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募る想いと違和感2


***


 出港から三日目。王都到着を明日に控え、船で過ごす最後の夜。


 ……ちっとも眠れないわ。


 今後への期待と不安で心が昂って、なかなか眠りは訪れなかった。


 私は驚くほど滑らかな肌触りの掛布をずらし、寝台からそっと体を起こした。

 隣の寝台では、リーリエがぐっすりと眠っていた。出港からしばらくは船酔いで伏せっていた彼女だが、夕食前にはすっかり酔いも落ち着いたようで、贅を凝らした出港記念パーティに目を丸くしてはしゃいでいた。

 その日だけは私も一緒にダイニングに行き、目も眩むような豪華さに圧倒された。昨日、今日の夕食時も出港初日ほどではなくともマジックショーや楽曲演奏などのエンターテイメントで大いに盛りあがったというが、残念ながら私は見られなかった。


 私がドレスコードのあるダイニングに着ていける服は、リーリエに借りて着ていた初日の一着のみ。リーリエに案内された衣装雑貨店で購入した替えの服が、場に相応しくないのは明らかだった。

 体調を言い訳に夕食を辞した私を、ローランド様はとても気にかけてくれた。心配させてしまい申し訳ないと思いつつ、本当のことを言えるわけもなく、曖昧に答えるしかできなかった。


 リーリエは相変わらずで、ずっとピリピリしている。私への当たりも強い。ローランド様たちは、彼女のそんな態度に呆れが隠せない様子だ。


 彼女がこんなに虚勢を張るのは、どうしてなのか。

 その理由は分かならいけれど、他ならぬリーリエ自身のためにも空威張りを止め、以前のように素直になってもらいたい。


 寛容なローランド様だから、リーリエを悪く扱うことはないだろうけれど。それでも、今のままでは心象が悪すぎると思うのだ。


「少しだけ、外の風でも浴びてこようかしら」


 毛足の長い絨毯にトンッと足をつき、デッキへと続く扉を開けた。


 ……えっ?


 デッキに人影を認め、私は踏み出しかけた足を止めた。

 ここは専用デッキだから一般客は入れないが、エントランスから続く居間やローランド様たちの使うメーンベッドルームからも繋がっている。だから、先客があったとてなんら不思議はないのだが。


 ワイングラスを片手に、手擦りにもたれかかっていたローランド様が、ゆっくりとこちらを振り向く。


 彼は黒のトラウザーズにシャツというラフな装いで、日中はサイドを後ろに流して整えていた髪も、就寝前の今は無造作に顔にかかっている。彼は月明かりの下で、匂い立つような色香を醸していた。


 ふたりの視線が絡み、無意識にゴクリと喉が鳴る。全身の体温が上がり、喉がカラカラになるのを感じた。


「フィーア。君だったか」


 彼の形のいい唇がゆっくりと開き、心地いいバリトンボイスが私の耳を擽る。

 酒精のせいだろうか。それとも宵闇の見せる錯覚か。昼間の貴公子然とした様子とは一転して、砕けた雰囲気が漂っていた。


「こ、こんばんは」


 グラスの脚を軽く握る骨ばった指と筋の浮かんだ大きな手。寛げた襟元から覗く首のライン。彼の全てが、無性に私をドキドキと落ち着かなくさせた。


「こんな時間にどうしたんだい?」


 どこか甘さを感じさせる彼の声も、私の胸を騒がせた。


「寝付けなくて、少し夜風を浴びようと思ってきたのですが……えぇっと、ローランド様こそお休みにならないんですか?」


 答えながら、頬に熱が集まっているのを感じた。


 ……今が夜でよかったわ。


 空を照らしているのが月でなく太陽だったら、リンゴみたいに赤く染まった頬がバレてしまっていただろう。


「どうにも眠れなくてね」


 私を見つめるグリーンの双眸がスッと細くなる。けぶるようなその瞳に、トクンと鼓動が跳ねた。


 ローランド様は持っていたワイングラスを円形のガーデンテーブルに置くと、真っ直ぐに私を見つめて踏み出した。一歩、また一歩とふたりの距離が詰まっていくたび、胸の音が速く大きくなっていった。

