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はじまり2


***


 収穫祭を翌週に控えたカインザード王国の王都は、多くの人と物が集まって、活気に満ちていた。国土を南北に流れるエーンデル大河の川上では、就航したばかりの豪華客船エーンデル号が汽笛を鳴らし、間もなくの接岸を報せる。王都の河川港は、入港を待つ人々で溢れていた。


 そんな、賑わう王都の街を一望する高台に、カインザード王国が誇る白亜のカインザード城は高雅に聳え立つ。俺の曾祖父に当たる先々代の王が即位と同時に建築に着手したこの城は、最新の建築技法を取り入れて、資材や装飾の細部に至るまでこだわり抜いて造られている。その建築期間は実に三十年にも及び、着工の指揮を執った曽祖父は城の完成をその目で見ること無く旅立っている。


 そうして先代の祖父の代、豊かな秋の実のりの時期に、近隣諸国に類を見ぬ荘厳な城がついに完成した。これまで主流であったレンガ材の重々しい赤茶色から一転、新時代の幕開けを予兆させる白亜の城は国民の心を浮き立たせた。


 祝い酒が振舞われ、大々的に取り行われた竣工祭に、国民は大いに沸いた。

 この竣工祭の日どりが、たまたま収穫期の終わりがけに重なっていたことから、翌年以降もこの日になると多くの国民が集まり、国の威信を示す美しい城の完成と、豊かな実りを祝うようになった。時期が移ろい、竣工祭としての側面がすっかり形骸化した今も、収穫祭と名を変えてその日は国民の祝日となっていた。


「なにが収穫祭だ! 十四年前の教訓を忘れてしまったのか!? 祭りにかこつけて不特定多数が入り乱れ、どこに犯罪の芽が潜んでいるか分らないというのに城内までこのように浮かれきって。あまりにも危機感がなさすぎる」


 城内の、王族の居住エリア。その中にあって、異質なほど質素に整えられた一室から王都の賑わいを見下ろして、忌々しく吐き捨てた。


 ……十四年前の収穫祭の日。俺の許嫁だったモンテローザ侯爵令嬢・リーリエが誘拐された。


 当時五歳だった俺は、彼女が攫われる瞬間を目にしながら助けることはおろか、声をあげることさえ出来ずに固まっていた。周囲の者たちは誰も俺を責めなかったが、ずっと後悔している。


 あれ以来、収穫祭の賑わいは、俺にとって悪夢以外のなにものでもない。そんな十四回目の悪夢が、今年もまたやって来る。

 浮かれきった街の様相を前に、噛みしめた奥歯がギリリと軋みをあげた。


「まぁローランド、そう言うな。お前の気持ちは分かるが、たまの祭くらい羽目を外して騒ぎたくなる気持ちも、俺は分からんでもない」

「フリップ」


 俺の乳兄弟であり、現在はカインザード王国軍の王太子付き近衛部隊で若き隊長を務めるフリップが傍らに歩み寄り、トンッと肩を叩いた。

 フリップは武人らしい筋骨隆々の体躯に日に焼けた肌、灰色の短髪と同色の鋭い三白眼で一見すればいかつい風体だが、その気性は存外きめ細やかでよく気が回った。


「なに、俺が目を光らせているんだからどんな犯罪だろうと許しはしない。それに先の緩みきった管理担当者たちとは違う。俺の部隊員には間違っても警備計画を売るような人間はいないから安心しろ」


 十四年前の事件以降、王宮の警備は増強されたが、月日の経過でどうしても緩みは生じる。そんな中、隊長に就任したフリップは緩んだ体制を再び引き締め直した。現在、王宮の警備は蟻の子一匹通さぬ鉄壁の構えとなっている。


