踏みにじられた百合3
「っ、知らない! あたしはなにも知らない!!」
ガッと肩を掴み上げて問い詰めるが、シスは口を割ろうとしない。俺自身、このままシスが白状するまで痛めつけることになんら抵抗はなかった。しかし、こうしている間にもフィーアの安全が脅かされているかもしれない。
シスの焦りようを見れば、このハンカチがフィーアの居所に通じる手掛かりなのは瞭然。今はまず、小屋の裏手を捜すべきだ。
「クソッ!!」
「あっ!」
ドンッとシスを突き飛ばして走り、小屋の裏に回り込む。小屋に来た際、中に入る前にザッと裏も覗き込んだが、特に気になるようなものはなかったが……ん? あそこだけ地面の色が違っている!?
駆け寄ると、直径一メートル位の蓋のような物が地面に置かれていた。
……これは、枯れた井戸を蓋で塞いでいるのか!
俺が急いで蓋を持ち上げようとした瞬間、蓋が中から力任せにバンッと押し開けられた。
「っ!?」
反射的に飛び退いて蓋の直撃を避ける。そのタイミングを狙い、井戸の中から大柄な男が剣を手に飛び出してきて、俺に切りかかってくる。
俺は即座に反応し、腰からレイピアを抜いて斬り結ぶ。ギリギリと押し合いになったのをレイピアの向きを傾け、刃を滑らせていなす。トンッと地面を蹴って跳躍し、男と間合いを取って対峙する。
金髪碧眼の一見すれば優しげな顔立ち。しかし、こんな状況にもかかわらず、どこか掴みどころのない薄ら笑いを貼り付けたこの男は……!
「娼館で用心棒をしていたロダンか?」
問いかけながらも、俺はその実この男の正体を確信していた。
「これはこれは。俺も有名になったもんだ」
ニヤリと笑いながら、男──ロダンは大きく踏み込んで剣を突き出す。俺は上半身を反らして避け、切り払うようにレイピアを振る。ロダンはギリギリのところで受け止めるとカンッと力技で弾き、今度は上で斬り結ぶ。
「フィーアはそこの中か!?」
「さぁてな」
剣を突き合わせれば、自ずと互いの力量が知れる。ロダンの余裕ありげな態度とは裏腹に、俺との力の差は明らか。成人前の一時騎士団に所属して正式に剣の腕を磨いた俺に、ロダンの自己流の剣では敵わない。
すると、自分でもそれが分かっているのだろうロダンが、反撃の一手に出た。俺の足を狙って繰り出された蹴りを、側方に跳んで避ける。すかさず頭上に振り下ろされた剣を受け止めて弾き、薙ぐように斬り返す。
屈んで後方に避けようとするロダンの動きを見逃さず、その足に素早く足払いをかけて引き倒す。体重を乗せようとしていた足に、不意打ちを食らった恰好のロダンは、バランスを崩してなす術なく地面に沈む。
俺はガラ空きのその首目掛け、上からレイピアを突き入れる。
ロダンは自分が蹴りを繰り出しておきながら、まさか俺に同じ攻撃をされるとは思わなかったのだろう。目を丸くして俺を見つめていた。
──ザンッ!!
首の皮一枚を掠め、レイピアが地面に刺さる。
「フリップ! 拘束しろ!!」
俺との切り合いに集中していたロダンは気づいていないようだったが、剣戟の音を聞き付けたフリップがこちらに駆け付けていることは、気配で分かっていた。俺が声をあげるのとほぼ同時にフリップが飛び込んできて、ロダンの両手に素早く拘束具を嵌めていく。近衛部隊長のフリップは、剣のみならず拘束具などの装備一式を常に携帯しているのだ。
ちなみに、ひとり逃げ出そうとしていたシスは既にフリップによって拘束されている。ふたりの言い合う声が、俺の耳に届いていた。
「フィーア!」
フリップが手際よくロダンを拘束していくのを横目に見て、俺はすぐに井戸を覗き込む。
中に向かって呼びかけてもフィーアからの返事はない。しかし、井戸は深さ十メートルほどと比較的浅く、見通しがきいた。
……あれは!
