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不完全ラズライト  作者: 深海船隻
12/28

第十一話 瑠璃染藍染合戦 舌戦

–––––––––––エミが選ぶであろう最期の地。

 単純に考えるならばM高しかないだろう。そこは棗の死、そして私との決戦の舞台となった場所である。

 親友は私に屈服して以来、あの近くを通るたびに母校の方角へ恍惚の視線を向ける。それも「ルリに支配されたあの瞬間が蘇り、より深い絶望に沈むことができる」などという不穏な呟きを添えながら。

 エミはどうやらあそこを聖地のように見なしている節があるのだ。


 しかし二年前の一件以降、M高の警備システムは単なる公立高校にしては不釣り合いなまでに堅固なモノになってしまった。萱愛の話によると全ての出入り口に複数の監視カメラが取り付けられ、校門では常に二人の警備員が目を光らせているらしい。


 聞いた時はやりすぎだとも思ったが、かの高校の悲惨な来歴を思えばそうなるのも致し方あるまい。

 たった数年の間に不法侵入に殺人未遂に生徒の自殺が二件。暴力事件を起こして停学になったものや、事故で病院送りになった生徒の数も少なくない。加えて最近では一人の教師が不審死を遂げたとも聞く。

 

 流石に扱いは軽いが余りに異常だとテレビや新聞で触れられたことも何度かあった。どこから情報が流れているのか、ネット界隈では既にオカルトマニアを中心とした一団から不名誉な知名度を得ているほどである。


 そりゃこれ以上問題を起こされては堪らないだろう。あそこの校長は本気だ。自らの保身を図るときの大人の行動力と熱意を甘く見てはいけない。部外者による侵入はほぼ不可能に近いと言っていいだろう。


 ならば何処だ。


 エミの思想を鑑みるに狩る側が殺人罪で捕まってしまうような半端な狩りは望まないはずである。

 一億の人で溢れるこの現代日本、人気のない所でも大抵誰かはいる。加えてこの街はどちらかと言えば都会の方、誰にも見つからずに人を追い詰め殺せる場所なんてそうそうない。


 そこが突破口だ。


 エミがまた変な気を起こした時の為と、この街の人目につかないホットスポット、つまり"狩場"と成り得る地点は一年ほどをかけて粗方把握した。その数六十七箇所。

 少ないようにも思えるが昨今は犯罪抑止効果を期待し、街中あちこちに監視カメラが取り付けられている。殺すまでは出来てもそれで見つかってしまっては意味がない。確実を期せそうな場所は精々この程度だった。

 加えて彼女の家と神楽坂の位置関係を考慮すれば更に範囲を絞り込むことも可能である。各地点の"狩場"として使える時間条件と現在の状況を照らし合わし、更にそこへエミの好み思考パターンを組み込み裁断していく。


 日付は十二月二十二日金曜日、時刻は午後五時五十分。


 "狩場"A2某零細企業の管理倉庫裏。基本は無人だが通常通りなら火曜と金曜は六時半から業者による資材の搬入が始まる。除外。


 "狩場"C14森林公園。最深部まで行けばまず人に見られることはないが、蜜採者対策で午後五時以降は閉門される。除外。


 "狩場"D7所有者不明のまま放置された空き家。最有力候補だが、柏邸前の雪についたエミの足跡を見るに彼女の向かった方向とは真逆。除外。

 

 "狩場"D9……


 黛の脳内に展開されるこの街の全図。そこに刻まれた無数の赤印は次々と消えていき、最も正解に近い一つの場所が導き出される。



 "狩場"B2廃工場。



 最近では十八日前に樫添さんと萱愛を呼び出したのが記憶に新しいが、過去にもこの地には色々と因縁がある。かつて柳端が私を人質にエミを呼び出したのもこの廃工場だったし、彼によれば私と会う以前にもエミはここで棗に殺されようとしたことがあったらしい。


 鈍色の雪雲の隙間から満天の星空が垣間見えた。


「ここだ」

 そう呟いていた。不思議と読み違えているかもしれないという考えは湧いてこない。

 妙にしっくりときた、エミなら必ずここを選ぶと確証はなくとも確信がある。


 柏邸を飛び出してから休みなく駆けに駆けて既に二十分近くが経過した。住宅街を抜け工業地域に入ってから、人も建物も見るからにその数を減らしていき黛の靴音のみがただ響く。


