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ぷりまステラ  作者: 季水東吾
ぷりまステラ1
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 第三章 輝く星と輝かない星

何かが物足りない気がするんですが、それが何か分からない。……うーん、精進します。



 アリウスには姉がいた。

 たった一人の肉親だ。

 大切な、人だった。

 名前はセルシウス。聡明で優秀な魔法使いである。

 幼い頃より両親を亡くしたアリウスには唯一の拠り所。他に代用できない精神的支柱となっていた。

 また、姉も弟を守ることで己の自己証明を続けてきたと言える。

 故にこの兄弟は互いに互いが生きる意味を預けてきたのだ。

 それは依存とも呼べるような不安定な関係だったのかもしれない。

 それでも、二人は不器用に生きていたのだ。

 魔法世界の片隅の、山の奥、森の奥の人の少ない田舎町で。

 戦争の悲鳴は程遠く。魔法の残響は程遠く。

 二人だけで完結していた世界は脆くも崩れ去る。

 不運。それに名前を付けるならばそれ以上に相応しい言葉もないだろう。

 不治の病。

 名前もなく、前例もなく、原因も不明で、治療方法も不明。やがて確実に死に至る病気が、セルシウスの体を蝕んだ。

 アリウスが十の誕生日を迎える、一ヶ月前の冬の出来事であった。

 春を目前に控えた時期だった。

 両親を失い。悲しみを背負い。

 戦争に奪われ。争いを憎しみ。

 姉を愛し。姉を奪われる。

 そんな少年は覚悟した。

 姉を救う覚悟を、だ。

 町一番の医者はこういった。

「余命は三年、それ以上は無理だろう」

 ならば三年間で姉を救う方法を探し出す。

 姉を救うためにならば手段は選ばない。

 アリウスは誓う。

 必ず姉を助けると。


   1


 嫌な夢を見ていた気がした。

 しかし目覚めてみれば夢の内容なんて欠片ほども覚えてはいない。

「朝か……」

 窓から差し込む陽の光で夜が明けたことを確認する。

 寝ていたのは勿論自分の部屋にあるベッドだ。

 上半身を起こして自分の体を確認する。

 ケルベロスに付けられた傷はかなり深い。そのどれもが重傷で、治癒系統の魔法を使ったとはいえ一日で治るはずもない。

 しかし虹二の体には傷ひとつなかった。

「相変わらずデタラメな体だよね」

 どんなに深く酷い傷を負っても、死にさえしなければほぼ一日で完治する。それが虹二の持つ特殊な体質だった。

 その体質を知っていても泣くほどに心配する鬼紗羅には困ったものである。泣き疲れて眠れるまで一緒にいてやる人間の身にもなってほしいものだ。

 目覚ましよりも早く起きてしまったので虹二は目覚ましの設定を止めると、ゆっくりとした足取りで部屋を出る。

 そのまま一階まで降りて洗面器で顔を洗う。

 冷たい水で目を覚ましてから、キッチンで紅茶を準備してリビングのソファーに腰を下ろした。

 静かな早朝の時間を緩やかに過ごす。

 そんな穏やかな時間に介入する影があった。

「おはよぉ」

「おはよう。昨晩はよく眠れた?」

「うん、」

 現れたのは鬼紗羅だった。虹二のワイシャツだけを羽織るという格好で寝ていたため、その裾やボタンとボタンの隙間から彼女の綺麗な肌やら下着やらが見え隠れしている。

 朝から扇情的な姿であった。

「虹二が最後までシテくれたから」

「よく分からない言い回ししないで。俺の品格が疑われる」

「怪我、大丈夫なの?」

 心配そうな顔で聞いてくる。

 そんな心配そうな顔をされても困るのだ。虹二は鬼紗羅と同じなのだから。

「俺の頑丈さはお前が一番よく分かっているでしょ」

「だけど……」

「この話は終わりだ。それよりも、あの三人だよ」

 言いながら虹二は天井を見上げる。

 つられて上を見た鬼紗羅が悲しそうに言った。

「あの怪我じゃいくら治癒魔法で回復させても、三日はベッドから出られないよ。完治は早くて三週間?」

「くらいが妥当だろうね。残念だけど、試験に合格するのは難しいだろうね」

 比較的怪我の浅いアーリアは問題ないだろうが、リズとチュリアは傷が深すぎた。

「本気で夢を諦めさせるの? 今回のことはイレギュラーでしょ?」

「残念だけど、一度出した条件は取りやめないよ。例外は認めない」

 含み笑いを隠さずに虹二は続ける。

「けど、こんなことで諦めるような彼女じゃないと思うよ。それに、可能性はゼロじゃない」

 どこからくるのか分からない自信で虹二は言う。

 正直鬼紗羅にはリズの試験合格は絶望的と思えた。最初から途方もなく難しい難題を、一ヶ月も無駄に浪費して達成しなければならないのだ。

 それはもう、不可能。可能性ゼロと称しても過言ではないだろう。

「とりあえず彼女らの朝ごはんを作ろう」

「作る?」

「栄養補助食品じゃまたアーリアに怒られるからね、俺だってお粥くらい作れる」

