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攫われた侯爵令嬢は十五年後に、王太子殿下の花嫁になる




 ローランド様のプロポーズから一年。


 豊かな大地を紅葉が美しく彩る、実りの季節。私はついにローランド様の花嫁になる。

 爽やかな風に、純白のドレスの裾がふわりと揺れる。少し冷たい早朝の澄んだ空気が、高揚して火照る肌に心地いい。


 モンテローザ侯爵邸の玄関前には、私の見送りにお父様とお母様、ソレイユ伯爵夫人の他、使用人たちが勢ぞろいしていた。私はこれから迎えの馬車で王宮に向かい、正午からの挙式に臨む。当然、今後の住まいも王宮に移る。

 皆とのお別れは、既に済ませている。後は、王宮からの迎えの馬車の到着を待つばかりだ。


「……あぁぁ、もうじき可愛いリーリエが行ってしまう。やっと親子の時間を取り戻せたというのに、こんなに早く嫁に出すことになるとは……」

「あなたったら、まだそんなことを言って。可愛い娘が行き遅れるよりよほどいいでしょう? 私はたった一年で淑女のマナーを完璧にして嫁いでいくリーリエが誇らしいわ」

「それは私も分かっているんだが……」


 お父様とお母様のこんなやり取りも、この一年ですっかりお馴染みとなった光景だ。


 目にする度、私は愛されているのだと実感し、胸が温かくなった。そうして私も、惜しむことなくふたりに愛を伝えてきた。おかげで十四年の空白は早々に埋まり、私たちはどこの家庭にも負けないくらい親子の絆を深めた。


 そんな愛しい両親のもとを離れるのは、少し寂しい。だけど、今回は所在すら不明であった以前とはまるで違う。


「お父様、暮らしは別になりますがいつだって会えます。ですからどうか笑顔で見送ってくださいませ」


 普段は静観している両親のやり取りに、今日はあえて明るい声で割って入った。


「ああ。そうだね、リーリエ。お父様は毎日、君の顔を見に行くよ」


 お父様の言葉に苦笑する。いくら優しい両陛下から『面会も帰省も遠慮はいらない。ご両親や友人とは、会いたい時に会うといい』とありがたいお言葉をいただいているとはいえ、さすがにそれはない。


「あなた。いい加減にしてちょうだいな」


 案の定、呆れ眼のお母様に窘められた。


「……冗談だ。だが、男親としてはやっぱり複雑でな」

「もう、困った方ね」


 ちなみに、王族の婚姻における最短の準備期間はおよそ半年。

 ローランド様は、本当は最短のスケジュールで結婚したかったようだ。けれど、私の淑女教育とやっと戻ってきた娘との生活を心待ちにする両親への配慮で、少しだけ挙式を先にしてくれた。


 おかげで一年間、私は両親と親密な時間を過ごす傍ら、貴族令嬢に相応しいマナーや知識、常識などをみっちり学ぶことができた。とはいえ、さすがに王太子妃教育までは手が回らず、これから徐々に学んでいくことになるけれど。


 ふいに、この一年私の一般教養とマナーを指導してくれたソレイユ伯爵夫人と目が合った。


「ソレイユ伯爵夫人、早朝から見送りにきていただいてありがとうございます」


 私が声をかけると、夫人は緩く首を振った。


「いいえ、私がお見送りさせていただきたかったの。リーリエ様。この一年、よく頑張りましたね。本当に、素晴らしい淑女におなりです」


 私を見つめる夫人の目に、うっすらと涙の膜が張っていた。それを見て、私の目頭もじんわりと熱を帯びた。


「私がここまでやって来られたのは、ソレイユ伯爵夫人が丁寧にご指導くださったからです。本当にありがとうございました」

「まぁ、嬉しい。そう言っていただけると、教師冥利に尽きますわ」


 夫人はコロコロと品よく、可愛らしく笑う。その笑顔がいつだって私を導いてくれた。


「夫人にもっともっと教えていただきたいことがたくさんありました。今後も忌憚なく助言していただけたら嬉しいです」

「本当に謙虚でいらっしゃる。リーリエ様のような方を王太子妃に迎えられることは、ローランド様はもちろん、私たち国民にとってもとても幸せなことね」


 夫人は目を細めるが、明らかにそれは過大評価だ。恥ずかしい上に答えに困り、私は曖昧に微笑んだ。


 実は、私たちの結婚が報じられた後、ひとりの記者が馴れ初めを取材しにやって来た。その時のインタビュー記事が再び新聞に掲載されるや大反響となり、あれよあれよという間に脚色されてロマンス小説に。果ては、芝居の演目にまでなったのだ。

