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本物の百合1



 俺がフィーアを負ぶって地上に戻った時、ちょうど警邏の隊員が到着し、シスとロダンを連行していくところだった。モンテローザ侯爵夫妻や家令も一堂に会し、事の成り行きを見守っていた。


「ローランド様、フィーア! あぁ、よかった!」


 俺たちの姿を認めるや、ブライアンたちが駆け寄ってくる。


「お手伝いします」


 家令がすぐにフィーアを背中から下ろすのに手を貸してくれる。

 すると、連行中のシスがこちらの様子に気づいて足を止めた。


「……チクショー! なんでいつもフィーアばっかりいい思いして、あたしばっかり貧乏くじを引くんだよ!? おかしいだろうがっ!」


 シスはフィーアを見るや、悪鬼のような形相で喚きだした。


「フィーア、聞く必要はない」


 ビクンと肩を震わせたフィーアを咄嗟に守るように抱き寄せる。彼女の顔は気の毒なほど青褪め、大きく見開かれた瞳は悲愴感に陰っていた。


「聞くに堪えん! さっさとその女を連れて行け」

「放せ、放せっ、チクショー!」


 隊員に指示するが、シスの抵抗は激しい。


「やっとリーリエになれたのに、どうしてあたしの邪魔をするんだよ!? なんでフィーアがリーリエなんだよ!? チクショウ! チクショー!!」


 なおも続くシスの口汚い罵りに、思わず耳を塞ぎたくなった。しかし、台詞の途中でビクンと心臓が跳ねた。


 今、シスはなんと言った? ……『なんでフィーアがリーリエなんだよ』だと?


 その台詞が意味するもの──。


「まさか、本物のリーリエは……」


 思わずこぼれた呟きに、腕の中のフィーアが息をのむ。その反応こそが雄弁に告げていた。


 ……あぁ、そうか。そうだったのか。


 その瞬間。周囲の時間が、止まったかのように錯覚した。

 驚き、喜び、戸惑いや後悔も、あらゆる思いが忙しなく胸に交錯する。中でも今後への期待感は、群を抜いて大きかった。


 トクン、トクンと血の巡る音が、煩いくらい鼓膜に反響している。彼女へのあふれるほどの想いが、狂おしく胸を詰まらせる。


「君が、私たちの……リーリエなのか?」


 俺たちの向かいでブライアンが唇を戦慄かせ、泣きそうな声で問いかけた。その横では夫人が滂沱の涙を流し、フィーアを見つめていた。

 フィーアはピクンと体を震わせて、長い間の後にほんの小さく首を縦に振る。それを目にして、ブライアンと夫人はその場に泣き崩れた。


 やはりそうか。俺の捜し求めていたリーリエは、フィーアだったのだ。


 俺は、今度こそ大切な人をこの手で守れたのだ。そして、今後はフィーアへの想いを押しとどめる必要がない。誰に憚ることなく俺はフィーアを……いや、リーリエを愛せるのだ。

 歓喜と高揚に胸が熱くなった。


 その時。俺の肩に置かれていた彼女の指に、ほんの僅かに力が籠もる。見ればその瞳が、不安と恐怖に濡れていた。


 ……いや、まだだ。今はまだ焦ってはいけない。フィーア自身、この真実を知ったばかりだろう。それも、シスの裏切りという最悪の形によって。

 傷心の彼女を追い込むことがないよう律しなければ。


「大丈夫だ、なにも心配いらない。この後のことは君の両親も交えて話し合おう。決して悪いようにはならないから、安心して」


 シスの所業に傷つくフィーアに、努めてやわらかに告げる。明らかになった事実に歓喜する心の内を微塵も見せぬよう封じながら。

 フィーアは俺の言葉でほんの少し、体の強張りをほどいたようだった。


「あたしがリーリエでなにが悪い!? チクショウ、放せ! 放せ――!!」


 罵り続け、てこでも動こうとしないシスを警邏の隊員が仕方なく担ぎ上げる。

 その横で、ふいにロダンが足を止めた。


「シス。いいことを教えてやる。お前の母親は大概素直じゃない上に口下手だった。お前は捨てられてなんかいないぜ。手ぇかかるガキがいたんじゃ仕事の邪魔になるってんで、当時の娼館主に勝手に取り上げられてしまったそうだ」