 そう言うと虹二はキッチンで調理を始めた。

「………………」

 一人リビングに残された鬼紗羅は小さく、虹二に聞こえない程度の声で呟く。

「ちょっと、明るく前向きになった……? 嬉しいけど、それはそれで悔しいような……」

 虹二の家族を除けば虹二と最も長く一緒にいたのは間違いなく鬼紗羅だ。

 そして一番虹二を愛しているのも鬼紗羅だと彼女は自負している。それはもう彼宛のラブレターやメールを嫉妬に狂って彼が気付く前に処分するほどに。

 意外と異性にモテるのだ。四條虹二という男は。

「むー、やはり納得が……」

 繰り返し呟きながら鬼紗羅はソファーに倒れこむ。

「おはようございます」

 その声を聞いたのはそんな時だった。

 そこにはTシャツにミニスカートというラフな格好のアーリアがいた。

「おー、おはよう。もう大丈夫なの、リアちゃん」

「ええ、私はそれほど傷が深くなかったので。それと、リアちゃんはやめて下さい」

「え、なんで? 可愛いじゃん、リアちゃん。あたしのことは鬼紗羅たんでいいよ?」

「……鬼紗羅たん、四條虹二さんはどこに?」

「キッチンにいない?」

「いませんわ」

 それはおかしい。虹二は間違いなくお粥の調理でキッチンにいるはずなのだが。

「お、アーリアおはよう。もう大丈夫なの?」

「おはようございます。……ええ、大丈夫です。お気遣い無くというよりも、四條虹二さんこそ平気なのですか?」

 驚いたことに、虹二の声が聞こえたのは階段の方からだった。

 どうやら一度二階に行ってから一階に降りてきたらしい。

「俺ならもう完治したよ。体が丈夫だからね」

「虹二、どこいってたの?」

「自分の部屋にね。グーグル先生にお粥のレシピ聞いてた」

「? どういうことですの?」

 アーリアが首を傾げる。

 それを見た虹二が簡単に説明を始めた。

「アーリアはともかく、リズとチュリアは結構重傷だろう? 消化に良い食べ物を作ってあげようとね」

「失礼ですが、……料理の腕前は?」

 アーリアの質問に虹二は胸を張って堂々と答える。

「ない。ほぼ、ないっ!」

「自慢することではありませんわっ」

 アーリアはそう叫びながら頭を抱える。それを見て申し訳なく思うが、これまでの人生で料理に縁などなかったし、必要もなかった。

 故に虹二に料理の経験がないのは必然なのだ。

 紅茶は好きなので自発的に作るがそれだけだ。

「仕方がありませんわね。……材料はあるのですか?」

「米と調味料くらいは」

「キッチンをお借りしますわ」

 そう言うとアーリアは虹二を押しのけてキッチンで料理の準備を始めてしまう。

 その姿があまりにもてきぱきしていたので、手伝うとも言えずに虹二はリビングに逃げてしまう。

「追い出されてしまった」

「凄いねぇ、ああいうのを見ていると女の子って感じがするねぇ」

「お前が言う台詞ではない。間違いなく」

 虹二がソファーに座ると鬼紗羅がおもむろに膝に頭を預けてきた。それにしても無防備な姿だ。

 彼女の短いシャツの裾から下着が見え隠れして落ち着かない。

「パンツ見えてるよ」

「見せてるの」

「隠せよ」

「いやんっ」

 虹二は彼女の体を視界に入れないように窓の外を見る。そこにはそれなりに手入れされているが、どこが寂しげな庭が広がっていた。

 一軒家の庭としては広い部類に入るだろうそれを完全に持て余している。

「お前の汚い下着なんか見たくない」

 心にもないことを言うと、鬼紗羅が反応して微妙に動いている。

 気になって視線を少し彼女の方に向けると言葉を失いかけた。

「おい、脱ごうとするなっ!」

「? 具が見たいって意味じゃないの?」

「具言うなっ! ……、違うよ。下着を隠せって意味だ。俺ははしたない女性より慎ましい女性の方が好きだ」

「それウソだよ、慎ましい女性が好きな人があんなハレンチな本読みませんよーっだ」

「………………おかずと好みの女性の趣味は必ずしも一致しない」

 それにしても何故鬼紗羅は虹二の本の隠し場所を把握しているのだろうか。恐ろしい。

 もしや動画のファイルまで把握しているのでは。と、そこまで考えて思考を停止した。推測することでさえ恐ろしい。

「おかずなんていらなくない? ここに美少女いますよ? 都合の良い女いますよ?」

「都合が良すぎて怖いんだ。お前の場合……」

「要約すると虹二はヘタレで超絶草食系男子?」

「それでいいよ、もう」

 頭を虹二の膝に擦りつけるように鬼紗羅は甘えてくる。まるで主人に匂いを付ける猫のようだ。

 それを拒否することもなく、受け入れる訳でもなく、非常に微妙なスタンスで虹二は好きにさせている。

 それがまるで鬼紗羅と虹二の距離を表しているようで苦笑してしまう。

「十年後も、二十年後も、この位置はあたしのもの」

「猫みたいなやつだよ、お前本当に」

「猫でもいいよ。一緒にいられるのなら」

 そうして暫く穏やかな時間がゆったりと過ぎる。