 そうしてついに、ふたりの距離がゼロになる。間近に向かい合う宝石みたいなグリーンの瞳には、私の姿が映っていた。


「十四年だ」

「え?」

「俺は十四年、リーリエとの再会を神に祈り、必死に行方を捜していた」


 唐突に告げられた言葉に、私は目を瞠った。

 なんと、ローランド様はそんなに長く、リーリエを捜し求めていたのか。


「そうだったんですか。そんなに長い期間待ちに待った再会を果たしたのなら、とても眠るどころではなさそうですね。おふたりが再会できて、本当によかったです」


 自分のことのように嬉しくて、弾む声で伝えた。ところが、なぜか彼は表情を曇らせた。


「ああ。本来であればこの上無く喜ばしいに違いない。だが、俺は……」


 ローランド様はここで不自然に言葉を途切れさせた。


 射貫くように私を見つめる瞳の熱量に、逆上せてしまいそうだ。一方で、どこか苦しげな彼の様子が気になった。


「ローランド様? なにか憂いがおありですか?」


 私の問いかけに、彼は緩く首を振る。


「いいや。すべては俺自身で折り合いをつけるべき問題だ。なに、リーリエのことは、十分に尊重するさ。本来彼女が得るはずだった幸福を取り戻せるよう、力を尽くすつもりだ」


 自嘲の笑みを浮かべながらこぼされた台詞。それは私に聞かせるというよりも、まるで彼が自分自身に言い聞かせようとしているみたいだった。


「それならリーリエお嬢様の十四年分の空白は、きっと一瞬のうちに埋まってしまいますね。だって、ローランド様が力を尽くして、幸せにならないわけがありません」


 私の言葉に、なぜかローランド様が眩しそうに目をすがめた。


「……そうか。君にそう言ってもらえると、心が軽くなるよ」


 私はただ、事実を口にしただけだ。

 小さく首を傾げる私に、ローランド様はフッと口もとを緩めた。


 ここでふいに、私を見下ろすローランド様がなにかに気づいた様子で眉を寄せた。


「ところでフィーア、その服はたしか出港の日に君が着ていたものだ。もしかして君は、昨日と今日の日中身に着けていた二着しか着替えを買っていないのか? そのせいでダイニングに来られなかったんだね」


 ローランド様は問いかけながらも、ほとんど確信している様子だった。


「おっしゃる通り、私はダイニングに行くのに相応しい服がなくて夕食を遠慮しました。嘘をついてすみません。それに認識が甘く、船旅に相応しい装いが用意できていなかったことも。本当にすみませんでした」


 私はひと息で謝罪を述べて頭を下げた。


「謝る必要などない。だが、そもそも君たちはいったい、どこの店で旅の品の購入を……」


 ビクンと肩が跳ねる。続く質問に、私はいったいなんと答えるべきだろう。


「……いや、分かった。それについてはもういい」


 窮して息を詰める私になにを思ったか、ローランド様はこの件についてそれ以上追及してはこなかった。

 身を縮め、頭を下げたままの私の肩に、トンッと大きな手がのる。


「フィーア、最初に君を王都に誘ったのは俺だ。俺は君に幸せになってほしいと思っている。そして俺は、そのための協力を惜しまない。なにかあれば、遠慮なく頼ってくれ」


 誰かから、こんなに優しい言葉をかけられたのは初めてだった。胸の奥、深いところがジンと熱を持った。


「ありがとうございます」


 ……彼は、とても優しい人。同時に、とても責任感が強い人でもあるのだろう。


 だからこそ、私はその優しさに甘えすぎてはいけない。きちんと自らを律しなければ。


「ですが、ご心配には及びません。私はリーリエお嬢様の侍女として働くことが決まっていて、ありがたいことにお給金も支給してもらえるそうです。予想外の形ではありましたが、自立の夢が叶いました」


 ローランド様は口を噤み、ジッと私の言葉に耳を傾けている。


「私はよく知っているんです。孤児院にいた時、救いの手を誰よりも求めていたのは彼女でした。ローランド様のそのお心は、どうかリーリエお嬢様に向けてあげてください」

「……そうだな」


 ローランド様はたったひと言、そう答えて私からフッと視線を満天の空へと移した。その横顔が、なぜか少し苦しそうに見えた。


 私は胸に切ない痛みを覚えつつ、見るのはこれが最初で最後になるであろう月明りに照らされたローランド様の姿を、記憶に焼きつけた。



 そうして翌日、私はついに王都に降り立った。





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