 攫われた侯爵令嬢が十四年後に王太子殿下の花嫁になるその芝居は、現在も国立劇場で大盛況を博している。小説も飛ぶように売れているという。いまだに居た堪れない思いだが、私との結婚が国民から好意的に受け止められているのはありがたい。


 ここでふと、かつての親友の姿が脳裏を過ぎった。

 私にとって、忘れたくても忘れられないシスの存在……。かつての親友で、現在複数の容疑で裁判中の彼女は、事件についていまだ口を閉ざしたままだという。


 彼女から反省の弁が欲しいわけではないけれど、黙したままでいることで余計に罪が重くなってしまうのを私は危惧している。半年前、事件からもちょうど半年ほど経った頃のローランド様とのやり取りを思い出す──。



 あれは、お忍びで国立劇場に足を運び、観劇を終えた帰り道。

 せっかくローランド様と連れ立って街を歩いているというのに、私の表情は冴えなかった。気づいたローランド様が心配そうに問う。


『面白おかしく粉飾された部分も多かったからな。もしかして気分を害してしまったかい?』

『いえ、それはいいんです。あくまで創作と心得ていますから』


 私たちの馴れ初めをもとにしたロマンス活劇。その衝撃もさることながら、この時の私は芝居中で成り代わりを目論んだ娘があっけなく処刑される場面に心を痛めていた。


『ローランド様、シスはどんな罪になりますか?』


 事件以降、あえて聞くのを避けていたことを、初めて尋ねた。


『二件の殺人と殺人未遂、そして君に成り代わろうとした詐欺罪等で裁かれることになる。現行法では、未成年ゆえ芝居のように死刑はない。過去の判例を鑑みれば、おそらく二、三十年程度の服役になるだろう』


 ローランド様は一瞬だけ驚いたように目を瞠り、すぐに事実だけを端的に伝えてくれた。


『……もし、私が減刑を求める嘆願を書いて判事の元に送れば、多少なり判決に影響するでしょうか?』

『君に対する殺人未遂と詐欺については、少なからず判決に関係するだろうな』

『では、嘆願の手紙を書きます。少しでも早くシスが服役を終えられるように』

『君を亡き者にしようとした相手を、なぜ擁護する? そこまで心を砕く?』


 ローランド様は到底理解できないといった様子で、その口調と表情は少し険しい。


 ……亡き者、か。たしかにそうだ。


 当時の恐怖が蘇り、思わず胸の前でキュッと両手を組み合わせれば、ローランド様はハッとしたように私の肩を抱き寄せて、慰めるようにさすってくれる。


『すまない。余計なことを思い出させてしまったな』

『いいえ、シスが私にしたことは事実ですから』


 申し訳なさそうに柳眉を下げるローランド様に、首を横に振る。


『ローランド様、先ほどの『なぜ』への答えになるかは分かりませんが、私は思うんです。ずっと欲しかったものが隣の人のお皿にポンッとのったのを見て、思わず手を伸ばしてしまう。そんな間違いは、誰にでも起こり得るんじゃないかって。特にシスは誰よりも孤児院を出たがっていたから、その思いの強さがきっと理性を凌駕してしまって……』


 耳を傾けているローランド様の表情は複雑そうだ。私の話に静かに耳を傾けてくれているけれど、納得はできないのだろう。


『彼女、とても優しい子だったんです。そんな彼女と十年以上、寝食も苦楽も共にしてきました。だからこそ彼女の本質は悪ではないと、親友だからこそ更生を期待するし、信じたいとも思ってしまうんです。もちろん判例を捻じ曲げるつもりなんてなくて、法の範囲の中で私への罪状について減刑がなされればと……私の考えは愚かでしょうか?』


 ローランド様は真っ直ぐに私を見つめ、ゆっくりと唇を開く。


『愚かとは思わない。君のいう隣の人の皿のたとえも分からないでもない。……しかし、それを心の中で欲するのと、実際に奪おうと手を伸ばすのは雲泥の差だ。特にシスは、奪い取るために愛する君の命を脅かした。だからすまないが、俺個人としては嘆願には賛同できない』

