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ぷりまステラ  作者: 季水東吾
ぷりまステラ1
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 第六章 ぷりまステラ



 試験会場は四條家から駅二つ離れた場所にある文化会館だった。

 本来は魔法世界で行われるのが常なのだが、今回は偶然受講者が三人しかいなかったことと、受講者と試験官が日本にいた事が考慮されて特例が適用された。

 三人とはリズ、アーリア、チュリアの三人のことだ。

「大丈夫、普段の力を出せればいけるよっ」

 鬼紗羅はまるで自分のことのように緊張しながら三人を応援している。

「リズは普段より頑張ればいけるね」

 そうなのだ。

 リズは結局最後の模試で百点満点中六十九点だった。

 七割には届いていない。

 それでもその表情に暗さはない。

「はい、普段より頑張ります」

 全てを出し切る。そんな強い意志が溢れ出ていた。

 虹二の託した切り札が希望になっているのだとしたらこんなに嬉しいこともない。

「よし、行ってこい」

「はい」

「ですわ」

「……頑、張り、ます」

 メルティアの監督のもと、筆記試験が始まった。

 試験が行われている部屋の外で虹二と鬼紗羅は待機していた。

「大丈夫かなぁ……、虹二ぃ」

「リズは優秀じゃない」

「え、ダメじゃんっ」

「でも落ちこぼれでもない」

「どういうこと?」

「やれば出来るのに、心の奥底で自分はできない。才能がない、そんな思いが邪魔をしている」

 瞳を閉じて虹二は言う。その顔に不安の色は一切ない。

「自分の出した回答が信じられなくて、迷って時間を浪費した挙句に逆の答えを書いて間違える。そんな子だよ」

「超ダメじゃん」

「でも、今の彼女には自信がある」

 そう、切り札が与えた力は大きい。

「自信があるとそんなに変わるの?」

「結果を見れば分かるよ。俺の予想問題集を使って誰よりも多く勉強してたんだ。俺の考えが正しければ――」

 時間になった。

 試験の部屋から三人が出てくる。

「手応えはばっちりですわ」

「まぁ……、普通、かと」

「うぇぇええ、疲れたよぅ……」

 リズはそのまま床に倒れ込んでしまう。

「どう? 出し切った?」

「頭の中を解答用紙に置いてきた気分です」

「それは凄い気分だね」

 手を貸して起こす。そこには晴れやかな笑顔があった。

「あとは採点待ちか」

 採点中は昼休憩で食事が許されている。

 食事後に採点結果が報告され、七割以上の者だけが実技試験に進める方式になっている。

「散歩中にいい場所見つけたんだ、そこで食おう」

「えーっ、私達が頑張っている間に散歩していたんですかっ?」

「仕方ないよ。待っている間俺たちに出来ることはないんだし。美味しく飯食える場所探したほうが有意義でしょ?」

「私は四條さんに賛成ですわ」

 肩を寄せてアーリアは言う。虹二が部屋に缶詰していた件以来、彼女の距離が若干近い気がした。

「お腹、空い、た」

 チュリアの言うとおり全員空腹が限界だったので心持ち急ぎ足で歩を進める。

 そこは陽当り良好で風通し良好な上に景色良好と三拍子揃った、春の陽気を満喫できるような場所だった。

 見渡せば山に川に湖に、そして富士山。

 ベンチには屋根があり半分程木陰になっている。

 花壇には春を祝うように花々が咲き誇っていた。

「綺麗な場所ですわね」

「丁度テーブルもあるし、そこで食べよう」

 少し狭いので詰めて座る必要があった。

 虹二が普通に座ろうとすると痛いくらいに鋭い視線を感じた。

 テーブルを挟むように設置された長椅子。右側には鬼紗羅がいて、左側にはアーリアが座っている。

 なんとなく左側に座ろうとしたら鬼紗羅に凄い視線で射抜かれたのだ。

 仕方なく右側に移動すると今度はアーリアから拗ねたような視線を向けられた。

「えーっ」

 虹二が座るのを待っているチュリアとリズも、何故か彼がどこに座るのかに注目している。

 非常に居心地が悪い。

 とにかく鬼紗羅の視線が怖すぎるので虹二は右側に座った。

 リズとチュリアはアーリアの方に座って昼食を広げた。

 今日の昼ごはんはリズとアーリアの合作だ。

 午後の試験に向けて軽めのメニューであるが、どれも手が凝っていて美味しい。

「俺が料理できれば、作ってあげたかったんだけどね」

「そんな、私、料理好きですし」

「大した手間じゃありませんわ」

 謙遜しているが、試験当日に早起きして料理してもらっている身としては肩が狭い。

 なので、せめて心を込めて言うことにした。

「凄く美味しいよ」

 と。

 リズとアーリアは何故か顔を赤く染めている。そして鬼紗羅は箸で乱暴におかずを突き刺していた。

「おい、無作法だぞっ」

「嫉妬の嵐なのっ」

「意味わからんっ」

 賑やかな昼食に乱入者が現れた。

 メルティアだ。

「なんのようですの?」

「おっかないなぁ、……メルは採点終わったから教えに来ただけですぅー」

「……凄い、早、さ、ですね」

「メルはお昼寝したいので、頑張りましたぁ。虹二君褒めてー、褒めてー」

 軽く無視して先を促す。

「冷たいなぁ……、アーリア・シェル・フローリスさん九十一点合格。チュリア・シリンディさん八十七点合格。リズ・シーランドさん――」

 ごくり。と、つばを飲む音が重なった。

 誰もがメルティアの言葉に注目している。

「合格」

 数秒静寂が訪れた。嵐の前の静けさのような無音が。

「やりましたわぁあぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「やっ、たよ、リズ、やったん、だよぉっ!」

