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ぷりまステラ  作者: 季水東吾
ぷりまステラ2 あの日見た夢
10/10

 第一章 私は秘書です


「リズ、トマト切っておいてくださいます?」

「はーい」

 アーリアの指示に元気よくリズは答えた。

「チュリア、食器を並べてくれると助かりますわ」

「了、解……」

 自分の作業を進めつつ、アーリアは全体の把握を怠らない。それでいて常に正確な指示を出し続けている。

 視野の広い人でないと出来ない芸当だ。

 それだけではない、思考の回転も早ければ情報を並列に処理する術にも長けている。

 そんな様子を耳で確かめながら、彼はどこまでもだらけていた。

 暖かく、優しい日差しが窓から浴びせられていて、それを全身で浴びる事により徐々に体が目覚めているのを感じられる。

 着実に進む朝食の準備。テキパキと指示を出すアーリアと、元気よく手伝うリズが調理のメインだ。

 料理は二人ほど得意でないチュリアも出来る事を手伝っている。

 家事を任せてくれと言いだしたのは、意外にもアーリアだった。弟子の義務であるとか、魔法を教わるお礼だとか色々言われたが、鬼紗羅曰く、多分彼女は虹二のことを師匠として認めてくれたのだろうとのことだ。

 だとしたら嬉しかった。

 それにしても平和である。

 いつも通りの日常。

 騒動の種である鬼紗羅は寝坊していて面倒な絡みもない。

 窓辺のソファーでゆっくり座っていれば朝食の香ばしさが鼻に届き、生理現象としてお腹が鳴る。

 胃が活発に働いて、次の食べ物を受け入れる準備をしたが故の音だ。

「いやー、平和だなぁ……」

 あまりにも蕩け切った顔を間抜けに晒しつつ、四條虹二は緩みきっていた。

 だからだろうか、騒乱の種を招いてしまったのは。

 料理の音だけが響く静かな部屋に、来訪者を知らせる呼び鈴の音が割り込んだ。

「チュリア」

「分、かって、る……」

「いや、いい。俺が出るよ」

 食器を並べているチュリアを玄関に向かわせて、自分は呑気にソファーで寛ぐほど虹二は殿様気分を味わうつもりはなかった。

 そこまでしてもらうと申し訳なさが先立って落ち着いて寛げないのだ。

 だらけきっていた顔を引き締めて、軽く身なりを整えて玄関に向かう。

 そして玄関を開け放った。

「おはようございます」

「――なっ」

 見知った顔があった。

 驚きで思考が凍った。

 何故ならば、彼女はここにいるはずのない人物だからだ。

 師匠に勝利した日のことを思い出す。遠い、夏の出来事である。


「アリウス様」


 アリウスを知る者が、訪ねてきたのだ。

「……詩菜乃」

 迷わずその頭をはたいた。

「――痛いです」

「俺の名はただの四條虹二! そうなってんの。だからそう呼んでくれ」

「はい、ただの四條虹二様」

「ただのはいらないから」

「四條虹二様」

「様も、だ」

「でも――」

「命令だ」

「うー」

 納得いかないような表情で、しかし渋々引き下がった。

 四條虹二はアリウスではない。魔導師書でもない。故に彼女は虹二の命令を聞く道理はないのだが、そこを指摘しないあたり、やはり彼女は未だに彼のことを思っているのだろう。

