るうちに、先程感じた違和感に辿り着く。


 連続攻撃の締めとなった鉄パイプの投擲。

 本気で私を倒したかったのならば、あの至近距離で外すのはいくらなんでもおかしい。これまでの動きを見るに黛瑠璃子は明らかに器用な人間だ、わざと外したと考える方が妥当であろう。そして今回の攻撃にも一切の敵意は込められてはいなかった。


 鉄パイプは囮、そう結論付ける。


 恵美さん曰く、決して人を殺すことはないという黛さんが、あんな危険なモノを本気で人に向かって振り回すとも思えない。ナイフが鉄パイプに変わっただけで、電撃銃による一撃がやはり本命か。


 相手の思惑はなんとか見えたが、このエリアは武器になる得るものが余りに多すぎる。


 舞台を変える必要がありますね。


 入ってきたのとは逆側の通路へ向けて一挙に駆け出す。機材の森の中を潜り抜け、目の前に差し掛かろうとしたその瞬間。


 金属ドライバーが右方から飛来した。


 こちらの脱出を読んでの待ち伏せであった。視線の向こうに勝利を確信した黛が懐に手をかけるのがみえる。だが、


「甘い」


 軽く頭を振る、ただそれだけで飛来物は宙を切った。意識どころか足並みすら一切乱れない。次の瞬間には通路の中へ飛び込み、出口へ向けて一目散に駆け抜ける。

 

 そっちが外に逃げることを読んでいるなら、こっちだって待ち伏せされることぐらい読んでいる。


「待てェッ!!」


 悪路を進むのももう慣れた。

 背後から黛さんの靴音が響いてくるも走力は互角。一度たりとも後ろを振り返らずに只走る。

 出口はもう目の前。扉相撲を演じた例の鉄扉を一思いに開け放ち、雪崩れ込むように外へ飛び出した。


 本日は満月、月光を遮る屋根もここには無い。

 オープンスペースの中心で、久々の美味い空気を胸一杯に吸い込んだ。

 気分は爽やか、気持ちは軽やかであった。敗北の不安とも、重責ともこれでおさらば。あとはここで()()()()の到着まで時間を稼ぐだけでいい。

 それで神楽坂藍里の出番は終わり、あとは恵美さんがなんとかしてくれる。


「待ちなさいよッ!!」


 その一喝が、未だこの身が戦場にあることを思い出させる。

 

「……行かせないわ、アンタは必ずここで潰すッ」


 黛瑠璃子は諦めない。

 どれだけ疲労と絶望がその身を苛んだとしても、彼女の凜とした瞳が陰ることは決してない。

 限界などとうの昔に超えているはずなのに、『恵美さんを護りたい』その意志だけで何度だって立ち向かってくる。


 あぁ、なんて素敵な人なんだろう。やはり彼女の想いは本物だ。

 時間稼ぎなんて考えていた自分が恥ずかしい。この真っ直ぐな気持ちに正面から向き合わずになにが私の答えだ。


「もう終わらせましょう、こんな戦い」


 演技でも台本でもない私自身の言葉。怒りに顔を歪めていた黛さんもそれに応えるようにそっと微笑み–––––––––––––––––––––––––嘲笑した。


「あはははははッ!!」

 

 彼女のらしくもない下品な笑い声。大いに腹を抱え、目頭に薄っすらと涙すら浮かべながら、只管笑い狂う。


 何故黛さんが笑っているかはわからない。それでも自分の心からの言葉を馬鹿にされたようで、沸々と頭に血がのぼる。



「「なにがおかしいんですかッ!!」」



 え……?

 夜の闇に響くは、一つではなく二つの叫び。

 一語一句どころかタイミングやイントネーションまでもが完璧に一致した。

 そこから考えられるのは最悪の事態。


「まさかッ……」



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