「へ? へ? へ?」

 絶叫で爆発した。

「合格だよ、リズちゃん。凄いよ、合格だよっ」

「ご、合格?」

 呆然としたリズと彼女以上に彼女の合格を喜ぶ周りの反応が面白い。

 惚けているリズの頭を優しく撫でながら虹二も言う。

「おめでとう。頑張ったね」

 それでようやく合格を理解したリズは、瞳から雫を落とした。

「やったんですね。やり遂げたんですね、私……」

「筆記だけなのにアホらしぃ」

 吐き捨てるように言うとメルティアは逃げるように離れていく。

 その後ろ姿に虹二は満面の笑みで一声かけた。

「メルティア、言わないの?」

「何を?」

 振り向かない。虹二には分かる、悔しそうな顔を見せたくないのだ。

「お前この試験受けたとき九十九点だったよね。リズの点数を教えてよ」

 挑発するように言う。

 勝ち誇るように言う。

 どうだ、お前が問題児と言った俺の弟子は。そう言外に思いを込めて。

「百点が何か? 偶然でしょぉ?」

「お前は偶然に負けるのか? その程度の実力か?」

「実技試験、楽しみだねぇ」

「その通りだね」

 メルティアは悔しげに去っていく。結局彼女は最後まで振り向かなかった。

「唸らせて差し上げますわ」

「……泣かす」

「うそ……、わひゃひが、百、……点?」

 彼女たちのモチベーションはどこまでも高まっていた。

 これならば普段以上の実力を引き出せることだろう。

 全てが最高の方向に作用していた。

「虹二、あの予想問題集本当は何割程度の精度なの?」

「秘密だ」

 三人に聞こえない声で二人はやりとりをかわす。

 秘密と言った虹二の顔はまるでイタズラに成功した悪ガキのような表情をしていた。


   1


 実技の試験会場は十メートル四方程度の一室だった。

 文化会館の一室で、劇場裏付近にある。恐らく練習室や控え室といった大広間なのだろう。

「こんな場所で行いますの?」

 アーリアの疑問は当然のことだった。確かに広いが魔法戦を繰り広げるには狭い。

「まさかぁ」

 メルティアはそう言うと魔法陣を展開させる。

 複雑な構築式だった。それを難なく組み上げていく手腕は流石の一言だ。

 一目見ただけで上級とわかる魔法陣を素早く書き上げていく。とんでもない詠唱の技術だった。

「アチーリブ・アラブメント」

 その一言とほぼ同時、十メートル四方の狭き空間は一瞬でその十倍に膨れ上がった。

 天井も十倍に伸びている。

「こ、これは……」

 アーリアが言葉を失う。

「……空、間系の、上級魔法」

「凄い、見たことないよ、こんな魔法」

 驚きを隠せない三人に満足したのかメルティアは満面の笑みで説明する。

「この百メートル四方、高さおよそ四十メートルの空間が実技試験の舞台でーすっ」

 言い終えるとメルティアは再び詠唱を開始して、今度も上級の魔法を発動させた。

 壁際に淡い青色の防壁が設置される。

「対物理と対魔法の高レベル防壁が観客席だよぉ。観客は応援以外したらダメだからね?」

 自分の実力を存分に見せ付けたメルティアはご機嫌な様子で続ける。

「実技試験の順番は筆記試験の結果が低い順なので、一番手はチュリアさんだよぉ」

 呼ばれたチュリアはリズとアーリアに一度ずつ視線を向けて、そして鋭い瞳で歩きだす。

 一度立ち止まって振り向いたかと思うと、虹二にも視線をくれた。

 彼女の強い意思を感じさせる瞳に安心した。

 彼女ならば合格するだろう。そんな根拠のない確信が湧いてきた。

 それを見届けてから虹二達は壁際の防護壁に歩いていく。

 防護壁までは百メートルもあるのだ。歩いてたどり着くには少々時間がかかる。

 たどり着くまでは試験が始められないため、空間の中心でチュリアとメルティアは睨み合う格好になる。

「どうしたのぉ? そんなに怖い顔をしてさ」

「貴、女は、私の親友、を侮辱、し、ました」

「だからなによぅ」

「泣かし、ます」

 メルティアが。

 可憐に笑って微笑む。

 壮絶な覇気を纏って。

「魔導司書クラスの魔法使いを舐めちゃダメだよ?」

 四人が防護壁にたどり着く。

「制限時間は十五分。それまでに試験官に魔法をクリーンヒットさせられれば合格。それでなければ不合格。手段は問わない。戦術も戦法も自由。武器だって使っていい。但し、ただ一人の力で戦うこと。おーけー?」

「当、然です」

 ――始め。

 メルティアが呟いた。瞬間二人の足元から魔法陣が展開される。

「「アクセル・ライド」」

 発動は同時。魔法も同じだ。

 そして二人の姿は消え去った。

 瞬間チュリアとメルティアの蹴りが交差し、一瞬だけ二人の姿がはっきりと見える。

 が、次の瞬間には二人はまた高速移動で視界から消えた。

 チュリアは魔法陣を展開しながら戦慄する。あの速度で詠唱したにも関わらず、メルティアは見えてから詠唱し始めの中途半端な魔法陣から魔法を予測し、そして同時に発動して見せた。

