友との別れ2
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城を発った俺たちは、犯罪組織の頭領の供述を元に、リーリエの行方を追っていた。
頭領はリーリエを誘拐した後、依頼されていた殺害は行わず人伝に孤児院に預けたと語った。ただし、頭領自身もどこの孤児院かは把握していなかった。そのため、俺とフリップは大凡の地域を絞り、そこにある孤児院を端から順に回っていた。
「なぁローランド、本当にリーリエ嬢は孤児院にいるんだろうか? 登録されているこの地域の孤児院は軒並み捜したが、いまだに彼女は見つからない。あるいは、頭領が虚言を吐いた可能性も……」
この地域の最後の孤児院を訪ねた後、フリップが重く口を開いた。
「いや、奴は嘘はついていない」
フリップの憂慮はもっともだった。しかし、俺の直感が告げていた。奴は、そんな男ではない。
出立前、留置場に立ち寄って顔を合わせた頭領は、実に不思議な男だった。『あの時は色々あって用入りでな。それで普段は受けねえちんけな依頼を、珍しく受けちまった。だがな、その依頼対象が、赤ん坊ながらに殺すには惜しい美貌でな。あれは成長すりゃあ、めっぽう美人になる。いい女を殺すのは、俺の流儀に反するんだ』そう言って奴は豪快な笑みを浮かべた。
調子のいい奴の口振りと態度に看守はいきり立っていたが、その言葉は決して口先三寸で語られた物ではない。違法な薬物に改造銃等、手広く犯罪に関与しながら、奴は女子供を食い物にする商売には一切手を染めてこなかった。
犯罪組織のトップにありながら妙な漢気を感じさせる男に、俺が抱いたのは、率直に言えば好感だった。もっとも、それが男の犯した罪の免罪になるわけもなかったが。
「奴が孤児院に預けたと語った。ならば、少なくとも、リーリエがどこがしかの孤児院に預けられたのは間違いないだろう」
「ふむ。お前がそう言うなら、近隣の孤児院にまで捜索の手を広げてみるか」
「ああ。当時リーリエが身に着けていたおくるみや夫人が自ら刺した百合の刺繍が入ったスカーフは、どちらも最上級の絹地で誂えた品だ。庶民にはなかなか手が出ない。当該の施設に行きつけば、そんな珍しい装いで預けられた赤ん坊のことを職員は絶対に覚えているはずだ」
「まぁそうだろうな。それにリーリエ嬢のような淡い金髪や青い瞳も市井では珍しい。当時もかなり目を引いたはずだ」
その時、俺たちの背後に歩み寄る気配があった。
「なぁ、ちょっと待ってよ!」
後ろから声を掛けられて振り返ると、金髪碧眼の年若い娘が立っていた。
娘は俺への好奇を隠そうともせず、頭のてっぺんから足先まで不躾に見つめてくる。
娘が纏うのはケバケバしい色合いで、やたらとスカートの丈が短いワンピース。恰好から判断するに、おそらく娼婦……いや、こうして使いで外を歩いているくらいだから、まだ見習いか。
娘の身の上が想像できた。もちろん娼婦見習いだからと色眼鏡で見る気は更々ない。しかし、目の前の娘の挙動はあまりにも品がなく、まるで垢抜けていなかった。もっとも男好きしそうな派手な顔立ちと体付きをしているから、年齢的に間もなくであろう初見せ後は、それなりの人気を博すだろうが。
「なにか用かな、お嬢さん?」
俺が柔和に問えば、娘は胸元でグッと両手を握り締め、勢い勇んだ様子で口を開いた。
「会話を盗み聞きするつもりはなかったんけど、聞こえてきてさ。……あたし、あんたたちが捜してるリーリエっていう女に心当たりがあるんだ」
なんだと!?