『そんな、謝らないでください。ローランド様のお考えもよく分かります』


 この件に関してのみ、私とローランド様の考えが交わることはなさそうだ。


『嘆願書が書きあがったら渡してくれ。判事に最短で届くよう、こちらで手配しよう』


 えっ? 肩を落としかける私にかけらた予想外の台詞に驚き、パチパチと目を瞬く。


『それは、よろしいのですか?』

『内心思うところはある。だが、事件の当事者である君が望むのなら、俺はその意思に沿おう』


 意見の相違があっても切り捨てずに、私の思いを尊重してくれる。彼の心が、嬉しかった。


『ありがとう、ローランド様』


 ポンッと頭にのせられた手のひらの、包み込むような温かさに、涙が出そうになった。



 ──意識が、今に戻る。


 あれから半年。いまだ判決は出ていない。

 シスと私の進む道は違えた。そして私の進む道は、彼女の目に煌びやかに見えるのかもしれない。だけど、シスが進む道にも多くの幸せがあることに、いつか気づいてくれたらいい。


 ……シス。どんな結果になろうとも、私はあなたの幸せを祈っているわ。


「間もなく殿下がお越しです」


 家令の声で、一同が居住まいを正す。


 直後、正装に身を包んだ近衛部隊の先導で、王家の紋章入が入った馬車が我が家の正門をくぐる。近衛部隊を率いているのは、王太子付き近衛部隊の若き隊長、フリップ様だ。そして彼が守る馬車には王太子であり、今日から私の夫となるローランド様が乗っている。


 威厳あふれる輿入れの行列に、ピンと背筋が伸びる。ただし、過剰に緊張はしていない。この結婚に気負いや戸惑いを覚えることもあったけれど、ここ最近はだいぶ心構えができて、気持ちも落ち着いている。


 幸いにも、両陛下はまだ年若くお元気だ。順当に見積もれば、後数十年は在位されるだろう。その間に、私は焦らず自分なりのペースで妃としての振る舞いを確立していけたらいい。ローランド様のおかげで、こんなふうに前向きに考えられるようになっていた。

 どうやら一部では私たちの結婚に反対する勢力もあったようだが、すべてローランド様が対処したらしい。心配になって彼に尋ねてみても、笑顔で『きちんと納得してもらえた』と返されただけで、詳細が私の耳に入ってくることはなかった。私もそれ以上、無理に聞こうとはしなかった。


 貴公子然とした佇まいで優しく愛を囁いてくれるローランド様。だけど彼の愛情は、私が想像する以上に深く激しいのかもしれない。そんな彼の激情を嬉しいと感じるのだから私も大概だ。


 ゆっくりと走ってきた馬車は、玄関前までやって来て静かに停車する。


 ──カタン。


 侍従が扉を引き開けると、白地に金の装飾が施された詰襟の正装に身を包んだローランド様が、緋色のマントを翻しながら地面に降り立つ。凛々しいその姿に、トクンと鼓動が跳ねた。


 ……なんて素敵なの。


 ローランド様が顔を上げ、私と目線がぶつかる。次の瞬間、満面の笑みを浮かべたローランド様が大股でこちらに踏み出し──。


「きゃっ!?」


 気づいた時には、私は彼の逞しい胸の中にすっぽりと抱き締められていた。

 ローランド様の想定外の行動に、見守っていた両親と隊員たちは息をのみ、若い侍女数人が黄色い歓声をあげた。


 いったい、なにがどうなってるの!?

 驚いた私が目線を向けると、真摯な光をたたえた瞳が真っ直ぐに私を見つめていた。


「今日まで長かった。だが、やっと手に入れた」


 萌ゆるグリーンの瞳に映った自分の姿を見ながら、まるで時が止まったかのように錯覚した。

 十五年の年月は、少年だった天使様を大人の男性に変えた。だけど、慈しみに満ちた眼差しは寸分も変わらない。そしてこれからも、彼が私を見つめる眼差しは変わることがないだろう。


「俺のお姫様。もう君を離さないよ」


 独占欲を滲ませた甘い囁きに、ピクンと肩が跳ねる。胸の奥、深いところが震え、ホロリとひと雫涙が頬を伝う。


 この一年で、嬉しくても涙が出ることを身をもって知った。ローランド様も私の行動から学んだようで、私の涙を目にするや胸ポケットからハンカチを取り出して、慣れた手つきで拭ってくれる。


 愛おしい想いが溢れ、嬉しいのに胸が詰まって苦しい。幸せなこの矛盾に、私はこれからも翻弄され続けるに違いない。


「……ローランド様、どうか離さないでください。そして私も、大切なあなたの手を絶対に離しません」


 私は彼のハンカチを持つのと逆の手をそっと取ると、離れ離れだった時間を埋めるように隙間なく指を絡める。

 ローランド様はほんの一瞬、驚いたように目を見開き、次いで蕩けるように微笑んだ。


「それはいいな。これからはふたりで、ずっと手を携えて歩いていこう」


 組んだ指にキュッと力が籠もる。

 私とローランド様は固く手を取り合って、同じ未来へと歩みだした──。





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