 額に走る一筋の汗を振り払い、目を凝らすとようやく目的地が見えてきた。


 それはまるで山のようなシルエット。赤錆と緑青に覆われた鉄の塊から、無数の煙突やタンクが突き出していた。

 如何にも最終決戦の地という感じだ。雰囲気は陰惨を極め、見ているだけでなんだか気分が憂鬱になる。なるほど濃厚な絶望を追い求めるエミにとっては最高の舞台演出だろう。


 周囲はコンクリート質の高い塀に囲まれているので中の様子を伺い知ることはできない。

 この塀の向こうにいるのはエミかはたして神楽坂か。

 そもそも彼女はまだ生きているのか、私はまだ間に合うのか。


 すぐにでも手が届くこの距離まで来てより一層焦りが募る。

 以前来た時の記憶に頼ればこの廃工場に入り口は一つしかない、そのうえここから丁度反対側に位置していた。

 回りこむか?––––––––––––否、エミの生死がかかっているのだ。そんな悠長なことはしていられない。


少しでも時間が惜しい。一秒でも、いや一瞬でも早くエミのもとに駆けつけたい。絶対に彼女を失うわけにはいかないのだ。二人で静かに笑いあえるあの甘美な日常をなにがなんでも取り戻す。


 視線を走らせれば塀の脇に打ち捨てられている小型コンテナが目に入った。目測百六十五センチ。これだ、ニヤリと口元が歪む。

 全力疾走から更に加速。渾身の力で地を蹴り、体をバネのようにしならせ跳躍した。成功。

 跳び箱の要領でコンテナに飛び乗り、そのまま垂直に飛び上がる。


 届け、届け届けッ!!


 蜘蛛の糸はまだ切れてはいなかった。跳躍の最高到達点、確かに黛の右腕は塀の淵を掴みとる。


「間に合えェッ!!」


 即座に左腕を援護に向かわせ、無理矢理体を塀の上に乗せあげんとする。

 途端に両の腕が悲鳴をあげた。筋繊維がまとめて引きちぎれてしまいそうだ。それでも痛みを嚙み潰して二の腕を塀の上に押し付ける。体を乗せ上げ脚をかけた。

 

 乗り越えた。

 顔を上げれば堀の向こう側が見渡せた。決戦の舞台が視界一杯に広がる。


––––––––––––––よし。–––––––––––瞬間、世界は回転した。

 誤魔化しきれなかった極度の疲労が足元を滑らせる。


「なッ……!!」


 全身を凍えるような悪寒が走り抜ける。例えではなく本当に口から心臓が飛び出そうだ。


 重力に引きずりこまれる直前、咄嗟に体を捻ったがそれでも勢いは流しきれない。

 剥き出しの衝撃が全身を貫いた。肉を打つ鈍い音と共に呼吸が一瞬止まってしまう。


「ぐッ……」


 それでも、それでも黛瑠璃子は立ち上がる。そんな暇はないと言わんばかりに悶えた時間は二秒もない。足手まといの痛みは無視した。

 次第に重さを増していく体に鞭打って、気炎万丈廃工場の中心地へと走りだす。その身に絡みつく微痛を倦怠感を振り払いながら。


「エミ、エミ、エミッ」


 廃材を蹴飛ばし枝垂れたワイヤーを掻い潜り積み上げられたパイプの山を飛び越える。工房に挟まれた一本道を抜けると一挙に開けた場所に出た。


「エミッッッ!!」


 角に幾つか廃車が積み上げられているのが見える。だがそれ以外にはなにもないだだっ広いだけの空間だった。その隅から隅へ舐めるように目を走らせる。


 柏恵美はいない。


 ここではなく工房の中にいるのか、それともそもそも場所を読み違えたのか。エミはどこにいる。

 不安が焦りへと昇華するまさにその時、突如救いの手が差し伸べられた。黛が立っているのとは反対側のオープンスペースへの入り口、そこからひょっこりと人影が覗く。


「エ、エミッ!!」


 痛みも疲れも全て消し飛んだ、思わず顔も綻ぶ。

 良かった、やはり私の予想は間違っていなかった。軽い足取りどころか意気揚々に跳ねながら彼女の元へ駆け寄る–––––––が。


「はァ?」


 その人影は明らかにエミではなかった。黛が立ち止まった後も人影は一歩一歩歩を進め、やがてその姿が白日の下に晒される。


 黒くどこまでも黒い漆黒のロングヘアー。透き通る白い肌は無機質で最早芸術的な域に達している。そして底無し沼を彷彿とさせる大きな瞳、視線を合わせるだけで意識が引きずり込まれてしまいそうな錯覚に陥る。

 まさしく烏の濡れ羽色。艶やかな黒髪は美しくたなびき、黒コートの裾は荒々しく揺れる。


安堵と歓喜はどす黒い失望と憤激へと塗り潰された。まさか私の前に自分からのこのこ現れるとは思わなかった。女の名前は––––––––––


「神楽坂、藍里ッ……」

「……」


 呼び掛けには応えない。【成香】は何も言わずにただただ冷たい瞳を突きつける。

 遂に黛瑠璃子と、神楽坂藍里は相対した。和解なんて期待はしていないが最終通告代わりに少しぐらいは話を聞いてやろう。


「もう一度聞くわ。アンタ、エミをどうする気?」

「もう一度言います。貴方に代わって私が柏さんの支配者になります。そして……」


 今度は有無を言わさぬ即答。意味深に言葉を切られ生唾が喉を鳴らした。


「そして?」

「"狩る側"の存在として圧倒的な絶望を与えながら殺してあげましょう」


 殺して?あげましょう?