「君はリーリエを知っているのか?」
「……」
俺の問いかけに、娘は何故かスッと目線を逸らし、口を真一文字に引き結んだまま答えようとしなかった。
「なぜ黙り込む? 君は、リーリエを知っていたから、わざわざ俺たちを呼び止めたのだろう? 答えてくれ」
「……先に教えて」
「なに?」
「あんたたちは、どうしてその女を捜しているんだ? どんな魂胆で捜してるのか分かんなきゃ、おちおち教えるなんて出来ない」
思わず、グッと押し黙った。娘の不躾な物言いはしかし、もっともな主張でもあったからだ。
「いいだろう、こちらで詳しく話そう。俺は、ローランドだ。君の名前は?」
「……悪いけど、名前は話の後で。まずは話を聞かせてよ」
名乗ろうともしない娘の態度に思うところはあったが、ぶら下げられたリーリエの情報を前に、俺は口を噤むことを選んだ。
娘を伴って、俺とフリップは地域で一番格式が高い喫茶室に入った。
喫茶室は軽飲食店という側面のみならず、談話などで使われることが多く、個室の談話室を備えているのが一般的だった。
俺も個室を指定して、席に着くとすぐにふたり分の珈琲を注文する。
「俺たちは珈琲を。……君はなんにする? なんでも好きな物を注文してくれ」
本音を言えば、すぐにでも本題を切り出したくてたまらなかったが、なんとか平静を保ち、逸る心に蓋をした。
「なんでもいいの!? じゃ、じゃあ――」
俺の言葉に、娘は喜色に弾む声をあげ、メニューブックに噛り付いた。
「あたし、こんなところに連れてきてもらったの初めてだよ! すっごいなぁ~!」
オーダーを済ませた娘はパタンとメニューブックを閉じると、白い歯を見せて笑う。
個室と言えど、浮かれきった娘の声は高く、給仕のために廊下を行き交う従業者には筒抜けだろう。
「でもさ、普段からこういう場所を当たり前に使う人間はいくらでもいる。一方で、あたしみたいにその日一日、食うのがやっとの人間だって多くいる。つくづく、神様は不公平だよ」
声を抑えるよう注意を促そうと開きかけた口は、続く娘の台詞を耳にして、言葉を発すること無く閉じた。
……娘はただ、目先の不平不満をこぼしたにすぎない。しかし、その言葉は不思議な重みを伴って、鼓膜のみならず胸に響いた。
「それより、まだこないのかよ? あたし、腹が減ったよ!」
「じきに来るから、大人しく座っていなさい。それから、さっきから君の声は高すぎる。少し、抑えてくれ」
「分かってるよ」
俺の言葉に娘は空返事で答え、キョロキョロと忙しなく室内に視線を巡らせていた。
そうして娘は、とりどりのフルーツが彩りよく飾られたパルフェが配膳されると頬を緩ませた。
「なんだこれ! 世の中には、こんなにうまい物があるのか!?」
口に頬張ったまま声を高くする姿に苦笑しつつ、俺はこれ以上注意することを諦めて、娘が食べ終わるのを待つ。
途中、娘がクリームを口の端に垂らす。
「おっと」
娘が手のひらで乱暴に拭おうとするのを認め、懐からハンカチを差し出す。
「これで拭いてくれ」
娘はキョトンとしたようにハンカチを見て、すぐにニカッと笑って受け取った。
「ありがとう!」
娘はハンカチでクリームを拭うと、そのまま自分のポケットに入れて、またパルフェに噛り付いた。
「あ~、うまかった!」
「食べ終わったなら、そろそろ本題に入ってもいいだろうか」
「あぁ、ごちそうさま! それじゃあ、どうしてその女を捜しているのかから教えてくれよ!」
娘の態度に内心で嘆息しつつ口を開いた。
「懇意にしている夫妻の娘が攫われる事件があったんだ――」
十四年前の収穫祭の日。五歳の俺は晩餐会への出席が許されず、同じく控えの間で乳母と共に両親の戻りを待つリーリエの元に足を向けた。
そして、俺がモンテローザ侯爵家に与えられた控えの間の扉に手を掛けようとしたまさにその瞬間、室内からガシャーンというう物音と乳母の悲鳴があがった。次いで、リーリエの泣き声が響いた。
慌ててドアノブを掴んで開け放つと、手前に腰を抜かした乳母が、その奥に破った窓を背にして立つ大男の姿があった。丸太のような男の腕の中で、リーリエが泣きじゃくっていた。無様にもその時の俺は目の前の状況に頭が真っ白になってしまい、扉に手を掛けたままその場から動けなかった。
今も心に暗く影を落とす苦い当時の記憶。ともすれば感傷的になりそうなのを意識して、俺は当たり障りのない情報だけを掻い摘んで伝えていく。