 彼女から離れて結構な時間が経つ。けれどその姿は記憶のままで、いやそれどころか記憶のなかの姿よりも、よりいっそう美しいかもしれない。

 出会った頃は短かった髪。

 綺麗な黒髪だと褒めたら、とても喜んでくれたのを覚えている。

 それが今は結んでも尚、太腿に触れるほどに伸びている。

 輝くような艶を持つ、枝毛や切れ毛の見当たらない美しい黒髪を彼女は右側に結っていて、サイドアップテールだろうか。そのような名前の髪型にしていた。

「それにしても久しぶりだね、その……、元気だった?」

「寂しかった」

 目を伏せ、震える声で詩菜乃は言った。

 改めて自覚させられる。虹二は、いや、アリウスは。彼女を捨てたのだと。

 いつか戻ると言い残し、けれど戻る気は一切なかった。

 過去を捨てたいと逃げ、関わりを切った。自分の過去に関わる欠片を見れば、思い出してしまうから。

 詩菜乃の体が震えている。

 あれだけ強い彼女が、堪えきれずに悲しみを露にしていた。

「どうして……、帰ってきてくれないんですか」

 前髪が彼女の顔を覆っていて表情が見えない。

 掴まれる。

 彼女の綺麗な指先。薄桃色の爪。雪のように白い肌。それが、虹二の袖を掴んで離さない。

「寂しいです。私の居場所は、ここしかないのに」

 かける言葉を持ってはいない。

 今までの虹二ならば。

 けれど。

 手紙を読んだ今の自分ならば違う。

「詩菜乃、ごめん。俺は嘘をついていた」

「アリ――、虹二?」

 詩菜乃が顔を上げる。

 同時、落ちた何かが床を濡らす。

 彼女は、泣いていた。

 瞳を濡らしていた。

 赤くした顔で上目遣いに見つめられる。

 不意に、心臓が跳ね上がる気がした。

「必ず戻る。そう約束したけど、本当は戻るつもりなんてなかった。俺はお前を捨てたんだ」

「――っ」

 この世の終わり。そんな表情だった。

 つらい。

 針で射抜くように、心が痛い。悲鳴を上げている。

 詩菜乃はその何倍も痛いはず。そう考えれば痛みなどないに等しい。

「ごめん」

「もう……、私はいらないのですか?」

「違うんだっ」

「違う?」

 呼吸を整える。

「俺にはお前が必要だ。姉さんはもういないけど、俺は助けられなかったけど。でもやっと、前に進もうと思えたんだ。思えるようになったんだ。だからっ――」

「ええっと……、どなたですの?」

 絶望の帳が下りる。

 絶対零度の寒気。

 冷や汗どころではない。

 彼女は一体どこから聞いていたのだろう。

「……アーリア。どこから聞いていたの?」

「『違うんだっ』のあたりからですけど」

 可愛らしいエプロンを着けたままのアーリアが答える。恐らく朝食の準備が出来たので、なかなか戻ってこない虹二の様子を見に来てくれたのだろう。

 危ない。

 アリウスの件は聞かれていないらしい。

 本当に危ない。

「ところでお客様ですの? 何やらその……、玄関で女の人を泣かせるのは近所の目もアレですし、部屋にあがって頂いた方がよろしいのではないでしょうか?」

 意を唱える部分が微塵もない圧倒的な正論である。

「そ、そうだね。えっと、詩菜乃、あがって」

「その前にさっきの答えをっ」

「ああ――、」

 言いづらい。

 弟子の前では。

 恥ずかしいが、それで先延ばしにしても以前の虹二と何も変わらない。

 前に進むと決めたのだ。

 過去とも向き合うと。

「お前さえよければ、また俺を助けてくれ。俺は、……弱いからさ」

「はい。……喜んで」

 一輪の花が咲いたのかと思った。

 そう思うほどに美しい微笑みがそこにはあった。


   1


「えーっと、どう紹介したらいいんだろうな、彼女は俺の旧知の間柄の詩菜乃だ」

 急遽一人分の朝食を追加した食卓で、弟子三人を前にそう言う。

 今日のメニューはスープとフランスパンで、軽くトーストしたフランスパンに好みでハムやレタスを挟むというメニューなので、簡単に一人分を増やせた。

「魔導大図書館魔導司書、アリウスの秘書をしています。詩菜乃です。よろしくお願いします」

 深々と、丁寧な礼をした詩菜乃が顔を上げればそこには三者三様の反応が待っていた。

 髪に花飾りを付けたショートカットの少女は、驚いた表情で詩菜乃と虹二のことを交互に何度も見ている。

 銀髪で髪の長い子は、ただひたすら驚いた表情で口を開けたまま固まっている。

