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募る想いと違和感1




 俺たちが三日間を過ごす豪華客船エーンデル号。その最上階に一室だけ配された貴賓室は、メーンベッドルームの他、ふたつのベッドルームとリビングを有する広い造り。もちろん各部屋にはバスタブ付きのバスルームが付いており、家具や備品も全て一級品で統一されていた。

 その他、専用のデッキやミニキッチンを備え、船上とは思えぬゆったりと贅沢な空間設計になっていた。


「うっわぁ! 豪華だなぁ……!」


 専用の廊下から続く貴賓室の扉を潜った瞬間、リーリエが感嘆の声をあげた。


 その後ろでは、フィーアがキラキラと瞳を輝かせ、室内を見回している。嬉しそうな彼女の姿に、俺まで嬉しい気分になった。


「リーリエとフィーアでメーンベッドルームを使ってくれ」


 俺はメーンベッドルームをリーリエたちに割りあて、ふたつあるベッドルームのひとつを使うことにする。


 ふたりにとって初めての船旅だ、広い部屋の広いベッドでゆったりと過ごしてもらいたかった。


「夕食は七時からだ。出港初日の今日は、立食パーティになる。一応ドレスコードもあるが、ふたりの今の装いならなんら問題ない。明日以降も、あの店で購入したワンピースドレスならどれでも大丈夫だ」


 船内ダイニングのドレスコードは、比較的自由なインフォーマルになっている。初日の今日もそれは例外でない。


「分かった」

「それまでは部屋でゆっくりしてもいいし、図書館などの船内施設に行ってもいい。ただ、貴賓室から出る時には俺かフリップにひと声かけてから行ってくれ」


 リーリエは頷いて、足取り軽くベッドルームに向かう。その後ろを、しずしずとフィーアが続いた。


 つい先頃まで同じ施設で寝食を一緒にしていた友人同士とはとても思えぬふたりの姿に、なんとも言えない苦い思いが湧く。しかし、ふたりが納得した上でのことならば、横から必要以上に口を出すのも憚られる。

 小さく嘆息し、内心の憤りを押し込めて、俺も自身のベッドルームに足を向けた。




 荷解きを済ませ、ひと息ついてからデッキに出ると思わぬ先客があった。


「フィーアか?」


 フィーアがキラキラと日を受けて輝く金の髪を風になびかせて振り返る。

 清らかなその姿に、胸の鼓動が跳ねた。


「これは、ローランド様」


 控えめな笑みを浮かべ、フィーアがスッと腰を折る。


 リーリエの侍女になったからと言って、俺相手にまでそうかしこまる必要はないのだが……。

 喉もとまで出かかったが、伝えればフィーアを困らせてしまう気がしてのみ込んだ。


「君ひとりか? リーリエはどうした?」

「船に酔ってしまったようで、部屋で休んでいます」


 メーンベッドルームには、たしか常備薬があったはずだ。


「薬は?」

「はい。部屋にあった常備薬から、酔い止めを飲んでもらいました」


 俺の問いかけに、フィーアはすぐに頷いた。

 フィーアは本当によく気づく娘だ。


「そうか。君はついていなくて大丈夫なのか?」

「どうやら私が薬のことや室温のことなどを、口煩く言いすぎてしまったようで。……その、ひとりになりたいと」


 言葉を選ぶように告げられて、胸の内で深いため息をつく。

 きっと気分の優れないリーリエから、腹立ちまぎれに八つ当たりされたに違いない。


「君も気苦労が絶えないな」

「そ、そんな」

「ともあれ、リーリエの方から『ひとりになりたい』と言ってきたなら、好都合じゃないか。君は気にせず自由を満喫したらいいさ」


 慌てた様子のフィーアに悪戯っぽく告げたら、彼女は驚いたように目をパチパチと瞬いた。


「ふふふっ。それも、そうですね。せっかくですから、ここからの眺望をもうしばらく堪能させてもらいます」


 朗らかに微笑む彼女は透き通るように美しく、目が釘付けになる。不思議なくらい胸が騒いだ。


 そのまま俺たちはデッキに並んで、進行方向の前方に広がる景色を眺める。時間が心地よく、穏やかに流れていくのを感じた。


「まぁ!」


 その時、フィーアが興奮を隠せぬ様子で声をあげた。


「どうした?」

「見てください、ローランド様! あそこに河鳥が二羽、仲良さそうに……!」

「あれは雌雄だ。番かもしれんな」

「まぁ素敵! けれど雌雄の区別なんて、そうと言われても私にはまったく分かりません。ローランド様は詳しいんですね」


 フィーアが河鳥をもっとよく見ようと、手擦りから身を乗り出す。


「危ない! あまり身を乗り出しては、風にあおられて落ちてしまうぞ」


 考えるよりも先に、体が動いていた。


「あっ!」


 フィーアのウエストに腕を回し、後ろに引き寄せて胸に抱き留める。

 俺の胸にすっぽりと収まる華奢な体。俺の首もとをふわりと擽るやわらかな金の髪。鼻先を掠める甘い香り。それらを意識すれば、全身が不可解なほど熱を帯び、無性に胸がざわめいた。


 あたふたとフィーアが身じろぎ、俺を振り返る。


「す、すみません。私ったらつい、はしゃいでしまって」


 少し早口でそう告げる彼女の頬は、目に見えて赤い。そして俺と目線が合うや、彼女は恥ずかしそうにパッと逸らしてしまう。俺と密接に触れ合うこの状況に戸惑い、恥じらっているようだった。