 そんな時間に終わりを告げたのは他ならないアーリアだった。

「出来ましたわ」

 彼女の声に反応して起き上がる鬼紗羅。食べ物に関しての反応がすこぶる良いのだ。

「お前の分はないんじゃないのか?」

「そしたらリアちゃんにあたしの朝ごはん作ってもらう」

「それもいいかもな」

 そう言って立ち上がると、虹二はキッチンに向かう。

 それを見たのは本当に偶然だった。

 宙を舞う土鍋。遊ぶように踊るようになびく銀髪。吹っ飛ぶスリッパ。

 その全てがお粥を運ぶ途中で転んだアーリアを表していた。

 この時虹二は選択を迫られた。

 単純にアーリアを救うか、土鍋を救うかの二択だった。ちなみに両方救うにはあまりにも距離が足りなすぎた。

 悩む時間はない。悩む時間は確実に両方を救えない結果に繋がる。

 故に本能的に虹二は優先順位が高い方に手を伸ばした。

 つまりお粥の入っている土鍋だ。

 この葛藤を虹二は自分の胸にしまうことを心に決めた。

「ふぎゃっ」

 アーリアの悲鳴で彼女が顔面から床にぶつかったことを知る。だが土鍋は無事だ。きちんと虹二が両手で掴んでいるのだから。

「アーリア、お粥は無事だ」

「……久しぶりの料理と勇んだ結果、油断して足元をすくわれ転ぶ私。顔面から床に突っ込む無様な姿。笑いたければ笑えばいいのですわ」

「いや、笑わないって」

「それはなにっ? 蔑みですか? 心の中で見下しているのですか? この無様な私をなんだと思っていますのっ?」

「えー、凄く絡まれてるだけど俺。……今ならクレーム対応のアルバイトの気持ちが分かるような気がする」

 取り敢えず分かったことだが、アーリアはしっかりしているように見えて実はドジだ。

 それもドジをしたことを認めずに逆ギレする面倒くさいタイプのドジっ子だ。

「落ち着け、パンツも見えてるし」

 そう、アーリアのパンツが虹二の視界にしっかりと収められていた。

 彼女が転んだ時の衝撃で彼女のミニスカートが盛大に捲れて、お尻とショーツが丸見えになっているのである。

 顔面を強打した彼女はお尻を突き出すような格好になっており、扇情的なように見えなくもない。

「お、おおおお、おち、……おちちゅっ」

「? なに?」

「落ち着ける訳ありませんわぁぁぁぁぁあああぁぁあぁあぁぁっ!」

 突然部屋中に響き渡るような絶叫と同時にアーリアが勢い良く立ち上がる。その時スカートを整えることも忘れてはいない。

 そしてそのまま彼女の長く細い足が虹二の腹を打ち抜いた。

「ごほっ、……まさかの物理っ!」

「何度私を辱めれば気が済みますのっ!」

「いやいや、ほぼ自滅だから君の場合っ」

 続いてアーリアは虹二の脛を爪先で蹴る。地味に痛い。

 このままではお粥を死守するのは難しいだろうと素早く判断した虹二は、鬼紗羅に視線で二階の二人に持っていくように促して土鍋を投げる。

「任されたっ」

 宙に浮いた土鍋を見事掴み取った鬼紗羅はその自らの手にある土鍋を数秒凝視してから。恐らく自分で食べるという欲求と戦っていたのだろう。素早い身のこなしで二階へ駆け上がっていく。

「どうしてこう何度も私の下着を見るのですかっ!」

「見たくて見ている訳じゃないって」

「失礼な、見る価値すらないとでもっ?」

「面倒くさいな、君っ」

 この会話の間もアーリアの素人格闘術が続いている。

 そして何故か鬼紗羅が土鍋を持って階段を降りてきた。そのままの勢いでキッチンに向かっていく。

 そこで虹二も気付く。多分彼女は食器等を取りに来たのだろう。

「頼んだぞ」

「はーい」

 短く言葉を交わして虹二はアーリアの相手に集中する。

 しかし、どうやら彼女の気が済んだらしく攻撃の意思は見えなくなっていた。

「ひとつ、聞きたいことがありますわ」

「いいよ、なんでも聞いて」

「どうして、あの場に駆けつけられましたの?」

 あの場とはケルベロスに襲われたあの空間のことだろうことは直ぐに察せられた。

「いや、あの場に駆けつけられたのは偶然と言ってもいいんだ。俺はあんな所に君らが迷い込んでいるとは思わなかったから」

「ではどうして四條虹二さんはあの場に?」

「それを説明するにはあの空間のことから説明しなけりゃならないし、面倒だなぁ……。偶然駆けつけた、それだけじゃだめ?」

 不満そうな素振りを見せながらも、アーリアは渋々と引き下がった。

 その日はリズもチュリアもベッドから起き上がることが出来なかった。

 そんな二人を甲斐甲斐しく鬼紗羅とアーリアは世話している。虹二だけが何も出来ずに後悔だけを募らせていた。


   2


 アリウスの作った記録は伝説的であり、歴史を紐解いてもその偉業に肩を並べる逸話は寡聞にして聞いたことがない。

 今も尚語り継がれている。

 彼は、彼こそがまさに天才だと。

 本来魔法界では六歳になる歳に魔法学校に入学して、魔法にまつわる学問を学ぶ。しかし、アリウスは九歳まで地球の日本で暮らしていたために、魔法の知識など一切なく、使える魔法もなかった。