 確か、先ほど虹二がアーリアと呼んでいた少女だ。

 セミロングの栗色の髪に可愛らしいデザインのヘアピンが特徴的な三人目の少女は、驚くと同時に憧れだろうか。羨望の眼差しで詩菜乃を見つめている。

 有り得ない程に前のめっていた。

 正直、若干引く程に。

「四條さんの弟子をやっています。魔法使い見習いのリズ・シーランドです。よろしくお願いします!」

 リズは元気いっぱいに。

「同じく弟子のアーリア・シェル・フローリスですわ。よろしくお願いします」

 アーリアは礼儀正しく。

「貴方は、アリ、ウス、を、よく知って、いるのっ!」

 そしてチュリアは珍しく興奮していた。自己紹介を忘れる程に。

 そういえば彼女はアリウスの熱烈なファンだった。思いだして軽く憂鬱になるが、何より優先べきことは。

「痛、いっ」

 チュリアの頭をはたくことだった。

「興奮したのは分かったから、挨拶しろ。俺はそういうのは許さん」

 珍しく言葉荒く、厳しい声で言う。

 それで虹二が真剣に怒っているのを感じ取ったのか、慌ててチュリアは自己紹介をする。

「四條さん、の、弟子のチュリア・シリンディです。よろ、しくお願いします」

 しっかりとお辞儀したチュリアを見て、虹二は軽く頭を撫でた。

「で、何やら質問が沢山あるみたいだけど……、詩菜乃。いい?」

「構いませんよ、答えられる限りは答えます」

「ではっ」

 雰囲気が普段と違いすぎた。

 常に落ち着いている彼女の姿はそこにはない。

 メルティアにリズを馬鹿にされた時もここまで息を荒くしていなかっただろう。

「アリウス、は、行方不、明と聞、いています。彼は、今も生きて、い、るのでしょうか?」

 詩菜乃とリズの視線が一瞬だけこちらに向くのを虹二は感じた。

 勘弁して欲しい。

 この二人は隠す気がないのだろうか。

「生きています。どこで何をしているのか、それは答えられませんけど」

「では、魔、導司書に戻ること、は、あるのでしょう、かっ」

「それは私が彼に聞きたいです」

 思いっきり虹二に向かって言っていた。

 戻る気はない。今のところは。

 価値のないモノに縋る必要はない。今の虹二には戻る意味は見いだせないのだ。

「そもそも、どうし、て、彼は魔導司、書を辞めたの、で、しょう?」

「それは鬼神討伐の失敗の責任を取って――」

「鬼神、討伐の責任、は、アリウ、スにはありません。責任を取るなら、それ、を決定、したもっと上、です。誰、も、そんな与、太話、信じては、いません、よっ!」

「……本当はね、違う理由。けど、それを話す権利は私にはないのです。ごめんね」

 詩菜乃はともかくリズまで悲しい表情を隠そうとしていない。

 嫌にヒヤヒヤする。

「悪いけど質問はそこまでってことで、俺も訪ねてきた理由を詩菜乃に聞きたいし」

「それは――」

「しぃぃぃなぁぁぁぁぁぁのぉぉぉぉぉぉおっ」

 叫びと共に疾走する影。

 疾駆するそれが飛び出して、長い脚を振り払う。

 狙いは詩菜乃。

 しかし彼女も手練、素早く席を立つと近くに置いてあった棒状の物を掴むと、蹴りの延長線上に突き出す。

 交差。

 馬鹿げた威力の彼女の蹴りを、詩菜乃が器用にいなして受け流す。

 余波で震える空気。

 ようやく驚きから席を立つリズとアーリアとチュリア。

 そして、冷静に二人の頭をはたく虹二。

「お前ら食事中に何してんのさ」

「痛いです虹二、先に手を出したのはこのバカです」

 頭を抑えながら涙ながらに詩菜乃が抗議する。

「バカとはなんだバカとは。バカって言った方がバカなんだよ、このばーかっ」

 鬼紗羅も頭を抑えながら幼稚な言葉を喚いていた。

「「痛いっ」」

 今度はグーだ。

「出会い頭に喧嘩って、お前ら全然変わらないね」

「虹二、このバカ女嫌いです」

「虹二、なんでこのむっつりストーカーここにいるのっ」

「な――っ、むっつりじゃありませんよっ。それとストーカーもっ」

「虹二に待ってろって言――ふぎゅっ!」

 虹二も流石にわりと本気で殴る。

 これ以上は危険すぎる。どう考えてもヒートアップした二人から、アリウスの話題が出てくるのは避けられないだろう。

「犬猿の仲なのは知ってるけど、もう少し穏やかに……。――あっ」

 虹二は言葉を止めて三人を見る。

 そう、自分の弟子を、だ。