 あれが【解理の瞳】の性能と彼女の実力なのだ。

 が、怯える必要はない。

 チュリアはこの二ヶ月間徹底的に基礎を鍛え続けた。

 その結果がこれだ。

「エア・アロー」

 鬼紗羅に教えてもらったテクニック。逃げ場を封じ、誘導し、本命は二割程度。それを丁寧に守った鋭い風の矢が彼女を襲う。

「う、おぉーいっ、見習い魔法使いとは思えない、いやらしい配置っ」

 それを難なく回避するメルティアは流石だが想定内だった。

 そう簡単に倒せるような相手とは思っていない。

「ブレイジング・エア・ブラストっ!」

 風の奔流が放射上に広がっていく。体制を崩したメルティアに回避する術はない。

「ショート・コメットブレイク」

 それを接近専用の威力の高い魔法で薙ぎ払った。

「ごめんねぇ、中級魔法までは使用を許されてるからさぁー」

 そう言ってメルティアは姿を消す。

 右。

 反射的に、本能的に防壁を展開する。

「クイックプロテクション」

 タイミングが一致したのは偶然だった。

 メルティアの死角を突いたショート・コメットブレイクを防ぎきる。

「えー、今の防いじゃうの? しかも無詠唱でクイックプロテクションとか、生意気ぃ」

 高速移動を続けながら詠唱を続ける。

 速く、的確に、変幻自在に。

「典型的なクイックスタイルか、メルの苦手なタイプだぁ……っ」

「ライジング・コア」

 設置する。勝利のための布石を。

「あらま、そういう戦法なのぉ?」

 その魔法を見ただけで戦法を理解したメルティアは、エア・アローを発動させる。

 その数実に五十。チュリアの三倍超の数だ。手加減してこれとは恐れ入る。

「アクシズ」

 コマンド魔法。これは全ての魔法の矢をリアルタイムで遠隔操作するというものだ。

 五十もの矢を、全てリアルタイムで遠隔操作するなど不可能だ。

 が、メルティアは容易にそれをしてみせる。

「……っ」

 まず三本の矢にライジング・コアが打ち抜かれた。

 続いて二十本の矢が周囲に降り注いで逃げ道を塞がれる。

 十本の矢が左上から迫る。右側に空間。罠と思っても反射的にそちらに回避してしまう。

 誘導されている。気付いてはいるが対処が出来ない。

 背後から十本の本命が襲いかかる。

 限界までアクセル・ライドの機動力を活用して逃げる。逃げる。逃げる。

 何本か障壁を掠る。

 が、直撃はない。

 いや、計算が合わない。

 彼女は五十本の矢を放った。残り、七本残っている。

 それが頭上から降り注ぐ。かわしきれない。

 クイックプロテクション。これならば、しかし、視界の端に魔法陣を展開させたメルティアを捉える。

 見覚えがある魔法陣だ。

 ショート・コメットブレイク。

 あんなものが直撃すればチュリアの障壁など吹き飛ぶ。

 しかし、それはメルティアも同じ。

 チュリアは魔法陣を展開する。

 頭上から降るエア・アローを障壁で受け、障壁が破れ。一本頬を掠り、一本背中を切りつける。

 が、目の前にメルティアを捉えていた。

 ショート・コメットブレイクも確実に捉えていた。

「クイックリフレクションッ!」

 爆発。

 防護壁の中から叫ぶ。

「チェリーっ」

 叫び声はリズのものだ。

 激しい爆発の煙で二人の姿は見えない。そもそも高速戦闘が速すぎてこの位置では、二人を視認するのが難しくはあったのだが。

「大丈夫だよねっ?」

「分かりませんわ。……最後、メルティアのエア・アローがチュリアの障壁を貫いたのは見えましたが」

 それは敗北を意味するのでは。

 しかし、その言葉をリズは飲み込んだ。

 そしてその二人の背後から呑気な会話が聞こえる。

「おー、驚いたね。チェリーちゃんあんな魔法覚えてたんだ」

「驚くべきはそこじゃないよ。頭上から攻撃されているのに目の前に集中し、冷静に対処したその勇気だよ」

 二人のその呑気とさえ言える会話が勝負の結果を物語っていた。

 煙が晴れる。

 そこには頬から血を流しながら、メルティアを見下すチュリアの姿があった。

「試、験官に、クリーンヒットを与え、れ、ば手段は問わない。です、よね?」

 そう、それが例えチュリアの魔法でなくてもだ。

「そうだよぉ、メルの負けだよぉ」

 本来魔法使いにおける障壁とは常に展開されている最終防衛手段だ。つまりこれを破壊されることは戦場では死を意味するし、模擬戦では敗北を意味する。

 しかし、この試験には敗北条件は指定されていない。

 つまり、障壁を破壊されようとも試験官に一撃入れれば合格なのだ。

 そしてクイックリフレクションという、魔法を反射する防壁によって反射されたメルティアのショート・コメットブレイクは確かに彼女の障壁を吹き飛ばした。

 故に、メルティアは障壁を破壊された状態で尻餅をついているのだ。

 これは誰が見てもチュリアの勝利だった。

「チュリア・シリンディさん。合格だよぉ……」

 拗ねたように言うメルティアにチュリアは勝ち誇った顔で言う。

「私の、勝ちで、すっ」

 珍しく見せる満面の笑みだった。


   2


 続いてアーリアの試験だ。

「あの攻めを凌いだらわざと一撃貰う予定だったのに。……あー、悔しいなぁ」

 なにやらチュリアとの戦いを引き摺っているらしい。

「失礼な人。私を侮ると痛い目をみますわよ」

「ほえ? 君、チュリア・シリンディさんより弱いから大丈夫」

「例えそうであったとしても、私を侮る理由にはなりませんわ」

「見た目で分かるよ。秀才タイプ。典型的なオールドスタイル。最もメルが得意とする相手だから」

 獰猛な獣のような瞳でメルティアは微笑む。アーリアはケルベロスを思い出した。

「メルね……、カウンタースタイルだから」

 カウンタースタイルとは、防御系等の詠唱を優先して行ってから、反撃する詠唱方法だ。

 確かに彼女の解理の瞳とは相性がいい。おまけにアーリアとは相性が悪い。

「それは好都合ですわ」

「?」

「学校ではまともなカウンタースタイル使いがいなかったもので。……ようやくカウンター対策の実践が出来ますわ」

「へー、見せてよ。それ」

 獰猛な獣が牙を向けている。

 チュリアがメルティアの目を覚ましてしまった。

 それでも、アーリアは負ける気がしなかった。

「ライバルが宣言通り一撃見舞ったのです。私とて、一歩も譲りません」

 相手はメルティアではない。彼女を打ち破ったチュリアだった。

 そう思えば、相手が誰であろうと怖くはない。