 魔法の基礎中の基礎である魔力循環陣の展開でさえも出来なかったのだ。

 だが彼には目的があった。

 姉を助けるという、唯一にして絶対の願望だ。

 手段は選ばない。代償も躊躇わない。それだけの覚悟があった。

 彼女を助ける希望は魔導大図書館にしかない。その結論に辿り着くのに時間はそう必要なかった。

 故に彼は死に物狂いで学んだ。偶然にも、奇跡的にも、あるいは運命的にも彼には才能があった。

 他ならぬ魔法の才能だ。

 それも普通の才能ではない。鬼才と呼ばれる、天才の中でもさらに異質的な天才だった。

 だからこそ彼は僅か二ヶ月で、何も知らない状態から魔法学校卒業生レベルの知識と実力を手に入れた。

 編入試験の結果で彼に振り分けられた学年は五年生。彼の年齢よりもひとつ上の学年である。

 入学してからも同じ速度で成長したアリウスは、在学中に飛び級して最高学年となった。

 その結果、彼は入学してから僅か一年で正式に魔法学校を卒業したのだ。

 これが彼の最初の伝説だった。

 しかし、それでさえも伝説の始まりに過ぎない。


   3


 それは突然のことだった。

 ケルベロスの件から三日が経過したその昼、ようやくベッドから上半身を起こせるようになった二人のうち一人から大事な話があると呼び出されたのだ。

 虹二は呼び出した本人の部屋の前で深呼吸をする。あまり楽しい話題で呼び出したわけではなさそうなので、いささか緊張してしまう。

 多少落ち着いてきたので思い切って扉を開けようとして、……止めた。

 虹二は馬鹿ではない。流石に学習している。

 右手で扉を三度叩く。ノックだ。彼女らが来てから習慣化したマナーのひとつである。

「どうぞ」

 声の主、リズに許しを貰ったので虹二は扉を開けて部屋に入る。

 女の子独特の香りにドギマギしながらベッドの近くまで歩く。彼女の顔色は良い、どうやら順調に回復傾向にあるらしい。

「単刀直入に言います」

「うん、どうぞ」

「お願いがあります。資格試験の修行を、せめて座学だけでも教えてください。このままでは時間が足りなくなってしまいそうで……」

 返す言葉に困った。

 確かに時間は惜しい。彼女の場合は時間がいくらあっても足りないだろう。

 しかし、そのお願いを聞き入れることは難しかった。

「それは出来ない相談だね。君たちは体を治すことに集中してもらいたい」

「きっと教えてもらったほうが早く治ります。試験が気になって最近眠れないし、不安と焦燥感で心も不安定なんです。きっとこの状態、体には良くない。……ですよね?」

 上目遣いでリズは言う。

 そんな目で見ないでくれ。そう嘆きたくなるのを虹二は必死に堪えた。

 他ならぬ彼女の為に譲ってはいけない。

「駄目だ。どう言おうと、それは許せない」

「体を動かす訳じゃないんですよ?」

「それでもだ。体調第一だよ」

「お願いします」

 必死の形相でリズは頭を下げる。違う、虹二はそんなことをしてもらいたい訳ではないのだ。

 それにしても切羽詰った雰囲気だった。

 それだけの意思を持って魔導司書を目指しているのだろう。

「どうして、そこまで魔導司書にこだわるの?」

「理由を言えば、修行をしてくれますか?」

「そこまでして理由を聞きたくはないね。とにかくこの話はなしだ。完治したら、俺が教えられることは全て教えるよ」

 そう言い残して部屋を出ようとした。が、部屋の出口で足を止めてしまう。

 とても弱い力だ。

 それでも、虹二の歩みを一歩たりとも許さない力があった。

 振り向く。

 そこには、ベッドから出て這うように体を引きずって虹二の袖を掴むリズの姿があった。

 その両眼に折れない意志と透き通った信念を宿して。

「お願い、しますっ」

「……、俺、弱いんだよな。こういうの」

 頭を掻きながら困った表情で虹二は笑った。

「やるからには、俺も中途半端はしない。講義中に倒れても知らないよ?」

「望む所です」

 虹二は肺にある空気を全て吐き出す勢いでため息を吐く。その次の瞬間には覚悟を決めていた。

 否、リズに誘発されて決めざるを得なかった。

「……十分後、君の部屋に全員を集める。チュリアは鬼紗羅にでも運ぶよう頼もう」

 そして十分後、敷布団に横たわるチュリアとその傍らに座るアーリア、ベッドで上半身だけを起こすリズの三人が彼女の部屋に集まった。

 講義をするのは虹二だ。どこにあったのか、準備がいいことにホワイトボードまで用意している。

 そしてその傍らには鬼紗羅がいた。

「……って、いるなよ。邪魔だよ。部屋から出てけよ」

「酷い。……あたしとのことは遊びだったのねっ!」

「うん、全面的にそうだから、はよ出てけ」

「いつもより扱いが雑っ?」

 崩れ落ちるように鬼紗羅は自然な動きで虹二に寄りかかって胸を押し付けてくる。豊満な胸が形を変えて密着し、その弾力や温かさや柔らかさを余すことなく伝えてくる。

 しかしそんな誘惑で篭絡される虹二ではなかった。

「ハウス」

「犬じゃないよっ?」

「ドードードー」

「馬でもないよっ?」

「ちんちん」

「まんまんならお見せ出来ますがっ!」

「ごめんなさい、調子乗りました。勘弁してください」

 正直虹二は鬼紗羅を甘く見ていた。この女、三人もの少女が同じ部屋にいようが躊躇なく脱げるらしい。虹二に求められれば。