 初心な反応が愛らしく、自然と口もとが綻ぶ。


「いや、俺こそ不用意に触れてすまなかった」

「そんな! 子供みたいに夢中になって身を乗り出して、恥ずかしところをお見せしました」

「なに、喜んでもらえたならなによりだ。そうだフィーア、せっかくだからお茶でも飲んでひと息つかないか?」

「で、ですが」


 戸惑った様子のフィーアを、広いデッキの中央に置かれた円形テーブルに促す。


「遠慮はいらん。君はリーリエの侍女だが、この部屋を利用する客でもある。君にはここで提供されるすべてのサービスを受ける権利がある。さぁ、ここに座って」


 ティーセットを運ぶよう伝声管で伝えてから、俺はフィーアと向かい合ってテーブルを囲う。

 いくらもせず船内メイドがワゴンを押してやって来て、手際よく準備を整えていく。その様子を、フィーアは目を丸くして見つめていた。


 香り高い紅茶とティースタンドにはフレッシュなフルーツをふんだんに使ったケーキ、ひと口サイズのサンドイッチに、何種類もの焼き菓子が並ぶ。

 メイドを下がらせると、豪華なティーセットを前にパチパチと目を瞬かせるフィーアに、俺が手ずから取り分けてやる。


「さぁ、食べてごらん」


 ところが、フィーアは片腕を胸にあて、潤んだ瞳でスイーツの皿を見つめるばかりで一向に手をつけようとしない。


「食べないのかい?」

「宝石みたいなスイーツがこんなにあって……なんだか胸がいっぱいになってしまって。まるで夢でも見ているみたい」


 可愛すぎる答えに頬が緩む。


 彼女の言動が俺を魅了する。他者にこんなにも心引きつけられるのは初めてのことで、俺自身戸惑いが隠せない。王太子という立場もあり、数多の美姫を目にしてきたが、こんなことは一度もない。

 なぜ、この少女だけがこんなにも心を揺り動かすのか。十四年願い続け、やっと叶ったリーリエとの再会より、たまたま知り合ったフィーアが、俺の心をこうも刺激してくるのだから不思議なのものだ。


 いずれにせよ、縁あってこうして共に王都に行くことになったのだ。フィーアが自らの意思でリーリエの侍女として働くことを選んだとはいえ、孤児院を出るきっかけを作ったのは他でない俺。彼女の今後の暮らしには、十分注意を払ってやらなければ。それが、連れ出した責任というものだ。


「ふむ。……夢、か」


 不可解な感情を自分なりに帰結し、おもむろに前に置かれたフォークを取った。やわらかそうなスポンジときめ細かな生クリーム、フルーツが層になったケーキに差し入れて、ひと口分にカットする。そのままフォークに掬い上げ、円形テーブルの向かいに座るフィーアの口もとにスッと寄せる。


「え?」


 これまで辛い環境にあったフィーア。彼女にはこれから美味しいものや美しいもの、この世のありとあらゆる楽しみを知ってほしいと思った。


「ならば、実際に食べてこれが夢かどうか確かめてみればいい。きっと君に、夢ではあり得ない美味しさを教えてくれる。さぁ、口を開けて」


 フィーアは戸惑いの滲んだ目を向けたが、俺が引かないと見るや、僅かな逡巡の後で、ケーキを彩る苺よりなお艶やかに色づく唇をゆっくりと開く。


 俺が口元にフォークを運ぶと、フィーアはフォークごとケーキをパクリと銜える。そのまま少し尖らせた唇がフォークを挟むようにしてクリームを舐め取る。その様子を息を詰めて見つめた。


 フィーアはチュパッとフォークを離し、俺の目から隠すように両手を口にあててもぐもぐと噛み、コクリと嚥下する。そうして赤らんだ頬と潤んだ目で「これでいい?」とでも問うように俺を見上げる。その姿は、まるで臆病な小動物のよう。


 俺はおくびにも出さなかったが、心と体の高揚を自覚していた。


「どうだい? 夢ではないと分かったろう」

「は、はい」


 俺が尋ねたら、フィーアは伏し目がちのまま消え入りそうな声で答えた。羞恥に頬を染めるフィーアの様子があまりに愛らしく、庇護欲とも独占欲ともつかない思いが胸に湧く。


 こんなふうにずっと彼女を俺の側に置いておけたら……いや、馬鹿な。保護の対象である少女にこんな邪な感情を抱くなど、俺はどうかしているぞ。


 抱いた感情の違和感に動揺し、カップを持つ手がピクンと揺れた。カップとソーサーがぶつかって、カチャンと小さな音が鳴る。


「あの、ローランド様? どうかされました?」

「いや、なんでもない」


 不思議そうにこちらを見上げるフィーアに、微笑んで次のスイーツを勧める。


 ……いや、違う。そうではないのだ。俺は彼女を孤児院から連れ出した責任感が行きすぎて、必要以上に過保護になってしまっている。彼女のあんな現場に踏み込んでこの手で救出したのだから、過剰に心配してしまうのも無理のないことだろう。


 だからそう、彼女のことは保護の対象として見守ってやらなければならない。


 そんなふうに自分を納得させて、俺は束の間、フィーアとの穏やかなティータイムを堪能した。





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