 ほかの誰に負けようと、チュリアだけには。天才だけには負けられないのだ。平凡な才能の持ち主故に。

 ――始め。

 本日二度目の開始の合図が告げられた。

 同時、詠唱が始まる。

 魔力循環陣が広がり、構築式が組み上げられていく。

 刹那。

「「アイシング・ランサー」」

 氷で生成された槍がぶつかる。威力も互角。

「見習い魔法使いの威力じゃないよぉ、それぇっ」

 当然だ。

 天才でない彼女は努力するしか知らなかった。天才と呼ばれるような秀才に。それが彼女の強さだ。

 基礎の訓練は誰よりもしてきた。

 使える魔法の修練も誰よりもしてきた。

 単純な威力や詠唱の速さでは、同年代では敵はいないと断言できる。

「ならっ」

 メルティアがエア・アローを詠唱する。アーリアも追いかける。

 五十の矢が視界を埋めた。

 少し遅れてアーリアも風の矢を放つ。その数なんと五十。

 その全てがぶつかり合い相殺した。

「うそぉっ!」

 驚愕の声。

 アーリアは直ぐに次弾を放つために詠唱を始める。

 ブリザード・サイクロン。回避の難しい広範囲攻撃魔法だ。

 が、メルティアの魔法陣を見て詠唱を中断する。あれは間違いなく防壁魔法だ。

 予め防御魔法を展開されれば、ブリザード・サイクロンを受けながら詠唱が続けられる。そうなればカウンターで放たれる魔法をアーリアが防ぐ手立てがない。

 カウンター対策その一。単純にカウンターの苦手とするクイックスタイルで戦う。

 アーリアは素早くアイシング・アローの詠唱を始める。

 得意属性であれば五十以上の矢をより速く放つことが可能だ。それは確実に防御魔法の発動よりも速い。

「へー」

 詰まらなそうにメルティアは呟いた。

「やばいな」

 言ったのは虹二だ。

「へ? どういうことですか?」

「見習い魔法使いとは思えない見事な読み合いだ。……けど」

 足を止めての詠唱合戦。読み合い。魔法使いが古くから続けている戦い。

 僅かな油断と読み違い、ほんの数秒の判断の遅れが詠唱の遅れに繋がり敗北する。

 アーリアはその戦いをよく理解している。あの歳で素晴らしい。

 が、しかし。

「それはメルティアの土俵だ」

 加速する詠唱の読み合い。

 メルティアの魔法陣から魔法を読み取ったアーリアは、素早く対応する詠唱を始める。

 それを見たメルティアも詠唱を中断して、魔法陣を新たに展開する。その繰り返しが徐々に加速していく。

 徐々に差が現れてきた。

 アーリアの方が、遅れているのだ。

 しかし、食らいついている。ぎりぎりで致命的な遅れにはならない。

「え?」

 その次の瞬間、アーリアは固まった。

 理解出来ないのだ。目の前の魔法陣が。

 複雑すぎる。上級魔法? いや、メルティアは中級魔法までしか使えないと言っていた。

 ではあの魔法はなんだ。

 その疑問が決定的な差を作り出してしまった。

「ふふっ、エア・アロー」

 エア・アロー。

 アーリアもよく知る魔法に驚愕する。

 何故、あの魔法陣からそんな簡単な魔法が放たれるのか。意味が分からない。

「しまっ……」

 五十本の風の矢。

 それが放たれてしまった。

 防御魔法。間に合わない。クイックプロテクションではあの遠隔操作した矢は防ぎきれない。かわしきれない。相殺、数が足りない。

 いや、考えている暇はない。

 三十本のアイシング・アローなら間に合う。気付いた瞬間体は詠唱を始めていた。

 組み上げる。計算する。書き上げる。

「アイシング・アロー」

 氷の矢が放たれた。

 相殺する。

 残り二十本。

 正直、勝負どころである。

 積み上げてきた自分を信じるしかない。

 チュリアと視線が交差した。彼女は目で言っていた。他ならぬライバルである彼女が言っていた。

 私が苦労してきたそれは、並大抵ではない。と。

 ならば大丈夫だ。

 アーリアは瞳を閉じる。

 諦めではない。目の前の矢を無視して集中するために。

 詠唱を始めた。

 二十本の矢が着弾する。

「やばっ、全部着弾したよっ!」

「凄いね。あれ、多分鬼紗羅のショート・コメットブレイクもそのうち耐えるよ」

 叫ぶ鬼紗羅に冷静な虹二。その対照的な姿に、安心していいのかどうか判断に困る。

「リアちゃんは大丈夫なんですかっ?」

「どうなのっ? 虹二っ!」

「信じて見てなって。結果は直ぐに分かる。ね、チュリア?」

「はい。……アーリアの、障壁は硬、いです。とても」

 魔法陣独特の淡い光が輝いていた。

 アーリアは無傷だった。

 障壁も破られてはいない。

「なにそれっ!」

 カウンター対策その二。魔法障壁で反撃を防いで、逆に強力な魔法を打ち返す。

 魔法障壁には個人差がある。

 チュリアは高速移動の邪魔にならないように、極限まで硬度を捨てている。

 逆にアーリアの障壁は不必要なまでに硬い。

 地道に僅かずつでも鍛え続けた。誰も見向きもしない障壁魔法の研究と修練。それを一途に続けてきた。

 その結果が二十本もの矢を防ぎきる。この魔法障壁だ。

 正直あと一本でも多ければ破壊されていた。

 それでも、耐えたことに変わりはない。

「バースト・アイスエイジッ!」

 カウンター対策その三。回避と瞬間防御系の通じない魔法を使用する。

「その魔法はっ!」

 メルティアが気付くが、遅い。いくら解理の瞳とはいえ、特性が瞳である以上視界に入っていなければ解析は出来ない。

 二十もの矢が被弾する中組み上げられた魔法陣を読む事は不可能。

 故に、これは確実に決まる。

 メルティアの障壁ごと彼女の下半身が凍る。それは氷の柩だ。

「これはしくったねぇ」

 その魔法を知るメルティアは諦めていた。

 その両手も凍らされていたからだ。これではクイックプロテクション等の瞬間防御魔法が発動できない。

 頭上に氷の塊が生成される。

 それが振り下ろされた。

「砕けなさい」

 氷系初級最強の魔法が直撃した瞬間だった。

 当然耐えられるはずもなく、メルティアの障壁は砕けていた。

「アーリア・シェル・フローリスさん。合格」

 メルティアが悔しそうに言う。

「ひとつ質問がありますわ。……あの複雑な魔法陣のエア・アローはなんですの?」

「擬態ってテクだよぅ。構築式に影響しないように無駄な構築式書いたり、数式を答えは同じでも途中式を無駄に多くしたりして、相手に魔法を悟られないようにするテク。上級テクだけど、覚えておいて損はないよぉー」