「あー、悪くないな」

 そう言って考えをまとめる。

「リズ、アーリア、チュリア」

「はい?」

「なんですの?」

「なんで、しょう、か」

「詩菜乃も実は実戦魔法戦SSS級ライセンス持ちだ」

「すごっ、いですけど。魔導司書の秘書ならそれくらいは――」

「当然なのでしょうね」

「でも凄い」

 これだけの強さを持った魔道士はそうそういない。そしてその戦闘ともなれば尚更だ。

「鬼紗羅、詩菜乃。そんなに元気がいいなら、模擬戦で決着付けない? これだけ年数が経過すれば差も縮まっただろうし」

「上等だね」

「いいでしょう。私だって遊んでいた訳じゃありません」

 虹二の知っている詩菜乃は強いとはいえ、鬼紗羅には到底及ばない強さだった。

 それが今どうなっているのか、興味がないと言えば嘘になる。

 そして、模擬戦はこの三人の勉強に非常に役立つだろう。

 教材としてはこれ以上なく豪華だ。

 純粋なインファイターとインファイター。それも豪快な火力主義と繊細な技量主義のぶつかり合い。得るものは大きいだろう。

「で、だ。……君ら三人はよく見ておくこと。多分、現代の魔法戦における最前線に近いものが見られるはずだよ。目指す場所を、知っておくのは悪くはないと思うよ?」

「一秒も見逃しませんわ」

 虹二の言うことをいち早く理解したアーリアが素早く答える。

「でも、私達のレベルで理解出来るのかな?」

「理、解出来なく、ても、記憶に叩き、込ん、で損はない」

 決まれば向かうはこの二人が模擬戦しても耐えられる空間だ。

 地上で戦えば町一つ消えても、山一つ吹っ飛んでも虹二は驚かない。そんな激しい戦闘に耐えられるのは、あの場所しか心当たりがない。

「魔法世界との狭間の世界に行こうか」

 睨み合う二人の襟首を掴みながら上級魔法を詠唱し始めた。世界を飛ぶための超高等な魔法で、発動すれば狭間の世界に繋がる光の扉が出来上がる。

 それをくぐり抜け、虹二自身が使える防御魔法で最も強力なもので結界を張る。

 この中に居れば安全に二人の模擬戦を観戦できるだろう。

「ルールは簡単。障壁を破壊した上で相手に一撃を与える。もしくは相手が降参する。あるいは気絶等で行動不能になる。で、負け。気を付けることは殺さないこと、大怪我しないこと。分かったか?」

「はーい。……うっかり死なないでね、詩菜乃弱すぎるから」

「分かりました。……いつまでも昔の勝利を持ち出さないと自信も失うんですか? 情けないですね」

 この二人、もういつ始まってもおかしくなかった。

「俺がコインを投げるから、地面に接地した瞬間に開始ね」

 そう言い放って二人を投げる。

 鬼紗羅は薄手のパーカーにジーンズとラフな格好で、対する詩菜乃は女性らしいフリルのあしらわれたブラウスに、レギンスを合わせている。

 互いに動きにくい格好ではない。

 詩菜乃はその手に先ほど鬼紗羅の蹴りを受けた棒状の物を持っている。それは袋に包まれていて中身は分からないが、軽く反っていてとある武器を連想させる。

 鬼紗羅も虹二もその中身をしっている。

 故にそれが連想通りの物であることも。

 詩菜乃は棒から袋を取り払う。

 姿を現したのは黒い鞘と紫色の飾り紐。そう、日本刀である。

 柄を握り締め、腰に鞘を押し当てた。

 鬼紗羅と詩菜乃の間合いは距離にしておよそ二十メートル。そんなもの達人レベルの魔道士、それも近接戦を得意とする武芸者には殆ど存在しないに等しい。

 一息で埋める事のできる距離だ。

 両足を前後に軽く開いて腰を落とし、肩を前に出して力を抜く。

 居合。

 抜刀を放つ構えを取った詩菜乃に対し、鬼紗羅はあくまでも自然体。

 互いに準備が出来たことを察した虹二はコインを取り出す。

 その手をアーリアが止めた。

「どうしたの?」

「始める前に一つお願いがありますわ」

「解説でしょ。分かってるよ、俺が三人に解説するし、録画もするから後で聞きたいこともまとめて聞くよ」

「ありがとうございます」

 虹二は無造作にコインを弾いた。

 高く、高くコインは宙を舞い、重力に従って緩やかに降下していく。

 甲高い音が鳴り響く。

 その音をかき消すように。

 鬼紗羅の拳と、詩菜乃の刀が交差した。


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