「……わざわざ三文芝居を見せるために私たちは呼ばれたのですか?」

 アーリアの冷たい言葉と視線が虹二を貫く。心なしかリズやチュリアの視線も冷たい気がした。

「違うよ、今から資格試験に向けた修行の座学編を始めようかと」

「本当ですの?」

「……やっと」

「お願いします」

 前のめりになる三人を手で制すと、虹二は鬼紗羅に一言だけ言っておく。

「居てもいいが、邪魔はしないでくれよ?」

「前向きに善処するよう検討します」

「何も了承してないね、それ。……まぁいいや、それじゃ講義を始めます」

 講義を進める中で、虹二には改めて分かったことがふたつあった。

 ひとつは鬼紗羅が大人しくしている訳がない。ということ。

 もうひとつは、リズの勉強の出来なさは絶望的だという事実だった。

「よく卒業出来たねっ!」

「チェリーの助けがなければ不可能でしたっ」

 虹二の悲鳴のような叫び声に、元気よくリズは胸を張って答える。実に力が抜ける光景であった。

「チュリア、どうやってこの子卒業させたのさ」

「根、気と一夜、漬け、と運です。主に、八割以上は運、です」

「運か、成程。よし、リズ試験は諦めてね」

「嫌です」

 頭を抱えて虹二は床を転がりまわる。

「魔力生成の仕組みや魔法陣の構築基礎さえも修めてない子に何を教えればいいんだよ」

 きっとリズの担任を勤めてきた教員を何人も何度も悩ませてきた難題なのだろう。それに、今まさに虹二が直面していた。

「四條さんならきっとやれますっ!」

「君が励ますのはおかしいよねっ? もっと自覚を持ってっ」

「頑張ってください。私も頑張りますから」

「頑張るで補える範囲を超えているんだよっ」

 そう呻くように言うと虹二は沈黙する。

「…………………………………………………………」

 数秒、十数秒。そして数十秒が経過した。

「どう、しました、か?」

「返事がない。ただの屍のようですわね」

「勝手に殺さないでよっ」

 勢い良く立ち上がると、虹二は「暫く自習」とだけ言い残して部屋を出た。

「……まさかさじを投げて逃げましたの?」

「ま、た。逃亡?」

「そんな筈は……」

 否定したかったが前科がある以上リズは擁護出来なかった。

「四條虹二さんは逃げグセでもあるのでしょうか?」

「違うよー」

 ホワイトボードの隅でイタズラ書きをしていた鬼紗羅が伸びやかな声で言う。その言葉に反応して三人の視線は彼女に集中した。

「目が死んでなかった。ああいう時の虹二は信頼していいよ」

 確信を持った声だった。

 その自信は一体どこから来るのだろう。三人には不思議でならない。

 暫くすると確かに虹二は戻ってきた。その手に大量の紙を持って。

「これ、目を通して」

 言いながら虹二はリズにそれを渡す。チュリアやアーリアも興味津々で見守る中、リズはそれを読み始める。

 どうやら虹二の手書きの資料らしい。走り書きだが読むのに苦労はしない程度の綺麗さで書かれている。

 内容は試験の問題集のような感じだった。

「これは?」

 三人の疑問を代弁するかのようにリズが尋ねる。すると虹二は信じられない返答を返した。

「資格試験の予測問題集。恐らくその資料の少なくとも八割は似たような問題が出題される」

 半信半疑。それでも驚愕を隠せずに三人は資料を凝視する。

「それは本当ですの?」

「間違いないよ。俺もその試験受けてるしね、予想問題集くらい作るの難しくないよ」

「これがあれば……っ」

「言っとくけどグレーギリギリの半分反則手段だから。チュリアとアーリアは真面目に勉強しろよ、そもそも真面目に勉強したほうが絶対後々役に立つ」

 ケルベロスの件もあり特例の大サービスだった。

 これ以上ない甘い措置だ。

 リズに渡した問題集を完全に覚えるだけで八割の得点は期待できる。合格点が七割以上なので、非常に高い確率で合格出来るだろう。

「虹二って本当に甘やかすよねぇー」

 鬼紗羅の厳しい一言が胸に突き刺さる。確かに甘いのかもしれない。

 この選択は長期的に見れば、リズのためにはならないだろうことは虹二も十二分に承知はしていた。

 では何故彼女にこんな資料を渡したのか。理由は虹二自身も理解してはいない。

「これを全部覚えれば筆記試験は合格なんですね」

「ほぼ間違いなくね。だから、問題は実技試験だよ」

 それは大きな間違いであった。

 それをリズがその身をもって証明することになる。


   4


 リズとチュリアの怪我の完治まで断固としてアーリアは実技の練習をすることを拒んだ。

 二人はそんなことを望んではいないのだが、アーリアのプライドやらがそれを許さなかったらしい。義理堅いというか平等精神が尊いというか、どちらにしても真面目な少女であった。

 故に筆記試験に向けた座学だけが進んでいく。

 アーリアとチュリアは非常に優秀であった。

 吸収が早く、応用する柔軟さもある。積極性もあるし、何より慣れていた。

 効率的な勉強方法や試験対策という物を体に叩き込んでいる二人は、虹二にとって手間のかからない弟子といえるだろう。

 自分で考えても資料で調べても分からなかった部分を二人が聴きに来て虹二が答える。

 そんな少ないやりとりだけで二人は自分の知識をとてつもない速さで増やしていき、このままのペースで勉強すれば筆記試験の合格は間違いないだろう。と、虹二に確信させるほどの優秀さだった。