 二連勝。

 最高の勢いでバトンはリズに渡された。

「次は……、私」

 ゆっくりとした足並みでアーリアが戻ってくる。

「合格。しましたわ」

「当然、の、結果」

「おめでとうリアちゃんっ」

「喜ぶのは早いですわ」

 そう言ってアーリアは振り返る。

 そこにはメルティアがいた。

「頼みますわよ」

 彼女を一瞥してから、リズの肩を叩く。

「頑、張って、リズ」

「――うん」

 リズが一歩前に出た。

「リズちゃんなら出来るよーっ」

 鬼紗羅の声援を背中に、メルティアと向かい合う。

「自分を信じて」

 虹二が言う。リズが肯く。

「メルティアさん。お願いします」

「………………」

 沈黙。

「ごめん」

 そして謝罪。

 全員が首を傾げる。

「十分でいいからぁ、休憩していい?」

 全員がこけたのは言うまでもない。


   3


 膝を抱えながら、リズは瞑想していた。

 出来る。そう信じる。

 彼女の右手首にはブレスレッドが輝いている。

「解理の瞳、が、非常に、厄介。こっちの、魔法陣、を、瞬時に解、析してくる」

 と、チュリアが教えてくれた。

「カウンター使いと言っていた通り、後の先の腕前は見事の一言です。下手な攻めは逆効果でしょう」

 と、アーリアが教えてくれた。

 彼女たちが活路を教えてくれている。

 そしてなにより、虹二が教えてくれた。

 勝たせる。そう約束してくれた。

 思い出す。

 虹二が自分の部屋から出てきた日のことを。

 一枚の紙とブレスレッドを持った虹二は、リズと二人きりになるとその場で早速説明を始めた。

「俺が注目したのは三つ。まずはセルシウスさんの言っていた『リズはきっと凄腕の魔法使いになるわね』って言葉だ。これが励ましの言葉でもお世辞でもないとすると、一つの仮定が生まれる」

「仮定ですか?」

「ああ、彼女が何かを確信して。リズの才能に気付いて確信を持って言っていたってことだよ」

 虹二は楽しそうに続ける。

「そう考えると残り二つの点も気になった。リズが言っていた卒業試験は体調不良の状態で合格したって話と、魔力相撲では負けなしだったって話だ」

 そこから推論される答えはひとつ。

 簡単な答えだ。

 しかし、あまりにも前例がなさ過ぎて誰も気付けなかった。

 単純な話。

「リズ、君は魔力が多すぎるんだよ」

 それが全ての答えだった。

 規格外の魔力量。それが全ての原因だったのだ。

「魔力循環陣が耐え切れない程の魔力を流すから、魔法陣が瓦解して爆発するんだ。間違いない」

「でも、どうすればっ!」

「簡単な話だよ。魔法陣に送る魔力を調節すればいい」

「でも、もう一週間しかないんですよっ!」

 ブレスレッドを掲げて虹二は笑う。

「そのためのこれだよ」

 綺麗な装飾のブレスレッドだった。

「リズは体調不良なら魔法を上手く使えた。それは卒業試験を合格したことでも明らかな事実だ。魔力は精神に密接に関係している。精神が不安定とか、体調が悪ければ影響があるのは当然のことだよね」

 一息おいて言う。

「これは擬似的にその状況を作り出す封印系の魔法具だ。これがあれば君は普通に魔法が使用できる」

「本当、……ですかっ?」

「ああ、もちろん」

 もう既に泣きそうな彼女に追い討ちをかけるように、虹二はその紙を差し出した。

「魔導大図書館に申請して特許は取得した。これが、切り札だよ」

 下半身に違和感があってリズは現実に引き戻される。

 尿意だった。

「……」

 メルティアが休憩に出かけてから五分立つ。まだ間に合うだろう。

 そういえば虹二の姿も見えない。

「どうしたの? リズちゃん?」

「ちょっとトイレに」

「緊張してるからね。近くなるよねー。行っといでよ、メルティアなら待たせとくから」

「そ、そんなに時間掛かりませんっ」

 そう言ってリズは部屋を出て行く。

 不思議なことに信じられないほどに膨らんだ部屋の外は普通だった。

 どうやらあの部屋は一種の狭間の世界なのだろう。

「………………」

 結構限界だったので無言で急いでトイレに入る。

 近くにあって良かった。良かったが。個室に入って絶望した。

「和式」

 隣も。

「和式」

 最後のひとつも。

「和式」

 知識としては知っている和式便所。しかし、一度も使用したことがないそれで用を足すのは抵抗があった。

 仕方なく洋式便所を探しに行くことにする。

 どれだけ歩いたのだろか。耐え難い尿意を堪えながら歩いているため、距離感が分からない。

 長く歩いて遠くまできた気がするが、実際はそんな距離でないのかもしれない。

 何階なのかも分からない場所で、ようやく真新しいトイレを発見した。

 無我夢中で入る。

 洋式だった。

 用を足したリズは近くにあった時計を見る。もう二分もなかった。

 道は覚えている。急いで戻らなければ。


   4


 あの程度の戦闘で休憩を欲するわけがない。メルティアの目的は最初からこれだったのだ。

「こんな所に連れてきて、なんのつもりだよ?」

 試験場所から二つ階段を上り、少し歩いた所にある部屋で虹二はメルティアと向かい合っていた。

「そっちこそ、もう七年もこんな場所で何してるの?」

「管理員の何が悪い。重要な仕事だ」

「何を馬鹿なことを。管理員の代わりは百でも二百でも用意できる。でも、魔導司書の代わりはいない。分かるでしょ?」

 メルティアは珍しく本性で話していた。

 普段の猫被りではなく、本当の彼女で。それだけ本気ということだ。

「俺はあの場所にもう用がない」

「貴方になくても、魔導大図書館は……、いえ、魔法世界が貴方を求めているの」

「やめてくれ、もう捨てたんだ。全てを」

 吐き捨てるように言う。

「捨ててもいい。空っぽの貴方でもいい、戻ってくれれば」

「もう俺は戦う意味もないし、魔法を開発する情熱もない」

 何故メルティアがここまで自分を勧誘するのかが分からない。

「お前ももう諦めて魔導司書に復帰しろ。上からの任務でお前まで管理員することはないだろ」

「上からの命令はもう二年も前に取り消し。帰ってこいって言われてるよ」

「? じゃあ、なんで……」

「分からない? メルティア・レーベルヒルデが貴方に戻って欲しいから。だよ?」

「だから、なんでだよっ」

「ばか……。好きって意外に理由ないでしょ?」

「っ……!」

 面食らう。

 言葉にならない。

 あまりにも予想外過ぎたのだ。

 彼女の捨て身の姿に。見たことがない。いつも飄々と猫を演じているのに。

「俺、お前にあんまり良い印象与えたつもりないけど?」

「初めて会ったのは魔法学校五年生の頃。当時、天才ともてはやされていた私を、圧倒的実力と才能と努力で踏み潰した。そんな君はあっと言う間に飛び級して卒業して、手の届かない高みに行ってしまった」