当然、俺とリーリエの身分や婚約と言った込み入った事情は説明を省いた。
「――夫妻は成長に応じた身回りの品を整えながら、今も愛娘が帰ってくるのを切望している」
「そうだったのか、リーリエは誘拐されたのか。それでリーリエの生家と懇意だったローランドも、ずっとリーリエを捜していたと……なぁ、もしリーリエが見つかったらどうするんだ?」
「もちろん、彼女の戻りを待ち続けている両親の元に返す」
そう、まずはモンテローザ侯爵夫妻の元に。その後は……。ふと、リーリエを取り戻したその先について具体的に考えていなかったことに気づく。俺にとってリーリエを取り戻すことが至上の命題であり、最終目標になっていたのだ。
……あぁ、そうか。これからはリーリエを取り戻した後の処遇について考えなければならないな。
俺の記憶の中にいた二歳に満たない赤ん坊のリーリエが、この瞬間初めて成人間近の女性となって形を結ぶ。十四年間、止まったままだった時計の針が動き始めるのを感じた。
「……ふーん」
娘はこれまでの様子から一変し、何事か考え込むように俯き加減でキュッと唇を引き結んで黙り込んだ。そうして長い沈黙の後、ゆっくりと顔を上げた。
「あたし、リーリエを知ってるよ」
「教えてくれ! リーリエはどこにいる!?」
身を乗り出すようにして娘に問う。
「……教える前に、約束して欲しいことがある」
「なんだ?」
「孤児院から引き取られた彼女には、幸せな暮らしなんて待っちゃいなかった。薄汚い思惑で、金蔓にされようとしてる……っ! だから、調査の後で改めて迎えに来るだとか、そんな耳当たりのいい言葉はいらない。すぐに、一緒に連れて行って欲しいんだよ!」
娘の物言いに、まさかリーリエは一刻の猶予もないほど、切羽詰まった状況に置かれているのだろうかと、胸が苦しくなった。
「約束しよう。リーリエを見つけたら、すぐに連れて帰ろう」
俺が胸に込み上げる苦い物をグッと抑え、力強く答えれば、娘は瞳をキラリと光らせた。
「あたしだよ」
「……なんだって?」
娘の言葉の意味が、すぐには分からなかった。
「リーリエは、あたしなんだ!」
娘の主張を呑み込んで、最初に浮かんだのは疑念だった。横にいたフリップも当惑した様子で、俺に目線を寄越した。
「ローランドの言う通り、あたしはずっと孤児院にいたんだ。でも、あたしを引き取りたいって人が現れて、孤児院を出た。だけどそいつは、娼館であたしに客を取らせて金儲けしたいだけだった……! あたしがリーリエだよ、あたしを連れて行っておくれよ!?」
「疑うわけではないが、君がいたという孤児院と、君を引き取った人を教えてくれないか?」
「っ! なにさ、その質問こそがあたしを疑ってる証拠じゃないか! ……いやだよ。それは言いたくない」
娘は俺をひと睨みすると、プイッと顏を背けてしまう。
……この娘が俺のリーリエ? たしかに、娘の髪と瞳の色は赤ん坊だったリーリエやその父であるモンテローザ侯爵とよく似た金髪碧眼だが……。
しかし、金髪碧眼の特徴がただちに本人の特定に繋がる証拠にはなり得ない。そして俺の心証にはなるが、目の前の娘がリーリエだとはどうにも信じ難かった。
「……証拠だって、ちゃんとあるんだ」
娘は呟きながら、なにかをポケットから引っ張り出す。
「これが、赤ん坊のあたしの首に巻かれてたんだ。これはあたしの宝物さ。これを見る度、あたしはいつだってまだ見ぬ両親の愛情を感じたよ!」
差し出された絹地のスカーフを目にした瞬間、呼吸が止まった。視線も、スカーフに釘付けになった。
小刻みに震える手で、スカーフを両手で戴くようにして受け取った。
「これは、夫人の刺繍だ……!」
俺は実際に見て、知っていた。夫人は愛する我が子のために、身の回り品に自らの手でリーリエの名前の由来である百合の花を刺繍していた。
目の前のスカーフに施されたそれは、夫人が刺したそれに間違いなかった。
「あたしが孤児院に預けられたのは、まだ二歳になる前くらいだったそうだ。時期は収穫祭が終わった直後だったと聞いている。どうだい? ローランドの持ち得る情報と、一致していないか?」
娘の語った状況も俺の持つ情報と合致していた。
間違いようなど無い。この娘こそ、俺が長年捜し求めていたリーリエなのだ……!