 問題はやはりリズだ。

 まさか予想問題集を暗記することにさえも四苦八苦するとは流石に思わなかった。

 記憶力に問題はない。いや、暗記は苦手なようだが反復でしっかりと覚えている。

 問題は応用力だった。

 問題文が少し変われば戸惑って時間を食い、問題文そのものを少しいじって答えに気付きにくくする、つまり引っ掛け問題となるとことごとくやられてしまう。

 きっと頭は悪くないのだろう。

 発想力や独創性、また頭の回転の速さは時折虹二さえも驚かせる。

 しかし彼女の脳は残念ながら全く持ってことごとく絶望的に試験には不向きであった。

 世の中の大半の人はそういう人に烙印を押す。

 馬鹿、と。

「リズ、君は間違いなく試験に向いていない」

「よく言われます……」

 そんな会話が行われても彼女は諦めなかった。

 どうやら、リズ・シーランドの辞書に諦めるという類の言葉は載ってはいないらしい。

 諦めてくれた方が、虹二としては楽なのだが。

 勉強漬けの日々が過ぎ、ようやく二人の傷が完治する日が来た。

 最初はチュリアで次がリズ。三日違いであったが、チュリアもアーリアも実技練習をしようとはしなかった。

 どうやら、強固な絆で結ばれた三人には三人の言葉に出さない誓いのようなものがあるらしい。理解に苦しむ。

 手段を選ばない。人を信用しない。顧みない。捨てていく。走り抜ける。遅い者は置き去りにして。駆け抜ける。

 そういう者だけが結果を手に入れられる。

 それをアリウスという愚か者が証明している。

 虹二はアリウスが嫌いであった。嫌悪している。憎悪している。殺してやりたいとさえも思ったこともある。

 消し去りたい。

 消えてくれるはずもない。

 虹二は実に嫌な気分で一階に降りた。

「アリウスのことなんか考えるもんじゃないな、気分が悪くなる」

「まだ……、許してないの?」

 背後から鬼紗羅の声がした。が、振り向かずに階段を足早に降りる。

 嫌な気分を引きずりたくはない。これから三人の弟子に会うのだから。

「虹二が許さないと、誰も許せないよ」

「許しちゃいけないだろ、絶対に」

 続けたくはない。この会話は今すぐにでもやめたい。しかし、思いとは裏腹に口は雄弁に語る。

「大切な人を見殺しにしたんだ」

「あたしが代わりに恨んであげる。絶対に許さずに、責め続けてあげる」

「お前が辛すぎるだろ、それ」

 苦笑する。いくら鬼紗羅でも、この重荷は背負わせられない。

「このままだと壊れちゃうよ、虹二が」

「壊れてくれていい。むしろ壊れてくれ」

 鬼紗羅の足が止まった。

 顔を見る。見て胸が締め付けられた。

 泣きそうな顔をしていたからだ。

「ごめん、言い過ぎた」

「虹二は嫌いでも、あたしはアリウスのこと好きだから。……酷いこと言わないで」

「……ごめん」

 どうして彼女はここまで優しくしてくれるのか。その意味に気付けないほど虹二は子供ではないし、鈍感でもなかった。

 それでも受け入れられない。

 受け入れる余裕がないのだ。

 虹二の中はアリウスと彼女のことで一杯なのである。

「虹二もアリウスも好きなんだよ、あたしは」

「ありがとう。ごめん」

 結局、少し暗い影を残したまま、虹二は三人に会う羽目になった。

「よーし、今から実技の修行を始める」

「まさかここで、ですか?」

 アーリアが疑問に思うのも無理はない。何せここは四條家の中庭。それなりに広いが運動するにも魔法を放つにも適当な場所とはお世辞にも言えない。

「いんや、魔法の練習に最適な場所がある。そして君たちはそこをもう知っているはずだよ」

「知っている。……ですか?」

 リズの問いかけに虹二はさてどこでしょう? という意味の笑みで返した。

 気付いたのはどうやらチュリアだけらしい。彼女さえも半信半疑といった様子だった。

「ま、さか、あの、ケルベロスが出た。空間で、すか?」

「正解」

「危険ですわっ」

「大丈夫、今回は鬼紗羅がいる」

「任せられたーっ」

 三人の少女が疑惑の視線で鬼紗羅を見る。その視線は本当に大丈夫かという不安で満ちていた。

 普段の行動や言動がああなのだから当然のことだろう。

「鬼紗羅、見せてあげて」

「はーい」

 そう明るく返事をした鬼紗羅は無造作に免許証のようなカードを取り出して見せる。

 それを凝視する三人の少女の顔が徐々に驚愕に染まっていく。

「「「『実戦魔法戦SSS級ライセンス』っ!」」」

 それは数ある資格試験の中で最も取得が困難な資格の一つであった。

 魔法使いの戦闘力を現す資格で最も上位な資格で、これを持つ者ならば確かにケルベロス相手にも引けは取らないだろう。

「というか、もう鬼紗羅さんが師匠で良いのでは?」

「……四條さん、よりも、優秀……?」

「え、リアちゃんチェリーそれは酷いよっ」

 三人の言葉を聞いた鬼紗羅は少し怒った顔で資格証の隅を指差した。

 三人はその指の置いてある箇所を読み上げる。

「資格種類」

「例外事項その1」

「使い魔」

 そして鬼紗羅を再び見た。

「「「使い魔っ」」」

 叫びながら虹二を見て三人は二人の間で視線を左右させる。

「鬼紗羅さんが、四條さんの使い魔なんですかっ?」

「というか、鬼紗羅さんは魔法使い。いえ、人間じゃないのですのっ?」

「驚愕の、新事、実っ」

 鬼紗羅は満面の笑みで改めて自己紹介をする。

「虹二の妻と使い魔と護衛と性欲処理と雑用とメイドとペットを兼任しております、四條鬼紗羅です。よろしくーっ」

「よろしくないよ。まともに自己紹介してよ。偽りだらけのその自己紹介を訂正しろよっ!」

「偽りの愛、それも大人の関係の一つだよね、ダーリン?」

「誰がダーリンじゃ、会話しろ。俺の投げた言葉のボールを受け取れ、そして返してくれ」

「ボールじゃなくてオタマジャクシなら受け取るよ。返さないけどっ」

「俺は宇宙人と会話しているのか?」

 会話が繋がっていない。意思疎通が図れていない。というか鬼紗羅の思考は虹二の物差しでは理解出来ない。

 そして出来れば未来永劫したくもない。

 宇宙人の仲間入りはご遠慮願いたいからだ。

「あの……、修行は?」

 リズの一言でようやく虹二も鬼紗羅に振り回されていることに気が付く。いつの間にか彼女のペースで全て進んでいるとは恐ろしい女だった。

「とりあえず簡単にあの空間について説明しておこう」

 そう言うと虹二は鬼紗羅の口にどこから取り出したのかガムテープを貼り付けた。

 このまま邪魔をされては話が進まないからだ。

「あそこは要するに空間の狭間だ。地球がある空間と魔法世界がある空間の間にある。普通では絶対にたどり着けない」

「でも私たちは簡単に迷い込みましたわ」

 アーリアの指摘に虹二は喜んで説明を続ける。丁度欲しい質問だったのだ。