 可憐な表情で儚く笑う。

 被りを脱いだよく知る同僚は、酷く魅力的だった。

「努力したよ。全然追いつけなかったけど。やっと一人前になったと思ったら、君は魔導司書辞めて失踪しているしさ」

 それでも追いかけた。

「魔導司書に合格して。君の居場所を知って、連れ戻すって契約で正式に魔導大図書館から派遣された。そして君に再会した」

 覚えている。

 久しぶりだね。と、言われて、君は誰? と返した覚えがある。

 泣きそうな顔をしながら。それでも猫を被って、笑っていた。

「これは契約違反。私はもう魔導司書でもなんでもない。君と違って才能もないから。私の才能なんて、魔導大図書館では平凡だから、そこに居場所はない。それでもいいの、ここにいるのは私の意思だから……」

 真っ直ぐな瞳で思いを零す。

「私が好きだったのは、あの頃の君なの。今の君も大好きだけど、魔導司書に戻ればきっと君はあの頃に戻れるからっ!」

 潤ませた瞳でメルティアは決定的な一言を叫んだ。


「アリウス、貴方が好きなの。あの頃の貴方が好きなのっ!」


 アリウス。そう、それが四條虹二の名前だった。

 もう捨てた。名前だった。

 そう、捨てたのだ。彼女の言うアリウスは、死んだ。


   5


「アリウス、貴方が好きなの。あの頃の貴方が好きなのっ!」

 耳を疑う。

 正気を疑う。

 そして現実を疑った。

「ごめん、もうアリウスはいない。君の知るアリウスはいないんだ」

「どうして、分かってくれないの?」

「全部捨てたんだ。求めたもの以外、その一切全てを捨てて生きてきた。それでも、一番大切なものを手に入れられなかった。つまり全て捨てたんだ。捨てるしかなかった」

 そう言って虹二は部屋を出て行く。

 残ったメルティアの嗚咽だけが残る。

 長く、残響する。

 泣きながら、メルティアは小さく呟く。弱々しい声で。

「諦め、ないからっ……」

 そしてリズの心は崩れ去る。

 信じて。と言った彼の顔を思い出せない。

 何を信じればいいのか分からない。

 黒い感情が、溢れ出す。抑える。抑えきれない。

 偶然だった。

 話し声が聞こえて。聞くつもりはなかった。

 「ばか……。好きって意外に理由ないでしょ?」なんてメルティアの声を聞いてしまえば、聞き耳を立てずにはいられなかった。

 今では後悔している。

 泣き止んだメルティアが部屋を出た。

 思考が混濁する。感情が溢れすぎて処理が追いつかない。

 アリウスへの積年の憎しみが爆発しそうで、それを虹二への気持ちがどうにか抑えていた。

 現実味がない。まさか会いたかった人物にもう会っていたなんて。

 会えば言ってやろうと思っていた言葉の数々が、何故か崩れるようにこぼれ落ちていく。

 しばらく待って、追うようにリズも部屋を出る。

 十分なんて余裕で超えていた。


   6


 相対するメルティアの目はよく見ると腫れていた。

 泣いた跡だ。

 注意しなければ気付かない。

「さぁて、メル休憩で全力全開だよぉ? 大丈夫かい問題児ちゃんっ」

 大した猫被りだった。分厚すぎる被り物だ。

「はい……」

 アーリアの、チュリアの、鬼紗羅の声援が遠く感じる。

 何故か、虹二の声は聞こえない。

 ――始め。

 体が反射的に魔法陣を展開する。ブレスレッドが淡く輝く。

 魔力が絞られる。思うように力が入らない。それが丁度良いくらいなのだ。

 リズにとっては。

「フレイム・アロー」

 無感情に二十本の魔法の矢を撃つ。

「うそぉっ!」

 メルティアが驚愕する。

 魔法が成功するとは思っていなかったのだろう。

 これがブレスレッドの力だ。

「ブラストバーン・ショット」

 全方位に炎系の魔法散弾を発射して相殺された。

 それを無感情に見つめて、もう一度魔法陣を展開する。

 ――ああ、体が重い。

「? 遅いよぉ」

 メルティアのフレイム・アローが五十本。放たれた。

 早い。詠唱の速度が違いすぎる。

「フレイム・アロー」

 二十本を相殺する。

 残りは回避する。目を背けずに、体を駆使してかわす。

 数本、障壁を貫いた。もう、障壁が砕けてしまった。左腕に二本程食らった。

 もう使えない。構わない。足がやられていなければ。

「凄い、よくかわしたねぇ」

 遠い。メルティアの声がやけに遠く感じた。

「おかしいよっ」

 鬼紗羅が叫ぶ。

「おかしいですわ」

「らしく、ない、よっ、リズ」

 アーリアもチュリアも異変を感じていた。

 もちろん虹二も。

「どうした? リズ……」

 劣勢だった。

 勝ち目などない。

 障壁は消え。

 思考も出来ない。

 本能的に生きようと逃げているだけ。

「なんでよぉっ? なんで魔法の矢が当たらないのぉ? というか、障壁破れたんだから、諦めてよぅ。時間一杯までは試験官は手を休められない決まりなのぉっ」

 どうして。どうして、嘘をついたの。

 嘘吐きのアリウスさん。リズの思考は混濁する。感情が渦巻く。

 セルシウス先生。大切なセルシウス先生。貴方の大切な人は嘘つきです。

 意識が薄れる。

 リズは一度全てを失った。ありふれたどこにでもある不運で、彼女は全てを失い絶望の底の底まで落ちていった。

 手を引いたのはそう。セルシウスだ。

 彼女のおかげで、彼女がいたからリズは生きられた。壊れた心を掻き集めるように、なくしてしまった想いを紡ぐように。

 霧散しそうな怒りをかき集める。

 そう、彼女は憎しみをぶつける為に努力してきた。彼女の原動力はアリウスに対する負の感情だ。許せない。セルシウスを孤独のまま、絶望の淵で逝かせてしまった彼を、許すことなんて出来る筈もない。