井戸の底に蹲る人影を目にした瞬間、立て掛けてあった梯子を下っていた。
フィーアは井戸の壁面に凭れかかった体勢のまま動かない。意識がないようだが……まさか!?
脳裏を過ぎった最悪の想像に嫌な汗が噴き出し、心臓がバクバクと煩いくらいに鳴った。気ばかりが急いた。
梯子が残り数段になたところで飛び下り、彼女の元に向かう。
「フィーア、無事か!?」
彼女の薄く開いた唇から呼気が漏れているのを確認し、ホッとして思わず全身の力が抜けそうになった。
……ああ、よかった! 生きている!!
「フィーア? フィーア」
幾度か呼びかけると、フィーアは瞼を震わせてゆっくりと目を開く。
安堵したのも束の間、彼女が腹を押さえて小さく呻くのを目にして、俺の眉間に皺が寄る。
「……うっ」
「怪我をしているのか?」
「えっ? ローランド様!?」
俯いていたフィーアが俺の声に反応し、ガバッと顔を上げる。彼女はその瞳に俺を映すと、こぼれ落ちそうなくらい目を見開いた。
「腹が痛むのか?」
彼女が気を失っていたのは、どうやら腹を殴られたせいらしい。
「い、いえ! 大丈夫です!」
患部を確認しようと俺が服に手を伸ばそうとするのを、フィーアが慌てて制す。
「だが……」
「あの、本当に! ちょこっと殴られただけなので……!」
彼女が口にした『ちょこっと』というのは明らかな嘘だが、パタパタと手を振って訴える様子を見る限り、重篤ではなさそうだ。しかし、昏倒するほど強くフィーアを殴ったロダンには殺意が湧いた。
「分かった。だが、地上に上がったら念のため侍医の診察を受けてくれ」
「分かりました」
「よし。では上に戻ろう。ほら?」
外套を脱ぐと背中を向けて屈み、フィーアを促す。
「え?」
フィーアが俺の背中を見つめ、パチクリと目を瞬かせる。
「俺が君を負ぶって上る」
「いえ! 私、自分で上れます」
「いいや。君はさっきまで意識がなかったんだ。それに腹を殴られていては、力だって入れにくいはずだ。万が一があってはいけないから、俺に負ぶさるんだ」
俺が整然と告げれば、彼女はそれ以上反論できずに頷く。
「ほら、のって」
「し、失礼します」
フィーアがおずおずと俺の肩に手を回して負ぶさる。
背中にかかる重みと温もりが愛おしい。
……失わずに済んでよかった。
「よし、これでいいだろう」
フィーアの体が俺から離れないように念を入れ、脱いでいた外套を彼女の上から巻きつけて即席のおんぶ具に仕立て上げた。
「苦しくはないか?」
「大丈夫です」
「そうか。ゆっくり上る」
「はい」
彼女が温かな体で息をして、動いて、俺を目に映して会話をする。こんな当たり前が苦しいくらいに嬉しい。
慎重に梯子を上りながら、まだ見ぬ神に感謝した。普段とんと信仰心など持ち合わせない俺だが、今日ばかりは礼を尽くさずにはいられなかった。
彼女を失うかもしれない。それは、俺にとって恐怖だった。どんなに封じ込めようとしても想いは膨らむ。もう、隠しようなどない。
俺はフィーアを愛しているのだ。
だが、普通の男女が愛した先に思い描くであろう交際や結婚といった未来には、意図的に蓋をした。
──『どうせフィーアを妾にでもする気だろ』
かつて俺に、こんな台詞をぶつけてきた者がいたが、言われるまでもない。王太子である俺と平民で孤児のフィーア。そこには当人の思いだけでは埋めきれない、うず高い壁がある。
たとえどんなに心がフィーアを求めようとも、フィーアに対し不実な男にだけはなり下がらない。これは俺の矜持だ。
彼女を大切に、愛おしく思えばこそ──。