「あそこは普通の狭間空間とはちょっと違う。意図的に開発されて意図的に残されているから、侵入も脱出も比較的簡単なんだ」

「意図的に?」

 虹二は鬼紗羅をガムテープでそのまま体ごと簀巻きにしながら続ける。

 この光景を見てなんとも思わないのだから、彼女らも慣れたものだった。

「あそこシェルターなんだよ。魔法使いの」

 鬼紗羅の簀巻きを完成させた虹二は魔法陣を展開する。

 ちなみに何故か鬼紗羅は頬を染めて喜んでいた。簀巻きにされて。

「戦争時にどっかの魔法使いが狭間の空間に目をつけて、民間避難用のシェルターを作った。そのうちの一つで今は使われていない残骸の中の、さらに一つがあの空間なんだよ」

 そこまで説明して虹二はそこに繋がる魔法を発動させて目の前に眩いくらいに光る、人一人分の大きさの卵型の扉を生み出した。

 そこに鬼紗羅を蹴り飛ばして、暫く反応を待つ。

「…………よしっ、悲鳴はない。安全みたいだね、行こう」

「酷っ」

「扱いが恐ろしいですわね……」

「……何、気に、鬼」

 くぐり抜けた先では痛々しい記憶を呼び覚ます無限に続く路地裏の景色があった。

 そして鬼紗羅は普通に簀巻きから脱出していた。

「イリュージョン並だな」

「あの程度の拘束ではあたしは抑えられないよ。気持ちよかったけど。脱出に一秒も必要ないよ。性的に興奮したけど」

「お前の性的趣向に興味ないからちょくちょく挟まなくていいよ」

「もっとあたしのこと知ってよ」

「修行したいから暫く黙っててくれるか?」

 鬼紗羅は頬を膨らませて顔を背けたと思ったら少し離れて膝を抱えて座る。見学の姿勢だった。

 どうやら分かってくれたらしい。虹二は後で何か奢ってあげると決める。

「待たせたね」

「もう慣れましたわ。三文芝居に待たされるのも」

 アーリアの皮肉に苦笑しながら、虹二は簡単な説明から始める。

「『中級魔法α4種許可資格』の実技では試験官との一騎打ちが想定される。合格条件はひとつだけ、どんな方法を使ってでも試験官にクリーンヒットを一発当てること」

 と、簡単に口では言えるが。これが非常に難しい。

 試験官は当然実力ある魔法使いだ。勿論ある程度手加減はしてくれるが、多くの受験生を相手にしているだけに不意打ちや意表をつく絡み手が通用しにくい。

 合格する場合の殆どが、受験生の実力を認めた試験官がわざと被弾することだったりする。

 アーリアやチュリアは十分に達成できそうな条件だが、リズは不可能だと言っても過言ではないだろう。

 やはり、生半可な作戦では合格は厳しい。その作戦を考えるのは虹二の役目だ。

 その作戦の幅を広げる為にも、リズには出来うる限り基礎を固めておいてもらいたい。

 しかし、その前にやらなければならないことがある。

「……鬼紗羅、お前元気か?」

「ん? 元気だよ?」

「よし」

 なんの確認か虹二は一人納得すると、三人に言い放った。

「とりあえず三人の実力が知りたい。……ので、鬼紗羅を試験官と思って魔法を叩き込んでくれないか? 三人掛りでいいよ」

「腕試しですわね」

「……強、敵」

「ど、どうしよう。自爆しか出来ないよ、私……」

 三者三様の反応を見せた次の瞬間、一人が動いた。

 その一人は意外にも大人しそうなイメージのチュリアであった。

 足元に魔法陣が展開されて、それが凄まじい速さで構築されていく。

「へー、流石に基礎能力は高いね。詠唱が速い」

 虹二が分析している間に詠唱は終わり、チュリアはその魔法を発動させた。

「アクセル・ライド」

 そして彼女は浮遊し、地を滑空した。

 速い。並みの精度と魔力効率ではない。相当この魔法を研究し使い込んでいることが一目で分かった。

 チュリアは魔法陣を展開させ、次の魔法の準備をしつつ目にも止まらぬ速さで鬼紗羅に肉迫する。

 が、その次の瞬間には既にチュリアは地面に叩きつけられていた。

「おー、速いね」

 魔法障壁による物理衝撃緩和で深刻なダメージではないだろうが、驚きと反動でチュリアの魔法陣は霧散してしまった。

「???」

 投げられた彼女も何が起こったのか理解できずに呆然としている。

「ブレイク・シュートっ!」

 いつの間にか詠唱を終えていたアーリアが鬼紗羅に向かって炸裂弾の魔法を放つ。が、それは鬼紗羅の拳に弾かれてしまう。

 無造作に振るわれた腕は力を入れた様子がない。軽く振り払っただけで魔法を弾いてしまったのだ。

「……っ、どういうことですの?」

「魔力を込めた拳で弾いただけ、特別なことはしてないよ?」

 それが規格外だというのに、そんなことを理解している素振りなど微塵も見せずに鬼紗羅は笑う。

「これならどうですのっ」

 そう叫びながらアーリアは強力な魔法の詠唱を始める。

「そういう――」

 それを見た鬼紗羅は。

「詠唱の長い魔法は――」

 一度の踏み込みでアーリアの目の前まで接近し。

「バカ正直に使おうとしても――」

 彼女の額を少し強めに小突いた。

「ひゃんっ」

 可愛い悲鳴とともにアーリアの魔法陣は霧散し、消えてしまう。集中力が途切れて魔法陣を維持できなかったのだ。

「こうやって途中で止められちゃうよ?」

「エア・アローっ!」

 チュリアの風の矢が複数鬼紗羅に放たれる。そのどれもが銃弾のように速い。

 しかし、鬼紗羅には通用しなかった。

「はい、とりゃ、ほーいっ」

 僅かな動作で全ての矢を紙一重でかわしてしまうのだ。

「そういう魔法は全部当てようとしちゃだめ。逃げ道を塞ぐのに五割。動きを誘導するのに三割、本命は二割程度がいいかな?」

 笑いながらも鬼紗羅は的確にアドバイスを送る。そしてそのまま彼女も魔法陣を展開した。

「させないっ」

 チュリアがお得意の高速移動で間合いを詰めて、蹴りを放つ。が、それは空を切る。

 鬼紗羅は明らかに武術の心得がある。素人であるチュリアの蹴りなど当たる筈もない。

 チュリアは世界が回るのを見た。否、鬼紗羅に投げ飛ばされて自分が宙を舞っているのだ。

 次いで衝撃。慌てて状況を確認すれば隣にはアーリアの姿が。どうやら二人まとめて投げられたらしい。

「ショート・コメットブレイク」

 接近戦用の強力な中級魔法だ。

 速い。中級魔法の詠唱速度ではなかった。

 そしてそれは二人の魔法障壁に直撃して、その障壁を完全に打ち砕いた。

 その煙に紛れて魔法陣が展開される。独特の淡い光。アーリアかチュリアか。

 そんな鬼紗羅の予測はあっさりと裏切られた。

 リズだ。

 魔法発動直後の硬直で体術は仕掛けられない。魔法陣を展開しようにも、間に合うような魔法防壁は作り出せない。

 いや、ある。

 無詠唱でも強固な防御力を有する魔法が。

 クイックプロテクション。一瞬だけだが強力な対物理、魔法防壁を作り出す魔法だ。