 憎もう。恨もう。怒ろう。負の感情で埋め尽くそう。

 リズはアリウスに懺悔させるために、セルシウスに詫びさせるために生きている。

 頭痛が、《――背中が見える。》記憶の奥深くの欠片が訴える。何かを。

 メルティアに向かって、虹二いや、アリウスは確かに全てを捨てたと、そう言った。

 捨てたの? 姉を。あんなに優しくて、弟想いな姉を。捨てたの?

 どうして? 何故?

 きっと寂しかっただろう。言葉出さなくても、伝えることが出来なくても。セルシウスは他でもないアリウスを求めていた。リズではダメなのだ。他の誰でもなく、世界でただ一人、何よりも大切で何よりも愛おしい弟でないとダメなのだ。

 それを捨てて、生きたというの? なんの為に。

 痛い。左腕が血だらけだった。

 痛い。右肩が貫かれた。

 痛い。痛い。痛い。でも、一番痛いのはこの心だ。

 信じていたのに。裏切られた。他でもない虹二に。

 彼女は全てを打ち明けたのに。晒したのに。彼は隠していた。隠して、内心何を思っていたのか。

 嘲笑っていたのか。他人であるセルシウスの為に、態々こんな努力をしてアリウスに恨みを伝えようとする彼女を。彼はくだらないと、あの優しい仮面の下で罵っていたのか。

 ずるい。と、そう思う。

 酷い。と、強く思う。

 代われるものならば、リズはアリウスの代わりにセルシウスと一緒にいたかった。寄り添いたかった。一緒に逝ってもよかった。

 しかし、リズにその資格はない。その資格を世界で唯一持つ、彼がどうして傍にいてやらないのだ。

 黒い感情が燃え上がる。負の感情が心を蝕む、その度に強い頭痛が襲う。

 ――その背中は記憶の奥深くに刻み込まれている。

 遠くで応援する男を見て。

 貴方はだぁれ? と思う。

 リズは問う。

 四條虹二。

 アリウス。

 優しいお師匠様。

 残酷な魔導司書。

 どっち?

 その姿はどっち?

 分からない。何故、優しくするのか。リズの知る、四條虹二とアリウスと言う男はあまりにも違う。別人だ。重ならない。本当に同一人物なのか、同姓同名の別人ではないのか。

 そんな甘い誘惑に逃げそうになる。駄目だ、それはある意味で彼を許す行為だろう。

 七年間が彼を変えた? だとしても、彼の罪が消えることはない。彼がどれほど懺悔して、悔い改めても、セルシウスは戻っては来ない。彼女が孤独のままこの世を去った事実も消え去りはしない。

 想像できるだろうか。

 親が死に。病で先も長くない。唯一の心の拠り所である弟も遠くに。それでも誰にもあたらず、痛みは全て抱えて。苦しさは全て押しとどめて。笑うのだ。リズのような少女を想って笑うのだ。笑顔を振りまくのだ。幸せを、生きる尊さを語るのだ。

