警告
くまさんの
言うことにゃ
「ここからすぐさま離れるんだな」
--ー
奴が現れてどれぐらいたっただろう。
感覚的には、もう何時間もたった気がする。
いや、数日たったと言われても納得してしまうかもしれない。
それほどまでに、この状況は俺を狂わせている。
全身の震えと冷や汗を感じながら、俺はただただくまを見て固まっていた。
すると、くまの口が開いた。
開いた口から覗く歯を見て、俺の震えは最高潮になった。
あぁ、ここで喰われて死ぬのか。
恐怖と同時に、何故か冷静な自分を感じた。
人間は死を前にすると冷静になる、というのはどうやら事実だったようだ。
そんな事を考えていると、不意に何処からか声が聞こえた。
「今すぐこの森から出ていけ」
…え?
思わず辺りを見渡すが誰もいない。
…なんだ今のは。
誰か近くにいるのだろうか。
この森から出ていけ…って。
そりゃあ出られるもんなら出ていきたいが…。
突然の出来事に、俺はまた混乱する。
そこに、また同じ声が聞こえてきた。
「なにをしている。さっさと出ていけ。」
再び聞こえてきた声の主を探ろうと、今度は先程より注意深く辺りを見渡す。
しかし、やはり誰も見当たらない。
俺は、段々腹が立ってきた。
姿も現さずにただただ出ていけと繰り返すこいつは、一体なんなんだ。
こいつには、俺の目の前にいるこの猛獣が見えないのか?
俺はその考えを口に出すことにした。
どうせここで死ぬのなら、せめてこの無神経な奴に、精一杯の怒りをぶつけてやろうと思ったのだ。
すると、声は言った。
「…なるほど、お前はどうやら俺が誰だかわかっていないらしいな」
わかるわけがないだろう。
姿も見せてないくせに。
俺は感情のままに叫んだ。
「姿ならとっくに見せている。前を見てみろ。」
その言葉を聞いて、俺は前をよく見てみた。
しかし、目の前にはやはりくまがいるだけだった。
…からかっているのか?
再び叫ぼうとした俺を、声が遮った。
「お前の目の前にいるだろ、くまが。それが俺だ。口の動きを見ればわかるだろう」
…は?
予想外の答えに、俺は今日三回目にして最大の混乱に見舞われる。
くまが…話してる?
あまりの事態に思考がついていかない。
いや、ついていけるわけがない。
そんな俺を余所に、くまは話を続ける。
「理解したところで、話を戻す。もうこれで三度目の警告になるが、今すぐこの森から出ていけ。」
…待て待て待て。
とりあえず整理しよう。
今朝は天気が良くて、散歩に行こうとして…。
いやいや違う、戻りすぎだ。
森のなかでくまに会って、
声がして、出ていけと言われて、
反論したら実はその声はくまで…。
…駄目だよくわからない。
「おい、なにをしてるんだお前は。」
何の反応が無い俺の状態を見兼ねたのか、くまが声をかけてきた。
心無しか苛ついているように聞こえる。
その言葉で少し現実に帰ってきた俺は、とりあえず一番聞きたいことを質問してみた。
そう、俺が今ここで喰われるのかどうかだ。
俺は、なるべく丁寧な口調でくまに尋ねてみた。
「出ていけという相手を何故喰らう必要があるんだ。それとも、お前は俺に喰われたいのか?」
半ば呆れたような解答に、俺は全力で首を横にふる。
どうやら、今日は俺の命日ではないらしい。
…安心したら力が抜けた。
いや、まだ完璧に安全とは言えないが。
俺は続けて、もう一つ質問をした。
何故さっきから出ていけと言っているのか、と。
「言っただろう、警告だ。これからこの森には奴らが来る。」
…奴らってなんなんだ?
続けざまに聞いてみた。
「…さあな。よくはわからない。しかし、凶暴な奴らだ。お前みたいな奴が見つかれば、どうなるかわからん。」
疑問の答えが、更に疑問をよんでいく。
また新たな質問をしようとする俺を、くまの言葉が再び遮った。
「俺はおしゃべりをする為に、わざわざお前の前にでてきたわけじゃない。警告はした。俺の役目はこれで終わりだ。」
そう言ってくまは、出てきた方向に向かって歩き出し、やがて森の奥へと消えた。
俺は、くまが完全に見えなくなるまでその方向を見つめていた。
ふと、我に返った。
と、同時に今の出来事が夢物語のように思えた。
…夢、じゃないんだよな。
そこには、夢じゃない証拠が確かに存在していた。
そう、足跡だ。
一目で獣だとわかる形に、一般的成人男子より大きい俺よりも大きいであろう足跡。
その存在が、先程の出来事を現実のものだと決定づける。
…とりあえず、森から出よう。
何がここで起こるのか、詳しい事は何ひとつわからない。
けど、ここに俺はいるべきじゃない。
俺は、来た道を引き返して行った。
この道を通ったのがもうずっと前な気がする。
来た時とは全く別の理由で、俺の足は自然と速くなっていった。
くまさんの
言うことにゃ
お嬢さん
お逃げなさい
すたこらさっさっさのさ
すたこらさっさっさのさ