 眥裂髪指、そのふざけた言い草に砕けんばかりに歯を食いしばった。怒りの炎が静かに揺れる。遂に言ったか、遂に殺すと言ったかこの女。


 私の、エミを、勝手に、お前が、殺すのか。


 もう話し合う気は失せた。今すぐにでも組み伏せてやりたいところだが、最後に一つだけ聞くことがある。

 深く息を吸って吐く。頭を冷やし出来るだけ平静を装いながら吐き捨てる。


「【成香】、エミと話したことがあるなら名前くらいは知ってるでしょ。棗香車の思想に頭を喰われ"狩る側"の存在を継承した存在。私はアンタをその残党だと睨んでるし、アンタにもその自覚はあるようなんだけどどうも辻褄が合わないのね」

「辻褄……ですか?」


 まるで興味が無いと言いたげな鸚鵡返しだった。その自分には関係無いといった態度に不愉快を覚えながらも言葉を紡ぐ。


「エミがよく言っていたわ、『人の死は、他人に大きな影響を与える』。それは確かに正しい、エミに振り回されてる時に嫌というほど思い知らされた」


 無言の肯定。黙りを決め込む神楽坂にすかさず疑問を叩きつける。


「でもアンタ棗とは何の接点もないわよね。そもそも棗の死を目撃してもいないのに【成香】になんてなるわけがない。まだ言うならなんで一年も経った今頃になって出てきた?はっきり言ってアンタの存在は矛盾が多すぎる」


 どうしてもこれだけは確かめる必要があった。神楽坂藍里は【成香】に成る為の必須にして唯一の条件を満たしていない。しかし彼女は現に【成香】として私の前に立ち塞がっている。

 これは嫌な想像だがもしかしたら条件は他にもあるのかもしれない。仮にそうだとしたら今までの平穏は一挙に崩壊する。

 私は棗香車の死を目撃した人間を全て排除、或いはエミから目を逸らさせることで【成香】は滅んだとした。

 しかしこの絶対条件が崩れているとしたら?

 例え神楽坂を退けたとしてもエミとの平和な日々は帰ってこない。第二第三の、いやそれ以上人数の【成香】からエミを護らなくてはならなくなるかもしれない。


「……貴方は少し勘違いをしていますよ」

「勘違い?」


 呆れた口調で歌うように神楽坂は言う。


「確かに私は"狩る側"の存在です。しかしその棗、確か君でしたね。その人と私は一切関係ありませんよ」


 あまりにも予想外な返答だった。勘違いというから私達が突き止められなかっただけで『実は棗とは接点があった』だとかそんなオチかと予想していた。それなら納得できる。

 だが目の前の少女はきっぱりと棗香車の関わりを否定した。

 

 思考がそして推理が追いつかない。

 思わぬ展開に困惑する私とは対照的に、神楽坂は余裕たっぷりにそっと微笑んだ。


「【成香】に棗香車……なるほど面白いですね。同じように将棋に例えてみましょうか。盤上に乗っている香車の駒は一つじゃないですよね?」

「なっ……ッ!!!」


 稲妻が走った。

 あまりの衝撃に体は震え瞼はヒクつく。言ってることは瞬時に理解できた。理解できるからこそ恐ろしかった。


「つまりアンタは自分もオリジナルだって言いたいの……」


 完全に盲点だった。認めたくないが辻褄は通る。

 棗が何故"狩る側の存在"になったのか私は知らない。つまり棗のような人間が突如現れても何の不思議もないのだ。エミという獲物と接触したことによって"狩る側の存在"として覚醒する。ありえない話ではない。そしてそれなら全ての説明がつく。


 最悪だ、本当に最悪だ。仮にそうだとしたらエミがあの思想を改めない限り"棗香車"は永遠に潰えない。

 ただでさえ溜まっている疲れが更にドッと押し寄せ本格的に嫌になりそうだ。だがそれでも私がやることは何も変わらない。

 何度湧いてこようが構やしない、その度に叩き潰すだけだ。

 そして今叩き潰さなくてはならない敵は目の前にいる。


「まだお喋りしますか?」

「いやもういいわ……」


 話し合いで解決できる段階は既に過ぎた。エミを護るために全てを捧げると誓った【支配者】と彼女への殺害欲求に覚醒したもう一人の【狩る側の存在】。お互いの凝り固まった信念と偏執はもう言葉などでは解せない。懐柔できない意思はもう力でねじ伏せるしかない。


 幸いエミはまだこちらにたどり着いていない。殺されたがる人間を護りながら戦うことの難しさは既に承知済み、加えて今回は樫添さんもいない。正直この状況でエミが現れたら庇いきるのは不可能だ。彼女が来るまでになんとしてでもこいつを黙らせる。

 顔を覆う指の隙間から敵の姿を睨みつける。心は熱く、頭は冷静に、そして敵意は剥き出しに。


 静かに息を殺す。もう容赦はしない。



「一瞬で終わらせる」



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