 それがどれだけの苦行か。どれだけ過酷で、度し難い艱難辛苦か。

 少なくともリズだったら笑えない。同じ立場だったら耐えられない。

 そんな彼女が口にも出さずに、唯一望んだそれを。叶えられない世界なら、壊れてしまえばいい。

 そういえば、何故こんな辛い戦いをしているのか。

 そうだ。

 リズ・シーランドはアリウスに出会うために戦っている。

 文句を言って。罵って、手紙を渡すために。

 読んで彼は後悔するのだ。きっとそうだ。

 それだけをリズは見たい。

『君が彼に出会うことを望むのならば、魔法学校に入学して魔道司書を目指しなさい』

 そう、だからリズは目指している。

 では、もうこの戦いは必要がない。そうだ、彼に会えた今、この戦いに負けて良いのだ。

 そんな単純なことに気付いた瞬間、体の力が抜けた。

「リズっ」

 アーリアが叫ぶ。

「リズ……っ」

 チュリアが。

「リズちゃんっ」

 鬼紗羅が。

 状況は最悪だった。

 メルティアの魔法を障壁なしで受け続けている。

 瀕死だろう。

 死にはしない。メルティアはそんな下手な魔法使いじゃない。しかし、手は休められない。

 なぶり殺しだ。

 終わらない。まだ時間はたっぷりとある。

 まるで拷問だ。リズもメルティアにとっても。

「っ、酷い人っ、こんなにリズを痛めつけてっ」

「違う、メルティアはそんな奴じゃないよ。あいつも辛いんだ」

「そんなのどうでもいいよ、今は声が枯れるまで応援しなきゃっ!」

 声が聞こえる。

 遠くから。残響のように。やめてよ。とリズは思う。

 この声がなければ眠れるのに。

 寝れば、楽になるのに。

 痛みからも。苦しみからも。憎しみからも。逃げられる。

 負の感情はとてもエネルギーがいる。原動力たるそれは維持するのがとても難しい。誰かを憎しむ、恨む、怒る。そういった感情は持続させるのがとても難しい。

 時と共に消えていくそれを、思い出を、楽しかった記憶を思い出して寄せ詰めるのだ。

 負の燃料を注ぎ込むのだ。

 燃え上がれ。黒い感情。そうやって鼓舞してようやく保てる。

 頭痛が、酷い。《――背中が。》ちらつくのだ。赤に染まった記憶に、光が差し込むように一瞬だけ、その背中が見えるのだ。

 何故か、燃料を失いかけている心とは裏腹に。勝手に体が動いてしまう。

「頑張れっ」

「私たちがついてますわっ」

「諦めないでっ」

「まだ終わりじゃないよっ!」

 空っぽの心に注ぎ込まれる何か。それは温かい声援だった。それさえも、今のリズには辛すぎる。

 これ以上何を頑張ればいいのだろうか。何を信じればいいのだろうか。諦めてはいけないのだろうか。ここまで来ても、まだ終わりではないのだろうか。

「――――っ」

 一人の声だけ聞こえない。

 《背中が》

 モヤモヤとして聞こえない。

 《強い背中が》

 低い声のような気がする。

 《優しい背中が》

 優しい声のような気がする。

 頭痛が鋭く酷く、リズに訴え掛ける。

 その声は誰。四條虹二なのか、それともアリウスなのか。

 分からない。

 恨めばいいのか。信じればいいのか。憎めばいいのか。許せばいいのか。

 教えて下さい。セルシウス先生。思い出の人は答えない。黙って笑うだけで、答えはくれない。

 混濁した意識で、

 赤が。

 見えた。

 記憶の奥深く。忘れてしまった。それを、すくい上げる。

 重なる。何が? 他でもない。四條虹二とアリウスだ。


 ――何故か、見覚えのある背中だけが記憶に引っかかった。


 それだ。

 赤い絶望で。

 背中を見たのだ。

 だから生き延びた。

 立ちはだかった野党を倒したその背中と。

 一人でケルベロスに立ち向かったその背中が。

 何故か綺麗に重なった。

 アリウスの背中と、虹二の背中だ。

 そう、とても簡単なことだった。一緒だった。

 どちらも優しい。

 優しい姿だった。

 視界が開かれる。

 音が鮮明に。

 痛みも明確に。

 目の前にメルティアがいた。

 もう、聞こえなかった声が聞こえる。

「俺を、信じろっ!」

「信じますよ。いい女は……、男に騙されてなんぼですっ」

 立ち上がる。

 信じてみようと思う。彼女が見た、彼女が感じた彼を。

 彼の口から聞きたいと思った。

 それを真実だと思おうと決めた。

 ではさっさと負けてみるか。――否、断じて否。

 頑張る理由がない? そんなことはない。そんなのはリズの勝手な思い込みだった。

 戦う理由なんて。勝つ理由なんて。頑張る理由なんて。

 この声援と。

 信じろと叫ぶ声と。

 あの背中への憧れだけで、あまりにも充分過ぎる。

「かわせない魔法ならどうっ?」

 メルティアが魔法陣を展開させる。

 リズも展開した。デカイ。とんでもない大きさの魔法陣だ。

 構築式も難しい。計算も難しい。しかし、一週間毎日これだけを練習してきた。

 だから、出来る。

「まだ、抗う気力が……っ!」


   7


「俺がリズのためだけに考えて発明した、君だけの魔法だ」

「私だけの魔法?」

「そう。……発動に幾つか条件があるが、一度発動したら絶対にリズを勝利させる。奇跡みたいな魔法だ」

「そんな魔法可能なんですか?」

「ああ、他でもないリズだけが可能なんだ」

「私だけ?」

「えっと、これ、なんで平仮名混じっているんですか?」

「寝不足だから、ボケてたんだろうね。後で変えるよ」

「いいえ、なんだか可愛いからこのままでいいです。……これが私の、私だけの魔法」


   8


「アストラル・ジェレネイドッ!」

 メルティアが放つ。

 球体の破壊魔法。中級の上位魔法で、遠隔操作が可能だ。

 遠隔操作魔法。条件クリア。

 中級魔法。条件クリア。

 放出系魔法。条件クリア。

 ――条件オールクリア。

「いきます」

 リズはその魔法を開放した。

 鎖がメルティアの放った魔法を貫いた。

 瞬間。虹二が叫んだ。

「発動したっ!」

 虹二の尋常ならぬ雰囲気を感じ取った三人が、残りの力を振り絞って叫ぶ。

「今ですわっ!」

「……決めてっ!」

「リズちゃんここだよっ!」

 声援が力になる。


   9


「魔法は簡単な仕組みなんだ。要は強制的に魔力相撲に持ち込む」

「魔力相撲ですか?」

「相手の魔法を鎖で貫いて、その鎖が遠隔操作の繋がりを辿って魔法の発動主まで貫く。この瞬間にリズと相手の魔法と相手は一直線に繋がる」

「そこから魔力相撲になるんですか?」

「いや、確実に魔力相撲に移行するために色々効果がある。鎖が両者を繋いだ瞬間に、相手は発動中の魔法のキャンセルと新しい魔法の詠唱を禁止される。やれることは鎖を通じて魔力を送ることだけ」

「凄いですね……」

「さらに確実に倒すためにとある仕掛けを施したんだ」

「仕掛け、ですか?」

「ああ、鎖を伝った魔力は最初に貫いた魔法に蓄積されてその威力を上げる。もちろんリズの魔力もだ。押し合いが続けば続くほどに威力は増大する」

「魔力相撲に……、押し合いに負けた方が、その絶大な魔法に直撃するんですね?」

「そう、そして多分間違いなく君に魔力の押し合いで勝てる人はほぼいない」


   10


 発動すれば確実に勝利する。

 鎖が遠隔操作の繋がりを辿って、メルティアに突き刺さる。

 この瞬間彼女はアストラル・ジェネレイドをキャンセルすることも、新しく魔法を発動することも出来なくなった。

 可能なのは鎖に魔力を送ってリズと魔力相撲をすることだけ。

 リズはブレスレッドを外す。

 抑えられていた魔力が爆発した。

 メルティアも魔力を爆発させるがまるで勝負になっていない。

 膨らむ。

 押し合って、蓄積されて。

 増大する。

 輝く。

 一番星のように。

 その名は、ラテン語で一番星と言うらしい。

 リズだけの、魔法。

 その名を――。


「ぷりま・ステラッ!」


 一番星が緩やかにメルティアに直撃した。

 当然耐えられるはずもなく、障壁を粉砕して衝撃で彼女を気絶させた。

 仰向けに倒れるメルティアを見て。

 虹二が叫んだ。

「合格だっ!」

 全員が絶叫した。

 リズも、幸せな顔で気絶した。


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