「分かっている。もとより、お前の働きは疑っていない」


 フリップの功績はそれだけにとどまらない。彼は隊長に就任すると警備体制の刷新のみならず、王都の治安改善に動いた。


 そして就任から三年後、ついに王都に蔓延る一大犯罪組織の壊滅を成し遂げた。これにより、王都の犯罪発生件数は激減していた。


「お前が犯罪組織を一網打尽にしたおかげで、王都の治安も以前とは段違いによくなった。お前には感謝しているさ」


 俺がいつになく素直に思いを口にしたというのに、なぜかフリップは答えない。


「おい、黙り込んでどうした? おかしな奴だな」


 前を見据えたまま唇を引き結んだフリップを怪訝に思い肘でつつけば、予想外に真剣な眼差しを向けられた。


「精査はこれからだが、お前には伝えておくべきかもしれんな」

「なんの話だ?」


 唐突なフリップの物言いに、戸惑いが浮かぶ。


「その犯罪組織の頭領が、やっと口を割った。十四年前の、モンテローザ侯爵令嬢誘拐事件についてだ」

「なんだと!? 奴はなにを話した? リーリエは今、どこにいるんだ!?」


 耳にした瞬間、俺はフリップの胸倉を掴み、噛みつく勢いで問い質していた。


「ま、待て! 落ち着け、ローランド。順を追って説明する」


 フリップは興奮を隠せない俺を真っ直ぐに見据えて言う。

 俺はハッとして、掴んでいた手を引く。よほど強く掴んでしまっていたようで、パリッと糊の利いたフリップの隊服は、胸の部分に皺が寄ってしまっていた。


「すまん。つい、頭に血が上ってしまったようだ」

「いや、攫われたまま十四年間も行方知れずになっていた許嫁の情報なんだ。平常心でいろという方が無理な話だ」


 小さく詫びを伝えれば、フリップは俺の目を見つめ、共感を口にした。そうして上着の胸ポケットからメモ紙を取り出して、目線を落とした。


「ただ先にも言った通り、証言の精査はこれからなんだ。そこのところを肝に銘じて聞いてくれ――」

 こんな前置きの後、フリップは聴取の内容が記されているであろうメモを見ながら、ゆっくりと話しはじめた。


「……モンテローザ侯爵の実弟のモリスが、姪の誘拐を指示したと言うのか?」


 聞き終えた俺は、震える拳を握り締め、愕然と空を仰いだ。


 次男に生まれ、爵位を継げなかったモリスは、実家に勝るとも劣らぬ名門のクランデル侯爵家に婿入りしてクランデル侯爵となった。奴は煌びやかな社交場でこそ貴公子然とした姿を装っていたが、その素行の悪さは裏社会ではよく知れた話だった。賭博場やいかがわし気なサロンに入り浸っては享楽に耽る。酒を飲んでは妻への不満をうそぶいたり、実家の爵位を継いだ兄や兄を後継者に指名した実父を罵ったりしていた。

 そんなモンテローザ侯爵家とクランデル侯爵家の夫人が同年に女児を生んだ。このふたりが俺の許嫁の候補にあがり、諸事情を鑑みて俺の許嫁はモンテローザ侯爵令嬢・リーリエに決まった。そんな経緯があった。


「ああ、頭領の証言ではな」

「俺の許嫁の座を得んがため、リーリエの排除を目論んだか……」

「そうかもしれん。だが、お前も知っての通り、モリスは三年前に鬼籍に入ってしまっている。本人に確認することは叶わないから、当時の関係者を中心に、現在調査を進めているところだ」


 モンテローザ侯爵夫人と俺の母が親友だったこともあり、俺は幼い頃から度々リーリエと交流していた。リーリエは生後間もなく俺の未来の妻と定められた娘だったが、当時の俺に「許嫁」や「未来の妻」という認識はなかった。ただ、乳の匂いがするふにゃふにゃのリーリエは頼りなくて、守ってやりたい妹のような存在だった。


 桜色のほっぺたをツンとつつけば、彼女は俺を見上げてふにゃりと笑った。

 その太陽のような笑顔と、俺の手を握り締める小さな手のひらの温もりに、彼女に会えばいつだってふわりと心が綻ぶような思いがした。


 再び彼女を取り戻すことが、十四年間ずっと俺の悲願だった。


「フリップ、続きの調査は俺がする!」


 宣言と同時に身を乗り出して、フリップの手からメモを奪う。すかさず目線を走らせれば、リーリエの現在の所在と思しき地域が列挙されていた。


「なにを血迷ったことを言っている!? 王太子のお前が直接動くなど、できるわけがないだろう!」


 リーリエの消息が不明のまま俺は成人と共に立坊し、正式な王太子となった。誘拐により、リーリエとの婚約は一旦白紙になっていた。


 婚約者の不在を心配する父や大臣らからクランデル侯爵令嬢をはじめ、他の令嬢を新たな許嫁に勧められようとも、俺は絶対に首を縦に振らなかった。

 そして今も、俺の許嫁の座は空白のままになっている。


「血迷ってなどいない。彼女は、俺の婚約者だった女性だ。俺がこの手で彼女を捜し出す!」


 長年、捜し求めていた彼女の所在。有力な証言が得られずに、ずっと臍を噛む思いだった。ただ王城で待っているなど、できるはずがなかった。


 俺は引き止めようと伸ばされたフリップの手を躱すと、メモ紙を握り締めて扉に向かう。


「……クソッ! 待てローランド!」


 扉を引き開ける直前、フリップからかけられた制止の声に足を止めた。無視を選ばなかったのは、奴の声が隊長の立場からの説教じみたそれとは違い、素のフリップが発したものだと分かったからだ。


 振り返れば、忌々し気に頭を掻きむしるフリップと視線が絡む。その目は、諦めたような、どこか吹っ切れたような、なんとも言えないもの。それを見るに、どうやらフリップは腹を決めたようだった。


「お前がこの後の公務に穴を開ければ、陛下や妃殿下は……まぁ、腹を抱えて笑いそうだが。間違いなくお袋は心配して泣くぞ」


 ……父や母はこの際どうでもいい。彼らは狸だ。


 それよりフリップの母で俺の乳母でもあったマリッサは、俺の出奔を知れば間違いなく泣くだろうな。


「だろうな。そして、俺の出奔を知りながら止めなかったお前に対し、きっと怒り狂うに違いない。……だが、俺はマリッサを泣かせてもリーリエを捜しに行くと決めた」


 幼少期から長い時間を共に過ごした乳母の姿が目に浮かぶようだった。

 気風のいい乳母も、既に初老に差しかかっている。心配性の彼女のことを思えば心が痛むが、だからといって俺がここに留まる理由にはなり得ない。


 俺はもう、指を銜えて見ているだけ、そんな無様な真似はしない。今度こそ、この手でリーリエを助けだしてみせる――!


「そうか。ならば俺も同行するぞ! こうなれば、どんなに止めてもお前は聞く耳を持たんからな」

「フリップ……!」

「なに。そもそも、これをお前に伝える判断をしたのは俺だ。こうなっちまった責任は俺にある。王宮の警備体制を整え、犯罪組織の壊滅も成し遂げた今、たとえ隊長職を解任されようと未練はない」

「馬鹿を言うな。俺の威信にかけ、お前を隊長職から解任などさせやしないぞ。お前は俺の在位期間にこそ要職につき、ますます働いてもらわねばならんからな」


 フリップは苦笑してヒョイと肩を竦めてみせた。あえて口にはしなかったが、内心フリップの同行はありがたかった。


 俺のリーリエ、必ず君を取り戻してみせる――!


 こうして俺とフリップは、リーリエの足取りを辿るべく連れ立って王城を出発した。




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