 シスが怪訝そうにロダンを見やる。ロダンはこれまでの胡散臭い笑みとは違う引き締まった表情で、さらに続けた。


「それとお前は勘違いしてるようだが、お前の母親はやっと見つけて引き取った娘を娼婦にする気なんかなかった。あいつは事ある毎に言ってたぜ。『あの子にゃ、あたしに叶わなかった幸せな結婚ってやつをして欲しいね。ここからじゃちょいと障りがあるかもしれないが、精一杯の嫁入り道具を持たせていい男のところに嫁に出してやる』ってな」

「そんなん知ったことか! あたしは貴族の令嬢になりたかったんだ! 孤児も娼婦の娘も、あたしはどっちも御免だね! 人に下に見られて、虫けらのように這いつくばって暮らすのなんて、あたしは絶対に嫌だっ!」


 ロダンの話もシスの心には響かなかったようだ。

 ロダンは憐れむような、切ないような、なんともいえない表情を浮かべていた。


「隣の芝生は青く見えるもんだ。俺に言わせりゃ、貴族の令嬢も楽じゃねえと思うがな」


 ロダンは最後にこんなふうにこぼし、シスの横を通り過ぎていった。


「なんでだよ!? どうしてフィーアなんだよ。あたしが本物のリーリエでいいじゃないか。チクショウ、チクショウ……っ」


 今度こそ隊員によって連れ去られながら、シスは壊れたように同じ言葉を繰り返していた。


「てっきりお前は金のために動いたんだとばかり思っていたが、違ったようだな」


 フリップがロダンの横に並び、声をかけた。


「なんのことだ? 俺はシスに金を積まれて殺しを請け負っただけさ」


 ロダンはシスに語り掛けていた時とは一変して、ヘラリと笑って答えた。


「娘の懇願にでも絆されたか?」

「ハッ、娘だぁ? 男は種まくだけで、腹を痛めて産むわけじゃない。しかも母親が娼婦とあっちゃ、当時の客すべてが父親候補だ。本当に俺の娘かどうかなんて、分からねえよ」

「シスの母親も大概素直じゃなかったようだが、あんたも相当拗れてんな」


 ロダンはそれには答えず、隊員に縄を引かれるまま大人しく歩き去っていった。


 俺は一連の事件のなんとも後味の悪い終結に内心で嘆息しつつ、フィーアを抱く腕に力を込めた。ここでふと、腕に感じるフィーアの体温がひどく熱いことに気づく。


「フィーア?」


 呼びかけるとフィーアが緩慢な動きで俺を見上げる。薄く涙の膜で滲んだ目はぼんやりして、その反応は鈍い。

 そっと頸部に手を宛がい、その熱さに驚く。


「ひどい熱だ! 大至急医者を呼んでくれ、フィーアが発熱している!」


 俺の声で、一連の騒動を茫然と見守っていた一同が慌ただしく動きだす。家令が医者の手配に駆け出し、俺もフィーアを横抱きにして急いで屋敷に向かう。

 夫妻も慌てて俺たちに続いた。


「フィーアの寝室は?」

「こちらです!」


 屋敷の玄関で問うと、ブライアンが自ら先導して屋敷内を駆け出す。

 俺は大事にフィーアを抱えながら彼の背中を追う。


 チラリと腕の中のフィーアを見下ろすと、宝石のようなふたつの瞳が今は瞼の後ろに隠れ、サクランボのような色をした唇は苦しげな呼気を漏らしている。

 心身の疲労が限界に達し、体が悲鳴をあげたのだろう。


 ……フィーア。もう、二度と君を悲しませたり、苦しませたりしない。


 これからは俺が、君を脅かすすべてから守ってみせる――! 十四年ぶりに取り戻した俺のお姫様をキュッと抱きしめた。





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