無意識にゴクリと喉が鳴った。
娘はそんな俺の様子を、自信に満ち溢れた表情で見つめていた。
「……君を連れて行こう。そして、両親の元に送り届けよう」
「やった、やったよ! あたしにも、ついに運が回ってきたんだね! あはっ、あはははっ!」
娘は座席から飛び上がって歓喜に叫んだ。
歯を剥き出しにして唾を飛ばしながら笑う姿には、品位の欠片も見られない。
本当にこの娘がリーリエなのだろうか。俺のリーリエは、別にいるのではないか……?
あまりにも品のない振る舞いに、疑念の芽が顔を出す。しかし娘が口にした内容と、手の中のスカーフが、彼女こそがリーリエだと語っていた。
いかんな。これがリーリエの現実なのだと受け入れなければ……。
正直なところ、俺は想像の中で思い描いていたリーリエの姿と実際のリーリエとのあまりの差に落胆していた。ただし、十四年間市井で育ったリーリエが品位を欠くからと責めるのはまったくのお門違い。これは俺自身が折り合いをつけるべきものだ。
「なぁ! ローランドの口振りだと、あたしの両親は貴族なんだろう? だとすると、お屋敷は王都にあるんだよな。馬車で行くのか?」
十四年間、彼女は十分すぎるほど苦労してきた。その分、これからは彼女を尊重し労わっていかなければ。
頭を切り替え、リーリエに笑顔を向ける。
「君のご両親は領地と王都に屋敷を持っていて、今は王都に滞在している。馬車の長旅は君の負担になるから、移動に馬車は使わない。王都へは、先月就航したクルーズ客船で向かおう」
「えっ! エーンデル大河を走る、あの豪華客船で!?」
「ああ。川船は揺れがないから船酔いの心配もほとんどない。移動手段としては、馬車よりもずっと快適なんだ。それにあの客船は移ろう景色を眺めるだけでなく、常時多くのエンターテイメントが催されている。きっと君も楽しめる」
「うわぁ! あの豪華客船に乗れるなんて楽しみだなぁ」
俺の提案に、リーリエは喜色に声を弾ませた。
俺は穏やかに微笑みながら、隣のフリップに目配せする。みなまで言わずとも、フリップは旅券の手配の為に颯爽と席を立つ。
フリップが戻るまで俺たちは会話をして過ごした。ところが、リーリエはこれまでの暮らしぶりについて話すのを極端に渋った。
「あたしを引き取るだなんて言ったら金をせびられるだけだ! だから、わざわざローランドが挨拶をする必要はないよ! それにあたしはあそこの奴らの顔なんてもう見たくもない!」
こんな調子で、彼女を引き取った娼館主の名すら絶対に明かさなかった。
本音をいえばしっかり筋を通してから連れていきたいが、まずは辛い環境にあるリーリエを連れて行くのが最優先。……仕方ない。後から人を寄越して彼女が身を寄せていた娼館や孤児院を調べるとしよう。
「そうか。ならば今後のことを話そうか」
「うん! 王都のことを教えてよ! 賑やかなんだろう!?」
俺は無理に聞き出そうとはせず、両親であるモンテローザ侯爵夫妻のことや今まさに王都を賑わしている収穫祭のこと、そして彼女がもっとも興味を示した王宮での雅やかな催しの数々について語って聞かせた。
そうこうしているうちにフリップが旅券を手に戻った。
「明日の午後出港の旅券が取れた」
「そうか。ご苦労だった」
収穫祭の盛り上がりの最中、最短の出港日の旅券を当たり前のように取ってくるあたり、なんとも有能な男である。
「ここの並びにブティックがあったはずだ。君の身の回りに必要な物を買い揃えに行こう」
「えっ!? 新しいのを買ってくれるのか!?」
「もちろん。旅に必要なドレスや肌着、小物類を誂えよう」
「それって三軒先のブティックのこと!? 庶民にはおいそれと手が出ない高級店じゃないか! やったね!」
リーリエが椅子を倒しそうな勢いで席を立つ。
俺は苦笑を押し隠し、リーリエをエスコートして喫茶室を後にした。