 効果は一瞬という弱点があるものの、その見極めが出来れば中級の高位魔法を防ぎきる代物だ。

「っ……」

 鬼紗羅はリズの魔法の発動とその着弾の瞬間を見極めるために集中力を高める。しかし、あまりにも予想外すぎる爆発が彼女の全思考を奪い去った。

 突然の爆発。

 強力な爆発。

 それはリズの魔法陣の瓦解と同時に巻き起こった。

 完全なる不意打ち。

 それを見ていた虹二は思わずこう、呟いてしまう。

「……神風特攻隊かよ」

 煙が晴れる。

 そこに立っていたのは鬼紗羅一人だった。

 無傷だ。

 リズとアーリアとチュリアの三人は爆発の衝撃でのびている。

「どうだった?」

「リアちゃんもチェリーちゃんも卒業したばかりにしては強かった。けど……」

「けど?」

 答えが分かっていたが虹二は聞いてしまう。鬼紗羅の口から聞きたかったのだ。

「一番ぞっとしたのはリズちゃんだった」

 だろうな。そう言いかけて虹二はやめた。

「ま、基礎能力や魔法の腕前はこの二人がずば抜けているな。実戦向きの戦い方を教えて、基礎能力を底上げすれば試験官は納得すると思う」

 気絶から目を覚ました三人に三回ほど鬼紗羅との模擬戦闘を続けてもらい、三人の実力や特徴は把握できた。

 実技の修行初日はそれで終わった。


   5


 アリウスの魔法学校を卒業してからの経歴を疑う人間は少なくない。

 それはそれだけ彼の経歴が異常だったという証明に他ならない。

 本来、魔法学校を卒業した魔法使い見習いは、弟子入りした師匠のもとで平均六年間は修行に励む。

 優秀な部類でも短くて三年は修行する。

 そうしてようやく一人前の魔法使いとして認められて就職できるのだ。

 が、アリウスは弟子入りして半年で修行を終えた。

 その方法がまた常識知らずで、彼は師匠との一騎打ちに勝利して弟子を卒業したのだ。

 その師匠も魔法世界ではそれなりに名の知れた魔法使いだというのだから、その異常さが推し量れることだろう。

 そして彼はそこから半年待つことなく、試験を受けずに魔導大図書館に乗り込んで自分を売り込んだのだ。

 本来相手にもされない愚かな行為。

 門前払いされるのが目に見えていた。

 それをアリウスは圧倒的な実力と才能で捻じ伏せたのだ。

 魔法学校を卒業して半年。彼は見事魔法使い達の職業の最高峰である、魔導大図書館の魔道司書として合格した。

 人々は言う。彼は天才だと。

 彼を知る人は言う。あれは人ではない、人の皮をかぶった残酷で無慈悲な化物だと。

 彼に近しい人は言う。彼は生き急いでいる。まるで自分の命を燃料に注ぎ込むように生きている。と。

 そう、アリウスには時間がないのだ。

 なんとしても魔導大図書館の閲覧禁止エリアに入る必要があった。

 戦争は好都合だった。

 家族を奪った戦争さえも利用する。

 彼はさらに過酷な人生を歩む。


   6


 虹二は自分の部屋で一人読書をしていた。が、本の内容は頭に入っていない。

 ただ文字を追って頁を送るだけ。

 考えることは三人の少女のことだ。

「入るよー」

 静かなノックと同時に返事も聞かずに鬼紗羅がドアを開けた。

「返事聞かなきゃ、ノックの意味ないでしょうよ」

「いやぁ……着替えに偶然遭遇出来たら嬉しいな。という、打算が」

「そんな打算は海に投げ捨ててくれない?」

 男の着替えを見て何が楽しいのか理解位苦しむ。だからといって鬼紗羅の着替えを見たい訳ではないが。

 勿論見たくない訳でもない。

「アーリアはバランスがいい。自分でバランスが良くなるように勉強したんだろね」

 独り言のように、突然虹二は話し始めた。

 鬼紗羅はそれを黙って聞いて先を促した。

「しかも高水準でバランスがいい。あれは典型的なオールドスタイルだね」

 スタイルとは詠唱の種類を差す。

 オールドならば強力で詠唱の長い魔法を出来る限り素早く行う型。クイックならば詠唱が短いが、威力の低い魔法を連発する型。他にもカウンターやインファイト、ブースト等が存在する。

「チュリアはクイックスタイル。詠唱が短いタイプの魔法を好んで使ってる。また、移動補助魔法のアクセル・ライドも見事だった。速度で臨機応変に対応することに特化しているね」

 アーリアとチュリアは正反対の魔法使いと言えた。

 威力重視のバランス型と速度重視のワンスキル型。成程二人が戦えば良い意味で噛み合うことだろう。

 ライバル。そう言っていたアーリアの言葉が思い起こされる。

「二人ともどう育てるのか色々考えるだけで面白い」

 鬼紗羅は沈黙を続けてさらに先を促した。

「リズは駄目だ。彼女の詠唱には原因不明の深刻な欠陥がある」

 言いにくそうに。辛そうに虹二は言う。

 ただの自分の言葉が自分の心を貫いているようだった。

「彼女には申し訳ないけど、諦めてもらう方向で考えたほうが彼女のためだろうね」

「それが【四條虹二】の選択?」

「……どういう意味さ?」

 鬼紗羅は答えない。

 ただ黙って、瞳で訴えてくる。

 けれども、虹二には彼女の訴えが聞こえない。

 そんな虹二を見てため息を吐きつつも、優しい彼女は言葉にして教えてくれる。

「アリウスは違う選択をすると思うよ?」

「その名前は聞きたくない」

 頑なに虹二はアリウスを拒絶し続ける。それがどうしようもなく鬼紗羅には悲しい。

「お前も俺よりアリウスの方がいいって、言うのか?」

 誰もが口を揃えていう。

 お前よりアリウスの方が求められている。

 彼の復帰を誰もが求めている。

 それが虹二には自分を必要とされてない。という意味に聞こえて仕方がない。

「比べられないよ、それは誰にも比べられない」

「そんな言葉が欲しかった訳じゃない」

 拗ねたように言う。言ってしまう。

 肯定の言葉が欲しかったのだろうか。それも違うだろう。

 アリウスの名前が出た時点で虹二は鬼紗羅の答えを全てマイナスに受け止めることだろう。鬼紗羅の問題ではない。受け取り側、虹二の問題なのだ。

「ごめん、言い過ぎた」

「いいよ、何を言われても。何を言っても。虹二にはそんな人が必要だから」

 慈愛に満ちた声で、とても優しい声色で鬼紗羅が言ってくれる。それが今の虹二には何よりも辛い。

 本当に情けない。

 どこで歯車を掛け違えたのか。

 どこから歪んだのか。

 分かっている。あの日だ。

 あの日、確かにアリウスは死んだ。

 そして虹二は緩やかに壊れ始めた。

 絶対に許してはいけない。誰が許そうとも、他ならぬ虹二だけはアリウスを許してはならない。

 まるで呪いのように、その言葉が虹二を縛り付けた。

 きっと今夜も夢を見るのだろう。

 ああ――、どこにも救いはない。


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